漆
天雅が差し出す右手を、ガキも受ける。
「オラは琳丸。蓮暁様の付き人をしておる。おぬしが天雅か。話は蓮暁様から聞いておったが、確かになかなかの御仁じゃの」
「それは光栄仕る」
生意気小僧相手になおも慇懃な姿勢をくずさぬ天雅に、俺はようやく悟った。
こいつが腹を立てないのは、我慢強い性格だからでも暢気な性質だからでもない。子供のあつかいを心得ているというだけなのだ。そういや、川でよく遊んでたとか言ってたな。
「それでは、おぬしが慈音か」
ガキの矛先がこっちへきた。俺はわざとそっぽを向き、聞こえないふりをする。俺は天雅ほど甘くない。まっとうな口の聞き方をするまで、ぜっったいに応えてなるものか。大人に対する態度ってもんを――。
「ははは。オラの態度が気に食わんと怒っておるのか。おぬしも話に聞いてたとおりの奴じゃな。子供っぽいのぉ」
「奴? 子供っぽい?! このガキ、調子に乗るのも」
「大概にしろ、琳丸」
それまで黙っていた蓮暁が、俺の科白を見事に継いでくれた。
しかし、ありがたいやら情けないやら心境は複雑だった。ぜっったいに応えてなるものかと誓った直後の即反応。蓮暁の目には俺こそガキに映ってるのではあるまいか……。
「此度はだいぶ予想がはずれたな。最初に出くわしたあの狭い部屋は何だ? なにゆえ体が浮いていた」
「あれは部屋じゃなくて宇宙船ですよ。宇宙を飛ぶ乗り物です。体が浮いていたのは無重力ゆえですね」
けっ、説明になっとらん。まるで、わからんわ。
苦虫をつぶしている俺の横で、天雅は「成程……」とうなずいた。
「え、あんた、わかったのか?」
「いいえ、まったく。でも、ずいぶんと変わった遊戯で楽しかったですし、体への悪影響もこれといってなさそうですし」
そっちはなくても、こっちは危うく死ぬとこだったんだ、この能天気!
「それに雲にでもなったようで、あれはそう経験できることではありません」
こいつ……もしや馬鹿?
俺は相手にするのをやめた。こいつには何を言っても無駄な気がする。こんな男は初めてだ。
「それより琳丸、早く着替えたい。このままではみな、風邪をひく」
「はい、蓮暁様。こちらへどうぞ」
それよりって……彼女も深くは追求しないのね。この状態を異常だと感じているのは俺だけなんだろうか。
ガキのあとに続く蓮暁を、あたりまえのように天雅が追う。俺、迷う。
ちぇっ、いいよな、暢気な楽天家は。
でも、こんな状況だからこそ1人でどうにかできるものではない。右も左もわからないのだ。把握してるのは、あのクソガキだけのようだし、水びたしの格好もどうにかしたい。何よりこの――。
背中へそっと手を回したときだった。
「慈音、どうしたんです?」
わざわざ戻ってきた天雅に顔をのぞきこまれ、俺は勢い背筋を伸ばした。
渋っ面の俺を見るなり、天雅、破顔。
「ついて行けば何かわかりますよ、きっと」
返事の代わりに、俺は大きなくしゃみをした。
完
実に中途半端な状態だが手元にはここまでの原稿しかなく、そうした意味での完結。展開をおおざっぱに記したメモもあったが、いかんせん17年前の脳が生みだしたもの、細かな設定が思い出せない。といって新たに構築する気力もなく、登場人物の正体をバラして終わりとすることにした。
まずは、慈音。彼は伊庭八郎。江戸の剣術道場《練武館》の開設者、伊達秀業の長男で隻腕の剣客として有名だ。
次いで、天雅。彼は新撰組の沖田総司。『回想』で述べている《あの三人》とは、近藤勇、土方歳三、山南敬助のこと。
最後に、蓮暁。彼は徳川家光の師範だった柳生宗矩の次男・柳生友矩。次男というからには当然、男。しかし男らしからぬ容貌ゆえに、慈音は女だと勘違いしている。天雅は『邂逅』の時点で男だと見抜いている。結果、この2人の認識のズレが、そのまま会話のズレとなり、数々の誤解と珍騒動を引き起こす…といった展開を用意していた。
この3人に共通しているのは享年27歳という点だ(伊庭には26歳説、沖田には25歳説もある)。大好きな人物の偶然の一致に「これはネタにせねば!」と盛り上がってた当時を思い出す。
『会同』以降の登場人物には徳川家光、柳生宗矩の三男・柳生宗冬、四男・柳生義仙が待機していた。
徳川家光と柳生友矩は衆道(=同性愛)の関係にあった。しかし、体面を慮る友矩の父・宗矩は、長男・三厳に密命をくだす――友矩を始末せよ、と。三厳は剣の達人だったが、友矩はそれをしのぐ力を秘めいていた。兄の一瞬の隙をつき、その片目を斬りつけてみせるも直後、あえて討たれて絶命する。
と、まぁこれは私の大好きな某時代小説の梗概だ。柳生三厳またの名を柳生十兵衛の、いくつかある独眼誕生秘話(フィクション含む)の中では、個人的に白眉だと思っている。
息子に息子を殺めさせる父も非道だが、実弟を殺せと言う父の下命を呑む兄も相当だ。しかし、いびつな血縁関係にこそ妄想の入りこむ余地がある。最愛の友矩を奪われたことで発狂した家光は、柳生一族を根絶やしにすることを誓い、転生をくりかえす。
と、まぁこれが本作の軸となる因果関係。伊庭と沖田は、その復讐劇に巻き込まれた形となっている。今にして思うと「果たしてこれはSFか?」との疑問がわくけれど。
史実では、伊庭八郎と土方歳三は函館でともに戦った同志となっている。土方がまだ江戸にいた試衛館時代、すでに見知りの仲だったとすると、当然に沖田とも接触があったと思われるが、そこら辺のところが判然としない。本作では、沖田と伊庭の間に面識はないものとした。




