Ⅱ
たっぷり10分はナインにわめき散らしてたあたし。今は神妙な面持ちで、ひたすら謝り続けてる。
「ごめん、ごめんなさい。その、なんて言ったらいいか……とにかく、ごめんなさい」
「もう気にしなくていいよ。ミオちゃんの心境考えれば取り乱すのも無理ないし。今まで被害に遭った女の子たちも、みんな泣いてたしね」
「でも、アンタのスーツ破いたの、この子だけよ。顔に青アザつけたのも。大和撫子に対するイメージ、あらためたら?」
ぐぅ……イジワル桔梗、それは言わないでよ。
「Sir.の話を聞いて気絶しなかった女性も貴女が初めてです。素晴らしく強靭な精神をお持ちなのですね。感服しました」
……女性に対する褒め言葉として受けとっていいのだろうか。
「あのね、ミオちゃん。時空の歪みにもレベルがあるんだよ。せめてもの慰めを言うのなら、今回の場合は比較的軽いヤツ。ほら、周り、白一色だろ?」
うん。眩しいくらい。
「最悪なのは、真っ黒っての。相手の存在も判別できないような暗闇でさ。ひとつの歪みの中に、さらに別の歪みが重なっちゃって、あれにはまると、とんでもなく厄介なんだ」
「その歪みにはまった人って……」
「いたよ。アリアドネ星系の惑星探査に出かけたスペース・アカデミーの研究チームだった。ひとつの歪みから出るのに3ヶ月。でも、すぐに別の歪みに遭っちゃって……地球時間で2年ほど亜空間放浪してたかな。最終的には抜け出せたけどね、地球には戻れなかった」
まさかの結末に、あたしは息を呑む。
「ようやく出た所が、オレたちでも見たことない星系だったんだ。歪みをいくつも超えたせいで、時空がぐちゃぐちゃになっちまってたんだな。地球の位置も距離も計測不可能だった」
「そんな……」
すると、エバが話に入ってきた。
「普通、重力をひずませてできた歪みには、入口と出口があります。抜け出すには歪みの出口、つまり時空の裂け目を探せばよいのです。その際、固有時間による多少の時差は生じますが、空間的には問題ないので元の世界へ戻ることが可能です。ところが黒の歪みにはその裂け目がありません。入ったが最後、抜け出せないのです。しかし、アインシュタイン方式によれば、特別な性質をもった物質、すなわち負のエネルギーを利用して新たなアームホールを造り出すことができますから、歪みのうえに歪みを造ってしまえばいい。研究員たちのときは、この方法で脱出しました。二年というと長く感じるかもしれませんが、抜け出せただけでも奇跡に値します」
やばい……話が超物理学になってきた。ついてけそうにないんだけど。
Dr.エバの御高説はなおも続く。
「なぜ奇跡かと言うと、本来、宇宙空間にはない歪みの上にアームホールを造る場合、四次元軸がハイパーチャージを起こし、特異点が出現してしまう懼れがあるからです。いわゆる重力崩壊の現象です。この世界では時間が凍結し――」
「ストップ、エバ。この子、白目むきそう」
重力どころか、あたしの脳が崩壊寸前ってゆう状況をいち早く察してくれたのは、意外にも桔梗だった。
「? わたくし、何か難しいことでも?」
「ああ、気にしないで。極めて個人レベルの問題だから」
わーるかったわね。じゃあ、桔梗がわかりやすく説明しなさいよっ!
「簡単に言うとさ、黒の歪み=ブラックホールってこと」
あ、ナイン。それならあたしにもわかる。何でも吸い込んじゃう大きな穴のことでしょ。
「No,Sir.! 適当なことを言わないでください。黒の歪みとブラックホールとでは性質がまるで異なります。ブラックホールには《事象の地平》と呼ばれる境界領域があり、それを超えると光速で吸い込まれ、強い重力場によって個体はバラバラに破壊されてしまいます。でも、黒の歪みにはバリアーもなく吸収体系でもないので、固体に影響をおよぼすことはありません」
「うん、だからさ。黒の歪みは、体に優しいネオ・ブラックホールってことでいいんじゃない?」
「…………」
すごい理論ね。あのエバが絶句してるもの。ナインってほんとに頭いいの? でも、エバを絶句させたってことは、頭いいのか。
「地球に還れなかったのは悲劇だけど、それでも運は良すぎるほうだったよね。だってそこ、高度な知的生命体の棲む惑星だったんだから。今頃、異星間文化交流なんてのしちゃってると思うよ」
それはスペース・アカデミーの研究員だからでしょ。あたしみたいな凡人無能市民が出くわしたら、交流どころか意思の疎通もできなくて、下手すると食料になっちゃったりなんかして……あわわわ、どっちにしろ悲劇に変わりない。
「だいぶ落ち着いてきたようね。そろそろ現状認識できた?」
めずらしく刺々しさを含んでない桔梗の声。
「うん。一応。何となく」
「ミオちゃんは、オレたちが必ず地球に届けてあげるから、安心しなさい」
ポンポンとあたしの頭をたたくナインの手。
「あなたたちって一体……」
「オレたち3人、時空事故に遭った被害者を元の世界へ戻すエキスパートなんだよね。だから、ミオちゃんは被害者であると同時に依頼者でもあるわけ」
へぇ、そんな職業があったとは驚き。いや、とってもありがたいけど。
でも、だとするとさっきのナインの話、おかしくない?
黒の歪みから抜け出た先は、地球の位置も特定できないような未知の星系だったんでしょ。じゃあ、どうしてナインたちは、今ここにいるの? 地球に届けてくれるってことは、少なくとも位置の特定はできるってことよね。それなら、研究員たちも一緒に、ここまで来ることはできなかったの?
と訊きかけて、やめた。エバと目が合っちゃったから。だってまた超物理学講義が始まりそうな気がしたんだもん。別に今じゃなくたっていいし、ね。
「わー、これが時空船? 意外と小さいんだ」
あたしは今、ナインたちの移動手段である船の前にいる。
「船内はエネルギー節約がてら日中でも無重力が基本なんだけど。ミオちゃん、宇宙遊泳の経験ある?」
「ない」
「じゃあ、いきなりは無理か」
あ、ヤな予感。案の定、桔梗が横やり入れてきた。
「このご時世に宇宙遊泳もしたことないって、マジで時代遅れもはなはだしいわね。クラフトやシャトルに1人で乗るのも、今回が初めてだったんでしょ」
「そんなことないもん! 3回目だもん!」
その前の2回は小学校の社会科見学と中学校の修学旅行だから、プライベートで乗るのは確かに初めてだけど……言わなきゃ、バレっこない!
「おい桔梗、あんまからかうなよ」
かばってくれるのは嬉しいんだけどさ。必死で笑いをこらえてる的な表情がビミョーなのよ、ナイン。
エバは、我、関せずだし。そうよねぇ……こんな低次元の話題じゃね。
「桔梗こそ、そのあきれるほど時代錯誤な格好、どうにかしたら? センス疑う」
「おあいにくさま。アタシのは、超未来文明の先に待ち受けてるレトロ・スタイルをいち早く取り入れてんの。《モノノアハレ》とか《ワビサビ》とか、なんちゃって大和撫子サマには理解しがたいでしょーけどぉ?」
と、わざわざ顔を突きだしアッカンベーしてから、中へ入っていった。
ホント、むかつくったら!
どうにも先が思いやられる旅の始まりだけど。不思議と嫌じゃなかった。この雰囲気、このメンバーも。
楽天的でキザなナイン。ちゃんと守ってね。
現実主義で聡明なエバ。頼りにしてるから。
皮肉屋で姉御肌の桔梗。どうぞお手柔らかに。
時空船に乗り込もうとして、ふと、それまでいた白一色の空間を振り仰いだ。
地球宙港からクラフトで真空へ出たとき、小さな窓を占めていたのは青一色だった。あれを最後に見た地球なんてことには、したくない。きっと還れる。絶対に還れる。還ってみせる。
あたしは、たったひとつの故郷を、鮮やかな青で、真っ白な空間に描いた。
FIN
17年前の作品を公開するというのは、17年前の写真を公開するに等しい恥かしさがある。
読み返してみると「なんじゃ、こりゃ」な心境で《テキトーに誤魔化しとけ観》がぬぐえない。推敲はキリのない作業になりそうだったので、手を加えないまま発表に踏み切った。
だいたいが究極の文系人であるからして《SFを書く》という行為は子供の火遊びよろしく《触るな危険》領域に属するのだ。裏を返せば、その行為がどれほど危険かを知らずにいたから厚顔無恥な挑戦者になれた、とも言える。当時の私は理数系知識の不足をものともせず「好きなんだから、いいじゃないか!」という、ふてぶてしい自己弁護をまとい、書き続けていた。
《SF書きたい衝動》がすっかり鳴りをひそめて、もう久しい。火遊びの怖さと火傷の痛々しさを感じるようになってしまったのは、いつからだったか。
いずれにしても青年期を過ぎてからのSF創作は無謀さだけを武器にはできず、あの頃の自分を少し羨ましく思っている。