永い永いかくれんぼ(オマージュ作)
初稿は2003年1月。
【BGM】
Album『Safe in a Crazy World』Corrine May
「ただいま」と言いながら、青年は差し出された鋼鉄の腕へ脱いだ上着をあずけた。
「おかえりなさい、マスター。会議はいかがでしたか」
「今日も進展なしさ。頑固オヤジたちを説得するのは、地球を守る以上に至難の業だ」
青年の答えを受けたアンドロイドは、ピピピという音を発して押し黙る。
「ああ、ごめん。どの単語がわからなかった? 《頑固》、それとも《至難の技》?」
「《オヤジ》という単語が」
「そっちか……いや、年配の博士たちを皮肉った言い方でね。品が良いとはいえないから、君は使わない方がいい」
「申し訳ありません。ワタシはAI内蔵とは名ばかりの欠陥品で、マスターのお役に立つどころか、こうして教えてもらってばかりいます」
青年はアンドロイドの右肩に手を置くと、無表情の鋼鉄の面をのぞき込んで言った。
「それについては気にするなと何度も言ってるだろう。僕は難しい話をしたくて君を雇ったんじゃないよ」
ああ、まただ。今日は右肩――アンドロイドは思考した。
先週あたりから、青年の触れた部分に解析不能な信号が生まれるようになったのだ。
機械に感応力? マサカ、アリエナイ。そんなもの、貧相な語彙力以上の欠陥だ――アンドロイドは断定した。
さらなる低能さをあらわにしたくなかったアンドロイドは、今日も不可思議なその信号を胴体の中枢部にそっとしまった。
*
「マスター、《かくれんぼ》というのは何でしょう。昨日、子供たちが公園でしていたのですが」
青年は、連日の会議がもたらす疲弊感をぬぐいさってくれるようなアンドロイドの素朴な問いに、明るい笑みを向けて話し始めた。
「遊びの一種だよ。鬼役の子が目をつぶって数を数えてるあいだ、他の子たちは鬼に見つからないように上手くかくれるんだ。最初に見つかった子が次の鬼。以外にスリルあってね、面白いんだよ。僕も昔やったなぁ……そうだ! 次の日曜日、子供たちに混ぜてもらって一緒にやろう」
思いがけない提案に、アンドロイドは押し黙る。無表情の鋼鉄の面では、自分がどれほどの驚きと喜びに満たされているか伝えることもかなわない。
「本当ですか、マスター。ワタシも一緒に……」
旧型のアンドロイドは、抑揚のない音声でそう告げるのが精一杯だった。
しかし青年の目には、子供時代を持たないアンドロイドの堅くて硬い表情が、その刹那、幼児のように輝いて見えた。
*
「マスター、こんな時間にどうなさったのです。緊急会議だったのでは。そんなに慌てて……忘れ物ならワタシが」
「もういいんだ、会議は終わった。だから、かくれんぼをやろう。そのために帰ってきたんだよ。約束だったろう?」
アンドロイドは戸惑った。
「……今からですか。今日は平日で、子供たちはまだ学校です」
「うん、だから予行練習だ。2人だけでやろうと思ってね」
青年につれられてアンドロイドが向かった先は、公園ではなく郊外だった。有刺鉄線で囲まれた辺鄙な空き地には、かくれられそうな場所など、どこにもない。
すると、青年はおもむろに地面の一部を《開けた》。アンドロイドがのぞくと、地下へ続く階段が伸びていた。
自宅を出てから一音も発することなく、ひたすら青年のあとを追ってきたアンドロイドに、疑問がなかったわけではない。青年へのひたむきな信頼が、それをしのいでいただけのこと。うながされるままアンドロイドは、青年に先立って階段を降り始めた。
すると今度は、かなりの距離をはしる廊下があった。両側にはいくつもの扉、扉、扉。
ここなら、かくれる場所がたくさんある――アンドロイドは思考した。
それを読んだかのように、青年は微笑んだ。
「さぁ、始めようか。まずは僕が鬼をやる。いったん上にもどって、50数えたら下りてくるから、君はそのあいだにかくれる場所を探すといい」
「はい、マスター」
青年はいつものようにアンドロイドの右肩に手を置くと、無表情の鋼鉄の面をのぞき込み、念を押すように言い添えた。
「いいかい? 僕に見つからないように、かくれなくてはいけないんだよ。そういう遊びなんだから。いいね」
「はい、マスター。頑張ります」
初めての遊びに夢中だったのだ。廊下には小さな誘導灯しかなかったことも災いした。アンドロイドは気づかなかった。
いや、人間の体温や心拍数、声質の感知機能の備わっていない旧型アンドロイドでは、たとえ陽光の下にいても気づけなかっただろう――青年が死人のように蒼ざめていた事実には。
アンドロイドは単純に一番奥の部屋を選んだ。そこはボイラー室だった。いくつも立ち並ぶパイプのすきまにどうにか身を押し入れると、機材と一体化したかのような安定感が得られた。はた目には、ボイラーの一部に見えなくもない。アンドロイドは初めて、己の不格好な旧型ボディを誇らしく思った。
ワタシはけっこう《センス》があるのかも――アンドロイドは思考した。
ボイラー室の扉を閉めてから10分後。人のなだれ込んでくるざわめきが聞こえた。子供もかなりいるようだった。青年は2人だけの予行練習と言いつつも、ちゃんと呼んできてくれたのだ。
ありがとうございます、マスター ――アンドロイドは感謝した。
しかし、青年以外の相手に見つかりたくなかったアンドロイドは、たちまち不安におそわれた。
その不安が伝わったのか、それとも別の場所を選んだのか、他の人間がアンドロイドのかくれ場所に入ってくることはなかった。ボイラー室の外はふたたび静けさに包まれた。
初めてにしては上出来だったと褒めてもらいたい――アンドロイドは思考した。
どうか見つかりませんように――それだけを思考した。
*
「おい、そこのおまえ! 無装備で外を出歩くなんて、死ぬ気か!」
ぶ厚い防護服に身を包んだ男が2人、駆け寄ってくる。
「何だ、アンドロイドかよ。ったく……この地域を素で歩けるのは、コイツらくらいのもんだぜ」
「それにしちゃ、無傷すぎやしないか? アンドロイドでもアレを浴びたら相当なダメージを喰らう筈だ」
「だよなぁ。でも、黒ずんでも錆びてもいないのは、どういうわけだ」
「ワタシは地下でかくれんぼをしていたのです」
「は? かくれんぼ? 何言ってんだ、コイツ」
「でも、《地下》って言ったぜ。例のシェルターは政府高官とその家族だけしか利用できない筈だったろ? ロボットごときが知り得る情報じゃない」
「だからさ、放射能を浴びたせいで回路がイカれちまったんだよ。たわごと、たわごと」
「ちぇっ、汚染除去作業には旧型の手も借りたいくらいなのに。こんなポンコツじゃ使い物になんねぇよ」
「ほっとこうぜ。そのうち瓦礫の一部になるだろ」
男たちは八つ当たりするようにアンドロイドの胴部を蹴りあげると、その場を立ち去った。
アンドロイドは思考した――ワタシは上手くかくれすぎたのかもしれない。
*
「ねぇ、何してるの?」
「かくれんぼです」
「じゃあ、あなたが鬼なのね」
「いいえ。鬼はマスターで、ワタシがかくれる側なのです」
「でも、全然かくれてないじゃない。こんな何もない所でただ座ってるだけじゃあ、すぐに見つかっちゃうわ」
「いいえ。もう3年も経つのに、まだ見つかっていないのです。だから、マスターが見つけやすいように、外でかくれていることにしたのです」
「へぇ、あなたって、かくれるのが上手なのねぇ。じゃあ、次はあたしと、かくれんぼしましょ」
「ハイ、喜んで。でも、マスターに見つけてもらえるまで待ってもらえますか。マスターも一緒のほうが、きっと楽しいですから」
「いいわよ――あ、呼び出し音が鳴ってる。シェルターにもどらなくっちゃ。あなたは平気なの。人間がヘルメットやスーツをつけないで外に出ると、すっごく重い病気になるってママが言ってたわ」
「ワタシはアンドロイドなので平気なのです」
「ふぅん。《あんどろいど》ってすごいのねぇ」
機密性の高い防護服のせいで雪だるまのような格好になっていた少女は「またね」と手を振ると、地下へ続く入口の奥へ姿を消した。
アンドロイドは少女に目もくれず、手を振り返すこともしなかった。厚い暗雲たちこめる空のもと、砂漠化した地表に積み重なる瓦礫の山に腰かけて、よどんだ空気のその先を、ただひたすら見つめていた。
マスター、今のワタシには教えてくれる人がいないので、わからないことが増えるばかりです。
ナゼ、突如として北半球の大陸の一部が荒野になってしまったのか。
ナゼ、突如として人口が3分の2に減ってしまったのか。
ナゼ、人間は全身を保護しないと地上へ出られなくなったのか。
そして。
「地球を守りたい」というのが口癖だったアナタの仕事は何だったのか。
最終的にアナタが守ったモノは何だったのか――。
マスター、アナタはどこで何をしているのでしょう。
今も会議中ですか。
働きすぎてはいませんか。
《ガンコオヤジ》への説得は成功しましたか。
食事はしっかりとっていますか。
睡眠はじゅうぶんとれていますか。
ワタシのほうから探しに行ければいいのですが、旧型は主の許可なく《役割》を変更することができません。
ですからワタシは、今日もこうして、かくれています。
明日も明後日も明々後日も、ずっとここに、かくれています。
ですからマスター、早く見つけてくださいね。
END
中学生だった当時、赤川次郎氏の長編はおおかた読み尽くしていた。ショートショートという形態も、SFというジャンルもまだ知らなかった自分が、どういう経緯で『勝手にしゃべる女』を手に取ったのか、今となっては思い出せない。
それまでの氏の作品に対するイメージは《ミステリーなのに爽やかで明るい》、《切なさが残っても、重さは残らない》だったから、収録作のひとつ『長い長いかくれんぼ』を読み終えた直後の心情は、それまでのイメージを完璧にくつがえされた衝撃もあいまって、語彙力乏しい中坊の身では伝えられなかったように思う。
あれは私にとって、ショートショートの持つ《世界が反転する鮮やかさ》と、SFの持つ《残酷的な感動》に一瞬で心を奪われた初めての体験であり作品だった。残酷なのに不快さがない、むしろ残酷であるがゆえに人の誠実さ、まっとうさの際立つ物語があるのだと。
人生初のオマージュ作品は、さらにSF色を強めることで切なさに比重をおいたつもりだ。《長い》を《永い》にしたのも意図的。
あれから数多のショートショートを読んできたが、なかなかどうして『長い長いかくれんぼ』を越える作品には出会えないまま、今に至る。




