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異世界の乙女たちは、社長と一緒に笑っていたい  作者: まあく
第二章 栗色の髪の少女
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交渉

 夫婦が、神妙な面もちで座っている。

 目の前には、一枚の金貨と、愛想のいい笑顔を浮かべる男がいた。


「私は、エム商会という会社をやっている、マークと申します」


 マークが丁寧に自己紹介をする。


「今日は、ある方からの依頼でお邪魔しました」

「依頼?」


 夫婦が揃って首を傾げた。


「はい。その方の素性は申し上げられないのですが、じつはその方が、こちらにいるリリアさんのことを大変気に入りまして」

「リリアを?」


 二人は顔を見合わせた。


「そうです。その方が、町でリリアさんを見掛けましてね。その可愛らしさに惹かれて声を掛けたところ、こちらで働いていることが分かりまして。それで、その方がお店にお忍びで来たようなんです」


 お忍びという言葉に高貴な響きを感じて、二人は緊張した。


「お店で働くリリアさんを見て、その方はますます気に入ったらしく、何とかリリアさんを迎え入れたいと思ったようなんですよ。それで、私に段取りをつけてほしいという依頼が来た訳です」


 迎え入れる?

 それは、養子という意味だろうか?


「迎え入れると言っても、正式にということではないと思います。まあ何というか、その辺りは察していただきたい。おそらくは、しばらくうちの会社でリリアさんをお預かりして、うちから仕事としてお屋敷に派遣する形になると思います」


 つまりはそういうことか。

 変わった性癖を持った金持ちの道楽。

 表沙汰にはできない、言わば、これは裏の取引。


「失礼ながら、私もこちらに何度か通わせていただいて、リリアさんとお話しするようになりましてね。さり気なく、この店を出る気はないかと聞いてみたんです」


 どこかで見たことがあると思った女将は、その話で納得した。

 やはり男は客として来ていたようだ。


「そうしたら、リリアさんがね、お二人に借金があるって言うんですよ。詳しくは教えてくれなかったのですが、何でもご両親の借金をかわりに返済しているのだとか。だから、簡単にはここを出られないんだって言っていました」

「!」


 マークの話に、二人の表情がこわばった。


「まさかそんな事情があるとは思っていなかったのですが、まあちょうどいいかな、とも思ったので、それをそのままその方に報告したんです」


 何が”ちょうどいい”のかよく分からなかったが、二人にとっては”ちょうどいい”とは言えない事態だ。


「私の報告を聞いて、その方が何ておっしゃったかお分かりになりますか?」


 固い表情のまま、二人が首を横に振る。


「借金を全額肩代わりするから、何としてもあの子を引き取れるよう手配しろっておっしゃったんです」


 二人の頬が、ピクピクと痙攣し始めた。


「ということで、今日私がお邪魔した次第なのですが」


 マークが、テーブルの金貨を弄びながら二人の表情を窺う。


「借金の返済に加えて、お二人には謝礼も出すとおっしゃっています。どうです?」


 言い終わると、マークはポケットからもう一枚金貨を取り出して、手の中の金貨と重ねて置いた。

 二枚の金貨を目の前にして、二人は動けずにいた。


 そんな二人を見て、マークがさらにポケットから金貨を取り出す。

 その数、三枚。


「その方はね、欲しいと思ったものは必ず手に入れるという主義でしてね。それなりの謝礼はお渡しできると思いますよ」


 合わせて五枚の金貨。それを目の前にして、尾長鶏亭の主人は必死に考えていた。

 金額も聞かずに借金を肩代わりすることといい、五枚の金貨をあっさり渡すことといい、相手はそれなりの地位か力を持った人物だろう。

 それはいい。

 問題は、リリアがマークに伝えた、いや、伝えてしまった借金のことだ。

 肩代わりすると言ったって、その借金は……。


 その主人の隣で、女将は考えていた。

 こんな風に金で引き取られていったリリアが、まともな扱いを受けるとは思えない。

 でも、そんなことはどうでもいい。

 これはチャンスなのでは?


 しばらくの沈黙の後、心の中でしたたかに笑って、女将が口を開いた。


「ほんとにありがたいお話ですよ。こんな店にいるより、その方のところに行った方が、きっとあの子も幸せになれることでしょう」


 何を言い出すんだとばかりに主人が女将を見る。


「ただねぇ。四年も一緒に暮らしていると、私らも情が湧いてきましてねぇ。じつの子供みたいに可愛いって思うんですよ」


 主人の口があんぐりと開く。


「だからねぇ、急にあの子を引き取りたいって言われてもねぇ」


 女将は、金貨をちらっと見ながら、腕を組んで考え込んだ。

 その様子を見たマークが、大きく頷いた。


「そうですよね。身寄りのないリリアさんを親切に引き取って、大切に育ててきたお二人にとってみれば、簡単に承知できる話ではないでしょう」


 そしてマークは、ポケットに手を入れる。


「その方も、そこは分かっています。でも、何とかお考えいただけないでしょうか」


 テーブルには、八枚の金貨が積み上がった。


 女将の目が爛々と輝く。

 主人の目も金貨に釘付けだ。

 だが女将は、上気した顔で続けた。


「ま、まあ、そこまで言われると考えなくもないですけどねぇ。何ていうか、もうちょっと、ねぇ」


 欲望剥き出しである。主人は、もはや呆れるしかなかった。

 するとマークは、またもやポケットに手を入れながら、相変わらずの笑顔で言った。


「その方はね、本当にリリアさんが気に入ってるんですよ。これは破格の扱いなんです」


 マークが取り出したものが、さらにテーブルに積み上がる。


 十枚。

 長い人生の中でも、滅多にお目に掛かることなどないであろう金貨が、十枚。


 主人は吐きそうになっていた。


 もういい、やめてくれ!


 その切なる願いは、どうやら女将に届いたようだ。

 少しかすれた声で、女将が交渉の終わりを告げる。


「そ、そうね。そこまで真剣にあの子のことを考えてくれているなら、断るのも悪いわよねぇ」


 視線は金貨から動かない。


「あの子の幸せのためにも、この話、お受けします」


 主人が、深く、大きくため息をついた。

 どうやら吐かずに済んだらしい。


「無理なお願いを聞いていただいて、ありがとうございます」


 マークが二人に頭を下げた。


「本当に助かりました。その方は、自分の思い通りにならないと、ちょっと、その、裏の顔を覗かせることもありますので」


 ホッとしたように話すマークの言葉に、主人はビクッとする。

 だが、女将の耳にそんな言葉は入ってこなかった。


「じゃあ」


 これと引き替えにリリアを……


 金貨に手を伸ばす女将に、マークが言った。


「では、借金の証文を見せていただけますか?」

「えっ?」


 女将の手が止まる。

 マークが、当然だと言わんばかりに繰り返した。


「証文です。いつ、いくら貸したんですか?」


 主人は固まっている。

 女将は、口をパクパクさせていた。


「それがないと、私は報告ができないんですよ。リリアさんは金額を知らないと言っていましたし。だから、その方がいくら肩代わりすればいいのか、正確な金額をお伝えしないと」


 そう、その通り。

 当たり前の話だ。


 何か答えなければならない。何とかうまく話をしなければならない。

 主人は必死で考えたていた。

 その隣で、女将が何かを言い始めた。


「あー、証文ね。えっと、どこにしまったかな?」


 時間稼ぎか!?

 そうなのか!?


「証文、ないんですか?」


 マークが怪訝な顔で聞く。


「あー、いやー、ない訳じゃないんだけどねぇ。すぐには、その、ねぇ」


 女将の頬を、汗が伝って落ちる。


「では、証文は後日見せていただくとして、いつ、いくら貸したんですか?」


 流れとしては当然の質問だ。


「えーっと、たしか、リリアの両親の店が火事になった時だから、十年くらい前だったかねぇ」


 そうだ、それは合っている。

 お金を貸したのはその時だ。


「金額は?」

「金額は、えーと、五百万……」

「五百万!?」


 驚いたように声を上げたのは、主人だった。


 五百万リューズ。


 この店の売り上げが、年間約三百六十万リューズ。利益はだいたい五十万リューズだ。

 利益を丸々返済に充てても十年は掛かる金額。

 そんな金額、貸すことすらできない。


「五百万……。結構な金額ですね」


 マークも驚いている。


「まあ、いいでしょう。で、そのうちいくら返済が済んでいるんですか?」


 またもや当然の流れ。

 それに対して女将は。


「えーっと、四百万くらいだったような……」

「四百万!?」


 またもや主人が声を上げる。

 こいつ、百万リューズもふんだくる気か!


「なるほど。では、残金は百万リューズですね」


 冷静にマークが言う。


「ところで、返済済みの四百万のうち、リリアさんがここに来てから返したお金はどれくらいですか?」


 参考までにと、マークが聞いてきた。


 難しい質問だ。

 払ってもいないリリアの給金を想定して、そのうちいくらを返済に充てたことにするのか考え、四年分として出さなければならない。

 主人の頭の中で計算が始まる。

 だが、女将はあっさりと答えた。


「百万くらいだね」

「百万!?」


 もはや、主人には女将が理解できなかった。

 百万リューズと言えば、この店の二年分の年間利益と同じ額だ。たった四年でリリアが払えるはずがない。完全に計算が破綻している。


「百万、ですか?」


 またも驚いたように、マークが確認する。


「そう、だね。たぶん」


 女将の額には玉の汗。

 視線は、もはやどこに向いているのか分からない。


 こいつ馬鹿なのか?


 自分の妻ながら、主人は言うべき言葉が見付からなかった。


 そんな夫婦を、マークがじっと見つめる。

 そして、確認するように言った。


「借金の返済の記録、台帳でも覚え書きでも何でもいいのですが、それは、あるんでしょうね?」


 その顔からは、笑みが消えている。


「あー、いやー、それも今は……」


 女将の弱々しい答えを、マークの低い声が遮った。


「あんたら、舐めてんのか?」


 その豹変ぶりに、二人の脈拍が急激に上昇する。


「証文も、返済の記録もどこにあるのか分からない。そんなことが通用すると思っているのか?」


 いや、無理だ。

 通用するはずがない。


「だいたい、聞いてりゃあ金額だって怪しいもんだ。全然辻褄が合わないように感じるのは俺だけか?」


 まったくその通りだ。

 金額に妥当性がない。


 マークの声が、一段と低くなった。


「まさかあんたら、借金ってのは、ウソなんじゃないだろうな」


 もう逃げ場はなかった。すべてを話して謝るしかない。

 主人が覚悟を決めた、その時。


「ふざけんじゃねぇ!」


 マークが、ドスッという音を立てて、テーブルに何かを突き立てる。

 それは、鈍い銀色の光を放つナイフだった。


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