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異世界の乙女たちは、社長と一緒に笑っていたい  作者: まあく
第一章 黒い瞳と黒い髪
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決意

「事実は何ですか?」

「事実……?」


 ミナセの涙が止まる。言われた意味が分からずに、思考も止まってしまった。

 そんなミナセに、今度はマークがゆっくりと話し始めた。


「人はね、自分が反応した出来事しか記憶しないんじゃないかって、俺は思ってるんです」

 

 ミナセは無言。

 構わずマークは続けた。


「楽しいとか悲しいとか、役に立ちそうだとか邪魔だとか、自分が反応した出来事だけを記憶する。つまりね、記憶される事実には、必ずその時の反応がくっついているんです。事実と反応は混ざり合い、一体となって記憶される」


 突然始まった話にミナセは戸惑っていた。明らかに追い付いていないミナセを少し待つように、マークが間を空ける。

 そのマークが、空を見上げた。そして、また話し始める。


「ある事実に対する反応は、人それぞれです。今日は晴れている。これをいい天気だと思うか、日焼けを誘ういやな天気だと思うかは、人によって違います。事実は一つでも、記憶の中身は別物になる訳です。そしてね、これが重要なんですけど」


 そう言って、マークはミナセを見た。

 ミナセを見て、真剣にマークが言った。


「人はね、事実への反応を変えてあげるだけで、その出来事を、まるで違うものにしてしまうことができるんです。過去の出来事でさえも、そこに新しい解釈を与えることで、正反対の出来事にしてしまうことだってできるんです」

「正反対の、出来事?」


 ミナセは繰り返す。

 マークの言葉を、マークを見ながら繰り返した。


「思い出してください。その子の表情と、その子の声を」


 マークが言った。


「切り分けてください。事実と、ミナセさんの反応を」


 強くマークが言った。


「その子は怒っていましたか?」


 ミナセは見つめた。


「その子は、泣いていましたか?」


 自分に語り掛けるマークを、ミナセは黙って見つめていた。

 やがてミナセが目を閉じる。目を閉じて、クレアの記憶を辿る。

 マークが続けた。


「ミナセさんをお姉ちゃんと呼んで、ベッドに潜り込んできた」


 甦るクレアの表情。


「ミナセさんの頭を一生懸命撫でてくれた」


 甦るクレアの声。


「ミナセさんと一緒に歩いて、ミナセさんと一緒にコロッケを食べた」


 ミナセは思い出す。クレアと過ごした時間。

 ミナセは思い出した。クレアの、嬉しそうな笑顔。


「その子が望むことを、ミナセさんはできていなかったかもしれない。その子にとって一番いい選択を、ミナセさんはできていなかったかもしれない。でもね」


 マークの声が、和らいだ。


「最期の瞬間、ミナセさんに抱かれていたその子が、ミナセさんを恨んでいたとはとても思えません」


 ミナセが目を開けた。


「その子がミナセさんに感謝をしていたと解釈したって、誰も文句は言わないと思いますよ」


 マークがミナセを見つめている。

 ミナセの瞳に涙が溢れていく。


「事実はね、得になるように解釈する方がいいんです。それは、都合のいいように解釈するってことじゃあない」


 マークが語る。


「ミナセさんが前を向けるように、ミナセさんが成長できるように解釈するっていうことなんです」


 ミナセが聞く。


「今回の出来事は、一生ミナセさんの心に残り続けることでしょう。時が経って、記憶や感情が薄れていったとしても、ふとした拍子にその子のことを思い出してしまうんだと思います」


 ミナセが頷いた。

 きっとそうだ。私は、クレアのことを決して忘れない。


「だからこそ」


 マークが言った。


「今回のことから逃げず、その子から逃げず、それに向き合ってほしいと、俺は思います」


 真っ直ぐにミナセを見つめて言った。


「その過程が、そのすべての経験が、糧となってミナセさんを成長させるのですから」


 そう言ってマークが微笑む。

 そして、きれいな空を見上げた。


「いつの日か、今回の出来事が、ミナセさんにとって得になるように解釈ができるといいですね」


 涙を拭いて、ミナセも一緒に空を見上げた。

 見上げてミナセは思った。


 いい天気だな


 そう思った自分に自分で驚く。

 青空に浮かぶ白い雲。暖かな日差しと穏やかな風。


「いい天気、ですね」


 ミナセは、口に出してみた。

 何だか気持ちが軽くなったような気がした。


 声を聞いて、マークがミナセを見る。

 ミナセもマークを見た。


 マークの、優しくて暖かな微笑み。

 その微笑みに、ふと、忘れ掛けていたもう一つの微笑みが重なった。


「いやなことから逃げず、人から逃げず、それに向き合いなさい。そのすべての経験が、糧となってお前を成長させるのだから」


 懐かしい声。

 優しいまなざし。

 暖かな手のひら。


 それは、故郷にいた頃の記憶。大好きだった人の記憶。

 ミナセの記憶が、さらに時間を遡る。


 ランプの灯火に揺れる影。

 母の言葉と、その微笑み。

 父の言葉と、その微笑み。


 幼い胸に刻まれた、一生忘れることのないであろう光景。

 悲しい出来事のはずなのに、それはとても穏やかで、とても厳かな光景に見えた。


 そうか、私は……


 ミナセは気が付いた。

 唐突に、何の前触れもなく、ミナセの心に答えが落ちてきた。


 ミナセが傍らの愛刀を握り締める。

 そして。


「社長!」


 突然大きな声を上げて、ミナセが立ち上がった。


「はいっ!?」


 びっくりして、マークも大きな声を上げる。近くにいた人たちが何事かと振り向いた。


「私は未熟でした。人としてあまりに未熟でした。それに、今気が付きました」


 驚いているマークにも、周りの視線にも構うことなくミナセが言った。マークを見つめるその顔は、真剣そのものだ。


「今の私に悩みなんて解決できない。過去を清算することなんて、今の私には絶対にできない」


 顔を上気させ、何かに突き動かされるようにミナセが語る。


「私、分かったんです。私に必要なのは、剣の修行なんかじゃない。今の私に必要なのは」


 そこまで言って、ミナセが止まった。

 ミナセがマークを見つめる。

 強くマークを見つめる。


「お願いがあります!」


 ミナセが愛刀を両手で握った。

 それを、捧げるようにマークに差し出す。


「これは、父と母の形見です。これを預かっていただけないでしょうか」


 マークが目を見開いた。


「とてもよい刀です。何度も私の命を救ってくれました。でも、今の私にはふさわしくありません。今の私では、この刀を使いこなすことなんてできないんです」


 ミナセが言う。


「私は未熟です」


 愛刀を握り締める。


「人として、もっと修行を積まなければいけないと思うんです」


 マークの目を見る。


「ここでなら、この会社でなら成長していけると思うんです」


 そして言った。


「改めてお願いします。これからもこの会社で、社長のもとで、修行をさせてください!」


 言い切った。

 愛刀を差し出したまま、深く頭を下げ、束ねた髪を揺らして言い切った。


 あまりに突然。

 あまりに一方的。


 でも、ミナセは思ったのだ。

 自分が追い掛けるべき背中はここにあった。


 ミナセは確信していた。

 自分を導いてくれる光は、私の目の前にある。


 だから言った。

 自分の決意を、自分の願いをマークに伝えた。


 マークは何も言わない。


 急にそんなことを言われて戸惑っているのだろうか?

 急にそんなことを言われて呆れているのだろうか?


 ミナセは待つ。

 マークの返事を、頭を下げたまま、愛刀を掲げたままでじっと待った。


 沈黙、のち。


「何を言っているのか分かりませんね」


 静かな声と共に、マークが立ち上がる。

 ミナセの肩が、ビクッと震えた。

 その肩を、マークが掴む。

 そして。


「当たり前じゃないですか! ガンガン仕事をしてガンガン成長して、一日も早く会社のエースになってもらわなきゃ困ります!」


 力強い言葉が響く。


「何たって、ミナセさんはうちの自慢の社員なんですから」


 肩を掴むマークの手が暖かい。

 暖かくて、大きな手のひら。


「いろいろ苦労させると思いますが、これからも、よろしくお願いします」

「はい……。よろしく、お願いします」


 ミナセは答えた。答えてミナセが顔を上げる。

 目の前のマークは、やっぱり笑っていた。


 ミナセは感じる。不思議な気持ち。よく分からない気持ち。

 こんな気持ちは久し振りのような気がした。

 こんな気持ちは、初めてのような気がした。


 でもそれは、とても心地よい気持ちだった。


 だからミナセも笑った。

 旅に出てから初めての、心からの笑顔で、ミナセはマークを見つめていた。


 エム商会一人目の社員、黒髪のミナセ。

 その人生を大きく変える第一歩を、ミナセは今、踏み出した。




「本当にそんなことがあるのか?」

「酒場にいた冒険者の話が事実なら、可能性はあると思います」


 部屋の鍵を開けながら、衛兵が後ろの男に話し掛ける。


「まあ、手掛かりが何もないからな。解決の糸口になるんだったら、我々としては助かるんだが」


 そう言って、衛兵が部屋の奥へと歩いていく。部屋の中にはたくさんの棚が設置されていて、ラベルの貼られた大小様々な物が雑然と置かれていた。

 その中から、衛兵が一つの箱を取り上げた。


「これが、その魔石だ」


 ふたを開けて、男に中身を見せる。

 男が、それをじっと見つめた。


「手に取っても?」

「ああ」


 許可をもらった男は、とても慎重に、両手でそっと、箱から魔石を取り出した。それをまたじっと見つめる。

 その目が、優しく微笑んだような気がした。

 その時。


 ドン!


 突然部屋の扉が音を立てる。


「何だ!?」


 驚いた衛兵が扉を振り返った。

 だが、扉はそれ以上音を立てることもなく、静かにそこにあるのみだ。


「荷物でもぶつけたのか? まったくもう」


 ブツブツ言いながら、衛兵が視線を戻す。

 その衛兵に、男が申し訳なさそうに言った。


「すみません、どうやら違ったようです。私の知っている魔石の特徴が見られません」


 男が、箱に魔石を戻す。


「そうか、残念だ」

「すみませんでした」


 もう一度謝って、男は丁寧に頭を下げた。


「仕方がないよ。ほかに何か思い付いたら、いつでも来てくれ」

「分かりました」


 穏やかに笑って、男は部屋を出ていった。

 その背中を見送りながら、衛兵がつぶやいた。


「魔石に人の魂を移し替えるなんて、できっこないさ」



 建物を出た男は、大股で歩き出した。休むことなく歩き続けて、そのままアルミナの町を出る。人影がまばらになったところで、男はさりげなく街道を外れて森の中へと入っていった。

 そこにある倒木に腰掛けて、ポケットにそっと手を入れる。


「予備の魔石を持ってきて正解だったよ」


 つぶやきながら、右手で慎重に、魔石を取り出した。


「お姉さんの村に行ったのかと思ったら、まるで違う方角に向かっていたなんて」


 その目が優しく微笑んでいる。


「まったく、きみは世話が焼けるね」


 男が、両手でそっと魔石を包みこんだ。しばらくの間、そのまま黙って目を閉じる。

 やがて。


「そうか。いい人に出会えたんだね」


 嬉しそうに男が笑った。


「ミナセさんか。また会えるといいね」


 愛おしそうに魔石を撫でる。


「大丈夫だよ。ちょっと時間は掛かるけど、体はちゃんと元に戻してあげるから」


 そう言って、男は鞄から箱を取り出すと、そこに魔石を丁寧に納めた。ふたをしっかりと閉め、鞄にそっとそれを戻して、ゆっくりと立ち上がる。

 そして。


「みんな。すまないが、僕たちを家まで送っておくれ」


 誰もいないはずの森に語り掛けた。直後、その体がふわりと宙に浮き上がる。

 鞄をしっかりと抱え、微笑みながら、男が言った。


「さあ、うちに帰ろう、クレア」


 穏やかな表情のまま、男は上昇を続ける。

 オレンジ色に染まり始めたきれいな空を、南東に向かって、男は静かに飛び去っていった。


 第一章完結です。お読みいただいた皆様、ありがとうございました。


 異世界物なんだけど、ちょっと変わったものが書いてみたい。そんな野望を抱いて書き始めたのがこの作品です。お約束のシーンやストーリーをなるべく避けて、独自路線を歩むことを目指しています。ただキャラクターの設定は……お約束が多いかもしれません。

 そんな作品の第一章は、読者の皆様にどう映ったでしょうか?


 この章のメインキャラクター、ミナセは、一番の先輩社員として今後も何かと活躍します。そのミナセも、章を重ねるごとに少しずつ成長していきます。それは、これから入社してくる社員たちも同じです。

 レベルとかスキルとかではない、キャラクターたちの成長や変化をお楽しみいただけたらと思います。

 次章もよろしくお願いいたします。

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