赤い星(オマージュ作)
初稿は2003年7月。
「すごい! 本当に見渡すかぎりの荒野だ!」
おれは今、火星にいる。念願、叶ったり。初の星間1人旅の真っ最中。
やっぱり本場は格別だった。ぶ厚いヘルメット越しでも、ヴァーチャル・ラボの疑似体験とは確実に違う存在感に圧倒される。
ゆっくりと身をかがめ、小さな土塊を手に取った。火星と呼ばれるゆえん、見事なまでに赤い酸化鉄の塊だ。
ああキレイだな。記念に持って帰りたい。
旅行規定で禁じられてるのが残念でならなかった。ひとつまみでもくすねようものなら、即、終身刑に処されてしまうのだ。
数年前、それが原因で流刑星送りになった男がいた。惑星の地質研究学者に高値で売りつけようと隠し持っていた岩石の破片が、地球へ帰還する際の持ち物検査で見つかったのだ。男はその場で逮捕され、出入星管理局によって流刑星へ強制追放された。
規則を破ったのはマズい行為だけど、岩石はすべて没収されたんだし、地球へ戻ることも許されない、ましてや裁判を経ることなく終身刑が科せられるってのは、度が過ぎやしないだろうか。
そんなことを考えながら、おれはもう少し散策を続けることにした。
地球でおがむことのできない光景のひとつに《地平線》がある。どこを見渡しても巨大ビル群ばかりで、昼でも空は薄暗い。加えて、あの人口密度。両手を広げてムービングロードを歩くこともできやしない。走ることなど夢のまた夢だった。
おれは、生まれて初めての開放感に酔いしれながら、動きにくい宇宙服も何のその、腕を振り回し、全力疾走(重力が地球の3分の1なので、地面を蹴って走るのは無理だったけど)を満喫したのだった。
あっという間に最終日を迎える。
写真もいっぱい撮った(まぁ、どれもほとんど変化はないけれど)。砂嵐の音も録った。火星産『岩石つめ合わせセット』なんてのも買った。
心残りがあるとすれば、衛星を見られなかったことだ。フォボスもダイモスも1度も。地球でいう新月の時期らしい。火星旅行の場合、滞在期間は必ず1泊2日の限定、それも新月に重なるように組まれていた。
火星に来たっていう実感は、あのふたつの衛星を見ることにあるんだけどなぁ。安くはない航行費用を思うと、かなりの損をした気分だった。
地球帰還便に乗り込んでのち、ちょっとしたアクシデントがあった。船内の重力変換装置に異常が見つかったので、精密調査が必要だという。出発時刻が6時間ほど延びるため、乗客は睡眠カプセルの中で過ごすよう指示された。重力装置が正常に機能しないうちは、船内をうろつくことはおろか、客席に座っていることも危険らしい。
次はもうないかもしれない――貯金をすべてはたいて来たのだ。たとえ船内でも、ここは火星。窓から景色だけでも眺めていたいって思うのは、当然の心理だよな?
おれは、そろりとカプセルを抜け出した。
エンジン音の消えた廊下は、想像以上の静けさだった。普通に歩けるということは、重力は正常に働いてるということだ。予定より早く直ったのかもしれない。
自分と同じ考えの客が1人もいないことに多少の不安を覚えながらも、おれは乗務員に見つからないことを祈りながら窓のあるデッキを目指した。
角を曲がりかけたところで、複数の男たちの声が聞こえてきた。どうやらこっちに向かってるらしい。おれは慌ててそばの用具入れに身を隠し、彼らが通り過ぎるのを待つことにした。
が、現れた技術屋風の2人組は、おれが目指した窓の前で立ち止まると、何やら作業を始めたのだった。
「発覚したのが出航前でよかったぜ。航行中だったら、ヒヤ汗もんだよ」
「まったくだ。この窓がただのスクリーンだとバレた日にゃあ、俺たちの首は飛ぶからな」
「夢を売るなら、もうちっとマシな方法があると思うんだがなぁ」
「でも、コスト削減と資金調達を同時に行うには、これ以上のアイデアはないだろう。火星旅行なら大枚はたいてでも行く奴はいる。ただし、経費がやたらとかかるから、中央政府の取り分はほとんどない。そこで考えたわけだ。収入はそのままで支出だけを減らすには――」
「航行距離を縮めればいい」
「そうゆうこと」
「でも、なまじ降り立つ大地が在るから悪趣味なんだよ。いくら火星と区別つかないくらい荒廃しちまってるとはいえさ」
「生まれたときから地下都市暮らしの市民には、知らされてない事実だ。むしろ、知らない方が幸せなんじゃないのか?」
「そういうもんかね」
「中央政府にも、ゴミみたいな良心は残ってたと思うぜ。大々的な宣伝文句は《火星へ》じゃない。《赤い星へ》だ」
「確かに嘘は言ってないな。ああやって赤茶けた土をまいとけば、火星らしく見える。荒れ放題の地上でも、やり方によっちゃあ利用可能って奴か――よし、直った」
「フォボスもばっちり映ってるな」
「新月はとっくに過ぎてるから《あれ》が見えたらおおごとだ。早く次の窓に行こうぜ」
技術屋たちが足早に離れていったあとも、おれはその場に立ちつくしていた。
今の話は何だ? あの窓がスクリーン? フォボスもばっちり《映ってる》って、じゃあ、おれが今いる星はいったい――。
床を踏みしめるようにして、おれは男たちが修理したばかりの窓へ近づいていった。幅40センチ、高さ50センチほどの小窓からは、変化のとぼしい火星の大地が見てとれた。その上空に浮かぶのは、いびつな衛星フォボス。
ああ……これこそ、おれの見たかったもの。やっぱりここは火星だ。
しかし、そんな感動とはうらはらに、おれの手は通路脇に設置された消火器へと伸びていた。ぼんやりとした意識で、窓めがけて力いっぱい振り下ろす。
惑星往復船とは思えない造りだった。あっけなく壊れた窓ガラス。床に飛び散る大小の破片。何の特殊加工も施されていないお粗末な代物。どっと流れこんでくる冷たい外気。
苦しくなるどころか、ふつうに息ができた。地下都市での生活と変わらない。火星はここまでテラフォーミングが進んでいたのか……。
複数の足音が近づいてきた。ガラスの割れる音を聞きつけたのだろう。さきほどの技術屋たちだろうか。
でも、今のおれに迫っているのは、人間だけじゃなかった。国家機密を知ってしまったがゆえの、人生最大にして最悪の危機も――。
おれはもう一度、窓の外へ視線をやった。たぶんこれが見おさめになる、テラフォーミングの進んだ火星。火星――だと信じていた赤い星を。
窓の向こうに拡がる景色は、漆黒の闇と赤い酸化鉄のまかれた荒れ野。
そして。
夜の帳を背に鋭利な鎌のごとく光る、新月を過ぎたばかりの細い三日月だった。
完
神林長平作品との出会いは『SFマガジン』誌上、それも偶然の出会いだった。リーダーズストーリ―に応募した『ラッキーボーイ』がまさかの佳作となり、一生の記念にと購い求めた号で連載中だったのが、氏の長編『膚の下』だったのだ。何気に読み始めたところ、あっというまに心を持っていかれた。
すでに日本SF界の大御所であった氏の小説は、初期作品が地元の書店では手に入らず、かたっぱしから取り寄せるはめになった。新参ファンの特権は何冊もの既刊小説を一気読みできる点だ。2001年から2002年は、ひたすら神林ワールドに身をひたせた幸せな年だった。『ラッキーボーイ』が佳作に選ばれていなかったら、あの号を買うことはなかったし、神林作品にハマることもなかっただろう。私は《ラッキーガール》だった。
前置きが長くなった。『膚の下』は火星3部作の第3部だというので、まずは第1部『あなたの魂に安らぎあれ』を購った。第2部『帝王の殻』は当時、絶版で手に入らなかった。
物語が佳境に入り、ある章の最終段落へきたところでページをめくった。そこに書かれていた1文に目をみはる。
え? そういう構成だったの?!
そのページにはその1文しか載っていなかった。なおさらインパクトがあった。どうにかしてオマージュ作品を書きたいと思った。
気づけば、初稿から15年もの歳月が流れている。なんてこった(苦笑)。
2018年も残すところあと4日となった。己の人生にしても着実に終期へ近づいているというのに、火星への距離は気が遠くなるほど遙かなままだ。テラフォーミングも移住計画も、SFの域を出ていない。




