復讐は蜜の味
冷蔵庫を開け、缶ビールをありったけ取りだし机に並べ、コンビニで買ったおつまみを無造作に開けた。
ムカつく。
心で言ってみるがスッキリとせず、今度は舌打ちと合わせて言葉にてみる。
「ムカつくムカつくムカつくムカつく!!」
柿ピーを噛み砕き、ビールを煽る。
私の人生は一ヶ月前までは上手くいっていた。仕事も順調だったし、三年付き合っていた彼氏とも結婚までいきそうだった。
だが、あのパン屋が開業してから私の人生は天と地がひっくり返ったように全てが変わった。
私は二本目のプルタブを開ける。プッシュとした音が一人だけの狭い空間に虚しく響いた。
あのとき、なんで私はパン屋に行ってみようよと彼に持ち出したんだろう。
風の噂で聞いていたじゃないか。働いている店主が凄い美人だって。彼氏が目移りするとは思わなかったのか。私は彼女に負けないべっぴんだと自惚れていたのか。
「違う!! そうじゃない」
机に叩きつけるように缶を振りおろす。彼がいたら間違いなくやめてくれと注意される行為だけど、今この空間には私一人しかいない。
私は別に彼が目移りする心配とか自分は可愛いと自惚れていたわけじゃない。
ただ、どんなパンが売れているか興味があって、そしてなにより彼と思い出をつくりたかった。ただそれだけだ!
美味しいパンを買って、彼と美味しかったね、また行きたいねそれだけで終わるそれだけの筈だった。
なのに彼は....
いつの間にか私は泣いていた。一人で泣くなんて馬鹿みたいだ。ボックスティッシュから一枚抜き取り、さっと拭き取る。
朝日ベーカリに行った次の日から彼は変わった。最初は小さな変化だった。仕事帰りに大量のパンを買って帰るようになったのだ。
それも全部朝日ベーカリのパン。私はよほど気に入ったんだなとそれくらいにしか思わなかった。
しかし、それが毎日のように続き.... 流石に私は怒った。そしたら彼は気が狂ったように逆ギレしてきて、
「別に俺の金をどう使おうが俺の勝手だろ!」
そう言って机を蹴りあげると、彼は家から出ていった。結局その日彼が帰って来ることはなかった。
そこから私と彼の心に亀裂が生じ始めた 彼は決まって夕食を食べて帰るようになり、食卓は私一人で食べる場所になった。
一人で食べるご飯は酷く寂しく、惨めなもので。
一体彼はどこで夕食を食べているのだろう。それが気になって、ある日私は彼が風呂に入っているのを見計らって財布を漁った。
彼はレシートとかとっておく小まめな人間なので、私は容易に彼がどこで食事をしていたのか突き止めることが出来た。
だが、見ないほうがよかったのかもしれない。彼の財布のなかには想いでのアルバムのように朝日ベーカリのレシートで埋まっていたのだから。
日が過ぎるにつれ会話も次第に減ってきて、ついには彼は私を避けるようになった。
そして一生忘れはしない。付き合って4年記念日の日。運命は訪れた。
その日は豪華なレストランで夕食だった。だがもちろん心は浮かれたりなどしない。
寧ろ不安だった。きっと彼はあの言葉を言うに違いない。私は今か今かとそわそわし、それは私がステーキをカットしているとき唐突に訪れた。
「三咲.... 別れよう」
彼の目は本気だった。やっぱりそうだよね。そうなるよねわかっていた。
けど一応ちゃんとした理由を彼の口から聞きたい。
私は泣きそうなのをこらえなんでと聞くと、彼は真面目な口調で、
「他に好きな人ができた。たぶん三咲も気づいてると思うけど、俺は朝日ベーカリの葵さんのことが好きになったんだ」
わかっていた。わかっていたいたけど改めて口にされると堪えるな....
そこから彼はきいてもいないのに葵のことを饒舌に語りだしてきた。
うなじが素晴らしいとか、一人で経営していて健気とか。ぼく娘ってなんかいいよなとか。
私はそれを沸々と湧いてくる殺意と共に黙って聞いていた。
それから後の記憶は残っていない。衝動にまかせたんだ。気づけば彼は私の部屋で死んでいた。
ビールも五本目にくると、酔いがいい感じに回ってきた。私は柿ピーを空中に放り投げ口でキャッチする。
ポリポリと噛んでいると、玄関のチャイムが鳴った。彼女だ。
私は廊下をどしどしと歩き、ドアのロックを解除すると鬱憤をぶつけるように乱暴に開けた。
「こんばんはぁ。お久しぶりですねぇ三咲さん」
紳士服を着た彼女は黒いシルクハットを取ると、高身長の背を曲げ、丁寧にお辞儀をする。月のような白銀の髪がちょこんと揺れた。
「久しぶりねラビット」
ラビットはふふと笑い、糸目をより一層細める。
ラビットと出逢ったのは私が死体の処理に悩んでいる時だった。
彼女は幽霊のように突然あらわれ、
「ふふ。これはまたぁ随分とぉ派手にやりましたねぇ」
「だ、誰。貴方! 何処から入ったの警察呼ぶわよ!」
「あらぁ可笑しなことを言いますねぇ? 警察を呼んだら三咲さん。貴方が困ることになりますよぉ」
「な、なんで私の名前を.... 」
「それは知っていますよぉ。知ってるに決まってますよぉ。長々と貴方の愚痴を聞かされてきたんですからねぇ」
「聞いた? 誰に」
彼女は答える変わりに微笑むと、白い手袋を擦り合わせ彼の死体を舐めまわすように見てきた。
「なるほど包丁でなんども刺したんですねぇ。よほど彼に恨みがあったのですねぇ。けど衝動に身を任せすぎです。これは困ったことになりましたよぉ」
「そんなのわかってる.... これからなんとかするつもりよ」
「なんとかですかぁ? ふふ素敵な言葉ですねぇ。なんとかという言葉をつければなんでもできそうな気持ちになりますよねぇ。けど、そう全部上手くいきますかねぇ?」
「どいうこと」
「どうもなにもぉ、凶器と死体の処理はどうされるおつもりですかぁ? 彼が突然いなくなったことについては彼が勤めていた会社にどうお答えしますかぁ? ご家族には? まさかぁ全部知らないで通ると思っていますかぁ? そんなわけないですよねぇ。真っ先に疑われるのは三咲さん。貴方だということもわかってますよねぇ?」
衝動的な殺人だったためそんなことまで考えていなかった。
彼女の言葉に汗がどっと流れ、手足が震えだすとともに、私は恐怖に堪えられず嘔吐した。
「あらあら.... 大丈夫ですかぁ?」
ラビットが優しく私の背中を擦ってくれる。私は彼女に言っても無駄なのに、許してとなんどもすがりつき懇願した。
「ごめんなさい.... 許して許して!」
「大丈夫」
泣きじゃくる私をラビットは優しく抱擁した。子供を慰めるように、頭をぽんとぽんと叩いてくれた。
「大丈夫ですよ三咲さん。貴方はなにも悪くない。それに助かる方法もあります」
そう言うとラビットはポケットから弾丸の形をした物体を取りだし、
「このナンバーシステムを使えばこの状況も、そしてこの状況を作り出した人に復讐できますぅ」
あの女に復讐ができる.... それはなんと魅惑的な言葉だっただろうか。私はこの状況をなんとかするという気持ちよりも、葵に復讐してやるという復讐心でラビットが持つ物体を受け取った。
絶対にあの女だけは許さない。私と同じ思い、いやそれ以上の苦しみを味わわせてやる!
私が復讐に燃えるさなか、ラビットの瞳が大きくなった気がした。
兎のように赤い、真っ赤な目だった。