第40話「悪夢の一日(前編)」
割り振られた寮の一室。瞼の裏に光を感じて、心地よい微睡みから、気怠い覚醒に向かってゆっくりと移行する。
「眩しい……」
目を開けたら、すぐに体を起こす。朝は弱いため、そのままだらだらしていると二度寝してしまうからだ。まだ授業には少し早いはずだが、二度寝なんてしたら、授業に遅れてしまう。
この世界に来てからは、時計など見たことがないので、いつも母に起こされるか、好きな時間に起きていたのでこういう感覚は久しぶりだ。
俺は欠伸を噛みしめながら、目元をこすった。
魔術師の少女に出会ってから数日、俺は学校周辺などを探索してみているが、一向に遺物に関する手がかりを掴めないでいた。
「まぁ、そんなにすぐに見つかる訳ないか」
何せ、200年近く見つかってないものだ。ただ見つかっていないだけ、というのではなく、恐らく隠されている。そう簡単に見つけられる、と言う方がおかしいだろう。
そんな事を考えていると、眠気に支配されていた体の気怠さもだいぶマシになる。机と椅子とベットくらいしかない部屋を見回して、着替えを手に取り、さっと着替えて残りの気怠さを振り切った。
着替えたのは制服ではなく、学園指定の運動服。運動服というと、前世でいうところジャージを思い起こすが、これはどちらかというと戦闘服、とでもいうのか、そういったものに近い。
運動、というとスポーツの類が無い学園では、ジャージのような薄手の服ではすぐに怪我をしてしまう。そのため、運動服は厚手で、肘や膝などの要所はパッド……とまでは行かないが、編み込まれた厚い層があり、ちょっとやそっと擦れても、怪我をしないようにつくられている。
なんでこんなものに着替えたかと言うと、当然、授業のためだ。
今日は一日実技の授業。生徒同士でささやかれ、上級生からも恐れとからかい混じりに聞かされる(らしい。俺はクリス、オリヴィアからの又聞きだったが)、隔週の複数クラス合同授業、通称「悪夢の一日」の始まりである。昨日担任にそう通達されてからは、どのクラスの生徒もその話題で持ちきりのようだった。
どんな授業なんだろうか。俺はそんな風に思いを馳せながら、授業で使う武器だけ持って、身軽な状態で部屋を後にした。
野外の訓練場に向かうと、授業が始まるまでには少し余裕があると思ったいたが、思った以上に人が集まっていた。
複数クラス合同なだけあって、いつもよりも多く、一カ所に集まっているとこんなにいるんだな、と思ったりもする。
授業開始前に、剣や槍など、自分の武器を振っている生徒がちらほらいる。楽しみな授業だから気が逸って来ている、というよりは、怖い先生だから絶対に遅刻しないようにする、って感じだろうか。緊張している生徒も多いし、そんな気がする。ただ、思ったよりも生徒達が浮ついているようにも見える。
これまでの実技では、コマ割りされた授業の時間ないで、精々素振り程度しか行っていなかったため、実戦的な授業に移れると聞いて喜ぶものがいるようだ。ランクSという、伝説的な人物から指導を受けられるという事に、期待があるようだ。
俺は正直、「実戦的」という部分から嫌な予感しかしないが。
見渡すと、クリスも刀を振っているのが見えたのでそちらに向かう。
「おはよう、クリス、オリヴィア。もう来てたんだね」
「おはよう、アルド。今日から実践的な授業、って聞いて、少しわくわくしてるの。そのせいで早くここにきちゃって」
「おはようございます。アルドさん。クリスったら、朝から落ち着かなくって……周りを見ると、クリスだけって訳でもなさそうですが」
目を輝かせているクリスに対して、苦笑をしているオリヴィアはたぶんクリスに起こされて引っ張ってこられたんだろう。少し眠そうにしている。
クリスは挨拶を済ませると刀を振り始める。オリヴィアは自分の武器である杖を持っていたが、これは普段振り回すものでもないので、クリスから少し離れて刀を振るう彼女を眺めている。
俺も、準備運動くらいは済ませておこうと、自分の刀を持ったまま、軽く身体を動かし始める。刀は予備の分で、ガストンさんが作った習作の一つだ。前に使っていたものと違い、少ししっくりとこない。こんなに早く壊す予定はなかったので、今は手紙を出して新しい刀を用意してもらっている所である。
刀を持ちながら、膝を曲げ延ばししたり、肩を回してストレッチを軽く行う。それを見ていたオリヴィアが、首を傾げる。
「そう言えば……準備運動、でしたっけ。他の人はあまりしている所を見かけませんね」
「そうだね。まぁ、筋を痛めないようにしたりとか、怪我の予防っていっても完璧なものではないし、いざ実戦! ってなったら悠長にこんな事をしている暇もないから、しない人の方が多いんじゃないかな」
と、しれっとオリヴィアに嘘を吐いておく。俺、クリス、オリヴィアは訓練を始める前などは準備運動を行っているが、それは俺が、訓練前に何気なくやっていてそれが習慣、当たり前になっているからで、普通は行わない。母さんでさえ、準備運動らしいものと言えば、最初の素振りをゆっくり行う、という事くらいで、素振りでよく使う肩や肘を回したり延ばしたりする、という行為は、俺がやっているのを見て真似て始めるようになったくらいだ。
訓練前にゆっくりと動作を行う、というのは当たり前のようにあるようなので、全身を満遍なく動かしておく準備運動はなくても、そういう事前準備のような概念はあると思うけど。
起きたばかりで、半分寝ている身体をゆっくりと起こし、今日の調子を確認していく。運動が一通り済んだら、刀をゆっくり10回ほど振り、魔力の練り具合と共に、動作のキレを確認する。
「うん。まぁまぁかな?」
絶好調ではないが、問題は無い。魔力の練りもいつも通りだし、起きたばかりで本調子では無いが、身体の動きもキレがない、と言うほど鈍くはない。充分好調な範囲だろう。
そうして自分の体調を確認していると、ふと、緊張の波のようなものが伝わってくる。さっきまでは素振りの音や、気合いの入ったものからはかけ声なんかが聞こえてきていたが、不自然に静かになる。
なんだ、と思えば、訓練場にライナスさんの姿が見えた。どうやらそれに気付いた生徒が大人しくなったため、自然とそうなったらしい。
「ふむ。揃っているようだな」
ただ呟いただけの言葉だというのに、場が静かなせいか、その声はしっかりと辺りに響き、耳に届く。
「担任から通達があっただろうから説明は省くが、今日から実践的な授業に移る」
ライナスの言葉に、男子生徒を中心に、喜色が混じった歓声が小さくあがった。
「しかし、それは一部の生徒のみだ」
そして、その歓声は一気に、唖然としたものへと変わる。
「あらかじめ言っておくと、おまえ達は未熟だ。これは、心以前に身体が未熟だという事だ。これから伝える技術は、耐えられるだけの器がなければ成り立たない」
唖然としていた生徒達に、困惑した雰囲気が広がっていく。
「よって、これから試験を行う。試験内容をパスできなかったものは基礎訓練を積んで貰う」
試験、と聞いて生徒達に再び緊張が走る。いったいどんな試験なのか、俺も少しばかり緊張してきていた。基礎訓練、というのは敷地内のランニングや、素振りといった地味で辛いものだった。それに戻りたくない、と誰の顔にも書かれている。
「試験と言っても簡単なものだ。走るだけでいい」
走る? と困惑と同時に安堵するような気配の緩みを感じた。簡単な
試験、という言葉に、誰しも気を緩めている。しかし、俺はライナスさんがそれを見て、目を細めたのを見逃してはいなかった。
「そ、それで、どの程度走れば良いんでしょうか」
気の早い生徒の一人が、ライナスさんにそう質問する。ライナスさんはじろりとその生徒を一瞥すると、低い声でいった。
「儂が良い、というまでだ」
質問をした生徒がひっ、と声をあげ、気の緩んでいた空気が一気に凍り付いた。
「走る場所は敷地内をぐるりと回ってここまでを一周とする」
ライナスさんが背負っていた剣を抜き、軽く振るうと、ざんっ! と重い音ともに線が引かれる。
「では行ってこい。試験をパスしている者から声を掛ける」
自ら引いた線の前で仁王のように立ち、ライナスさんは押し黙った。まだ困惑していた生徒たちだったが、一人、また一人と駆けだしていき、レースのように一斉に駆けだしていく。
「……どれくらい難度が高いか解らないけど、がんばろうか」
「結局走るのかぁ……」
「私、走るの苦手です……」
俺のしまらないかけ声に、クリスは不満そうにし、オリヴィアは不安そうにして、三人で走りだした。
◆◇◆◇◆◇
走り始めてすでに一刻近く経過している。生徒の三つに別れ、一つは後ろに固まるか、リタイアして休憩している。
更に三分の一は、俺、クリス、オリヴィアが走っている、中央の位置だった。この層はペースを無理のない一定に保ち、四分の一周くらい前を走っている、残り一つ、先頭集団を追っている。
先頭集団は体力自慢な生徒が多いのか、かなりのハイペースで走っており、時折、力つきた生徒がペースを崩してしまい、俺たちのいるグループに抜かれていったりする。
「オリヴィア、ペース落とす?」
「も、もう、限、界です、先に、いって、くだ、さい」
俺とクリスに挟まれて、息も絶え絶えに答えたその言葉は、弱音だった。
しかし、それも無理はない。彼女は剣を振ったりする訳ではないし、普段こういった訓練を行っていないし、俺とクリスは母に剣を教わる際に体力向上のために、こういった訓練も行っていたが、オリヴィアはそうじゃない。たまに、俺たちに付き合って訓練を受けたりもしたが、その程度だ。それを考えれば、随分と頑張った方だ。
「わかった。良く頑張ったよ」
「オリヴィア、先に休んで待ってて」
クリスと2人で、健闘を称えるようにオリヴィアの肩を軽く叩いてやると、それを契機にオリヴィアは徐々にペースを落とし、止まってしまった。
「まだ走るのかな?」
クリスはそう言いつつ、少し不満そうにライナスさんが居る方向を見ている。今は校舎の影で見えないライナスさんの姿を想像しながら、俺は試験の内容に思いを馳せた。
この試験は思った以上に精神を削る。ゴールを決められていない中で、走らせれている生徒の中には、ペースを守っていても、心が折れかけている生徒がいる。まだ誰も声を掛けられておらず、試験は通過した者はいない。そんな中で走らされる生徒たちは、次第に気力を削がれ、体力以前に離脱していく。
そういった精神面も見ているのだろうか? だとしたら、この試験、見た目なんかでは想像もできないほど、ハードだ。
とはいえ、普段からそこそこ体力作りも行っていた俺とクリスは、今のペースは少し温い。今まではオリヴィアに合わせて走っていたからだ。
「クリス、もう辛くなった?」
「まさか、もっと早くても平気。先頭も抜けるわ」
ちょっと挑発気味にいった俺の言葉に、クリスは余裕を持って、更に挑発気味に返してくる。
「よし、じゃあペースをあげよう。目標は──」
「先頭集団を抜いて、先生の所がゴール!」
クリスはよっぽどこの試験に飽きてきているらしい。それは俺も同じだったので、提案に乗る。
「おっけー。なら、先頭集団を軽くぶっちぎってやろう」
「そうこなくっちゃ!」
俺とクリスは、驚く中層の集団を置き去りにして、走るペースを一段階あげた。
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