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怪人

 ごみの仕分けに大量の時間を要してしまった。そのせいで、帰る頃には日が沈み、厚い雲が空に垂れ込んでいた。


 「帰る前にあと、もう一仕事だ」


 交番までの道のりを頭のなかで描き、駐車場に止めていた紅の二輪バイク『samurai250』に跨がる。

 ハンドルに掛けていたヘルメットを取ろうとした瞬間、ポケットに仕舞っていたスマホが着信音と共に震えた。

 電話主は朝日葵からだった。応答をタッチし、耳にスマホを宛がう。

 少し暗い声がスピーカから流れてきた。

 「もしもしオノト? 僕だよ。朝日葵。急に電話してごめんね」

 普段とは違う低いテンションに一瞬戸惑ったが、口調の感じから何度も聞いてきた葵の声で間違いなかった。

 一体何があったのか。俺の知っている葵はいつも明るく元気の塊みたいな奴だ。兎に角黙っていては駄目だ。何か言わないと。


 「おう、別に電話はいいんだが.... どうした? テンションが随分と低いんじゃないか? 何かあったのか?」


 少しの間、沈黙が訪れる。葵はうんと答えた。


 「ちょっと色々あってさ。今から朝日ベーカリーに来れないかな? 会って話がしたいんだ」


 会って話したいとは。よほど落ち込む出来事があったのだろうか。

 しかし、今からか。ポケットをそっと撫でる。 

 まぁ、交番は閉まるわけじゃない。帰りにでも寄ればいいだろう。


 「わかった今から行く。美味しい珈琲とパンを準備して待っててくれよ? あ、勿論、砂糖は多めで。それとたまにはまったりとした味わいも楽しみたいからミルクもたっぷりめで頼む」


  ふふっと笑う声がスピーカー越しから伝わる。


 「何それ。うん、でもわかった。とびっきり甘いミルク珈琲と熱々のパンを準備して待っているから.... だから冷めないうちに早く来てね?」


 「ああ。任せろ」


 通話を終え、スマホを仕舞う。

 朝日ベーカリーまでの道のりを脳内で描いていると、ポツリ、手の甲に冷たい滴が落ちた。


 「嘘だろ.... 」


 空を見上げれば、曇天の空模様に、所々雷が鳴り始めていた。

 これは本格的に降りそうだ。本降りになる前に、とっとと朝日ベーカリーに行かないと。

 ヘルメットを被り、バイクのキーを射し込む。


 「ねぇ.... 」 


 突如背後から聞こえた、ねっとりとまとわりつく不気味な声に体が強張った。ずるずると靴を擦り歩く音が近づいてくる。

 心臓が煩く鼓動をうつ。後ろを振り向かずに逃げろ。本能がそう囁いていた。


 「ねぇ.... 」


 またあの声だ。一体後ろに誰がいるんだ!


 好奇心は恐怖を殺すと最近テレビで言っていたことを思い出す。俺はヘルメットをとり、恐る恐る後ろを振り向いた。

 振り向くのに合わせたかのように、空が光り、雷鳴が轟く。雨が槍のように降りだし、容赦なく体に降り注ぐ。

 激しい雨脚のなか、そこには女性が力なさげにだらりと立っていた。

 雨に濡れた髪がべっとりと顔に張り付き、その顔にはどこか疲れきった表情をしている。


 「ねぇ.... 貴方あの女の知り合いなの?」


  女性は靴を引き摺り、歩みよってくる。その動きはゾンビのようにゆっくりとしていた。

 

 「ねぇ.... 知り合いなの?」


 緊張で溜まった唾を飲み込み、


 「し、知り合いって誰の事を指してるんですか?」


 俺の質問に女性は口角をあげ、目を見開く。

 次の瞬間、女性の顔が、腕がアイスキャンディのようにどろどろと溶け始めた。


 「うぉあ!」


 あまりの光景に俺は尻餅をうった。女性は歩みを止めない。

 女性の顔が、どろどろに溶けた顔が、茶色く枯れたような花の蕾に変貌する。

 腕も蔦のような長細い触手に変貌し、女性がそれをふるとアスファルトが削れ、破片が飛び散った。


 「惚けないでよ。さっき電話してたじゃない。貴方あのパン屋の店主と知り合いなんでしょ?」


 女性の質問に俺の答えは的を得ない。

 混乱しているせいで、うぁとかあっとか間抜けな声しかでてこない。


 「ねぇ知り合いなんでしょ!」


 蔦が伸び、俺の目の前のアスファルトを叩く。砕けた破片が飛び、俺の頬を少し切り裂いた。

 垂れる血に、血の気がさぁーと引いていく。


 「し、知り合いだったらなんだって言うんですか」


 俺の台詞に女性の歩みは止まった。

 女性はそうと呟くと、曇天の空を見上げ、空を切り裂くような高い金切り声をあげる


 「あは! あはははははははは! やっぱり、やっぱりそうだったのね。あんなに嫌がらせしてやっているのに証拠にもなく続けるなんて馬鹿な女」


 女性、いや怪人は再びアスファルトに触手を叩きつけ、甘えたような声で、


 「だから大切な物や人を失うのよ。ねぇ貴方もそう思わない」


 そう言ってまた怪人は笑って、次の瞬間俺の腹部に激しい激痛がはしった。

 腹の中から熱くてドロリとしたものが逆流してきて、げほっとむせる。口から大量の血が飛び出て、アスファルトを汚す。しかし、その汚れは激しくふる雨で流れていった。

 俺は震える手で腹部を貫通する異物に触れる。それは鉄のような固い感触がした。

 ボンと抜けるような音がして、異物が引き抜かれる。塞き止めていた詮がなくなり、鮮血が溢れ出す。


 「あはは、どう痛い? 痛いかしら!」


 怪人の触手は赤い血で染まっていた。

 ああ.... そうか。あれで貫かれたんだな。そりゃ痛いわけだ。


 「ねぇ痛い? 苦しい?」


 そりゃ勿論痛いに決まっている。けど、それを口に出すのは怪人に屈伏したような感じがして癪にさわる。


 俺は無理矢理、口の端をあげて笑ってみせた。


 「なにその顔? 痛いかどうか私は聞いているのよ。それなのになんで貴方は笑っていられるの? おかしいでしょ。私を馬鹿にしてるのかしら?」


 触手が雨粒を弾き飛ばすように宙にあがる。


 「ムカつく。あんたも死ね」


 触手は銃弾のように体を貫き、直ぐ様抜かれ再び貫く。貫かれるたび俺の体はびくんと揺れ、血飛沫が舞う。

痛いし、苦しい。しかし、俺は決して声に出さなかった。それが俺ができる唯一の抵抗だと思ったからだ。


 ああでも、そうか。もう葵には会えないんだな。


 「わ、る、い、な、.... あ.... い。や、く.... ちまって」


 意識が遠のく。そのお陰か痛みが和らいできた。雨の音が遠ざかる。

それでも怪人の笑い声はまだ聞こえていた。

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