Ⅴ
【BGM】
『Perfume』Britney Spears
*
そうして2日が過ぎ、これまでの生活と比べて何かが変わったかというと、そんなこともなく、まったくふつうに過ごせてるあたし。
そりゃそうでしょ。桔梗が男だったからって、それが何? 口と性格の悪さは相変わらずだし。むしろ、ひどくなってるし。
でも、ひとつだけ、変化を認めなくちゃならないことがある。
桔梗が男だってわかったあとも、それが何って感じのあたしだったけど。あの人に対しては――。
出会ったときから、あの人はしっかり異性だった。でも、意識することはかった。2日前のことがなければ、この先も意識することはなかったんだろう。
あの日、あたしの心は変わった。変わったっていうより、潜在してた感情があらわになったっていう方が正しい。
ねぇ、ナイン。あたしは、あなたが好きなんだ。出会ってまだ1週間たらずだってのに、あなたが好きで、大好きなんだ。
あの日を境に、ナインがいっそう優しくなった気がする。話す機会がふえた気がする。特別に笑いかけてくれてる気がする。恥ずかしいくらい、ひとりよがりな捉え方。でも、片想い中の脳がよくやらかすことのひとつでしょ。辛い現実を自分に優しくおきかえてしまう、かりそめの夢。そう、これは夢でしかない。
仮に願望がつむいだ夢じゃないとしても、ナインの言動には、あたしと桔梗の緩衝材になろうっていう、愛情とは無縁の理由がある。それをわかってて、それでも喜べるんだから、片想いって、いじらしい。
あと、どれくらいそばにいられるんだろう。早く地球に戻りたいと願いながら、ずっとそばにいたいと願ってる。
夢でしかないって言い切るからには、いつかは醒めるってこともわかってる。あたしが地球へ戻るとき。それが《いつか》になるんだろう。
だったらそのときまでは、切なさを吹きとばすくらい勝手な夢を見よう。明日からのナインは、もっと優しい。話す機会だって、ぐんとふえる。あたしに向けられた笑顔は、特別にあったかくてきれいで……。
こんなふうに、起きてても、眠ってても、夢を見る。叶わない恋だけに許された、呆れるくらいわがままな夢を。
ナインの期待する大和撫子にはほど遠い。
聡明さではエバの足元にもおよばない。
色気では男の桔梗にすらおとる始末。
こんなあたしだけど、ちょっとは大人の女性に近づいたかもしれない。だってあの日、あたしの心は変わった。潜在してた感情があらわになった。
でもね、ナイン。あなたも、潜在してた感情があらわになったことに気づいてる?
あなたはあの日、それまでは1度もしなかったことを、したの。
『桔梗よりずっと長いつきあいの君の瞳に、オレはどう映ってる? エバ』
刹那、あたしの時間が止まった。呼吸が止まった。鼓動が止まった。完璧な絵画。完璧なワン・シーン。
あなたの口から出たのは、手本を導くための科白じゃなかった。あれは、エバの本心を探るための問いだった。
あなたの声には、骨肉がけずられるほどの激痛と艱難辛苦を身に受けることでしか手に入らないような極致の甘さと愛しさが満ちていた。エバ以外は望まない、君だけがいればいい――そんな無言の叫びが、空気をふるわせ、ただよってきた。2人のあいだにこれ以上許されない距離というのがあるのなら、それを保ちながらもエバに、静かに、激しく、まっすぐ、せまってた。
本人はうまくごまかせたと思ってるかもしれない。でもあたしの目には――ナインへの恋を認めてしまった心には――おさえなきゃならない情動がふとこぼれ出たふうにしか映らなかった。
少なくとも、あたしの前では『レイ』としか呼んでこなかったあなたが、初めて『エバ』と呼んだそれだけの行為が、あたしにはそれだけの行為に映らなかったってこと。
『Sir.のご期待に添えるような返事が、すぐには浮かんでこないのですけれど』
『それは残念。でも、完璧な答えだ』
このやりとりの直後、あたしに移されたあなたの視線。はねあがった心臓。ナインの眼差しが《それ》をあたしに与えた瞬間。
『すべて真に受けることはない』
あれは、あなたの願いだった。エバの反応を真に受けたくなかったあなたの、心からの。エバからのにべもない返答に応じた顔を見たとき、あたしは悟ってしまったんだ。あなたは、本当はこう言いたかった筈よ。これは絶対、自信ある。
『それは残念。でも、完璧な演技だ』
あなたは、エバを愛してる。
FIN
ナイン・エバ・桔梗の3人は、最古の創作キャラクターゆえ思い入れも強いわけだが、とりわけ桔梗はいまだ創造過程にあるとても厄介な人物だ。
創作メモによると、まず性別が定まってない。人種が定まっていない。話によって、女だったり、男だったり、ニューハーフだったり、地球人だったり、異星人だったり、機械人だったりする。どうしてこうなった。当時の思考(嗜好)がわからない。
最強のオリジナルキャラを創りたくて、小説や漫画の好きな人物の要素をつめまくった結果、規格外の不吉な生物できました――という感じ。あたりまえだ。混ぜる色が多様になれば、できあがるのは邪悪色。当時は《規格外=扱いあぐねる問題児》であることに気づかなかった。
『夢のあとに』第1稿では、桔梗は真正のオカマちゃんだった。当時惚れこんでいた漫画のキャラクターがモロに反映されている。その後に書いたナインとエバとの出会い編では、ヤクザも真っ青の冷血漢だった。困った。登場人物が同じなのに話がつながらない。男に変えて書き直してもみたのだが、まったくしっくりこなかった。やはり『夢のあとに』の桔梗は、蓮っ葉な姉御気質でないとダメなのだ。
で、思いつく。そうだ、女のフリしてたってことにしよ。
月日が流れ、初稿から12年経ったある日、突然思いつく。そうだ、続編書こ。BGMは『夢でしかない』Ⅴ(第25部分)を執筆時、エンドレスで流してた曲。懐かしい。
数冊におよぶネタ帳には短編が作れるだけのストックが、まだかなり残っていたのだが、3年ほど前に断捨離をした際「もうSFを書くことはない」と決めつけ、処分してしまった。ちょっと後悔。
SF作品集としてはこれで完結となるが、ナイン・エバ・桔梗の物語はライフワーク小説の世界とリンクしてるため、その長編を発表した折に3人とも再登場する。さて、いつのことになるのやら(苦笑)。
20代30代に書いていた小説は成人男女の恋愛モノがふつうだったし、抵抗もなかった。オバサンになればなるほど、少年少女ネタ、それも学園モノばかり書きたくなるのは何故だろう。歳を取ると志向も変わる――というより、脳が若返りを求めてる、そんな気がする今日この頃。




