運命的なバッドエンド
【注意】紘汰くんマジ胸糞…
真っ白なドレスに身を包まれ、隣の彼に腕を絡ませられる
目の前の重厚な扉はその両端に控える式場スタッフの手によって今まさに開かれようとしている。
これはバッドエンドの扉だ…
「夏美、緊張しているのはわかるけど花嫁さんなんだから笑顔笑顔!」
彼がおどけて言う。周りのスタッフもそれに同調するように声をかけてくれる。きっと気遣い上手な夫を得た幸せな妻だと思っているのだろう。
夏美は必死に笑顔を作るが、内心 どうしてこうなったのか思い返していた
―――6年前 夏美が高校2年生だった夏のこと
完璧と呼ぶにふさわしい男子がいる
そんな噂が夏美の通う高校を駆け巡った。
元より女子高でイケメンの話題が尽きないようなところではあったが、たった1人の男子の話題でもちきりになるのは初めてだった。
噂曰く
この春12年ぶりにアメリカから日本に帰国した彼、 一ノ瀬紘汰は、当然のように英語はペラペラ、本場のストリートで鍛えたバスケの腕を存分に発揮し高校バスケ界のスターに躍り出た。学校での成績も優秀、しかも父親は誰もが知ってる飲料水メーカーの社長。そんなハイスペックであるにもかかわらず、鼻につくとこもなく明るく社交的。バスケチームでももちろんムードメーカー 試合中に嫌な空気が流れることはなくなり、最後まで「よし!やるぞ!」と気合に満ちるようになったという。もちろん、爽やかスポーツ系イケメンであることも忘れない。
聞く度にハイスペックになっていく噂に、夏美は「いやいや…話盛りすぎでしょう…」ともはや半分ネタとして受け取って、もう半分は噂でハードルを上げられ過ぎている彼に同情していた。噂を信じきって彼に会ったら、むしろがっかりしてしまう女子が続出するのではないか?と。
彼に興味がなかったわけではないが、噂ほどではなくともきっとハイスペックな彼がごく平凡な自分に興味をもつわけがない。所謂不釣り合いだ。
「夏美~今週の土曜日、一ノ瀬様の試合あるみたいだよ?見に行かない??」
夏美は友人の提案に「用事があるから」と首を横に振る。試合を見に行く時間を工面できなくはないが、その後バイトがあるのもまた事実だ。
アイドルを追うような恋も悪くは無い、けれど夏美はどちらかと言えば昔から自分1人を見つけ出してくれるような、運命的な恋のほうに憧れていたから 恋愛に発展する可能性の低い彼は対象外だと思っていた。
次の日曜日は思わぬ団体客のお陰もあっていつもよりだいぶバイトをあがるのが遅くなってしまった。
既に日もとっぷり落ち、自宅の最寄り駅の改札を出ると人気もなく静かだ。なんとなく怖くなって、家路を急ごうと歩み出すと夏美の目の前に1台の車が止まった。
「こんな時間に女の子1人じゃ危ないよ?送ってあげるからさぁ乗って?」
そう言いながら軽薄そうな若い男が2人、車から降りてきた。
「いいえ…結構です」
否定の言葉を口にすれど、2人は「送ってあげるから」と私の手を掴んだ。
連れ込まれる! ナンパなんてやさしい表現ではすまない、本物の犯罪の気配に自然と体が強ばる。
大きな声を出すべきだろう、けれど混乱しているのか声が声にならない まるで金縛りだ。
「ぁ…の…「遅くなってゴメンな!!!」
突如聞こえてきたよく通る 明るい大きな声。
第三者の登場に夏美の金縛りは溶け、男たちも声の方向に目を向ける。
背の高い、ジャージ姿の若い男は3人の視線にたじろぐことなく堂々と言葉を紡ぎながらこちらに寄ってくる
「迎えが少し遅くなった俺も悪かったけど、ちゃんと改札の中で待ってろって連絡したろ?そちらのお2人も、彼女を『心配』して声をかけてくれたのかもしれませんが手を掴むのはやりすぎじゃないですか?」
当然そんな連絡夏美は受けていない。知り合いを装って助れようとしているのだろう。夏美を掴む腕をさらに上から掴み「俺、嫉妬深い方なんで」と言いながら軽く引き剥がした。
それまで強気だった2人の男がたった1人若い男が現れただけで「ぉ…おう…」とかたじろいでいるのもわけはない
とうに成人しているのだろう2人組の男より、ジャージの彼は頭1つ大きく、スポーツ選手のように引き締まった体は服の上からでもわかるほど逞しい。おまけに彼の左手のスマートフォンには110と入力された電話の画面が2人組の見えるように表示されている。あと通話ボタンを1度押せば不審者の通報完了 といったところか。
結果しどろもどろになりながら2人組の男は車に乗り込み去って行き、お礼を言わなければと彼の顔を初めてはっきり見ると、先程とは別の緊張が夏美を襲う。
うゎっ…なんてかっこいい…!!
テレビの中でしか見れないようなイケメンが、それこそドラマでヒロインのピンチに駆けつけるように助けてくれた。ときめくな という方が無理だ。
秒ごと煩さを増す心臓の音を感じながらなんとかお礼の言葉を述べると
「こんな時間に女の子1人じゃ危ないよ。送るよ」とさっきの2人組のほとんど同じ台詞。しかし先程と違い嫌悪感どころか嬉しさが湧いてくるのは彼の今までの態度への信頼なのか、それともイケメンパワーなのか。しかし緊張のせいか言葉を発せずにいる夏美に
「あぁ、素性もわからない男に送るって言われても困るよね。俺は一ノ瀬紘汰。黒葛高校の2年生で自主トレ中でここをたまたま通ってただけで怪しい者じゃないからな?」
少し茶目っ気をこめて自己紹介をした。
夏美は驚いた。噂だけでハードルが上がりすぎて、本物に会ったらがっかりしそうだと思っていた一ノ瀬紘汰が、そのハードルのはるか上を跳んで一瞬で夏美の心を掴んだのだから。
駅から家までの所要時間はわずか10分ほどであったが、怖い思いをした自分を気遣いつつ 無言にならないよう色々話をしてくれた。バスケ部の部長のうっかりであわや試合中止になりかかった話や、アメリカの話。渡米前日本に住んでいた時の記憶は幼くてあまりないのだが、初恋の女の子のことだけはまだ覚えているとか、話し方が上手いこともあって気がつけば自然と笑顔で相槌を打っていた。
「送ってくれてありがとう。一ノ瀬君の話、とても面白かった」
できることならもっと話したかった。けれど、たまたま持った接点。元より自分は物語のヒロインの格ではない、次の機会などないだろう。
そう思っていると紘汰は少し考えたような素振りを見せた後
「よかったら遅くなる日は迎えに行こうか?」
思わぬ提案をしたのだった。
紘汰の話すところによれば、どうせ自主トレのため毎日あのあたりを走っているし 時間を夏美に合わせるだけで自分には何も不便なことはないと。袖触合うも他生の縁 ある種の『運命的』出会いを無碍にしたくない と。
夏美が幼い頃から憧れている『運命的』という言葉を紘汰から使われて、すっかり運命に酔ってしまったというか 紘汰ともっと一緒にいたい欲も相成って提案をありがたく受け入れた。
バッドエンドの分かれ道だったなんて知るよしもなく。
こうして、バイトの帰り道は夏美の楽しみな時間となり短い時間の逢瀬は紘汰への理解を深めた。
結果、彼は信じられないことに噂と寸分違わぬハイスペック男子だった。
そして不思議なことにバイトのない日にも偶然紘汰と会うことが多くなった。友人とお茶を飲んでいた喫茶店に紘汰も部活仲間と一緒に現れ結局同じテーブルについたり、母親と買出しの帰りに会ったときは重い荷物を持ってくれたため、母親からの好印象 、「紘汰君か義理の息子になってくれたらなぁ…」なんて言っている。
どうしてこうも高頻度に会うのだろうと思ったこともあったが、これまで紘汰という人間を知らなかっただけで、2人の生活圏はずっと重なっていて もしかしたら何度もすれ違ったりはしていたのかもしれない と冷静に考えたり、あるいはもしかしてやはり運命なのでは?などとのぼせ上がったりもした。
そんな夏美の思い上がりを肯定するように紘汰も「あ、夏美ちゃん!こんなところで偶然だね。こんなによく会うなんて運命かな?」なんておどけて言うものだから、当初念頭にあった『不釣り合い』という思いはなくなっていった。
だからその年のクリスマスに紘汰から付き合って欲しいと告白されたときもすんなりと受け入れた。半年も前の夏美なら「不釣り合いだから」と断っていただろうが「運命だから」と受け入れたのだ。
ドラマや漫画では、こういったモテる男に平凡な彼女ができると嫌がらせが始まるのが定石だが、そういったことは全くなく 杞憂だった。「釣り合ってないよねー」などという陰口こそ付き合い始めは2.3回聞いたが、すぐに誰も言わなくなった。世の中は案外、優しい世界なのかもしれない。
思い返せばこの頃が、夏美にとって一番幸せな頃だった。王子様に愛されるシンデレラのように紘汰に大切にされる。誰もが羨むお姫様、そんな魔法がかかっていた。
そんな魔法が解けたのは、夏美が19歳の冬ことだった。
紘汰のレベルが高すぎて、同じ大学は受験すらできなかった。でも同じ地区の大学に進学した夏美は、頻繁に紘汰の一人暮らしの部屋に遊びに来ていた。付き合い始めて2年近く経っていたがキスより先のことはまだしていない。1度、夏美が怖がってしまったためで つくづく紘汰に大切にされているな と感じていた。
紘汰の部屋で定期テストの勉強をしていた2人だったが、夏美があくびをした
「眠そうだね、コーヒーを淹れてくるよ」
紘汰が台所へ向かい、扉を閉めた時 コトっと本棚から何かが落ちた。
「スケジュール帳?」
落ちた拍子で開かれたそれは所謂3年日記とかそういう類のものか、数年分のカレンダーと メモを書き込めるようになっていた。
遠目に見てもずいぶんとギッシリ書き込まれている。開かれたページは夏美たちが出会う直前の6月…ずいぶんとマメに予定を管理していたんだなぁ この頃の紘汰は何をしていたんだろう?と単純な好奇心で目を落とし、夏美は固まった。
6/2 (土)10:20友人 佐藤優菜と映画 「冬のカナタ」
12:40同上の友人とファミレス「カスカース」でランチ えびのグラタンとサラダ
16:30「アルデンテのピザ釜」にてアルバイト開始
20:00 退社
6/3 (日)8:30最寄り駅より東方面電車に乗車
………
紘汰の予定や行動ではない、紛れもない夏美の行動がギッシリと記録されていた。買ったものや食べたメニューの名前も。
その前の月も、その前の前の月も、紘汰がまだ帰国していないはずの時期も…!
「夏美?」
紘汰は夏美がスケジュール帳を手に取っているのを確認すると一瞬残念そうな顔をした。
「紘汰…これ…」
「見てしまったんだね…」
何かの間違いだと思いたかった。紘汰がこんな…ストーカーじみた真似をするわけがない そんなことをする理由だって
紘汰は素早くスマートフォンで何かを打ち込んだあと夏美に向き直る
「夏美のこと ずっと調べていたよ。この記録はもう5年になるかな?海の向こうからずっと想っていた。あぁ、昔の夏美も可愛かったよね」
悪びれる様子なんてない。
というかこんな紘汰 知らない。夏美は得体の知れない気持ちの悪さを感じる。
「な…なんで?なんのために?」
「他でもない、夏美が望んだからじゃないか。『私は運命の人と結婚する』って」
解答は要領を得ない。
「わけわからないよ!」
確かに運命の恋に憧れはあった
ずっと 幼い頃から…
「夏美、俺の―『ピンポーン』
紘汰の声を遮る呼び鈴の音
紘汰は来訪者に思い当たる節があるのか「種明かしの時間か…」
と呟きながら玄関に向かった
夏美は混乱した頭を整理しようと精一杯だったが
戻った紘汰の連れてきた2人の人物により混乱せざるをえなかった
「なんで…」
「夏美はさっきからそればっかりだね…」
呆れ顔の紘汰と
「あれー、紘汰さんバレちゃったんですかぃ…」
忘れもしない
紘汰と出会ったときに腕を掴んできた軽薄そうな男達だ
「どういうこと…?」
紘汰と2人は知り合いだったというのか?
男の1人がおちゃらけながら言う
「夏美さん、所謂あれですよ『安心して下さい、全て仕込みですから』」
ヘェイ!と言いながらポーズをとり笑う1人に向かって、もう1人が「古いんだよお前!」とツッコミを入れる
しかし夏美は全然笑えない
「夏美、もう分かった?」
「紘汰とこの2人がグルだったことは…。あの怖い思いも紘汰のせいだったの…?」
紘汰に守って貰えたとはいえ、知らない男に腕を捕まれ怖い思いをしたのは事実だった。それが全て紘汰によるものだったなんて…
「俺の初恋の女の子の話 覚えてる?」
出会った日に聞いた話。日本に住んでいた幼い頃の思い出で、『将来結婚して欲しい』という紘汰少年に対し『私が結婚するのは運命の人よ』と言って振ってのけたというかわいい子供同士の話だと思っていたが…
「その子ね くどうなつみ って名前だったんだ。俺さ、アメリカに渡ってもずっと初恋の女の子が忘れられなくて 、ずっと。親父のあとを継ぐって約束して夏美との運命を作るのに協力してもらったんだけど、偶然に装って運命を作り上げるのは大変だったよ。」
夏美にはそんな記憶はない。きっと何気なく言った言葉だったのだろう…
しかし偶然なのに何度も会うと思ったことはあった。
偶然でも 運命でもなかった。
―――っ この人…怖いっ!
「そんな理由でこんなストーカーみたいなこと…そんなの付き合いきれなっ」
夏美の前にスッと紘汰のスマートフォンが差し出された。
表示された画面に、またも夏美は固まる
「別れるなんていわないよね?別れるって言ったらコレをばらまいても…」
身に覚えのない 夏美のあられのない姿。下着姿のもの、胸を露出したもの、下半身に何も身につけていないもの…顔もしっかり写っている。間違いなく 夏美だ
「いつこんなもの……」
「夏美さ…男の部屋で眠っちゃうのはよくないと思うよ?味見されてるのも気づかなかったんでしょ?もっと言うと、全体的に警戒心が足りないよ。飲食物とか…ね」
紘汰の部屋で異様な眠気に襲われたことは何度もあった。それも飲み物を飲んだ後だった気がする…けれどそれは犯罪じゃないか!紘汰がさっき言ったこともリベンジポルノそのものだ。
「紘汰がしてることは犯罪でしょ!」
「証拠としてさっきの画像を警察に見てほしいの?記憶もないのに?そんなことをするなら…そうだね『大手企業の御曹司を嵌めようとする淫乱な悪女』の特集を大々的にマスコミに流してもらうのも悪くないね。メディアはこういう話が好きだからね。未成年でもきっとすぐに夏美って特定されるよ。」
紘汰に従わなければ、夏美を加害者にしたてあげるという。
こうして脅してくる紘汰に屈する以外に、夏美が出来ることはあったのだろうか…
大企業の御曹司と庶民の娘。法的知識に各所への信頼、使える資産 持っているものが始めから違いすぎた。
「夏美 運命なんてものはないんだよ?」
『外堀から埋める』まさに言葉の通りにジワジワと攻められ、親や友人も絆された。
大学を卒業してすぐに婚約そして―――
パイプオルガンの音と共にバッドエンドの扉が開く
「夏美 幸せになろうね」
運命なんて ないのだ。
思わぬ団体客も紘汰君の仕込みだったんだと思います。
ヒロインとヒーローの名前はそれぞれ某特撮から。
特撮の方の紘汰君は本当にいい子なんです。