第72話「オリヴィアの覚悟」
喧騒に包まれる建物の中で、オリヴィアは喧騒に負けない声で、しかし、怒りを声に滲ませないように注意を払いながら、応対している女性に言葉を発した。
「そこを、何とかなりませんか?」
「申し訳ございません。入荷しても、予約をいただいているお客様にながしている次第でございまして……すぐにお引き渡しできません」
「そうですか……」
王都内でも大手の商会、ということで当たってみたが、結果は無駄足。オリヴィアは頭の痛い問題に何度目かのため息を吐いた。
商会に来ていたのは魔石を購入するためだ。しかし、事はそう上手く運んではくれなかった。もう何軒目か。すでに商会を回るのに3日ほど費やしているが、結果は芳しくない。
初日は宝石商を巡ってみた。魔石は貴金属扱いされる事が多い為、購入できないかと考えたのだ。しかし取り扱っておらず、話を聞くと、自分も長い事商売をしているが、買取を希望してきたのは一件だけで、その一件も傷が酷い為買取ができず、持ち込んだ者が肩を落としていたのが印象的だったと言っていた。
2日目はこことは別の商会だ。こちらも今日来たところと程ではないが、大きな商会だったが、取り扱っていない上、オリヴィアがワーカーの販売に関わっている人物だと解ると、融通するからワーカーの利権が欲しいなどと言ってきたため、非常にしつこかった。流石に貴族の子女であるオリヴィアを表立って脅す様な真似はしなかったが、それに近い事を匂わせたため、
「この程度のお願いも聞けないような弱小商会と取引き? 笑わせないでください」
と啖呵を切り、相手が唖然としている間に席をたって出てきてしまった。ここまで言うつもりもなかったが、期待を裏切られた上に長い拘束時間が発生していた事から、つい言ってしまっていた。
昨日、そんなやり取りがあったために、あまり期待していなかったとは言え、オリヴィアは今の今日の取引きも空振りだった事に疲れを覚えながら、次はどこに当たろうかと考えた。
「魔石をお求めなら、オークションか冒険者ギルドをご利用してみてはいかがでしょうか」
受け付けの前で明らさまに落胆した溜息をしているオリヴィアに、見かねた受け付けの女性がそう案を出した。
「オークションは分かりますが……冒険者ギルドですか?」
オークションはオリヴィアも検討していた中で、真っ先に候補にあげ、すぐに断念した手段だった。オークションの開催期間が合わなかった、というのもあるが、金額が市場の価格よりも膨れ上がるため、ただでさえ高価なそれを買うのは厳しいと断念したのだった。しかし、オークションにはかなりの確率で魔石が流れてくるという情報を得られていたため、期間さえ都合がつけば、選択肢としてはありだった。
「ええ。そうです。魔石を購入するだけのご予算があるのでしたら、冒険者ギルドを介し、直接ご交渉してみてはいかがでしょう」
なるほど、発注という手がありましたか。と自分は発注される側だったためにすっかりと失念していたオリヴィアは、納得した様子で頷く。
その方が安くすむ可能性がある上、希望した品を手に入れる事もできるため、そういう高価なものは、ランクの高い依頼として発注するのもオススメだという話だった。その話を聞いて、そういえばアルドも何度かクエストを依頼していたなと思い出す。そういった手続きはアルドが殆ど行っていたので、すっかりと失念していた。
結局、その後30分程度話し込み、営業の邪魔をしたオリヴィアだったが、教育の行き届いたその受付の女性は、最後に。
「次回のご来店をお待ちしております。どうか我が商会をご贔屓に」
という言葉でオリヴィアを見送った。オリヴィアは昨日散々な商会に当たっていた事もあり、次回利用する用件があったなら、必ずここにこよう、と来た時より上機嫌にその商会を後にした。
◆◇◆◇◆◇
アドバイスをもらったオリヴィアは、早速そのアドバイスを元に、商会をでたその足で冒険者ギルドへと向かい受け付けでクエストの発注を行っていた。
「完全な状態でのB級以上の魔物の魔石の発注ですか? うーん……金額は充分なようですが、期間が短すぎますね……」
「この内容では難しいですか?」
線の細い、眼鏡を掛けた受け付けの男性は、オリヴィアの言葉に申し訳なさそうに頷いた。
「正直に申しあげますと、そうなります。このご希望にこたえるのはかなり難しいかと……しかし、それは私個人の見解ですので、クエストの発注自体は可能です」
「……では、それで依頼を受けてくださる冒険者に関しては面接などが必要になりますか?」
「いいえ。ご希望であればクエスト受注者と面接も可能ですが」
少し迷ったが、待っている間に別の手段も考えておかないとならない。オリヴィアは受け付けの男性に、面接などは行わない旨を伝えておいた。
「そ、それで、いつ頃受ける人が来そうですかね……」
「さ、流石にいつ来るかまではわかりません……」
「あ、そうですね……そうですよね……」
逸る気持ちが抑えきれずに、思わずそう聞いたオリヴィアだったが、受け付けの男性を困らせただけだった。すぐに正気に戻り、頭を下げたオリヴィアだったが、そわそわとした様子で、クエストの受注書を作っている男性の様子を見ている。
見守っている、眺めている、なんて生易しい表現ではなく、穴が開くほど、監視するように、と形容した方が正しそうなその様子に、見られて作業するのに慣れている男性はやりにくそうにしていた。
「あの、あとは受注書を貼り出すだけですので……」
「わかってます。大丈夫です」
「えっと、ですが……」
「大丈夫です。お気になさらず」
まさか客を相手に全然大丈夫ではないのですが……とは言えず、受け付けの男性はかつてないプレッシャーを受けながら作業をすることになった。
結局、オリヴィアの無言の監視は依頼書が掲示板に張り出されるまで続き、オリヴィアの興味が掲示板へと移った男性は心底ほっとした様子で一息ついたのであった。
掲示板へ依頼が張り出されて1日目。オリヴィアは逸るような気配がありつつも、まだ余裕があった。その日はもう出来ることもないため、僅かな期待を胸に寮に戻り、休む事にした。
掲示板へ依頼が張り出されて2日目。オリヴィアは魔石を持った人物が居ないか、街を歩いて情報を集めて回る。しかし、結果は空振り。あるにはあったが、そういった魔石、宝石を集めるコレクターがいる、という情報は掴めたが、かなり遠方の貴族らしく、連絡しようとするだけでアルドとの約束の期限が切れてしまうために断念。疲れた足で、冒険者ギルドへ寄り、依頼を受けてくれた人が居ないかみたが、空振り。時折、数人の冒険者たちが金額の高さに興味を引かれて依頼内容を確認するが、期日や、魔石を完全な形で要望される難易度を見て、断念していく。
3日目、そろそろ期限が迫るという切羽詰まった状況になって、オリヴィアはクリスを伴って冒険者ギルドを訪ねていた。
オリヴィアはここ数日日課となっている掲示板監視を行っており、掲示板の前にくる人間1人1人を睨みつけるような勢いで見ていた。
「ひっ……」
不幸にもそのオリヴィアの鬼気迫る様子に気づいた若い冒険者が、小さな悲鳴をあげ、依頼も見ずに掲示板から離れていく。それを見ていた受け付けが、困ったような視線をオリヴィアとクリスになげていた。
見かねたクリスが、オリヴィアに向かって声を掛けた。
「ねぇ、オリヴィア、ちょっと気分転換に行かない? ここにいたってできる事ないよ」
「……」
より正確に、2人の現状をいえば、クリスはオリヴィアの様子がおかしいため、目を離さないようについてきていた。それくらい、オリヴィアは現在追い詰められていた。
今もかりかりかりかり、と爪を噛みながら、オリヴィアはクリスの言葉に気づかずに視線を一点に固定したまま、物思いに耽っているようだった。
クリスの言葉にすら気づかなかったオリヴィアは、自分の考えが甘かった、というのはここまでの日数で自覚していた。それでも、決闘を受けるのが自分1人であれば、ここまで追い詰められる事はなかった。
ミラベルを当然のように道具のように使い潰す、その実家の事が許せなかった、という思いは確かにあった。貴族としては、オリヴィアの家はそう長い歴史がある訳ではなかったが、それでも。いや、だからだろうか。アデライド家のその有り様が許せない、という気持ちはあり、それは本物だった。
だが、それよりも、本当は許せない事があった。
それは、アルドを狙った事だ。難癖を付けてきたのはまだ良い。もっと時間がかかるとは思っていたが、何かしら貴族の干渉があるだろう、というのは予想していた。
しかし、交渉よりも先に、あんな強引な手段が取られた事が許せなかった。更には、彼自身が退けたとはいえ、彼を強引に消そうとした事が許せなかった。
だからこそ、自分からこの件に頭を突っ込んだのだ。
それがどうだろう。また、アルドを1人で戦わせるのだろうか。自分のせいで。それがたまらなく許せなかった。《孤立種》の時のように、事故のようなものではなく、完全な自分の過失、本来戦わなくても良かったものを、自分の我が儘で戦わせてしまう。
無理だ。そんなの。クリスとオリヴィアは、あの日を機に2人で修練を重ねてきた。それは、アルドの隣に立ちたかったからだ。あの日感じた無力感をもう味わいたくなかったからだ。
それなのに、今、自分の浅慮のせいでその無力感を味わおうとしている。
思考が悪い方、悪い方へと流れていったオリヴィアは、ついに耐えきれなくなって立ち上がった。クリスはその様子に一瞬驚いて唖然とするが、すぐにオリヴィアの後についていった。
オリヴィアが向かった先、 そこは、ダンジョンの入り口だった。




