第2話
まき子は現実を直視できずにじっと下を向いていた。なぜなら、同じクラスにさっきの不思議少女がいたからである。
(か、関わりたくない!)
というのがまき子の率直な感想であった。
「まき子、具合悪いの?」
入学式の後、新入生はみんな教室に集まり各々の席についた。その時、席の前後になった東美千代に声をかけられ、まき子は有難いことに友達となることができたのである。
美千代はまき子と同じで高校生からこの学園に入学してきた編入生──小中高一貫の鵬華王蘭学園では中学、高校で入学してきた生徒を編入生と呼ぶ──だった。小さな診療所の一人娘である美千代は気取ったところがなく、とても話しやすい普通の少女であった。
まき子はお金持ちしかいない学園が少し怖くて、友達ができないと怖じ気づいていたが杞憂だったらしい。特待生の集まるクラスには少数ではあるものの普通の子も見受けられた。
あの子たちとも仲良くなりたいな、と思っていた矢先に目に入ったのが今朝の少女だったわけで、その時初めてまき子は彼女が特待生であると知ったのだ。
「いや、あの女の子。今朝見たなぁって」
「あ! 生徒会長にぶつかった子でしょ!? 怖いもの知らずだよね。既に噂になってたし」
「噂……」
噂ほど、面倒で悪辣なものはない。まき子は傍観を決め込もうとこの時決心した。触らぬ神に祟りなし、である。気配を消すのは得意だった。
「生徒会ってそんなにすごいの?」
「え、まき子、知らないの!? あの有名な鵬華の王子たちだよ!」
「王子……たしかに」
男子高校生に王子って、そこそこ恥ずかしいのではないだろうかと思ったが、彼らは王子と呼ばれてもその名前に負けぬほど顔面が強かった。安直なその安っぽい二つ名すら彼らにかかれば違和感もなく、むしろ似合っている。
「で? その王子ってどんななの?」
「まき子気になるの~?」
「そりゃあ、あんなイケメンだもん。目の保養じゃない」
「そうよねぇ。テレビの中のアイドルよりずっと身近で、格好良くて、お金持ちなんだもの」
まき子にとって、アイドルを愛するように、そのイケメンたちもエンターテイメントの一つだった。決して触れてはいけない毒花であるが、遠くから眺める分には何も問題ない。逆に興味がないほうが、それこそおもしれー女、みたいになるのではないだろうか。
(いや、それはないか。さすがに。あの子は美少女だからこそ"変な奴"と言われたんだから)
こんな頓珍漢で目を付けられれば死を覚悟するような学園で何事もなく過ごすために、過剰な自己防衛も無駄な詮索も必要ない。こういうのは意外にも、ただ普通に、いつも通りに過ごすだけで彼らの視界にはまっっっったく収まることなく高校生活を過ごすことができるのである。
なぜか。それはまき子が美少女でもなければ美女でもなく、何か特別秀でているわけでも優秀なわけでもないからである。
「イケメンの目に留まるのは死ぬほど難しいことよねぇ」
「そりゃそうよ。簡単だったら今頃私はイケメン彼氏を捕まえてるわ!」
「その通りね」
カッと目を見開いた美千代はおっとりしてそうな見た目に似合わず、ハキハキ物を言う性格のようだった。
「あ、生徒会について知りたいんでしょ?」
「うん、何にも知らないから。都市伝説かなにかだと思ってた」
「あー、わかる。イケメンなんてこの目で確かめてこそよ」
まき子の言葉に美千代はうんうんと頷いた。どうやら美千代は鵬華王蘭学園の生徒会に会いたくてこの学園に入学したらしく、謎のブロマイドを机に広げた。
「うわっ、写真はいいよ!」
「大丈夫。これ姫公式だから」
「……姫?」
「鵬華の王子たちだから、生徒会のファンネームは姫って決まってるの」
「あ……そう」
美千代は興奮したようにまき子にそう言うが、まき子にとっては今日初めて見た人たちで、なんなら遠目からでしか見れていない。正直彼らの凄さをいまいち分かっていなかった。
「まずは、生徒会長の伊集院斗真先輩! ロシアのクウォーターで、色素薄めの俺様系! ライオンみたいな鋭い瞳と八重歯が野性的で格好いいの!」
「あ、この人、今日ぶつかってた人?」
「そうよ! 大手IT企業の一人息子で次期社長! みんなこぞって彼に近付こうとするくらい優秀なんだよ!」
盗撮されたような彼の写真に思わずまき子の顔がひきつった。
(これがブロマイド……。これだけでどれだけファンクラブが過激か分かるなぁ……怖すぎでしょ)
この瞬間、まき子の中で生徒会への関心は完全に失せた。身近だなんて冗談じゃない。まき子にとってこの王子様たちはテレビの中のアイドルたちと同じくらい遠い存在になった。
「それで、次がね!」
「うーん、大体分かった分かった」
「え!? 絶対嘘! 面倒臭くなったんでしょ!」
美千代が聞いてよー! と言わんばかりにまき子の体を掴んで揺すった。初対面でこの距離感である。まき子は内心美千代のコミュ力にも驚いていた。
「分かった、じゃあ推しだけ言わせて」
「いいよ」
「推しはね、この子です!」
今度は盗撮ではなく演奏会のようだった。男性がピアノを弾いているだけで、顔がよく見えない。
「この人? 顔がよく見えないけど」
「いや、そう。そうなんだけどね、私はこれがいっちばんお気に入りなの……! 生徒会会計の東條清史様! 身長190越えの体躯に似合わず、今業界を騒がせるピアノ界のプリンス……。無口で表情も堅いけど目が離せないのよね!」
「へぇ、ギャップ萌えしたのね」
「そう! え、分かってくれる!? だって、あんな大きな身体でとっても繊細な音を紡ぐのよ!? 好きにならない方がおかしい! 今度演奏会があるんだけどまき子もどう?」
「美千代が好きなら興味あるなぁ」
「え、ほんと? ほんと? 私同担大歓迎だからまき子も一緒に推そう!?」
美千代は興奮ぎみにまき子に詰め寄り、どんどんと話を広げていく。まき子は美千代みたいに生徒会のファンになるのも楽しそうだと思った。盗撮ブロマイドはさすがにいらないけど、それこそテレビのアイドルを応援するように、彼らの美貌に楽しみを見出だすのも悪くない。なにより、まき子はイケメンが好きだ。嫌いな人なんていないだろうけれど。
「……これは誰?」
散らばったブロマイドの中にある一つの写真に目が止まった。生徒会長ともピアニストとも違う、中性的な神聖な美しさを感じる人物。
「彼は生徒会副会長の七々扇真澄先輩。中性的な美貌で同性の男からの人気も高いのよ! 家は由緒正しい華族で茶道家の息子。着物が一番似合うのは生徒会で彼以外いないわ!」
「七々扇……真澄……。綺麗」
まき子は一瞬で彼(の顔)が好きになった。女神のような美しさ。髪が短くなかったら女性と見間違えてしまいそうなほどだった。
ブロマイドも盗撮ではなく、こちらに気付いたようにゆるりと微笑んで手を振っている姿だった。勝手に発足したファンにすら優しいこの気遣い。女神である。
「中性的な顔が好みなの?」
「だってすっごく綺麗な顔をしてるじゃない? お肌つるつるで、睫毛バザバサだよ?」
「うんうん。わかるわかる。擬音しか使えなくなるよね、愛しすぎて」
あまりにも好みの顔を見たことに今度はまき子が興奮気味になる。まき子は清楚で中性的な男性が好みであった。特に理由はないが、綺麗な男の人を見るとソワソワする。男らしさより美しさの方がまき子には刺さる。
「今のところ生徒会では真澄先輩が一番格好いいと思う……!」
「あー、清史様推しになって欲しかったけど、まぁいいや! 興味持ってくれただけで!」
「逆に興味ない人なんているの?」
女の子はきっと格好いい人は好きだし、男の子だって可愛い子が好きだろう。美しいものというのは男女関係なく人を幸せにするものだ。
だからって、むやみやたらにその人に近付こうとは思わないけれど。
きゃあぁああぁあ!
突然響いた悲鳴に、まき子も美千代も顔をあげた。なんだなんだと二人して目が白黒させていると、喧騒が近付いてくる。教室の入り口に姿を現した人物に二人で唖然とした。
「いっ……っ!」
まき子は咄嗟に名前を叫ぼうとした美千代の腕を掴んで意識をこちらに向けた。こんな中で名前を呼んでは悪目立ちする。生徒会に目を付けられるよりも、過激なファンクラブに目を付けられる方が何倍も厄介である。
「あっぶな……。ありがと、まき子。大声で呼び捨てにするところだった」
「ううん。大丈夫。それよりこんなところにどうしたんだろうね?」
落ち着いた様子の美千代は小声でまき子にお礼を言った。一年生の、しかも特待生の教室に現れたのは生徒会長……伊集院斗真その人だった。
色素の薄い茶色の髪に、琥珀色にも見える瞳。ちらりと覗く八重歯が野性的だと美千代は言っていたが、実際に見てまき子も納得した。
俺様系という表現がぴったりな、鋭い雰囲気を持つ男らしい風貌の青年だった。
(やっぱり顔がいい)
「このクラスだったか」
斗真は誰かを探していたようで、声優ばりのよく通る良い声で教室に入ってきた。顔も良ければ声もよく、金持ちで優秀。前世はどんな徳を積んだのだろうとまき子は羨ましくなった。もしまき子が斗真になれたら……なんてのは失礼な話である。いつまでもあの不合格を引きずっている場合ではない。
斗真は教室の中にズカズカ入り込んで、ある少女の前で止まった。まき子は思わず息を飲む。
その少女は参考書から顔を上げて、ポカンとしていた。斗真が今朝ぶつかった相手だと分かると、少女はサっと顔色を悪くした。
「え、あの、もしかしてどこか怪我してました……? い、慰謝料とかですか? 私、あの」
「突然来て悪いな、俺は今期生徒会長の伊集院斗真。君は綾瀬春陽で間違いないか?」
すっと自然に、本当に王子様みたいに斗真は春陽に手を差し伸べた。春陽は展開について行けず、口を開けたままだった。
「な、ななななっ」
隣でアワアワと震える美千代を心配することもできずに、まき子は呆然と二人を見ていた。
(こんなことってあるの? 目の前で起きてることが信じられない……)
こんなの本当の少女漫画じゃない……ポツリと呟いた言葉は誰にも伝わることなく消えていく。周りが唖然呆然とする中で、まき子は自分の心臓が確かに高鳴る音を聞いていた。
まき子には斗真と春陽の二人にだけスポットライトが当たっているように思えて仕方がなかった。