真か虚か
玄関で靴紐を結んでいると、背中越しに声をかけられた。
「どこにいくつもりだ」
俺は靴紐を結びながら、
「確かめにいくんだよ。お前が言っていることがほんとなのか、それとも質の悪い冗談なのか」
溜め息をつく声が聞こえた。
「貴様はまだ昨日の出来事を夢だと思っているのか? 呆れる。さっきもいったはずだ。これは現実だと」
「だからそれを確認するんだよ」
確認する手段なら知っていた。葵に電話したか聞けばいいのだ。
聞くなら固定電話や携帯でもいいきはしたが、どうせ話すなら会って話すほうがいい。
紐を結び終え、手元に置いた鞄をつかんで、外へと出る。
ドアを開けると、熱した空気とぎらつく太陽が俺を出迎えた。
夏休みに突入しているのか、遠くからは子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。
「待て。私もいく」
「.... 好きにしろ」
雲ひとつない青空を見上げながら答える。
どうせ止めても無駄だろ。それにずっと家にいられても困る。
「けどついていくなら、ケチャップで汚れた口元と服はかえていけよ?」
「私にあう服はあるのか?」
「.... あ」
そんなわけで俺は、朝日ベーカリーに向かう前、デパートで女性ものの服を一式買うという痛い出費をした。
また、下着を買うとき、定員から冷たい目でみられるという精神的な苦痛を味わうはめになった。
くそ、なんで俺がこんな目に。
絵美は俺が買った服に着替えると、タンデムシートに座り、シートベルトのように俺の腹部に両手を固定する。
「さぁ行くぞ」
「なんでお前が指示するんだよ。まぁいいけどさ」
蒸し暑い空気を振り払うように俺はバイクを発進させた。
暫く走っていると、背後からくぐもった声が聞こえた。しかし、何を言っているのかわからないので聞き流すと、腹部に強く腕が食い込んだ。
「うげぇ!」
目の前の信号が青から赤にかわる。俺はゆっくりと速度をおとし、
「運転中になにすんだ! 危ないだろ」
「貴様が無視をするから悪いのだ。さっきからどこに向かっているか聞いているのだ。ちゃんと質問に答えろ」
「はぁ? どこに行くか言っただろ?」
「いや言っていない」
「.... そうか。言ってなかったか。そりゃ悪かった」
信号が青にかわる。バイクを発進させ、
「今から向かう場所は朝日ベーカリーっていうパン専門店だ。パン専門店っていっても、パンばかり売っているわけじゃなく、カフェとしても経営している。そこの店主の朝日葵と知り合いでな。夢のなかでも電話で話をしたんだ」
夢という単語になにか反論してくると思っていたが、絵美は何も言ってこない。
構わず続ける。
「それでだ、もしお前の言うことが真実なら葵は昨日俺に電話をしたという筈だ。そのときはお前の話を信じてやる。
だがもし、電話をしていないと言った場合は.... 」
そこから先は言えなかった。絵美が腹部に強く腕をくい込ませたからだ。
「うげぇ!」
駐車場にバイクを止めると、絵美は降り、じっと朝日ベーカリーの外装を見た。
巨大な煙突に赤い屋根。そして、葵の趣味なのか、朝日ベーカリーと掲げられている木製の看板の横には兎の模様が彫りこまれている。
絵美は顎に手をあて、
「兎.... まさかな。まぁ、いい取り敢えず入るぞ」
だからなんでお前が仕切るんだよ。
絵美は扉を開け入店する。ちりんと可愛らしい鈴の音が聞こえ、女性の元気溌剌ないらっしゃいませーが聞こえてくる。
その声に心臓が高鳴った。俺も絵美に続こうと、閉まりかけていた扉のドアノブを掴もうとする。が、手が震えているせいで上手く掴めなかった。
ドアがゆっくりと閉じる。
震える理由はわかっていた。
もし、葵が電話をしていたと言ったらどうする? 絵美の言っていた事が本当なら俺はどうすればいい?
死にかけていたこと、怪人が実在していることを知って俺は普段通り冷静でいられるだろうか。
わからない。何一つとしてわからない。
「なにしてるの?」
ちりんと鈴が鳴る。店内の冷房が外にもれ、涼しい風が俺の頬を撫でた。
俺の眼前には、うさぎ模様のエプロンをかけたポニーテールの女性ーー朝日葵が柔和な瞳を浮かべていた。
「葵.... 」
「どうしたのそんな顔して? 外は暑いでしょ。とにかく中に入りなよ。可愛らしいお嬢さんも待ってるよ」
店内に入ると、香ばしいパンの薫りが鼻腔をくすぐった。天井ではゆっくりとファンが回り、お洒落なジャズが流れている。
いつもは満員のはずなのに客は俺と絵美だけだった。
俺は白い椅子をひき、絵美の真正面に腰をかける。
「二人とも珈琲でいいかな?」
俺は首を縦にふり、絵美は首を傾げた。
まさかと嫌な汗が伝う。そして恐れていた言葉を口にした。
「珈琲とはなんだ?」
「嘘だろ。お前.... 知らないのか?」
「ああ、知らないな」
堂々と胸をはって言うことか!
「あはは、面白い娘だね。そうだな珈琲っていうのは.... う~んなんて言ったらいいかな。黒っぽくてちょっと苦い飲み物かな」
「そうか。苦い飲み物なのか。ふむ、苦いのは苦手だ」
葵はへぇーと言いながらこっちをニヤニヤと見てくる。そして悪戯ぽく、
「因みに斤十はどうだったけ?」
知ってるくせに。俺は咳払いをし、
「俺も.... 苦いのは苦手だ」
だからいつも頼むときは砂糖多めの珈琲で頼むことにしている。
「じゃあお嬢さんは甘めのカフェオレにして、斤十は.... ミルクたっぷりの砂糖多めの珈琲にしようかな」
絵美はカフェオレ? と首を傾げたが、葵が甘いよと教えたら、甘いならそれでいいと頷いた。
その一方で俺は黙っていた。
なんで葵はミルクたっぷりと言ったんだ? いつも俺は砂糖多めだけでミルクたっぷりとは頼んでいない。
ミルクたっぷりと頼んだのは昨日の夢の出来事のなかだけだった筈だ。
偶然にもそう言っただけだろうか?
「おい、これはなんだ? 上に卵がのかっているぞ」
「ああ、それはクロックマダムっていう料理で、とても美味しいよ」
「ふむ、旨いなら頼もうか」
オムライス食ったばかりなのに、こいつまだ食うつもりか。
葵は黒い版に挟んだオーダー表に注文を書いていく。
「斤十は何か頼む?」
「いや、俺は食べたからもういい」
葵はわかったと頷き、ペンを胸元のポケットに引っかけ、注文を復唱し間違っていないことを確認すると店の奥へと引っ込んでいく。
その去り際、姿勢を低くし、俺の耳元で、
「心配したんだから」と囁いた。
どっと疲れがのし掛かった。俺は天井で回るファンを見つめながら、溜め息をついた。
「それで、いつ私の話が虚か真か確認するんだ?」
俺は苦笑し、両手を組む。
「ああそうだったな。確認するためにここに来てたんだった。けどもうその必要はないな.... 疑って悪かったな絵美。お前の言っていること全部本当だった」




