3人姉妹
初稿は2002年頃。
『SFマガジン』のリーダーズストーリに応募した没作を改稿し2010年別サイトへ投稿するも、読者の方々からごもっともなツッコミをいただき非常に焦った部分を2011年加筆修正、投稿し直したもの。
入ってきたのは午前中に診たばかりの患者だった。
「おや、どうしました。何か不都合なことでも?」
その女性は質問の意味がわからないようだった。
「わたし……今回が初診ですけれど」
「それは失礼いたしました。午前中にあなたとそっくりな方がみえたもので」
正直、日々何十人と入れ替わる患者の顔を鮮明に覚えてるはずもなかったが、短時間の出来事となれば話は別だ。目の前にいる女性は見事なまでに瓜ふたつだった。
「佐伯……ルアさん、ですか」
問診票を見た瞬間、思わずこぼれてしまった戸惑いを悟られまいと笑顔を作る。
「今日はどうされました? ああ、そんなに固くならないで」
ただでさえ神経過敏な精神疾患者だ。不安を与えることだけは避けなければならない。
「ここ1週間ほど眠れないんです。誰かに見られてるような……夜だけじゃなくて、1日中そばに誰かがいるような気がして、怖くてたまらないんです」
内容も午前中の患者と同じだった。顔のやつれ具合、焦点の定まらない視線、おどおどとした口調、櫛を入れたとは思えない髪……違うのは服装だけだった。
カウンセリングを進めるうち気が楽になったのだろう、彼女は来たときよりずっと晴れやかな色で、何度も礼を言いながら診察室を出て行った。
先に口をひらいたのは看護師だった。
「先生、これは」
「ああ……でも、まぁ、ありえなくはないだろう。住所が同じで、名前もルカとルア。たとえ双子でも精神科通いはお互い秘密にしたいだろうから、慎重に頼むよ」
ところが、診療時間終了間際に、また佐伯と名乗る女性が訪れたのだ。
「えーと……あなたは午前中のルカさんかな? それともルアさん?」
「午前中? ルア?」
いぶかしげな顔をする彼女に、まさかと思いながら問診票を手に取る。『佐伯ルナ』と書かれた名前には閉口するしかなかった。はたして、訴える症状も外見もまったく同じなのだった。
受付の看護師の語によると、3人が3人とも保険証を持っていなかったという。生まれてこの方、保健証なる物を見たことがなければ使ったこともない、病気になったときは古くからの主治医が来診してくれると語ったそうだ。
医療費が全額負担になる旨を説明すると、これまた3人とも請求どおりの額を支払うと答えた。経済力に不信を抱かなかったのは、父親の名を聞いたからだ。実に有力な政治家で、毎年の長者番付けにも載る資産家だった。これほどの著名人であれば娘たちがそろって精神科通いをしている事実など公にはされたくないだろうから、支払いを拒否されることもない、そう判断し、診察室へ通したという。
私は診療費の未払いや著名な親の存在よりも、彼女たちの症状のことで頭がいっぱいだった。
一卵性双生児には、1人の症状がもう1人に影響を与える《感応性妄想性障害》という症例がある。しかし、3つ子となれば世界でも希少であり、実に興味深い研究材料となりえた。
彼女たちは自らの意思で、主治医ではなく私を選んで来たのだ。診察代なんてどうでもいい。カウンセリングを続けたい――。
2年後に控えた海外医学会の論文テーマが、脳裏をかすめた。
翌日、看護師が真っ青な顔をして診察室に駆けこんできた。
「先生! 佐伯さんの件で――」
「やれやれ……ついに4人目でも現れたのか?」
内心は4つ子への期待感を抑えるのに必死だった。冷静さを装いながら振り向くと、スーツ姿の男が2人、看護師を押しのけて目の前に立ちはだかる。年配とおぼしき方が、開いた手帳を掲げながら口を切った。
「警視庁の者ですが……藤堂克巳さん、ですね? あなたを業務上過失致死の容疑で逮捕します」
高揚感が、萎むというよりは瞬間凍結されて胸に留まった。
は? 逮捕? 何を言ってるんだ、この男は。
「今朝方、佐伯興三さん宅で、娘のルアさんが亡くなっているのが発見されました。精神安定剤と睡眠薬の過剰摂取です。あなたのところで処方したそうですね」
「ええ、そうですが……ま、待ってください! 私はちゃんと服用量を説明しましたよ。そこにいる看護師も聞いてます。本人が守らなかっただけでしょう? なぜ私の責任になるんです」
「昨日の日付だけで3度も処方するっていうのは、明らかに多すぎやしませんか? 本人は確かに1回分の量は守ったでしょう。しかし、1日1回が限度の分量を3度も服用すれば――」
「3つ子なんです。それぞれが昨日来診して……。カルテもあります、本人直筆の問診票も。何なら筆跡鑑定してください。別人だということがわかりますから」
しかし、刑事は憐れむような目つきで言った。
「藤堂さん。あなた、精神科医でありながら彼女の多重人格を見抜けなかったんですか? 1日で3度も診ていながら」
私は込みあげてくる怒りで刑事を殴りたい衝動と必死に戦った。
「お言葉ですが刑事さん、私はこの職に就いて30年になる。解離性同一性障害者や統合失調症患者も数えきれないほど診てきた。少なくとも、おたくよりは絶対の自信を持っている。3人は間違いなく別人だ」
刑事は、もう1人の刑事を見やると黙ってしまった。
しかし、それは返す言葉がないというより、どう説明したものかと考えあぐねているような沈黙だった。
「では、こちらもあえて『お言葉ですが』と言わせてもらいましょうか。体がひとつしかないことをどう説明されるんですかね。直接問診してるのなら幽霊なんてことでもないでしょうに。佐伯家はずっと両親と娘の3人家族なんですよ。実生活上も、戸籍上も」
私は絶句した。ひとつの体に自我が3つ? やはり多重人格なのか?
いや、断じて違う。彼女たちの意識は正常に独立したものだった。となると、考えられるのはあとの2人が――。
刑事は読心術なら負けてないと言うように口を歪め、続けた。
「動揺なさるのも無理はありませんがね、医師のお立場で『あれはクローンだった』などという危険発言は勘弁願いたいですな。ま、その2体を出してもらえれば、話は別ですがね」
3日後、私は留置場の面会室で彼女たちの母親と向きあっていた。
喪服に身を包んだその女性は時折目元をハンカチで抑えながらも、抑揚のない声で一方的に喋りたてた。
「これまでにも結合双生児の例はいくつもありましたけど、うちは多胎児、3人でしたの。もちろん世界で初のことですわ。
不審そうなお顔ですわね。公にならなかったのは出産後すぐに情報を止めたからです。幸い夫は、多方面に顔の利く人でしたから。大事な娘たちがマスコミの好奇の目にさらされるのは、親としては耐え難いことですもの……おわかりでしょう?
少なくとも1人を切り離さないと、3人とも命の危険にさらされると主治医に言われました。でも、お腹を痛めて産んだ子を殺すだなんて、できるはずないじゃありませんか。
そこで思いついたのが脳移植だったんです。自我がぶつからないよう、1人が起きている間は他の2人を睡眠状態にして、24四時間毎に順に覚醒させる――。
こんな夢物語のような技術が実際に可能だなんて、現代の医療はおそろしいほどの進歩を遂げてますのね。法外な費用はかかりましたけど、夫は娘たちを助けるためなら非合法も厭わないと。親としては当然の心情ですわよね。
それが最近、周期の乱れとでもいうのかしら。互いが存在に気づき始めたようで、不可解な言動が目立っておりましたの。周りも、警察の方までもが、あの子は人格障害だなんて仰るんですのよ。失礼な話だとお思いになりません?
3人を見分けてくださったのは先生が初めて。本当に名医でいらっしゃいますこと。あたくし、とても感激いたしました。
でも、あの佐伯の娘を殺したとあっては……夫は末娘のルアを溺愛してましたから、それはそれは憤慨しておりましてね――」
『先生が初めて――』、『本当に名医で――』そんな言葉が麻痺した5感を刺激する。
くすぶっていた余憤が消えるのと同時に、あの日、胸の内で瞬間凍結された高揚感がふたたび熱を帯び始めた。
逮捕後、初めて頬の筋肉が弛緩する。私は満足げに微笑んだ。
言ったとおりだろう。私は間違えたことなどないのだから。腕には絶対の自信を持っている。
完