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旅立ち

「社長。ちょっとだけ、シンシアを手伝わせてもらいます」


 マークを見ることなくそう言って、ヒューリはシンシアの前に立った。

 マークは、いいとも悪いとも言わない。

 ヒューリも、マークの返事など聞く気はないようだ。完全にマークに背を向けている。

 突然のヒューリの行動に注目が集まる中で、マークが、小さく笑ったような気がした。


 ヒューリがシンシアを見る。

 シンシアも、何事かという目でヒューリを見る。


 やがてヒューリが、シンシアに言った。


「目を閉じろ」

「?」


 シンシアは、急に言われたその言葉に反応できない。


「面接に合格したいんだろう? だったら目を閉じろ」


 ヒューリがもう一度言った。

 混乱していたシンシアだったが、ヒューリの真剣なまなざしに逆らうことができない。

 シンシアが、静かに目を閉じた。


 誰も、何も言わない。

 大勢の人がそこにいるはずなのに、物音一つしなかった。


「そのまま目を閉じてろよ」


 ヒューリの声が聞こえる。

 シンシアが、コクリと頷いた。


 目を閉じたことで、シンシアは少しだけ落ち着きを取り戻した。


 ヒューリは何をする気?


 シンシアが考える。

 そのシンシアが、突然ふわっと抱き締められた。


 柔らかな胸が、シンシアの顔を包み込む。

 力強い腕がシンシアの背中を支える。

 暖かい手が、シンシアの髪を優しく撫でた。


 一瞬シンシアは驚いた。

 でも、それは一瞬だった。


 何だかとってもいい匂いがする。

 目を閉じたまま、シンシアはその心地良さに身を委ねた。


 気持ちが鎮まっていく。

 心が穏やかになっていく。


 そこに、とてもよく通るきれいな声が響いた。


「シンシア。この間のパーティーは楽しかったよな」


 この間のパーティー。

 あのパーティーは、楽しかった。

 みんなで食べて、話して笑って。


「社長に無理矢理連れて来られたみたいだけど、来てよかっただろ?」


 ほんと、無理矢理だった。手を引かれて、抱き上げられて。

 だけど、ちょっと安心している自分がいた。


 黒曜石のように深くて神秘的な瞳。吸い込まれるような黒い瞳。

 力強くて、心地よい腕の中。

 恥ずかしかったけど、ちょっと、嬉しかった。


「ミナセの料理も、意外とうまかったろ?」


 ミナセさん。とってもきれいな人。

 もの凄く強い剣士だって、リリアが言ってた。それなのに、料理も上手。

 みんなのことを優しく見守って、気遣って。

 憧れのお姉さん。


「私の無茶振りも、なかなか盛り上がったしな」


 まったくもう!

 ヒューリさんにジャグリングをしろって言われた時は、どうしようかと思った!

 いきなり紙とペンを持ってきて、これに答えを書けなんて言い出すし。

 ほんとにヒューリさんって、強引で、自分勝手で……。

 だけど、すごく優しい。


「シンシア。これからも、リリアと一緒にいたいか?」


 リリア。

 私に元気をくれた人。私に笑顔をくれた人。

 リリアと一緒にいると楽しかった。リリアと一緒にいると、安心できた。

 リリアは私の友達。大切な、大切な人。


 シンシアは頷いた。

 はっきりとシンシアは頷いた。


「シンシア。お前は一人で頑張り過ぎなんだよ。お前みたいな世間知らずが、自分一人で悩んだって、大した答えなんて出てきやしないんだ」


 ちょっと耳が痛い。

 私は世間知らず。

 それなのに、自分だけで答えを出そうとしていた。


「お前の周りには、お前を見守ってくれるたくさんの人たちがいたはずだ。その人たちに気付くべきだったんだ」


 私の周りの人。

 シャール、団長、団員のみんな。

 そして、お父さん、お母さん。

 そうだ。私の周りには、たくさんの人がいた。みんなみんな、優しい人ばかりだった。


「お前がこの町に残れば、その人たちとは別れることになる。だけど、よく覚えておけ」


 シンシアを包み込んでいた温もりが、体を離れた。


「これからは、私やミナセ、社長、そしてリリアがお前と一緒にいる」


 その温もりが、シンシアの背中に回った。

 背中と、そして両肩が暖かい。


「お前は一人じゃない。これからも、お前は一人なんかじゃないんだ」


 ふと、シンシアの右手が別の温もりに包まれた。

 この温もりは、私の大切な……。


 ふと、シンシアの左手が大きな温もりに包まれた。

 この温もりは、憧れの……。


「シンシア。お前には私たちがついてる。だから、安心しろ」


 シンシアは頷いた。

 私にはみんながいる。

 私は、一人なんかじゃない!


 シンシアが、ゆっくりと目を開く。

 シンシアを包み込むように、三人の仲間がそこにいた。


 ヒューリ、ミナセ、そしてリリア。


 三人が笑っている。

 ここにいるよって笑っている。


 シンシアは嬉しかった。

 心の底から嬉しかった。


 嬉しい!

 嬉しい嬉しい嬉しい!


「さあ、言うんだ」


 ヒューリの声がする。


「今なら大丈夫だろ?」


 ミナセの声もする。


「私、シンシアのこと、大好き!」


 リリアが笑っている。


 私も、リリアのことが大好き!


 シンシアがリリアを見た。ヒューリとミナセを見上げた。三人を見て嬉しそうに笑った。

 そしてシンシアは前を向く。目の前に立ちはだかるマークを見る。

 シンシアの唇が、動いた。


「シ……」


 シンシアの口から声が出る。


「シ……ン……シ……」


 ずっと出すことができなかった声が紡ぎ出される。


「シ……ン……シ……ア……」


 シンシアの心が解放された。


「私の……名前は……シンシア」


 シンシアの喜びが解き放たれた。


「私の名前は、シンシア!」


 言えた!

 私、自分の名前が言えた!


 マークが笑った。

 その笑顔は、ドキッとするほど優しくて、暖かかった。


「よし、合格だ!」


「やったぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 リリアが抱き付く。

 ミナセが肩を叩く。

 ヒューリが頭を抱き締める。


 そこに団員たちも集まってきた。


「やったなシンシア!」

「すごいぞシンシア!」


 あちこちを叩かれ、もみくちゃにされながら、シンシアは笑った。

 みんなも笑った。涙を流しながら笑っていた。



「これで、よかったんですよね」


 シャールが寂しそうに言う。


「そうだ。これでいい」


 団長がきっぱりと言った。


 シャールの肩が震える。

 その肩を、団長がそっと抱いた。


「お前も馬鹿だな。こんな時くらい、思いっきり泣いちまえ」


 団長が笑った。

 その笑顔に、シャールの感情が溢れ出した。


 シャールは泣く。

 肩を抱かれながら、大粒の涙を流してシャールはむせび泣いていた。


 早朝の空は、澄み渡るような青。

 旅立ちには最高の空だった。



 エム商会四人目の社員、空色の髪のシンシア。

 出会いと別れを抱き締めて、入社。


 第四章、完結です。

 お読みいただいた皆様、ありがとうございました。

 この章のメインキャラクターであるシンシアは、”喋れない”という設定です。セリフなしでキャラクターの性格を表現するのに、だいぶ苦労をしました。でも、どうしても書きたいシーンがあって、チャレンジしました。

 次のメインキャラクターは、いかにもファンタジーに出てきそうな設定です。でも、ストーリーはありきたりではないはず……。

 次章もよろしくお願いいたします。

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