来訪
「さて、どうしたものか」
レンガ作りのアパートの前で、女は考え込む。
エム商会の事務所は、割と簡単に分かった。酒場で尋ねたら、店主も、客の傭兵らしき男たちも知っていたのだ。
「この辺りじゃあ有名だぜ!」
男たちがやたらと自慢げに話していたところをみると、大きな会社なのかもしれない。
そう思ってやってきたのだが。
「ボロいな」
あまりにもありふれた、それも、ちょっと古めのアパートだった。
この中の一室に事務所があるらしい。
大きな建物に開けた入り口。中に入れば受付嬢がいて、そこでさりげなくミナセを呼んでもらう。
そんなことを考えていた女の構想は、見事に崩れ落ちてしまった。
「これじゃあ、逆に入りにくいじゃないか」
アパートの前で、かれこれ三十分ほど女は立ち尽くしていた。
ここまで来たんだ、行くしかない!
そう決意をして入り口をくぐろうとするのだが、どうしても足が動いてくれない。
「あーもー。あんなところで会うなんてなあ。しかも私、逃げ出しちゃったし」
気まずい。
じつに気まずい。
「ちくしょう!」
何度目かの決意にも足は動かず、女の心は、ついに折れた。
「今日はやめよう」
ぼそっとつぶやき、肩を落として向きを変える。
その足を一歩踏み出した途端、目の前の、もの凄く近い位置に、ニコニコと笑っている少女がいた。
「あのー、覆面の山賊さんですよね?」
「!」
あまりに突然の出現、あまりに突然の問い掛けに、女は完全に思考停止に陥る。
「えっ? あっ、いや……」
なんだこいつは?
なぜ私のことを?
敵意も害意も感じないその笑顔に防衛本能は働かなかったが、動揺で行動不能になる。
すると、その少女がさらに理解不能なことを言った。
「私、リリアっていいます! 山賊さん、お待ちしてました!」
お待ちしていた?
誰を? 私を?
女が固まる。
その手を少女がしっかりと掴み、そして、ぐいぐいと引っ張り出した。
「どうぞ中に入ってください! 社長は今日いないんですけど、ミナセさんはもうすぐ帰ってきますから」
「ちょっ、ちょっと待って!」
少女の力はそれほどでもない。普通なら簡単に振り払えるはずなのだが、予想外の展開に、思考も体もうまく動いてくれなかった。
「ミナセさん、きっとびっくりしますよ!」
楽しそうな少女に手を引かれ、女は、ついにアパートの入り口をくぐることになったのだった。
「こちらにお掛けください。今お茶を淹れてきますね」
そう言われて、女はポツンとソファに腰掛けている。
部屋の中は、意外と明るい。
開け放たれた大きな窓から気持ちのいい風が入ってきて、花瓶の花をゆらゆらと揺らしている。
作りは古いが、掃除は行き届いていて、埃っぽさは感じない。
応接セットには可愛らしい色のカバーとクロスが掛けられていて、シンプルな風景の中のちょっとしたアクセントになっている。
だが。
少しインパクトに欠けるな
女がそう思った、その時。
ガチャ
入り口の扉が開いて、見知った人物が入ってきた。
「あっ!」
女が反射的に立ち上がる。
その女を、向こうも驚きの表情で見ていた。
「なんで!?」
二人の動きが止まる。
そこに、リリアがお茶を淹れて戻ってきた。
「お帰りなさい! どうです、びっくりしたでしょう?」
そう言って、リリアが楽しそうに笑った。
「じゃあ、自己紹介から始めましょう!」
ミナセの隣に腰掛けながら、向かい合ってぎこちなく座る二人にリリアが言った。
「私、ミナセさんと一緒にこの会社で働いている、リリアっていいます。よろしくお願いします!」
明るく元気いっぱいに自己紹介するリリアは、誰が見ても、間違いなく美少女だ。
だいぶ落ち着いてきた女は、今度は冷静にリリアを見ることができた。
「次、ミナセさん!」
リリアに促されて、ミナセが緊張した様子で自己紹介をする。
「まあ、前にも言ったが、ミナセだ」
それだけ言うと、ミナセは黙ってしまった。
もともとミナセは、社交的なタイプではない。初対面ではないにせよ、女に対して何を言ったらいいのか分からなかった。
リリアが仕切ってくれているのが非常にありがたい。
「はい、じゃあ最後、山賊さん!」
その場の緊張感をまったく意に介さず、リリアが明るい声で女に振る。”山賊さん”という言葉に複雑な表情を浮かべつつ、女が名乗った。
「えー、その、名前は、ヒューリだ」
「ヒューリさん! かっこいい名前ですね!」
リリアの元気な声が響いた。
ヒューリというのか
ミナセは、改めてヒューリを見た。
通りで見た時にも思ったが、たしかに”かっこいい”という表現がぴったりだ。女として見ても間違いなく美人と言えるが、女性にもモテそうな爽やかな顔立ちをしている。
躍動感溢れる体は、しなやかで美しい。よく通るその声は、雑踏の中でもはっきり聞き取ることができるだろう。
やはり、こいつに山賊は似合わない
ヒューリもまた、ミナセを見ていた。
年は自分よりも少し上か?
吸い込まれてしまいそうな黒い瞳と、後ろで束ねた艶やかな黒髪。整った顔立ちと、均整の取れたプロポーション。
戦いの場では見ていたものの、こうしてじっくり見てみると、かなりの美人だ。
これだけの美貌で、あの強さ。
こいつ、ずるい
「ところで」
沈黙を破り、リリアがヒューリに話し掛けた。
「どうして、ヒューリさんは山賊なんてやってたんですか?」
「えっ!」
なんてストレートな質問。
いきなり急所を突かれて、ヒューリが絶句する。さすがのミナセも目を丸くしていた。
まあ、でも……
「そうだよな。いろいろ、ちゃんと話さないとだよな」
一つ咳払いをしてから、ヒューリがゆっくりと話し始めた。




