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「『あなたはこれらの臨床的実験に自ら意思で主体性を持って参加していたことを認めますか?』
ジョンストン検事補の発言。
『はい、認めます』
二井原博士の発言。
『判事、検事補、弁護側は発言と検察側への重大な提案を求めます』
二井原博士の弁護士、マール弁護士の発言。
『認めます』
コール判事の発言。
『弁護側はこれら臨床的実験に関する全てのデータならびに、、、、』
二井原博士の弁護士、ザイール弁護士の発言。」
1965年に開示されたアメリカの公文書より。
夕食は減塩仕様の病院食とはいえ、ほとんど味がしなかった。
午前中の一件のせいか、このあとの献体、骨髄液の採取のせいかもしれない。
孤独な一人部屋で食事を終えたとき、図ったかのように途端病室が全体が薄暗くなり、能美相生病院そのものが暗雲たり黒雲に覆われた。
迎えに来たのは、ナースセンターの女性看護師ではなく、男性看護師だった。
それで、すべての覚悟が決まった。
男性看護師は車椅子を押してやってきていた。ありがたいことに車椅子で運んでくれるらしい。
遼生が身の回りをゴソゴソしているとお姫様抱っこで男性看護師に抱えられ車椅子に乗せられた。
やはり男性看護師の力は強い。
男性看護師に押されて遼生には全くわからないルートで病院内をどんどん進んでいく。進むの方角からみて南でD棟の方角ということははっきりわかる。
廊下の窓から見える数少ない風景で山の奥に向かっているのだ。
黒雲はどんどん凶悪な色に変化している。
本当は、不便でも松葉杖で行きたかった。理由は今朝の出来事でQED。
しかし、よく考えると完全にバリアフリー化された車椅子でも手で押せば移動の自由は確保されていることに気づく。
しかし逃げることしか出来ない。
遼生は自分の動揺具合に我ながら驚いてしまった。
心臓がバクバクいっている。
看護師に押され上りより下がりのほうが大きな角度の二階に設置された渡り廊下を渡る。
建物にはDと大きく外壁に表示されてある。
それと旧字体の大きな文字で大学医学部特別完治科研究所と渡り廊下を渡りきった扉に文字があった。
遼生の松葉杖でのささやかな冒険旅行とは違うルートだったらしく、内務省の大きな立て看板がついた内扉はなくD棟に入った。
古い、コンクリートの壁面のD棟内を進む。
突然、ピカッと光り強烈な音ともに雷鳴がD棟内部にまで響いた。
と同時に車椅子が止まった。
「こちらです」
男性看護師が一言だけ声を発した。続いてその処置室のドアを看護師がノックする。
「はい、どうぞ」
聞き覚えのある声がした。
漆原講師だ。
処置室に入る。処置室とはいえ、中は手術室のようだ。
中央に黒いビニールをかけたベッドというか拷問台のような処置台があり、その上にこれでもかというほど光源を集めた明るすぎる照明。
そしてなぜか、各種電源コードが地面を走る。何本も。
道路工事で見たような自家発電の設備のような変電設備も見える。
処置室に居るのは、漆原講師と男性看護師二人。男性看護師も大男だ。漆原講師も大きので全員大男だ。
三人ともマスクに手術用の手袋とラテックスの手術用の着込むタイプの大きな前掛け。
「どうぞこちらのベッドへ」
と漆原講師は処置台を指す。
遼生は言葉を発しようとしたが、またお姫様抱っこで男性看護師に抱きかかえ上げられ処置台へ。
遼生の真上の照明が眩しい。
近くで、ものすごい音がした。
落雷したのだ。
遠くにあってわからないが小さな自家用発電の機械の計器類の数値が跳ね上がったような気した。
と、同時にバケツを引っくり返したような大粒の降雨の雨音が始まった。処置室まで聞こえる。
遼生を運んできた看護師はドアの音も立てず退出した。これで処置室には三人。
「朝は大変だったそうですね、山下さん」
マスクにゴーグルタイプの眼鏡で漆原講師の表情が伺えない。
「──────」
無言の遼生。
「当院には心療内科の閉鎖病棟の患者さんもおられますので、山下さんは警察から表彰されるかもしれませんよ」
「──────」
無言を貫く遼生、だが思い切って言ってみた。
「痛み止めの局部麻酔は要りません」
「残念ですね、麻酔科の医師が処方した適切な注射薬があるのに」
「厚生労働省が推奨する医療費削減に沿ってみました」
嫌味をチョット言ってみた。
「必要且つ適切な医療は予算の如何に関わらずすべて必ず行われるべきです」
笑いもせず漆原講師は答えた。
「こちらは医学に貢献して献体というか骨髄液の採取を志願するんだ。いくつか質問してもいいですか?」
「どうそ、当院は基本方針として患者さんへの完全なインフォームド・コンセントも謳っています」
長い間があった。
その間に男性看護師が自家発電のような機器を調整した。
雷鳴と降雨の音の中、ウィーンというハム音が処置室内に静かに響く。
「先生はお忙しいようだから、ズバリ訊きます。午前中外来病棟の廊下で暴れた患者さんは心療内科の閉鎖病棟の患者さんではないですよね」
処置台に乗せられ漆原講師との距離は狭まっている。漆原講師がにやりと口角を上げたのがマスク越しでもわかった。
「違う科の閉鎖病棟の患者さんかもしれませんよ」
漆原講師の答え。
遼生が畳み掛ける。
「それは完治科!?ですか?」
漆原講師は質問には答えず、その場で踵を返しなにかを取りに行った。
「あなたとは局部麻酔を投薬した上で穏便に進めたかったのですが、残念ながら無理なようですね」
後ろを向いたまま漆原講師が言った。
「骨髄液の採取はかなりの痛みを伴いますよ」
「痛みだけで済むんですか?完治科ってなんなんですか?」
漆原講師が処置台に向き直りなにやらぼそぼそっと答えたが落雷の大きな音と同時だった。
遼生には聞こえなかった。
振り向いた漆原講師は両手にヘッドセットのような電極の付いた器具を持っていた。そのヘッドセットは自家発電の装置まで線が繋がっていた。
「お食事の時間ですよ、リョウセイちゃん」
漆原講師が戯けた調子の声を出した。
遼生は処置台半身を起こしていたが、さらに処置台から降りようとした。
「拘束を」
漆原講師の指示のほうが早かった。
大きな男性講師が遼生を処置台に抑えにかかった。ものすごい怪力だ。動けない。
ゴーグル式の眼鏡を着用した漆原講師の目が青く光って見えた。
「受け入れがたいかもしれませんが、山下さん、あなたも既に午前中の暴れた患者さんと同じ完治科の患者さんなのですよ」
「嘘だ!!」
処置台に備えられたベルト式の拘束具が抗う遼生の腕にはめられようとしている。
「証拠をお見せしましょう」
漆原が遼生の左腕の入院用の寝間着を大きくまくりあげた。
肘のチョット下辺りに見たこともない大きな縫合の痕が腕を一周していた。
遼生は我が目を疑った。
「明日あたりが入浴の日だったのでは、だから少し急ぎました」
「あんたら俺に一体なにをしたんだ、、、」
遼生の声がくぐもる。
「命を救ったのですよ。あなたが深夜にバイク事故をお起こし発見されたときは翌朝だ。心肺停止の状態でここに運び込まれた。しかもあなたのRB値は素晴らしかった、それで最新のアップデート型にだから、あの患者さんを楽々と抑え込めたでしょう」
「最新!?」
「ええ、午前中暴れた患者さんは当院に戦前からおられる患者さんで古いタイプでね、廃電の調整が難しい。しかも見た目が少し人前に出すのにはチョットはばかられるほどで、、、。軍が実用化を急いだんでしょうね」
「なんの話だ!?」
男性看護師二名が抑え込みながら遼生の左足に拘束具がかけられた。
漆原は得意になって話をすすめる。
「戦時の人材が困窮したおり、旧軍はどうにかして人材不足を解消しようとした。しかも戦時中だ死体は山程あり余っている。その死体の有効活用に目を付けたのですよ」
遼生は拘束具の枷をかけられまいと必死で漆原講師の話しをしっかり聞けない。
「倫理的にはかなり問題があると私も思いますが、誰も死後の権利を保証していないし法的には一切問題ない。当時の内務省現在の厚生労働省も含みますからそこで粛々と研究は続けられた」
漆原はそこで話を切った。
「二井原教授という天才医学者が戦時中おられましてね、私の指導教官でしたが、、。あっという間に臨床的な成功から実用化とも呼んで良いのかわかりませんが、こぎつけました。しかし時局はあえなく終戦。GHQにより内務省は解体されましたが、二井原教授はその研究成果と治験データ一切をGHQに提出することと引き換えに研究の存続と予算まで新しく出来た厚生省から獲得することに成功。そして今日至るわけです。折しも現在、再生医療分野は花形だし、少子化に人手不足だ今注目の研究分野なのです」
漆原が、電極のついたヘッドセットを遼生の頭に嵌めようと手を伸ばしてきた。
「しかし、なぜその研究が当地で行われているかご存知ですか?」
遼生は二人の看護師に本気で抗っている、知っているわけがない。話も八割ほどしか聞けていない。
「さすがの二井原教授も蘇生のショックにはかなりのエネルギーが必要だった。時局はあらゆる物資が逼迫する戦時中。燃やすエネルギなど殆どない。そこで目につけたのが、、、。そうです。今で言うところの自然エネルギーです」
漆原の目が青く光る。
「雷ですよ。電圧は最大十数億ボルトとも言われています。最低でも数百万ボルトの電圧が毎回得られる。利用する手はない。日本で一番落雷が多い場所をご存知ですか?」
抵抗している遼生は、首を振ってノーと言っているように見える。
「知らない。そうでしょう。多くの方がそうです。ここ石川県なんですよ。裏日本の曇りがちで変わりやすい気候、そして南部の山岳地帯。絶好の場所なのです。今日は燃料を少しチャージするだけなので雷は必要ではありませんが、あなたを蘇生させる時にもAEDのように雷が必要だったのですよ、、。D棟の真上の大きなアンテナは避雷針ではなく、受雷針なのです」
漆原講師が遼生のこめかみにタッチ式の電極のついたヘッドセットを装着した。漆原講師はすべての仕事が終わったかのように背を向けた。
悲鳴を聞くのが嫌なのかも知れない。
それを見るとぱっと一人の看護師が機器まで急いで走りスイッチを入れた。
遼生の身体が海老反りに跳ね上がり悲鳴を上げた。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああ」
遼生の頭を左右に貫通するように激痛が走る。
「チャージ完了。カルテには点滴による栄養補給と書いておきますかね」
遼生の頭はすっきりし何故か身体は力がみなぎっていた。遼生の頭に装着されたヘッドセットを外そうと男性看護師が腕を伸ばした。
その時、遼生は腕にかせられた拘束具のベルトを引きちぎった。
一人の看護師が『えっ』と言う顔したが、ヘッドセットに手を伸ばしていた看護師はなにも気がついていなかった。
遼生は片手で、ヘッドセットをつかもうとしていた看護師の手首を掴むと捻じり上げた。
「ぐぅおおおおお」
看護師が悲鳴を上げた。看護師の手首から先が一瞬でだらーんとなって垂れた。そして手首を抑えその場にうずくまった。
それを見ていた、もう一方の看護師が弱い声を漆原講師にかけた。
「先生、、、、」
遼生はいとも簡単にすべての拘束具のベルトを引きちぎっていた。手には電極付きヘッドセット。
先生と漆原に声をかけた看護師はジリジリ処置台から離れていたが、遼生の動きのほうが早かった。
ヘッドセットの金具ごと看護師の顔に押し付けた。
電極が両方看護師の顔に触れた瞬間。
パッと一瞬看護師の顔が明るくなり、じゅっという嫌な音と皮膚が焼ける嫌な匂いがして男性看護師は気絶しその場に倒れた。
「貴様!」
漆原講師が注射器を片手に口で先端のキャップを外しながら遼生のほうに駆け寄ってきた。
遼生は処置台に座ったままだったが、電極付きのヘッドセットを持っていない方の手で漆原の注射器を持った手を抑えた。
先程の看護師同様捻じり折ってやるつもりだったがどうしてか出来なかった。
代わりに、電極の付いたヘッドセットを漆原講師の太ももにぶすっと電極の両極ともに差した。
「がぁあああああああああああああああああああああああああ」
今度は、漆原が吠えた。獣のように吠え続けた。ふとももからは煙があがり肉の焼ける嫌な匂いがする。
しかし、漆原講師は看護師のように気絶はしない。
漆原講師はオオカミのように天を仰ぎ、遠吠えでもするように吠えている。
「ぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
まず電極を差した太もも付近のスラックスが燃え上がり焦げた。
着用式のエプロンは溶け落ちた。白衣も燃えた。ゴーグルタイプの眼鏡はぱりんと張り裂けた。
燃え残っている衣服の上からでも、身体が赤黒く光っているのがわかった。
それでも、漆原は悲鳴を上げ続けた。
「ぐぅううううううううううううううううううううううううう」
漆原の目は青く光り青い光線は天井の一点をレーザービームを放ち挿していた。口では上顎と下顎の間でバチバチ黄色い放電が始まっていた。
そして鼻の穴からは大量の鼻血が垂れ流れた。
なぜ、死なない?。
なぜ、気絶しない?。
遼生は怖くなり、処置台から飛び降りた。衝撃で右膝のギプスが割れた。もうそれどころではない。
処置台から飛び降りた瞬間に電気極付きのヘッドセットを漆原講師の太ももから引き抜いてしまった。
漆原はかなりルックスが変わっていた。以前は医療オタクだったが今はイケてるパンクだった。
髪はすべて白髪になり逆立ち。プスプス煙を上げ。目の色は青。鼻の下は京劇の俳優のように真っ赤。口の中では上歯と下歯の間で小さな放電がパチパチ起こっていた。
だが、電極を刺された右太ももは筋組織が焼かれて損失したのか右足を引きずっていた。
「そうなのだよ、二井原先生は教え子の私をも完治させたのだよ。貴様こそ医学に楯突くとはいい度胸だ。医学に抗えるものなど一人として居ない。死ね」
漆原講師は飛びかかってきた。
処置台を挟んで、遼生と漆原講師はレスラーのように組み合った。
漆原はものすごい怪力だ、最初の看護師のようにはいかない。
両手で組み合った力が一瞬右に拠れた瞬間、遼生は離れた手で裏拳で思いっきり漆原の頬を殴った。
コキンっと漆原の首がかしいだが、漆原はもろともしない。逆に漆原の口腔に拳を近づけてしまったがために放電の電気ショックをバチンと遼生はくらい手を縮めてしまった。
「私のほうがチャージされているみたいだな」
遼生と漆原とで処置台をはさみにらみ合いが続く。
外では豪雨と雷鳴が轟く。
どうする。
お互い、死んだ身だ。どうやれば殺せるのか見当がつかない。
青いビームを目から放ちながら、ポイント式の拳銃のようだ逆に狙いがよく分かる。漆原がゆっくりと処置台を回り込んできた。
「逃げるだけか?反抗したわりには意外に根性がないなぁ、え、心肺停止のバイク小僧よ」
どうする、どうする。
死なない以上機能を奪うしかないのか、、、。
漆原は右足がやや不自由なようだ。
そう遼生が思った瞬間、健全な左足で跳躍し漆原講師が飛びかかってきた。尋常なジャンプ力ではない。
遼生は避けたつもりだったが、避きれなかった。右肩を当たられ半転して吹っ飛ばされた。
しかし、漆原も代償は支払っていた。頭からタックルに飛び込んだ形になったので処置台の反対側であの変電か、充電か分からない自家発電のような機械に頭ごと突っ込んでいた。
そこへ、とびきり大きな落雷の音がした。
遼生がこの能美相生病院に入院して以来、いや生まれて育っていらい聞く一番大きな落雷の音だった。
漆原の悲鳴がなかった。
悲鳴がないことが証左だった。
バーンと自家発電の変電装置が弾けるとともに設置された壁ごと爆発した。
多数の破片が遼生を襲った。
普通の人間だったら大変だったろうが、完治科の患者の遼生にとっては、大したことではなかった。
破片の中には、漆原講師の破片が一番多く入っていた。
遼生は漆原講師の机、PCをさぐり必要な情報は全て手に入れた。ここは、臨床実験場でしかない。
つまり二の丸だ。
数枚の紙にプリントアウトしそれをくしゃくしゃに丸めて持つ。
石川県内の大学医学部の医局に本丸が存在する。
次に「完治科から来ました」とナースセンターで言うと、当直の女性看護師が驚いた顔ひとつせず適当に見てくれだけ処置し整えてくれた。
駐輪場のレーサーレプリカの250ccのバイクは、最初に処置室で手の骨を折った看護師のものだった。
「キーをくれ」というと、看護師は手首を押さえたまま嫌な顔ひとつせずキーを差し出した。
そして、D棟の違う処置室で自分で自分にチャージした。
雷雨はまだ続いていた。
明けかかった雷雨の中、遼生は、金沢市内の医学部の医局目指して、250ccのバイクにまたがり駆けていった。