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宇宙の彼方のIF~SF作品集  作者: 夏生由貴
黒い希望
6/25

                   *


「こんな真っ暗なだけの空間、見ていて何が楽しいのかしら」


 人が入ってきたことに気づかなかった。自分でもまごつくほど心臓がはねた。未練たらしい感傷に浸っていたなど認めたくない。それも3年も前のことを。


「楽しみは人それぞれだからな」


 声の平静は保ったものの、気持ちはすこぶる滅入っていた。一旦は向けた顔をすぐさま戻し、ふたたび暗幕のごとき船窓を見つめる。


 相手は去らなかった。


「私には無理ね。変わらない景色なんて、無いも同然」

「それが宇宙だ。すべて承知の上で志願したんだろう」

「そうだけど……想像以上にってことよ。話し相手も毎日同じ。変化がないって退屈の極みだわ」

「変化ならあるじゃないか。子供の成長は励みになる」

「ないよりはマシって程度で、刺激にはならない。主人ともマンネリ気味だし――ねぇ……」


 背を向けていた俺の二の腕を蛇が這うような感触が伝っていく。手の甲を爪でなでられた。俺はすげなく振り払うと、冷めた一瞥を投げつけた。


「君の亭主ともめる気はない。この旅で必要なのは協力と理解だ。刺激じゃない」

「一度くらいバレやしないわ。何かっこつけてるの。あなただって溜まってるでしょう。相手もいないんだから。ありがたく思ったらどう?」


 閉鎖空間は、こうもたやすく人を変える。疑似訓練も適正検査も、あったものじゃない。目の前の女からは、初日に挨拶を交わした際の慎ましい面影はみじんも感じられなかった。


 それにしても早すぎる。地球を発ってまだ3年。もう破綻をきたしているようでは、この先の10年はいったい――。


                   *


「そこにいるのは誰だ! 君は……志願者の1人だな」


 目の前のドアがひらき後ずさると、背後で何かにぶつかった。音もなく湧き出たとしか思えない。戸口で耳をそばだてたとき、廊下に人影は見あたらなかった。振り向くと、腕力でかなう相手ではないことが見てとれた。俺は退路を断たれたのだ。


 室内の人間たちはみな覚えのある顔ばかりだった。この旅の計画者であり、統括者であり、責任者たち。


「……今の話はどういうことです。最初から片道分の燃料しかない? データさえ得られればいいっていうのは……俺たちに、のたれ死ねというんですか?!」


 上座にいた男が組んだ両手にあごを乗せながら、ゆったりと言葉を吐いた。


「とんでもない、生きられるさ。ベルガが人体に適した惑星なら何世代でもな」

「人体に適した惑星なら? 事前調査で大気も水も重力も、資源まであるという結果だったから選んだ星の筈でしょう」

「惑星の真の生態系を知るには、ダイレクトに人間を送りこんだ方が早いし安上がりなんだよ。適応能力、繁殖能力にすぐれた人間という生き物をね」

「それが夫婦を条件にした目的か……!」

「我々は説明を重ねた。君たちも納得した。これは長期旅行などではなく惑星移民だと、新世代の黎明期としての役割を担ってもらうとね」


 表情にも口調にも悪びれる様子がない。こちらも慇懃に振る舞う必要はないということだ。


「ふざけるな! あんたたちは嘘を重ね、俺たちは騙された、それが事実だ。規約にあるとおり、非常事態になった場合の選択権は乗組員にある。捨て駒はごめんだ。この件からは手をひかせてもらう」

「だが、現段階では非常事態にはおちいっていない。出航前なのだから」

「出航したあとでは遅すぎる!」

「乗組員はすでに、地球人類の代表であり英雄だぞ」

「英雄? 成功もしないうちにか」

「やるかやらないかだ。結果は問題ではない。出発は2日後に迫っている。拒否権はない。特に秘密を知ってしまった君たち夫婦にはね」


 それまで背後から威圧感を放っていた2人組の男が、俺の両側に歩み出た。血の気が引いた。


「……妻は関係ないだろう。俺は今、初めて知ったんだ。彼女は何も知らない」

「君が知らせないという保証もない。悪いが、この瞬間から自由に行動させるわけにはいかなくなった」


 俺はマイクロ・レコーダーを耳に埋め込まれると、その体で一時帰宅し、妻に例の話を切り出した。納得しない彼女を圧して強行に離婚手続をすませたあとは、誰と会うことも、通信手段を使っての会話も許されなかった。俺は出航日まで隔離されていたのだった――。


                   *


「ケヴィン、チェスの相手してよ」

「今は勉強の時間だろう」

「先生が、もう教えることはないって」

「そんな子供を相手にするのか」


 俺は苦笑した。


 テーブルにチェスボードをひろげ始めた子供は少女と見紛うような外見をしているが、生物学的にはれっきとした男だ。肌や髪、瞳孔の色素が薄いのは、船内で生まれ育った子らに共通してみられる特徴だった。無重力の影響か宇宙放射線の影響か、詳しいことはわかっていない。外観はか弱そうでも風邪ひとつひかないし、怪我をしても治りが早い。知能指数が高いことも特筆すべき点だった。


 こういう子たちからしてみれば俺みたいな凡人は知能ゲームの相手としては役不足でしかないと思うのだが、とりわけ透眞とうまは幼少のころから俺になついており、遊戯の相手をさせられてきた。ひねくれた見方をすれば、文字通り《遊び相手》になっているのだろう。


 航行3ヶ月後に生まれた透眞は、14歳の利発な少年へと成長していた。父親はいない。息子の判別もできなくなった母親に殺された。この船に乗りこんだ運命のあの日、親冥利に尽きると幸せに笑っていた夫婦の姿を思い出す。この悲惨な結末も、あの日に決められた運命だったのか。


「母さんの見舞いは?」

「朝一番に行ってきた。今日は呼びかけたらこっちを向いたんだよ。僕の声はわかるようになったみたい」


 言って顔を輝かせるあどけなさは、歳不相応に聡明であっても、まだ親を必要とする子供なのだと思わせた。その子供相手に早くもゲームは悪戦苦闘を強いられていたのだが。


「でも、ケヴィンが新しいパパになってくれたらもっと嬉しいんだけどな……なーんて、不倫は強制できないか」

「マセガキ。俺は独身だぞ」

「でも、心は今も前の奥さんの許でしょう? それじゃママも可哀想だしね」


 俺は耳を疑った。


「僕はこの計画に志願したパパの決断を尊敬してるし、危険を顧みず生んでくれたママの決断にも感謝してる。でも、あなたの決断には誰も敵わないと思うんだ」


 俺はうつむき、次の一手を考えるフリをしていたが、駒もボードも目に入ってはいなかった。聴覚だけが正常に神経質に働いている。


 透眞は黙る俺にはかまわず続けた。


「閉ざされた空間では家族が唯一のよりどころになる。でも、それがない者はどうなるんだろう。どんなふうに理性を失うんだろう。人間であり続けるのか、廃人になるのか、はたまた獣に堕ちるのか」


 俺は下を向いたままだったが、透眞の強い視線を感じていた。


「そうしたサンプルになることもいとわず、あなたは政府が募りたくても募れなかった《独りきりの志願者》を取引にしたんだ。奥さんを移民団から外すことを条件に。自分の命を盾にして守ったんでしょう? たとえ憎まれようとも恨まれようとも、決して還れない船に大切な人は乗せられないもの」


 決して還れない船だって? なにを言っているんだ、この子は。乗組員の中では、俺しか知らない事実の筈。


 俺はゆっくりと顔を上げた。母親を話題にしたときの無邪気で純真な双眸が、こちらをひたと見つめている。だが同時に、とても似つかわしくないものを、そこに見た気がした。


「いやだな、そんな顔しないで。あなたがバラしたわけじゃないから奥さんにも危害はおよばない。頭の中の物だって、僕の声まではひろえないし」


 俺はいよいよ絶句した。それこそ誰にも知りえない機密なのだ。


 俺の脳にはマイクロチップが埋め込まれている。政府に隔離されたのち、施術されたものだった。出航前からずっと精神状態をモニターされてきた俺は、透眞の言うとおり、他の乗組員以上に完璧な実験体だったのだ。しかし、なぜこの子がそれを?


「僕、もう14だよ。なのに、どうしてまだ宇宙にいるの」


 透眞の胸中は痛いほどわかった。


「本当ならママは狂わずにすんだし、パパも死ななくてよかったんだ。3年前にこの船が」


 予定どおりベルガに着いていたのなら――。

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