陸
やっと岸に辿りつく。かなりバテ気味。これって何かの天罰か? ふわふわくるくるしてたと思ったら、危うく串刺しになりかけて、そのまま海に沈没……。
体力には自信のある方だけど、袴姿のまま泳ぐというのが難だった。消費する運動量がハンパない。刀が濡れないよう片手を上げたままってのも、しんどかった。持ち上げるだけというのは、振り回す以上に大変なのだ。天雅はひもで頭の上にくくりつけていたけれど、マヌケすぎて真似する気も起こらなかった。
『え、格好悪い? そうですか? 私は気になりませんけど。大衆の面前というわけでもないですし、この方がずっと楽ですよ』
いや、そうかもしれないけれど。頭ではわかっているけれど。
そのうえ、海で泳ぐのは気持ちいいとか、夜の海もオツだとか口にする。この非常事態にどうゆう精神構造してるんだ。
とっくに岸へあがっていた蓮暁は近くの岩場に腰をおろし、両腕を袂に入れて瞑目していた。月灯りに照らされた、うつむきかげんの顔もまた魅惑的。何を考えているのだろう。
と、袴や袖の裾をしぼっていた天雅が身をかがめたまま、左手を腰にのばした。
「お気を解かれよ。わたしの連れです」
すかさず蓮暁が制した。
いやはや参ったね。あの狭い部屋で俺が背後から触れようとしたときもそうだったけど、彼女はどこかの隠密か? 天雅は柄に触れただけだ。音などしなかった。それだけの所作に目をとじた状態で気づくとは。しかも波音の響く中。
ふむ……用心棒など要らん世話か。
俺も鯉口にかけた右手をさりげなく下ろした。そのときだ。
「いたいた。蓮暁様ぁ」
頭上から子供の声。ふりあおぐと、巨大な岩場の頂きで手を振っている人影がある。
え? まさか……アレが彼女の言う連れ?
子供がしゃがみこんだ。おいおい、その体勢はまるで――
「坊、私に向かって飛び降りるがよい」
いつのまにか天雅が隣りにいた。子供に向かって両手を差しのべている。だが、けっこうな高さだぞ。大人でもひるむくらいの。
「べーっだ。バカにすんなよ。これくらいの高さ、へっちゃらだい!」
うわーい、何てかわいくないガキだろう。この生意気小僧が彼女の連れとは信じがたい。
あっさり拒絶された天雅は、さぞやしょぼくれてるだろうと思いきや、けらけらと笑っていた。
「そうか、それはすまなかったな。その歳でその度胸は感服するぞ、坊」
「坊って呼ぶなっ」
小僧は反骨心を勢いに宙に躍り出た、まではよかったが憐れ浜辺へ真っ逆さま――という俺の期待は裏切られ、ガキは無様な醜態をさらすことなく軽やかに鮮やかに着地を決めたのだった。ちっ。
「ほう! これは見事。坊は、どこぞの大道芸人か」
天雅が声をあげる。目の前の妙技を単純に喜び、純粋に褒めているといったふうだった。
「坊って呼ぶなって言ってんだろ! ちゃんと尋ねたうえで、その名を呼べ」
っかー、ほんと何様だ、このガキ!
「そうだな、相すまん。己の名を重んじるはもっともだ。私の名は――天雅と申す」
天雅はまたも気を害すことなく、一瞬ためらったのち、例の名前を口にした。横柄なガキの態度には怒らず、異名を押しつける彼女には激昂って……こいつの反応基準どうなってんの。




