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第1話

 人生とは、不条理である。

 どれほど努力を重ねようと、どれほど恋い焦がれようと手に入らないものがある。


 西島まき子は呆然と掲示板を見ながら棒立ちしていた。嬉しいと泣き出す人や、声もなく崩れ落ちる人。多種多様な喧騒も今のまき子には聞こえなかった。


 一日中勉強をした。それでも、A判定はおろか、B判定すらもらえない状態だった。まき子に才能はなかった。だから、必死に必死に勉強をした。


 まき子の母と父も当然応援してくれていて、この地域で一番偏差値が高いと言われる高校の制服を着る自分を夢想した。聡明さの証であるその校章を身に付けることを、一番望んでいたのはまき子だった。


 一緒に合格発表を見に来た母はまき子にどんな声をかけようかとオロオロと焦った様子だった。まき子は呆然としたまま血の気が引くという言葉の意味を実感し、目の前が真っ暗、いやチカチカと点滅するようだった。


 これからどうしよう、という漠然とした不安と自分の努力が報われなかった悔しさにただただ打ちのめされた。


「……まき子……貴女はよく頑張ったわ」


 母の気遣うような言葉も、今のまき子には毒のようだった。賢い娘を誇りに思ってもらいたいとまき子が思っていたことも拍車をかけ、より一層合格できていたら、という無駄な後悔に襲われる。


 子供の価値は、学力でも飛び抜けた才能でもないはず。きっとどんなまき子でも母も父も愛してくれるし認めてくれる。そんなこと、まき子も痛いほど分かっているのだ。


 それでも、こんなに頑張ったなら結果がついてきてもいいじゃないか。

 こんなに、頑張ったなら──。


(……いや、それは言い訳か……)


 結果など、目の前に掲げられたもの以外に何があるだろう。周りの人間は、まき子より賢かった、勉強していた、才能があった。そんなものを羨んだところで手に入るものではない。

 何度も挫けそうになりながら必死に机にかじりついた結果が、これ(不合格)だ。だったら、きっとこれが精一杯。


「私は全力で頑張った。だから、後悔はしない」


 たとえ努力の結果が、不合格であろうとも。


 まき子は驚くべきメンタルの強さで折れかけた心を持ち直した。

 両親の教育とまき子の持ち前の性質によるものなのか、まき子は殊更努力を大切する子どもだった。

 それこそが、自分をより一層高めてくれるものだと知っていたから。人生、努力さえ怠らなければ多少の困難はもはや試練だった。


 だけども別に、全てに置いてがむしゃらに頑張る必要はないと思うのだ。まき子は走るのが得意ではない。だから体育の持久走はいかにして休むかを一番大切にしていたし、受験期もそりゃ頑張ったけれどネットに浸り後悔に襲われた一日だってある。

 美術部では好きなだけ絵を描いたけれど、先生の提示したテーマが気に入らなくて好き勝手描いて怒られたこともあった。


 西島まき子は、変わり者ではあるけれど、ごくごく普通の女の子だ。これでも、初恋は幼稚園の頃同じ組の亮太郎くんに捧げた身であるし、中学生の時だってそこそこ気になる人もいた。

 積極的に男子と関わる人間ではなかったため初彼をゲットすることはできなかったものの、まぁそれはいいだろう。高校では、少女漫画のような素敵な恋をするのだとまき子は妙な所で前向きだった。


 努力家で真面目な、だけどどこか変わっている彼女は輝かしい女子高校生になるはずだった──。


「え、これちょっと帰りたい」


 まき子の住む住宅街の最寄り駅から30分かけて通う学校。圧倒的都心に建てられた広すぎる敷地にいらないだろと思われる巨大な時計塔。

 これから、まき子が通う鵬華王蘭学園。

 その圧倒的なスケールに、さすがのまき子も大口を開け校門前で突っ立っていた。目の前にリムジンが止まって同じ制服を着た人間がそこから出てくるのである。まき子はあまりにも違う世界に一種の恐怖すら覚えた。


 鵬華王蘭学園は、言わずと知れた名門私立学校ある。小中高が一貫の、超絶お金持ち学校。

 まき子はこれでもそこそこ頭が良かったので、学費を普通の半分で済む特待生として入学した。


 第一志望の滑り止めで私立を受けるのはセオリーであり、まき子もその通りに受けたのだ。制服が可愛いから、というあまりにもお粗末な理由で選んだことを後悔した。

 試験の時はこんな豪華じゃなかった気がするのは、試験を受けた会場がここではなくもっと都心を外れた別館だったためである。まき子はすっかりそこが鵬華王蘭学園の本館だと思ってしまった。


 都心のここだけでなく、また別に土地があるだなんてどれだけお金があるのだろうと戦慄した。


(家に帰って学費を聞かないと……いや、でも…うわぁ、聞きたくないなぁ……)


 どう考えても場違いだった。まき子はこんな世界を知らない。父の社宅に家族と暮らすサラリーマンの娘だから。

 その時、ドンッとぶつかられた。不意のことによろめいてたたらを踏む。


「あら、ごめんなさいね。気付かなかったわ」


 キラキラの、もう自分に投資し尽しました、みたいな女の子がフンッと鼻を鳴らして雑な謝罪とともに去っていった。どう考えても金持ちだ。

 でも確かに、こんな所でボーッとしてたら通行の邪魔になるだろうとまき子は気合いを入れて門を潜った。そして通りの端っこを歩く。


 しかし突然、やたらと人が多くなったことに気が付いた。校舎の中からワラワラと人……特に女子が出てきて、ガードレールのようにピッタリと道に沿って並んでいく。

 アイドルを応援するかのような黄色い歓声に、まき子は首を傾げた。


(有名人でも来るのかな?)


 ちょっとしたミーハー心から、その列に加わる。後ろから、そっと様子を見るだけだから、と思いつつワクワクしていたのも事実。


「きゃあああぁ! 見て! 伊集院先輩よ! 今日も男らしくて素敵だわ!」

「あら、やだ。東雲先輩の方が良くてよ。あの聡明なお顔と涼やかな目元……あぁなんて美しいの」

「でも、東條さんが一番よね! なんて逞しい身体でいらっしゃるのかしら……」


 目の前できゃあきゃあと騒ぐ女子三人の腕章は緑で、彼女らは二年生であると一目で分かった。いや、それよりも。


(本場のお嬢様言葉だ……)


 まき子は別のことに驚いていた。漫画やアニメで聞いたことが現実で起こると、人は驚きを通り越して感動を覚えるようだ。

 しかもいかにもお金持ちそうな名前が出てきて、まき子は小さく、すげぇと呟いた。


「あ、いらしたわ! きゃぁ! 目が合ったかも!」

「ああ素敵!」

「今日も幸せだわ……」


 一際大きくなった歓声と道の中央を堂々と歩く人たち。周りの声などものともせず、まるで慣れているかのように気にも止めてない。

 その人たちの顔を見て、まき子は今日一番の衝撃を感じた。なんと、全員が全員とも異常なほどイケメンだったのである。ズギャーンッと効果音が聞こえそうなほど、まき子は愕然とした。


(これ、少女漫画で見たやつ!)


 受験期に死ぬほどポストに入れられ、時に苛立ち時に励まされた、某通信教材の漫画のようにまき子は閃いた。彼女が愛してやまない少女漫画のような一幕に、呆然とする。こんなものが現実にあることが信じられなかった。


 否、鵬華王蘭学園の素晴らしさや噂についてはある程度聞き及んでいたが、まさか本当だとは夢にも思わなかったのだ。誰かが誇張してるだろう、くらいの認識だった。


 しかし目の前で見てみると、それはもうオーラが違うしなんか人間としての風格さえ違う気すらする。まき子はとんでもないところに入学してしまったと頭を抱えたかった。普通でいいのだ。気苦労の少ない学校生活が送りたいのに、こんなに非凡ではこちらが疲れる。いつか慣れるといいのだけれど。


 まき子がひっそりこれからを案じていると、どこからか少女の声が聞こえた。


「遅れちゃう~!」


 さっきイケメンどもが通ってきた道を、一人の少女が食パンを食べながら走ってきた。


(え? 正気なの?)


 どう考えても通るには恐れ多すぎる道ではないか。こんなに女の子が侍って並ぶなどとんでもないことに違いないのにこの子は気付かないらしい。


 少女はどいてどいて、と叫びながら混乱しているのか周りが見えていないのか、イケメン軍団の中に突っ込んだ。もうまき子は見ていられず思わず両手で顔を覆った。


 数人のイケメンは少女に気づいたようだが、一番先頭にいたリーダー格のイケメンはそれに気付かず、少女と衝突する。イケメンは難聴なの? とまき子はわりと本気で心配した。背中に思わぬ衝撃が走ったせいで、イケメンと少女は倒れるように転んだ。


「きゃあ、ごめんなさい! 私、急いでいて!」

「いった……」


 そこでようやく少女は正気を取り戻し、顔を真っ赤にして何度も謝る。まき子はまた顔を覆った。なんだかこっちが恥ずかしかった。

 でも、近くで見れば少女は大変愛らしく、イケメンと並んで遜色ない美少女だった。まき子は思わず目を剥く。


「怪我はないか、斗真(とうま)

「俺は平気だ。お前は大丈夫なのか?」


 大きな体躯のイケメンに駆け寄られ、リーダー格のイケメンは難なく立ち上がる。果てにはぶつかってきた張本人である女の子にすら案ずるような声掛けをした。


(イケメンって顔が良いだけじゃなくて余裕まであるのね……)


 まき子は場違いにも一人イケメンの気遣いに感動した。しかし、周りの女の子がそれを許すはずもなく、ヒソヒソと陰口を叩き出す。


「どうして伊集院先輩にあんな無礼を!」

「伊集院先輩が心配なさるだなんてっ」

「あの女、許さない!」


 まき子は心臓が縮みあがりそうだった。


「あの、あの、本当にごめんなさい! 人がいたなんて気付かなくて……!」

「ああ、別に……」

「えっと、遅刻するので私はここらで!」


 本当にごめんなさい~! という言葉と共に、彼女はどんどん小さくなっていった。残された伊集院先輩とやらは、しばらく呆然として、クスリと笑った。その場にいた全ての女子がザワリと揺れる。と同時に溢れだしたのは紛れもなく、あの少女への殺気だった。


「変な奴……」


(頂きました! "変な奴"!!)


 少女漫画の代名詞、おもしれー女とほぼ同義語である変な奴! まき子は思わず笑いそうになった。

 どうやら学園生活は波乱に満ちているらしい。

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[一言] 素晴らしい作品です はまりました
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