1、私のものなのに
よろしくお願いします。
時間になってもエスコートの相手が現れず、私は慌てて控え室を後にしました。
夜会会場の扉を守る護衛騎士が一人歩く私に目を止めると、全てを悟ったかの様に目を逸らします。
あなたはいつもの護衛騎士ですね。なるほど、そう言う事ですか。
私が会場に一人で入ると、周囲がざわめきました。そうれはそうでしょう。今日の主役が何の前触れもなく一人で会場入りしたのですから。
きらびやかな会場をざっと見回すと、奥に用意された休憩スペースに令嬢が群がっています。その中心に一つ頭の高い人物が居ました。今まさに私が探しているアルフォンスです。
アルは一目で高級とわかるスーツを着こなし、その長い足を惜しげもなく晒しています。亜麻色のサラサラの髪は顔周りだけ長く伸ばし、残りは短髪。黙っていると冷たい印象のつり目をデレッと緩めているのはなぜでしょう。ああなるほど、可愛いモノ好きが発動中ですか。隣に侍っている令嬢は殊更可愛らしいですからね。
はぁ。彼女たちが群がるのもわかります。その優麗な容姿に加えて、剣技は同年代で追従する者を許さず、勉学は手を抜いていても学院トップクラス。更に魔法を使えば国内で右に出る者は居ないとか。欠点と言えばその軽薄さくらいのものでしょう。まぁ、それすらも恋のスパイスとなっている様です。
私は気合いを入れ、そこへ向かってツカツカと足を進めます。
近付くにつれ、耳朶に馴染んだハスキーボイスが聞こえてきました。
「その髪飾りは君の綺麗な淡い色の髪に良く似合うな。おっと悪い、思わず触れてしまったよ」
「普段から綺麗だと思っていたが、着飾った君はさながら春の女神の様だ」
まるで呼吸をするがの如く、その形の良い薄い唇から甘い言葉を吐いています。周りの令嬢も恋する乙女の様に熱い視線を向けている様です。
──面白くない。
私はその集団に対峙しました。
「アル、なぜあなたはそこに居るのですか?」
アルのオリーブ色の瞳が面白そうに私に向けられました。
「可愛い御令嬢方に誘われたら断れないだろう?」
そう言って隣の令嬢を抱き寄せ頬にキスをしました。途端、黄色い悲鳴があがります。
「な、何をしているのですか!? アルは私の、モガッ」
一瞬で距離を詰めたアルは暖かい掌で私の口を塞ぎました。またも黄色い悲鳴があがります。
「みんなごめんね。私はそろそろ戻るよ」
私からは見えませんでしたが、アルは令嬢方にウインクを投げた様です。そして私を引き摺るように会場を後にしました。
「王族があれぐらいで取り乱すなよ」
アルは顔にかかった前髪をさらりとかきあげ、溜め息混じりに言いました。その全てが様になっています。
──あー、面白くない。
「だ・れ・の! せいだと思って居るのですか!!」
「ほらほら、どうどう。ここは会場外とは言え、まだ衆目があるんだから」
「ハァー。今日と言う日にそんな事をしている、私を納得させるだけの理由があるのでしょうね?」
私はアルを横目でじとりと見ました。
「ああ。後で話すよ。二人きりになったら、な」
アルはクスクスと笑いながら私の耳元で囁きました。その吐息にゾクリとしてしまったのは仕方がないと思います。
私は部屋に着くと人払いをして、念のため扉に鍵を掛けました。
「それで、なぜ?」
私はソファに腰掛けるとすぐに問い質します。アルは向かいに座ってその長い足を組み、我慢が足りないなと笑いました。本当に誰のせいだと思っているのでしょうか。
「私は姉のアルミネラの事を悪し様に言う噂を調べていたんだよ。噂は令嬢の方が詳しいだろう?」
「悪し様……それはどのような噂なのでしょうか」
「姉のアルミネラは留学先の隣国で勉強もせずに遊び歩いているらしい。男も取っ替え引っ替えで、夜な夜な令嬢の口からは言えない様な場所に入り浸っているそうだ」
一瞬、己の耳を疑いました。私はそれを信じたくなくてじっとアルを見つめるも、アルはただ微笑んでいるだけ。私の事を試しているのでしょうか。
「──私の耳にその噂は入ってきていませんが」
「そりゃあ下手をすれば不敬になる噂だ。噂話をする者も当然慎重にその相手を選んでいる。王族やその周辺の耳に入るのは最後だろうさ。でも、側近である私まで届いたからにはほぼ全ての貴族が知っているとみて良いだろう」
なぜアルはにこにことしていられるのでしょうか。確実に嘘の噂だとわかっているのに、私の心中は穏やかではありません。
「まぁ本物のアルミネラにそんな暇は無いから、言いたい奴には勝手に言わせておけばいいさ。ククッ、そのうち全てをひっくり返してやるつもりだしね」
にこにこではなくニヤニヤの間違いだった様です。まったく、こんなにもお腹の中が真っ黒な人は、国中を探してもなかなか居ないと思いますよ。
ふぅ。あまりの話に無意識で緊張していたのか、喉が渇きました。
お茶でも入れようと魔法で湯を沸かしたり食器を用意したりしていると、後ろからシュルリと音がします。シュルリです。衣擦れの音です。私はハッとして振り返りました。
つい先程までピシッと着ていたスーツのジャケットを脱ぎ捨て、タイを外し、ベストは開け、シャツのボタンに手をかけています。
「アル!? それ以上はダメです!!」
「なぜ? すぐに着替えなければならないだろう?」
アルはキョトンとした顔で私を見ます。
「そうですが! 私の前で着替えないでください! そもそも無頓着な君のせいで、私が裏で侍女たちになんと言われているか知っていますか!?」
「あぁ、ウィリアム王子は男性がお好きと言うやつだな」
「それを知っていてなぜ!?」
「はは。ウィルの反応が面白いからに決まっているだろう?」
「はぁあ!? って、今すぐボタンから手を離してください!! 私は男でアルミネラは女の子なんですよ!! それにこの部屋は今密室なのです!!」
私が一人慌てていると、アルは少し考えてから首を傾げ私を見ました。色気たっぷりな流し目と悪魔の様な妖艶な笑みを添えて。
「──ふぅん。密室なんだ。じゃあ、試しに襲ってみる?」
ゴクリと喉が鳴ってしまったのは不可抗力です。
「──お、襲いませんっ!! 早くジャケットを着て今すぐ出ていってください!! そもそも今日アルが着る様な服はここには無いでしょう!?」
私が扉の鍵を外しながら早口に捲し立てると、アルはニヤニヤと笑いながら出ていきました。きっとサンスベリア公爵家に割り当てられた部屋へ向かったのでしょう。
はぁ。本当にアルの言動は心臓に悪いです。
皆様どこで気付かれましたか?
この話だけ冒頭から読み返してみると、また違う物語に思えるかも?
※次話からは普通に進みます。