青き彷徨
初稿は2002年頃。
『SFマガジン』のリーダーズストーリーに応募し、あっけなく没った作品。
当初のタイトルは『Wandering Blues』だった。
2011年別サイトへ載せる際、今のタイトルに変更。
声をかけられ振り向いた俺は言葉を失った。たっぷり10秒は凝視した。
でも、それは消えることなく目の前に立っている。
マジかよ……と思うだけで、情けないが声すら出なかった。
それ、もとい20代半ばくらいの青年は、無反応な俺の態度に微塵の不満も洩らさず、再度「すみません」を口にした。
「あのぅ……ここは何と云う場所でしょう」
間違ってもそんなことはありえない筈だが、仮にこの青年が俺の想像どおりの人物だとすれば、彼の問いはこの世で一番まっとうなものであり、これ以上の疑問はない。
「ち、宙港だよ。スペース・コロニーの中の」
答えたはいいが200%理解不能だろう。すぐに取り乱すに決まってる。
青年は「チュウコウ……」と呟くと、しばらく辺りを見回していたが、最終的に「そうですか。ありがとうございます」と微笑んだのだった。
俺はふたたび絶句した。
なんちゅう奴だ。臨機応変にも程がある。
「お、おい! どこへ行くんだよ」
俺は踵を返す青年の肩を慌てて掴んだ。
感触があるってことは、幽霊じゃないってことで……やばい。かなり、きてる。相当の疲れがたまってる模様。
青年は動揺しまくりの俺などおかましなしに、のほほんとした声で答えた。
「あてもないので物見遊山です」
げぇ……どーゆう神経してるんだ。
やむをえず、案内役を買ってでる。
「過分なご厚意、痛み入ります。申し遅れましたが、私は――」
そう言いかけた青年を、ここは通りすがりの者同士といこうぜ、と遮った。名前を聞いたが最後、確実に正常世界とおさらばだ。
青年はというと、極上の破顔一笑。
成程ねぇ……こうも天衣無縫、融通無礙が相手じゃ、あの芹沢も毒気ぬかれるわけだ。現に、既に、俺も。
しかし、並んで歩いてて気が気じゃないのは、青年の服装と腰のモン。それ以上に周りの視線。
監視センサーに引っかかったら、仮装パーティーの帰りだと言って誤魔化そう……などと考えていたら「次はチュウコウの外を見てみたいのですが」と好奇心いっぱいの顔で覗きこまれた。
「そ、外っ?! 真っ暗で、何もないぜ」
素っ頓狂な声をあげてしまう。
「ああ、今は夜ですか」
「そそそう! 夜、夜」
今だけじゃなくて、いつもなんだが――まぁ、いいや。
「でも、かまいませんよ」
かまうのだ、俺が。興奮して抜刀でもされたら困るんだよ。
一人おろおろしてる間にも、青年は教えてもいない展望台へと歩きだしていた。勘もいいこと、この上なし。
だけど、そんな彼の後ろ姿を前にして、ある想いが溢れてくる。
あの羽織……こいつにだけは見せるべきではないのか?
足早に追いつき、名前を呼ぼうとしたその時だった。
子供の泣き声、続く女の悲鳴。俺は舌打ちをした。
またか!
新型のヤクによる突発型犯罪は今月でもう5件目だった。見ると、ラリ顔の若造が子供の喉元にナイフを突きつけ、奇声を発している。
駆けつけた宙港の警備員たちは、飛びこむきっかけを掴めぬまま武器を向けてるだけだ。
その中の一人が、そっと近づく俺に気づいた。
「あ、副長」
俺のあとへ続いていた青年が反応する。
「……副長?」
強い視線を背中に感じるも、俺は無視を決めこんだ。
「今日は非番では?」
「こんな状況に出くわしちゃあな。何のための小銃だよ。さっさと片付けろ」
「少しでも動きを見せれば殺りますって。あの眼を見てください」
「大丈夫でしたよ」
「そらみろ」
「この通り、子供も恙なく」
「そう、恙なく……え?!」
なんと、青年が子供の手を引いて隣に立っているではないか。
「おまっ、いつのまに! まさか……斬ったのか?!」
「でも、生きてますよ」
「そそそうか、よかった」
……のだろうか?
にしても電光石火、快刀乱麻を断つ、とはこのことだ。
ちくしょう、この目で見たかったなぁ……。
縮みかけた心臓に鞭を打ちながら感動していると、「あの~」と怪訝顔の部下が、にじりよってきた。
「副長……さっきから、誰と話されてるんです?」
現場にいた者たちの証言によると、犯罪者は突如腕から血を流し、転げだしたそうだ。子供だけが「青い服を着たお兄ちゃんが剣で助けてくれた」と言い張った。捜査局では偶然に居合わせたESPが手を貸したものとみている。それはよくあることだった。
100年以上も前に海へと没した島国に惹かれ始めたのはいつだったか。
正確には国ではなく、その歴史のただ一点。科学に毒されるずっと昔の、士道という精神が深く根づいていた或る時代。
真似ごとのように警官になり、部下には課長ではなく副長と呼ばせ、制服を浅葱色に変えようとして署員から総スカンを喰らい、局中法度を取り入れようとしたときは――よそう。
「あのぅ……あれは何と云う物でしょう」
眼力で窓ガラスをぶち破りそうなほど一心に光景を見つめていた青年が、口をひらいた。
「地球だよ。太陽系の中の」
「チキュウ……タイヨウケイ……」
そうして彼は心底納得したように頷くのだ。1000%理解できる筈もないのに。
俺は、気の遠くなるような過去に京とかいう町の夜を吹き抜けた浅葱色の追風を想った。
「この羽織と同じだな。漆黒によく映える」
「とんでもない! あんなに美しくはないですよ」
まったく、謙遜も上々だぜ。
「でも、何故でしょうね……とても果敢無く見えるのは」
急激な科学躍進により温暖化が促進され、両極の氷はあっというまに溶け去った。総ての大陸が海に沈んでしまうと、かつて幕府が新撰組にしたように、地球政府はあっさり故郷を見限った。
突然に存在意義を失くした地球の魂も、今、どこかを彷徨っているのだろうか。
「これからどうする? 総司」
「私を識っていたのですか?」
青年は初めて、愕きの色をみせた。
完
SFバカになる前は、時代劇バカだった。TVドラマを毎日録画し、藤澤周平の小説をむさぼり読み、柳生一族をこよなく愛し、新撰組にのめり込んでいた。とりわけ沖田総司に関しては、研究本を値の張る古書でも購っていた。熱狂ってオソロシイ。
1990年代前半はトレンディドラマ全盛期だったにもかかわらず、私を夢中にさせたのは時代劇だったわけで、他人にはゴミにしか見えないVHSビデオの山が6畳1間を埋めていた。若造人気男優には目もくれず、マイ3大アイドルは、竹脇無我(『大岡越前』選抜)役所広司(『三匹が斬る』シリーズ選抜)京本正樹(『大江戸捜査網』選抜)。殿堂入りは『眠狂四郎』シリーズの市川雷蔵。
あれから20年余が経った。私はオバサンになり、役者たちもオジサマになった。鬼籍に入られた方々もいる。竹脇無我、松方弘樹、藤田まこと、加藤剛…。
でも映像が残っているかぎり、小石川養生所医師・榊原先生も、北町奉行・遠山の金さんも、仕事人・中村主水も、南町奉行・越前守も永遠なのだ。