第五階梯
「来て!」
それだけ言うと、フェリシアは躊躇うことなく櫓から飛び降りて走り出した。
「フェリシア!?」
ミナセとヒューリが驚くが、フェリシアは振り向かない。
「何なんだ!」
文句を言いながらも、二人は即座にフェリシアを追った。
走りながら、フェリシアが説明する。
「あれはヒュドラ、強敵よ。ここにいる兵では倒せない。だから、私たちで倒す」
「今、私たちって言った?」
「そうよ。二人とも、私と手をつないで!」
またもや突然の言葉に、とにかく二人は、後ろ手に差し出されたフェリシアの左手を握った。
「跳んで!」
言われるがままに、地面を蹴って跳ぶ。
すると。
「なにーーーっ!」
三人は、柵の手前の歩兵も、柵も軽々と飛び越えるほどの高さにまで、跳んだ。
風の魔法の第二階梯、ジャンプ。
だが、ジャンプは本人にしか作用しないはず。
そんなヒューリの疑問を、フェリシアの声が掻き消していく。
「着地したら、さっきの魔物を目がけて走るわ。二人は私を守って。そして私が止まったら、すぐ私のそばまで来て!」
それだけ言うと、空いている右手から、直径三十センチの”小さな”ファイヤーボールを魔物の群に撃ち込む。
爆発で何もいなくなった場所に、三人はきれいに着地した。
「走るわよ!」
フェリシアの声で、ミナセとヒューリが前に出た。
二人は、フェリシアの前方三メートルの位置に、左右に分かれて走った。
ミナセが愛刀を抜く。
ヒューリも家宝の双剣を抜いた。
そこに、大量のゴブリンたちが襲い掛かる。
「あんなの無理だ!」
誰かが叫んだ。
たしかに無理だ。
あれだけの数の魔物に囲まれたら、どんなに凄腕の剣士でもいずれ身動きが取れなくなる。ましてや、前に進むことなど絶対に不可能だ。
誰もがそう思いながら、三人の女を見ていた。
だが。
三人は、止まらなかった。
前を行く二人が、驚異的な剣技で道を作っている。
ミナセが剣を振る。その一振りで、三体のゴブリンの首が飛んだ。
首の落ちた胴体がまだ立っている状態の、その横をすり抜けて後続の群に飛び込んでいく。そして一閃。
五体のゴブリンが真っ二つになった。
ヒューリが剣を振る。二刀が一体ずつゴブリンの首を刎ねた。
そのまま後続の群に突っ込んで、ヒューリが体を沈める。刹那、ヒューリを囲むすべてのゴブリンがバタバタと崩れ落ちていった。
フェリシアは、魔石に変わる間もなく目の前に倒れ込んでくるゴブリンの死体を、踏み越え飛び越え走る。
「あり得ない、あり得ない……」
今度はカイルがつぶやいている。
漆黒の獣の兵士たちは、それほどあり得ない光景を目の当たりにしていた。
ミナセの動きは止まらない。ヒューリの足も止まらない。
魔物の群を切り裂きながら、ヒュドラに向かって一直線に進んでいく。
そんな二人は、後ろのフェリシアが、走りながら呪文を唱えていることに気付いていた。
あのフェリシアが詠唱?
その動きに集中できるほど、さすがの二人にも余裕はない。だが、確実にフェリシアの魔力が高まっていることだけは感じる。
背後の魔力を感じながら二人は走る。
ヒュドラの大きな体がはっきり見えてきた。その距離、およそ百メートル。
その時、フェリシアが止まった。
そして、はっきりと聞き取れる声で呪文の最後の言葉を唱えた。
「燃えさかる流星よ、大地に立つものすべてを焼き尽くせ!」
フェリシアが、両手を空にかざして叫ぶ。
「メテオバースト!」
フェリシアの頭上に、燃えさかる無数の岩が出現した。
それらが妖しく輝いたと思った、次の瞬間。
大地に向けて、すべての岩が落下してきた。
止まったら、すぐ私のそばに来て!
指示を思い出したミナセとヒューリが、全力でフェリシアの元に駆け寄る。
それを待っていたかのように、フェリシアが別の魔法を発動した。
「マジックシールド!」
三人を守るように、魔力の壁が包み込む。
その三人の周りに、流星のごとく岩が次々とが降り注いできた。
ドゴゴゴゴゴゴーーーーンッ!
とてつもない爆発が、半径百メートルの範囲で起こった。
高熱を帯びた爆風が吹き荒れる。
爆心に近い魔物はあっという間に燃え尽き、その近くにいた魔物は、体から炎を発しながら吹き飛ばされていった。
火の魔法の最高位、第五階梯の範囲攻撃魔法、メテオバースト。
修得が非常に困難な上に、使えたとしても、岩の数は二十がせいぜい。
フェリシアは、それを数え切れないほど大量に出現させていた。
凄まじい爆発と、とてつもない高熱。
それらさえも遮る強力なシールドの中で、ミナセとヒューリは呆然とその光景を見つめていた。
やがて、爆風が収まる。
そこでミナセとヒューリが見たものは、焼けただれた大地と、あちこちに転がる大量の魔石。
立っている魔物は、もはや数える程度。
魔物たちのほぼ中心で炸裂した大魔法は、そこにいたほとんどの魔物を消し去っていた。
ミナセもヒューリも兵士たちも、言葉がない。
圧倒的な魔法。絶対的な力。
それを前にして、全員が呆けた表情でフェリシアを見ていた。
そのフェリシアが、鋭く叫ぶ。
「まだよ!」
我に返ったミナセとヒューリが、慌てて周囲を確認する。
すると、百メートル先にいたヒュドラがまさに立ち上がるところだった。
その体は焼けただれ、煙が立ち上っている。しかしヒュドラは、そんなことを気にする素振りもなく、三人に向かって突進してきた。
「あれで死なないのか!?」
ミナセが目を剥く。
フェリシアが、早口で言った。
「あいつの再生能力は驚異的よ。首を落としても、すぐまた生えてくるくらいに」
「馬鹿な! そんな奴にどうやって」
動揺するヒューリにフェリシアが答える。
「二人には、あいつの首を落としてもらうわ。その切り口に、私が魔法を撃ち込む。それで倒せるはずよ」
「本当にそれでいけるのか?」
確認するヒューリに、フェリシアが短く答える。
「今は信じてもらうしかないわね」
そう言って、にっこりと笑った。
この状況でその笑顔か
ヒューリは心底感心した。
「来るぞ!」
ミナセの声に、二人が前を向く。
「できるだけ根本で切って。そうしないと、魔法が当てづらいわ」
フェリシアの指示に、ミナセとヒューリは頷いた。
「了解だ」
「任せろ!」
言葉と同時に、ヒュドラに向かって走り出す。
ヒュドラの体は大きい。全長は、尻尾を含めて十メートル近くある。首の長さは二メートル弱といったところか。
うねうねとしたその動きは、凶悪な顔と相まって何ともおぞましい。
双方の距離が、あっという間に縮まる。
「ヒューリ、左右に分かれるぞ!」
ミナセが言った、直後。
一つの口がカパッと開いたかと思うと、そこから炎が噴き出してきた。
「ブレス!?」
二人は慌ててそれを避ける。
「フェリシア! こいつ、火を噴くぞ!」
叫ぶヒューリに、フェリシアがあっさり言った。
「ごめんね。言うの忘れてた」
「こらっ!」
振り返ると、フェリシアが舌を出している。
「まったく!」
文句を言いながらも、再びヒューリは、ミナセと共にヒュドラに向かっていった。
二人の接近を拒むように、三つの首が炎を吐き続ける。二人がそれをかわし続ける。
絶え間なく噴き出すブレス。それが一瞬、止んだ。
「今だ!」
ミナセの声で、二人が跳んだ。
左にいたミナセが右へ、右のヒューリが左へと、交差するように二人が跳ぶ。その動きに、ヒュドラはついていけない。三つの首が互いにぶつかり合い、互いが邪魔になって、ブレスの狙いが定まらない。
「こういう時は、迷っちゃだめなんだよ!」
隙を見せたヒュドラの懐に、ヒューリが飛び込んだ。
反対側から、ミナセもヒュドラに急接近する。
「おりゃあ!」
ヒューリの剣が、左の首を斬り落とした。
同時にミナセが、右の首を斬り落とす。
「ギャアァ!」
残った首の悲鳴を聞きながら、二人はすかさずその場を離れ、フェリシアの魔法を待った。
だが、放たれたのは魔法ではなく、フェリシアの叫びだった。
「ちょっと! いっぺんに二本なんて反則よ! どっちに撃つか迷っちゃうじゃない!」
「お前が迷ってどうする!」
今度はミナセが叫んだ。
「一本ずつよ!」
フェリシアのリクエストに、ヒューリも叫ぶ。
「分かったよ! まったく!」
改めて二人はヒュドラに迫る。
斬り落とした二本の首の根本からは、すでに新しい首が生え始めていた。本当に信じられない再生能力だ。
しかし。
「今がチャンス!」
ミナセが、残っている中央の首に向かって走る。
その口が、カパッと開いた。
来る!
ブレス回避のために、ミナセが足を踏ん張った瞬間。
ザシュッ!
ヒュドラの首が、根元から地面に落ちていった。
「いいタイミングだ!」
ミナセの声に、ヒューリがニヤリと笑う。
同時に。
ヒュン!
軽い音を立てて、魔力の塊が放たれた。
それが切り口に当たると、そこからヒュドラの体が凍っていく。
水の魔法の第三階梯。氷結魔法、フリーズ。
「あと二本!」
フェリシアの声に、二人は反応した。
ミナセが素早くヒュドラに迫り、左の首を斬り落とす。
そこに魔法が放たれて、氷結が始まる。
ヒューリが右の首を斬り落とす。
そこに魔法が直撃し、氷結が広がっていく。
長い尻尾を振り回し、のたうち回っていたヒュドラは、やがて全身を氷に覆われて動かなくなった。
「やったのか?」
ヒューリが、恐る恐る近付いてヒュドラの体を軽く蹴る。
すると、その体はあっという間に消え失せて、あとには大きな魔石だけが残っていた。
強敵だった。普通の兵士では、絶対に倒すことなどできなかっただろう。
「お疲れ様」
ゆっくりと歩いてくるフェリシアに、二人が歩み寄る。
「なかなかいい仕事だったわ」
フェリシアが笑った。
「お前のおかげだよ」
ミナセも笑った。
「なかなかいい連携だったな」
ヒューリも笑った。
見れば、残りの魔物はほかの兵士がほとんど片付けつつある。
「終わったかな」
ミナセがつぶやいた、その時。
突然、フェリシアの体が崩れ落ちた。
「フェリシア!」
ミナセがその体を支える。ヒューリが慌てて駆け寄る。
ミナセの腕の中で、フェリシアは、微笑みを浮かべたまま気を失っていた。




