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ぼくの心の中のマルオ

作者: 空野カケル

 ゴールデンウィークに初めてペットを飼った。

 本当は猫が飼いたかったんだけど、お母さんから高いからダメ、と言われてしまった。

 テレビで見た、ヒマラヤンという種類の黒猫がぼくはずっと欲しかったのに。

 ヒマラヤンはふわふわとした毛が本当にきれいで、目もぱっちりとしていた。


 代わりにぼくの家にやってきたのは、遠くの国で最近発見されたという、

 なんだかよく分からない生き物だった。


 見た目はどこかで見たことがあるような、黒くて真ん丸で毛むくじゃらの不思議な動物だ。

 大きさはソフトボールと同じくらいだろうか。

 手足は細く短くて毛に隠れている。

 

 そいつはヒマラヤンとは違って、毛は縮れていてつやも無いけど触り心地は同じくらい良くて、

 ぼくはそれが気に入った。

 

 最初お父さんとお母さんは気味悪がっていたけれど、ぼくが全部世話するという約束で買ってくれた。

 

 ぼくは初めてのペットに、マルオという名前を付けてあげた。

 真ん丸だったから、という単純な理由だ。

 最初は餌をやるのもおっかなびっくりだったけれど、段々と慣れてきて、

 あちこち散歩に連れて行くようになった。


 マルオはムー、と甲高い声で鳴いたり、ぼくの声に反応して飛び跳ねたりもするので、

 一緒にいて飽きなかったし、楽しかった。


 でも、そんな楽しい時間はすぐに終わってしまった。



 それはマルオが家に来てから一週間くらい後のことだった。

 その日のぼくは何度も嫌な目に遭って、むしゃくしゃしていた。

 宿題がちゃんと出来ていなかったからと言って廊下に立たされたり、

 給食の温野菜炒めが食べられずに昼休みまで残されたり。


 家に帰ってきてから愚痴をお母さんにこぼしていたら、

 ぼくが好き嫌いするからって怒られた。


 それでぼくは家にいるのが嫌になり、

 気晴らしにマルオと公園まで散歩に行くことにしたのだ。


 真っ青に晴れた空の下をてくてくと歩く。

 マルオは丸っこい身体で、首輪が付けられないから野放しの状態だ。

 けれども、マルオは意外と速く地面を這ったり、

 飛び跳ねて障害物を越えたりしてちゃんとぼくに付いてくるから、心配無かった。

 人懐っこい生き物みたいだし、人に襲い掛かるような事も無さそうだった。


 少しの間歩いて公園に着いた。

 辺りは誰も居なかった。

 五月の暖かい日差しが砂利交じりの地面を照らしている。


 ぼくはしゃがんでマルオと目線の高さを同じにして言った。


「マルオ、お手」

「ムーッ」


 手のひらを差し出すと、マルオは地面から手の上に、ぴょんと飛び乗った。

 ぼくはマルオの頭をなでてやる。

 言葉が分かっているのかは分からないけど、可愛らしい。

 それに、日に当たってぽかぽかと暖まった毛も、ふかふかしていて気持ち良かった。

 

 そう言えば、マルオの毛は生え変わったりするのだろうか。

 初めて見た生き物なので、よく分からない。


 ひとしきりマルオと遊んでいると、クラスメイトが通りかかった。

 大きな身体をして威張る、ぼくのあんまり好きじゃない奴だった。

 身体も態度もでかいやつだから、皆はデカって呼んでいる。

 彼は一人で遊んでいるぼくに気が付くと、声を掛けてきた。


「おう、なにしてんだ」

「……ペットの散歩」


 ぼくは小さな声で返した。デカは素っ頓狂な声を上げた。


「ペットお? ……その、黒くて変な奴がか?」


 からかうような物言いに、ぼくはむっとなって言い返した。


「そうだよ、悪い?」


 彼は、ちょっとの間絶句すると、耐え切れなくなったように、

 がははと大きな声で笑った。

 そして馬鹿にしたようにマルオに指をさして言う。


「そんなちび、飼っていたって楽しくないだろ。誰かに気づかれずに潰されるかも知れないぞ」

「そんなのぼくの勝手だろ」


 ぼくが怒っているのに気づかず、デカは嬉しそうに続ける。


「俺ならもっと大きくて強そうなのを飼うぜ、ドーベルマンとか。

 やっぱりペットは格好良くないとな。そんな変な丸っこいやつじゃあ駄目だな」


そうして言いたいだけ言うと外に向き直り、じゃあな、と言って歩き去った。


「なんだよ」


 ぼくはまた嫌な気分になった。せっかく嫌なことを忘れて楽しく遊んでいたのに。

 

 家に帰ろうと思った。

 

 帰り道、ぼくがぶすっとして石ころを蹴りながら歩いていると、

 マルオが気遣うようにぼくの前を飛び跳ねた。


「ムー、ムー」


 その動きがなんだかひ弱な感じがして、さっきのデカの言葉を思い出した。

 うっとうしいな、と思って、ぼくは帰るまでずっと無視した。


 家に着くと、勢いよく玄関の扉を閉める。


「ただいま!」


 がしゃん、と大きな音が響いて、靴箱の上の花瓶が揺れた。


 玄関から上がってリビングに行くと、お母さんがテレビを見ながら大笑いしていた。

 ぼくが嫌な目に遭っている時に、お母さんはずっと楽しい時間を過ごしていたんだと思うと、

 ますますイライラが増した。


 お母さんはひとしきり笑ってからようやく棒立ちしているぼくに気が付くと、

 笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭って言った。


「あー面白い。……あら、おかえり。ちゃんと手洗いなさいよ」

「分かってるよ!」


我慢できなくなって、ぼくは怒鳴った。

 何怒ってるの、と小言を続けようとするお母さんに背中を向けて、

 手を洗ってから二階の自分の部屋へとずんずん歩いた。


「ムムー……」

「なんだよ。着いて来るなよ」


振り返ると、マルオが不安げにゆらゆらと揺れながら、後ろをついてきていた。

 顔色を窺うような様子のマルオに、むかっ腹が立った。

 いじわるしてやりたくなった。


 そうだ。良いことを思いついた。


ぼくはマルオを置いて、一番飛ばしでバタバタと階段を上がった。

 そして部屋に入ったと同時にすぐ扉を閉めた。


一歩遅れたマルオは廊下に閉め出された。

 外で、ムームーと抗議するかのように鳴いているのが聞こえる。

 ざまあみろ。ぼくは一人でほくそ笑んだ。

 これで、あいつの顔を見なくてすむ。


 しばらくすると、マルオの声は聞こえなくなった。


 部屋が静かになったので、ぼくは学校の宿題をしようとランドセルを開けて

 筆箱と漢字のドリルを出した。

 でも、そこで急にお腹がゴロゴロと鳴り出した。ちくちくと刺されるような痛みもする。


 トイレに行きたい。


「うーん……」


両手でお腹を抑える。

 ぼくはちょっと迷った。扉を開けて外に出てしまったら、マルオを部屋に入れてしまう。

 デカに言われたことを思い出すから、落ち着くまではマルオの姿は見たくなかった。


 そう思ったけれど、お腹の痛みには勝てなかった。

 ぼくは背中を丸めた姿勢になったまま、素早く廊下に出た。


見回すと、マルオはいなかった。

 諦めて下に降りたのかな。

 不思議に思ったけれど、今のぼくには深く考えている余裕は無かった。


 トイレトイレトイレ……。



すっきりしてから部屋に戻ると、どこから入ったのか、

 部屋の真ん中でマルオがくつろいでいた。

 カーペットの上をころころと転がって、気持ちよさそうにしている。


 そののんきな姿と、勝手にぼくの部屋に入ったことが、


「おい」


 ぼくの中の何かを切った。


ぼくは扉を右足で蹴って閉めると、ズカズカとマルオに近付いた。

 声を掛けられたマルオは転がるのを止めて、大きな目できょとんとこちらを見ている。


 マルオの目の前に立つ。

 小さなマルオを、ぼくの影が覆い尽くした。


 ぼくはマルオを恨みのこもった目で睨みつけた。

 じっと見ていると、少しだけマルオの真っ黒で真ん丸な身体が大きくなったように見えた。


「勝手に、ぼくの部屋に、入るな」


一言ずつ区切りながら、ぼくはマルオを指差して言った。

 恐い声だな、と自分でも思った。

 でも、マルオはぼくが怒っているのにも気づいていないようだった。


「ムー?」


マルオが聞き返すように鳴く。

 それがなんだかぼくを馬鹿にしているみたいで、


「このっ‼」


カッと頭が熱くなって、ぼくは思わずマルオを蹴飛ばした。

 空気の抜けたサッカーボールのように、黒く真ん丸な生き物が小気味良く跳ね飛んだ。


「ムー!」


ふぬけた鳴き声が、ぼくの部屋にこだました。

 ぼすん、という音とともにマルオが床に叩き付けられた。


 ぼくははっとして耳をすませた。

 下の階にいるお父さんやお母さんに今の物音が聞こえていないだろうか。


 幸い、誰かが上の階に上がってくる様子はなかった。

 ふう。 ぼくは胸をなで下ろすと、マルオに向き直った。


吹き飛んだマルオは、部屋の隅っこで弱々しく縮こまっていた。

 痛みのせいか、ぷるぷると震えている姿を見ていると、

 ぼくはスカッとした気持ちが失せてちょっと可哀想な気持ちになった。


 そうっと様子を伺いながらマルオに近づき、声を掛ける。


「……マルオ?」


すると、信じられない光景がぼくの目に入った。


「ムムム……」


マルオがむくむくと巨大化し始めたのだ。


 丸くて黒い身体の表面から、泡のようなものが浮かび上がって膨らみ、次々と弾けていく。

 それが身体の一部になって、泡が出てきて、どんどんと身体が大きくなっていく。


「うわあああ……」


あまりにもグロテスクな様子に、ぼくは腰を抜かして、部屋から這うように逃げ出した。


 一階に降りると、お母さんが怪訝な目でこちらを見てきた。


「どうしたの、そんな真っ青な顔をして」

「なんでもない、なんでもないよ」


 ぼくは今見た出来事を無かったことにしようと思った。

その日は二階に上がらないことにして、

 無理を言ってお母さんとお父さんと一階に寝ることにした。


 ぼくはなるべく普段通りの生活を装いながら一日を過ごした。


 けれども、マルオが巨大化する光景だけは、寝るまでずっと頭から離れなかった。



翌朝、朝ごはんを食べたぼくは、ランドセルを取りに二階へと上らないといけなかった。

 怖くて嫌だったけれど、仕方なく部屋へと戻る決心をした。


 階段を上る。


 一段一段と部屋が近づくたびに、胸がどきどきと強く鳴っているのが分かった。


 恐る恐る、ドアを開ける。


マルオは、昨夜と同じく部屋の隅っこにいた。

 ただし、その大きさはバランスボールくらいの大きさまでに巨大化していた。


「マルオ……」


小さく声を掛けたけれど、返事は無い。

 寝てるのかな。ぼくが無意識のうちに忍び足になりつつ、もう一歩近づくと、

 ぐるりとマルオが振り返った。


「ムム?」


 マルオはいつも通りに返事をしたようだったが、その声のトーンは低く、

 ぱっちりとして可愛かった目つきも悪くなっているように感じた。

 変わり果てた姿をじっと見ていると、思わずため息が出てしまった。


「マルオ……」


 謝ろう、と思った。

 大切なペットに、自分が何をしてしまったのかを思い出した。


「怪我、してない?」


 言葉の端が上ずった。

 ぼくは鼻をすすった。

 膝をついて、大きくなったマルオを抱き上げようとした。


「ごめんね、マルオ」


 抱き上げようとしたが、大きくなったマルオはぼくの手から余ってしまい、

 持ち上げられなくなっていた。

 ぼくはやりきれない思いでいっぱいになって、マルオの頭をなでた。


「ムー……」


 マルオは寂しそうに鳴いた。

 ぼくの視界が歪んで、マルオがよく見えなくなった。


 なんてことをしてしまったんだろう。

 

 ぼくは、ペットを蹴飛ばして、ストレス発散の道具としてしまったのだ。

 マルオはれっきとした生き物で、マルオにも気持ちが有るはずなのに。


 ぼくはやり場の無い悲しさに耐え切れなくなった。

 つう、と頬を涙が伝って、マルオの身体に落ちた。

 慌てて目元をぬぐおうとしたが、次から次へと溢れてくる。


 ぼろぼろと、ぼくの目から流れた涙が、マルオの巨大な身体に受け止められた。


「ムー、ムー」

「…………マルオ?」


 マルオが鳴いているのに気が付いて、ぼくは顔を上げた。

 すると、マルオの姿に変化が起きていた。

 ぼくの目の前で、マルオの身体が、少しずつ小さくなっているのだ。


「ムー……」


 風船がしぼむように音を立てて、でもゆっくりと縮むマルオの姿は、どこか寂しそうだった。


 やがてマルオは、元々のソフトボールくらいの大きさに戻った。


「ごめんね、マルオ……」


 ぼくは繰り返し呟き、今度こそマルオを抱きかかえようとした。

 だけど、


「ムーッ」


 マルオはひょい、とぼくの腕からすり抜けると、

 開きっぱなしだった部屋の扉から飛び出してしまった。


「待って、マルオ!」


 ぼくは慌ててマルオを追いかけた。部屋を出て、廊下を見渡す。見当たらない。

 それから家中を捜し回ったが、マルオは見つからなかった。

 マルオは昨日のトイレの時のように、消えてしまっていた。

 お父さんやお母さんに聞いても「見ていない」の一点張りだった。

 暴力を振るってしまったから、家出したのだろうか。


 「マルオ……」



 それから一週間くらい、ぼくはずっとマルオを捜していたが、結局見つけることはできなかった。

 マルオを買ったペットショップにも尋ねに行ったけれど、

 お店のシャッターは閉められていて、潰れてしまったようだった。


 お父さんとお母さんに何があったのかを聞かれて、

 ぼくはマルオが巨大化したり小さくなったりしたことを説明したけれど、

 全然信じてくれなかった。


 捜すときの参考になると思って、マルオがなんていう種類の生き物なのかも調べようとしたけれど、

 どの図鑑にも乗っていなかった。


 マルオはどういう生き物だったのだろう。

 どうしていなくなってしまったのだろう。

 どこへ行ったのだろう。


 やがてぼくの中にそんな疑問が浮かんだ。

 そしてその疑問は、いつまでもぼくの頭の中をぐるぐると回っている。


 だから、ぼくは今でもマルオを捜し続けているのだった。

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