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安心しろ

 「ここまで徒歩で来るなんてねぇ。大変だったでしょ?」

 朝日ベーカリーの店内。カウンターの席に座った俺と絵美の前に頼んでもいないのに、二つのカップが置かれる。

 一つはカフェオレ、そしてもう一つはミルクたっぷり珈琲だ。

 「僕からの奢り」

 俺と絵美は礼の言葉を口にし、二人ともにカップを手に取る。一口飲むと、ミルクのまっとりとした優しい味わいと砂糖の甘みが口一杯に広がり、さっきまでの疲れが吹き飛んだ気がした。

 やっぱり葵の淹れる珈琲はうまい。

 この味わいを自宅で楽しみたいと、何度か真似て作ったことがあるが、珈琲の淹れかたが悪いのかそれとも牛乳の量が少なかったのか、結局葵の淹れた珈琲とはかけ離れた味となってしまった。

 今度葵に作り方を聞いてみようか。豆とかなにを使っているのかとか。

 もう一度珈琲を飲もうとカップに口をつけたところで、こちらを見詰める熱い視線が。

 「.... なんだよ絵美」

 「いえ、お兄様が飲まれている珈琲はどんな味がするのかと気になりまして」

 お兄様って。その設定を貫き通すつもりか。俺は溜め息をつきつつ、ほらと絵美に渡す。

 そこで葵がストップをかけた。

 「やめたほうがいいよ。それ超甘いからさ」

 「超.... ですか」

 「うん。それはもう舌が死ぬレベル」

 葵は舌をべぇと出して、首をかっ切るように手をふる。

 「大袈裟だぞ葵。それと俺の舌は正常だ。ちょうどいい甘さだから飲んでみろ絵美」

 絵美はコクりと頷き、カップに口をつけーー

 「~~!!」

 声にならないのか、絵美は口を押さえたかとおもうとカウンターの下で足をバタつかせる。やれやれ忙しい奴だ。

 だがオーバーリアクションしてしまうほど美味しいということだろう。

 やがて絵美はカウンターに突っ伏したままピクリとも動かなくなった。

 「美味しさのあまり意識が飛んだか。わかるぞ絵美!」

 「いや、わかってないでしょ.... 」

 葵は呆れた顔でそう言って、ふぅーと息を吐く。

 「水いれてくる」

 「待ってくれ葵」

 絵美が気絶した今だからこそちょうどいいかもしれない。アイツが話にはいったら失礼な発言をしかねないからな。俺は珈琲をぐいっと飲み干し、

 「あの貼り紙.... いつからだ」

 葵の肩がびくりとはねる。触れてほしくなかったのか少し苦しそうな顔をするが、すぐにたははと笑う。

 「うん。まぁ気になるよね。斤十ちょっときて」

 ちょいちょいと手招きする。なんだと椅子から立ち上がり、葵についていくと、店裏の外に。

 そこにはポリバケツのゴミ箱がポツンと置いてあった。

 「なっっ!」

 ふわっと優しい匂いがする。急に葵が俺の胸に飛び込んできたのだ。

 「ごめん斤十。でもこうでもしないとちゃんと話せなくてさ.... 」

 震える声。震える肩。

 「いつからだったんだろう。もう忘れちゃた。でも貼り紙は別にどうでもいいんだ。だって剥がせばいいだけだから」

 そんなわけがない。貼り紙はごみ袋一杯にたまるほど貼ってあったし、なによりいわれのない悪口でもそれを本気にする人だっている。

 そこで俺は思い出す。今日みた昼の店内の様子を。

 いつもは大勢の客がいるのに、どうしたことか今日は俺と絵美しかいなかった。

 それがこの貼り紙のせいだったとしたら.... それはどうでもいいと簡単に済していい筈がない。

 ぎゅっと服を掴まれる。葵はさっきよりも苦しそうに、嗚咽混じりに、

 「でも、作ったパンが一口もたべられずに、ゴミ箱に捨てられるのは嫌だ!!」

 「葵.... 」

 俺は葵の頭をぽんと叩き、ゴミ箱の蓋を持ち上げる。そこには未開封でグシャグシャに潰されたパンが捨てられていた。

 陰湿な悪戯だ。

 パンを潰して捨てたこともそうだが、なにより、わざわざ自宅で捨てるのではなく、店裏のゴミ箱に捨てるのに悪意を感じる。

 犯人は知らないのだろう。葵がどれほど時間をかけてパンを焼いたのか。どんな思いでパンを棚にならべたのか。

 いや、違う。犯人は知っていたのだ。葵がどんな思いでパンを焼いたのか。どんな思いでパンを棚にならべたのか。

 それを知っているからこそ、葵が一番傷つく行動をしたのだ。

 「なんで葵なんだよ.... 」

 気づけば俺は拳を握っていた。

 葵がなにをしたっていうんだ。葵はいつも笑ってパンを焼いていただけじゃないか。

 皆に美味しいパンを届けたいだけじゃないか! 

 「ふざけんじゃねぇ!!」

 俺はゴミ箱に手を突っ込み、潰されたパンを手に取る。包装は綺麗に施されているから汚れを払えばいける。

 「斤十なにするつもり!?」  

 不安そうな顔をしている葵を他所に俺は包装をとき、パンにかぶりつく。

 「斤十!!」

 「んむんむ.... ゴクッーー ふぅ」

  手についた汚れを払い、ポカンとしてる葵に俺はにかッと笑う。

 「やっぱり美味いな。この美味さがわかんないなんて可哀想な奴もいたもんだ」

 「.... 馬鹿。お腹壊してもしらないよ」

 「はは。そん時はトイレに駆け込むさ。だから安心しろ」

 安心しろ。もう一度力強く言う。葵の震える肩、声に俺の覚悟は固まっていた。

 もう葵を泣かせない。怖がらせない。葵にまとわりつく不安は全て取り除いてやる。

 「斤十.... 」

 葵は瞳に涙を浮かべ、そして微笑んだ。

 「ありがとう」

 その微笑みは満点の星空に勝るくらい眩しく、そして美しくみえた。

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