第19話「師匠になりました」
「クリスさんばっかり、ずるいです!」
今日という日は、そんな叫びを皮切りに始まった。
家の前でそう叫んだのは、クリスの隣に立ったオリヴィアで、俺はなぜここに彼女がいるのかと、そもそも、何がクリスばかりずるいのか解らず、困惑した。
「えっと。取り敢えず、上がって?」
俺は気の効いた言葉を言えず、挨拶もそこそこにそう言った。
「お邪魔いたします!」
鼻息荒くオリヴィアが入ってきて、その後を大人しくクリスが入ってくる。いつもとは違う感じに、俺は首を傾げた。
「二人とも、いらっしゃい」
「おはようございます!」
「おはようございます」
母が、居間にある椅子に座らせた2人に、お茶の入ったカップとソーサーを差し出す。オリヴィアはまだ、怒ってます! といった感じでぷりぷりしていたが、お茶を受け取り、カップに口を付けるのは、なんだか様になっていた。
一息ついて、カップをソーサーに乗せると、オリヴィアは声を張り上げる。
「クリスさんばっかり、ずるいんです!」
とは言われても、俺は苦笑いするしかない。
「いったいどういう事なのかしら?」
顔は笑顔を浮かべたままだが、目が一ミリも笑っていない母さんの声に怯えながら、俺も理由が知りたいです、と内心思った。
「わたくし、とっても心配してたんです! だけどクリスさんだけ!」
オリヴィアは興奮気味に語り出し、それを母さんが時に相槌を内ながら聞き出していく。オリヴィアは興奮しているせいか、何度か脱線しかけたが、母さんは必要な情報をきちんと聞き出した。
「なるほどねぇ。オリヴィアちゃんは、アルドが心配だったけど、身体に触ると思って、お見舞いを控えてた。だけど、アルドの方から、クリスちゃんの所に遊びにいっただけじゃなく、クリスちゃんに魔法を教える約束までしていた……と。確かに、クリスちゃん贔屓してるみたいに思えるわね」
どうやら、オリヴィアは俺のお見舞いに来たかったが、意識不明の重体だったため、迷惑になると控えた。今日、クリスの元へ遊びに行くと、クリスは俺の元にこようとしていて、その時に、魔法を教える、という約束をしていたのを、喋ってしまったらしい。
クリスをふと見ると、申し訳なさそうな顔をしていた。まぁ、別段隠すつもりも無かったし、俺は気にしてないんだけど。
「そうなんです! クリスさんに教えるなら、わたくしも、何かアルドさんに教えていただきたいです!」
お見舞いに来たい、というところから、ずいぶん目的を見失っているようだが、オリヴィアはそう息巻いた。
困った俺は、思わず母さんを仰ぎ見る。すると、母さんは、私に任せなさいと言うように、微笑んで頷いて見せた。
「そうね。アルドに何か教わっても、良いんじゃないかしら」
え? 任せとけって感じじゃないんですか? それって丸投げって奴じゃありませんか?
俺は、必死に、そう目で訴える。しかし、母さんはうんうんと頷いて、
「ね、アルド。良いわよね?」
断定口調で止めを刺しに来た。オリヴィアは、俺の方を期待を込めた目で見ていて、今ここで断ったりしたら、その顔は絶望に染まるだろう。そうなったとき、俺は上手く場を納められる気はしない。
「そ、そうだね。別に良いよ」
しかし、安請け合いなんてするもんではない、とすぐ後で後悔する事を、俺は知らなかった。
「これで一緒ですね! クリスさん!」
「……! うん!」
オリヴィアに黙っていた事に負い目を感じていたのか、一緒に教われると解り、クリスは今日初めて、明るい笑顔を見せる。
正直、面倒だなとは思っていたが、2人が喜んでいるみたいなら、まあ良いかと思っていると、母さんが俺の後ろから、がしっと肩を掴んで、2人に聞こえないような声で言った。
「2人を泣かせるような真似、したらダメよ?」
「ハイ、ワカリマシタ」
俺はがたがた震えながら、そう言うのが精一杯だった。
その日から、俺は魔法を2人に教え始めた。
毎日のように三人で集まって、魔法を教える傍ら、俺はフェリックスさんとガストンさんと魔導甲冑の作成をしていく。
前世のような、忙しい毎日に、あっという間に7年の歳月が過ぎていった──
◇◆◇◆◇◆
広く遠くまで見渡せる草原で、2人の人間が踊る。俺はその2人を離れて観察していた。
「はぁっ!」
その片割れが放った裂帛の気合いは、庭一面にどこか甘く響く。が、手にした木剣が震わす空気の音は、ごう! と当たれば冗談で済まないような音を発していた。
一線級の冒険者でさえ、驚異を感じるだろうそれを放ったのは、赤毛の少女。肩ほどまでで切りそろえられた髪と、赤い瞳。一気呵成に責め立てるその様は、その色も相まって荒れ狂う炎のようにも見える。
手足はほっそりとして長く美しく、今年、12歳になった少女──クリスは、スレンダーな女性らしさを備え初めていた。当の本人は、今も付けているモザイク模様の木製の胸当てが、何の抵抗も無く付けられてしまう事を気にしていたが。
「させませんよ──」
そう言って、魔力を込めた木製の杖で、凶悪な一撃を受け流し、続く三連撃を距離をとりつつ躱したのは黒髪の少女。
腰まで届く長い黒髪が、その動きと共に揺れる。それと一緒に年不相応なまでに発達した、女性の象徴がたゆんと揺れた。見せつけるかのようなその動きに、正面で対峙していたクリスの額に、ぴきり、と不吉なものが過ぎる。
クリスに対面している少女──オリヴィアは、薄く、身体の線が浮くローブに身を包み込み、杖を構えている。魔女を彷彿とさせるような衣装なので、少女剣士然としたクリスと近接戦闘を行っていると、違和感があるのだが、杖を構え、クリスの攻撃を躱す動きはどこか優雅だった。どこか艶を纏い始めた彼女の雰囲気と相まって、少女を年相応にも、年齢不詳にも見せる、妖しい魅力があった。
「起動せよ《12の剣》」
クリスが距離を詰めようとする前に、オリヴィアが自身オリジナルの魔術、《12の剣》を起動する。
魔力で塵や空気を刃の形に押し固め、計12本の蒼白の魔力剣を操って攻撃する魔術で、俺がかつて使用した魔術《剣技解放》の魔術を基礎に開発された物だ。
一閃一閃を再現していく《剣技解放》と違い、常にオリヴィアの周囲を守護するように衛星のように軌道する魔力の剣は、魔力を使い捨てにしないため、魔力の消費量が少ない。
しかし、常に魔力剣の制御を要求されるため、難度はあがっていた。俺も使った事があるが、常時発動できるのはせいぜい半分の6本だ。
「クリスさん、いきますよ!」
飛びかからんとしていたクリスは、オリヴィアの準備が整っているのを見て、行動を見送り、オリヴィアの攻撃に備え、左手を鞘に見立て、剣を仕舞いこむ。
剣は身体全体で隠し、右手は柄に振れるだけの、この世界の剣士が見れば、異質と不気味に思うだろう構え。
手にする木剣には、目に見える程の魔力が注がれ紅く染め上げられる。さらに、身体強化のために練り上げられた魔力によって、周囲が歪んで見えた。
オリヴィアが6本の剣を操り、クリスを攻撃する。上下左右。微妙にタイミングをずらされた、間隔の異様に短い連続攻撃。最低二本は同時に処理する事を強いられ、失敗すれば一瞬でなます切りにされるだろうそれを、クリスは裂帛の気合いと共に打ち破った。
「《三閃》!」
居合い。三本の紅い斬線が、宙に爪痕を残す。魔力剣はその爪痕に穿たれ、三本、ガラスが砕けるように散っていく。
クリスは、未だ剣を抜きはなったようには見えなかった。
(また一段と速くなってるなぁ……)
しかし、それは単なる見落としだ。俺が常時起動している《解析》魔術によれば、クリスはすでに三度、攻撃を放っている。おまけに、まだ十分な余力を残したままだ。
俺の前世の記憶でいうところの、居合いに近い剣技……なのだが、母さんにノリで言って誕生したこの剣技、すでに別次元の技へと昇華されている。
前世でも、構えた相手と対等に攻撃できるのが居合い、と呼ばれていたのに、構えた相手よりも速く、さらには剣を振るった後に斬線だけが見えるような剣技は、もはや居合いとはいえないだろう。
「まだですよ! 《12の剣》!」
三本の魔力剣をかき消されてなお、オリヴィアはその冷静な態度を崩さない。攻撃に転じていた残り三本に更に魔力を流し込み、より緻密に、強力に操作し始める。
「ちっ……」
苛立ちに目をつり上げながら、舌打ちと共に一閃。
宙に紅い線が一本引かれた。しかし、今度は先のように砕け散らず、魔力剣は弾かれた。クリスはそれを見て、更に顔を険しくする。
「ふふっ……」
クリスの反応に、オリヴィアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
それに魔力剣が答えるように、弾かれた魔力剣が、弾かれた勢いのままそこを支点に円を描く。
頭と胴体を切り離すような魔力剣の軌道を、クリスは身体を屈めてそれをやり過ごす。
が、屈んだ先には、二本の魔力剣が控えていた。
「──くっ!」
屈んだ状態から、両足に力を込め、横に飛ぶ。地面に投げ出されるように跳び、肩から地面に付くと、勢いを殺しながら回転し、すぐさま立ち上がる。魔力剣の間合いからは強引なものの何とか脱っしていた。
「あら、クリスさん、はしたないですよ? 淑女はいつも優雅にありませんと」
オリヴィアの挑発に、クリスは怒鳴り返した。
「その余裕、いつまでもつかしらね!」
居合いの構えのまま、練りに練っていた魔力。
それを一気に解放せんとクリスは柄に手をかける。
「させませんよっ!」
間合いは、さっきよりも離れている。しかし、オリヴィアは鋭く声をあげ、残る9本の魔力剣をすべて操作する。
クリスの起死回生の一撃を察し、オリヴィアは素早く攻撃へと転じたが、クリスはニヤっと笑って答えた。
「遅い! 《桜花突き》!」
突き、と言いつつもクリスは斬撃をまき散らすように放ち、飛んできた9本の剣を迎撃する。木刀に込められた紅色の魔力と、魔力剣に込められた蒼白色の魔力が当たり、火花を散らせるように当たりに魔力を散らした。2人の魔力が混じり合い、薄紅色の魔力が、この世界にない桜の花びらのように舞い踊る。
一見、攻めているのはオリヴィアで、攻め立てられているのは、クリスのようにも見える。しかし、余裕がなさそうなのはオリヴィアで、クリスは獰猛な笑みを浮かべている。
「くっ……」
ついに、オリヴィアが辛そうな声をあげる。魔力剣は形こそ何も変わっていなかったが、クリスに何度も弾かれ、内包する魔力を削られ、その度に魔力を補填し、内包する魔力量が減り、疲労が蓄積されている。
クリスはそれを感じとり、自身も魔力量を削られていたため、最後の勝負に出た。
「はぁぁぁっ!」
クリス渾身の魔法《桜花突き》魔法としては単純な、魔力を相手にたたき付けるだけのような、単純な魔法。しかし、その魔力量が侮れない。この魔法は、自分の魔力を周囲に拡散させて、周囲の魔力を浸食し、再収束し相手にぶつける魔法だ。一瞬だが、自身の最大魔力量を超える魔法を公使できる、文字通りクリスの奥の手。
「好きには……させませんよっ!」
まさに奥義といって言い攻撃に対し、オリヴィアが行ったのは、防御行動。
「《12の剣》形状変化《12の盾》」
オリヴィアの一声を鍵に、魔力剣が形を変える。クリスを攻め立てていた剣は盾へとその形状を換え、消された剣の分も、残していた魔力すべてを使用し、盾を形成する。
轟音が、周囲を支配した。
オリヴィアに向かって、大量の魔力が、雪崩のよう襲いかかる。
それを、12枚の盾が、積層装甲のように行く手を阻む。
張られた盾が、襲いかかる魔力を吸い、障壁を展開。
魔力を外部から過剰供給された盾は、ばりん、ばりんと盾と障壁が割れる音が続き、その後に盾に集まっていた魔力が爆発する。
吸収された魔力と、爆発により、威力が弱まったクリスの一撃は、オリヴィアの盾を一枚だけ残し、霧散する。最後に残っていた盾も、その形状を保つ事ができず、霧散した。
それを合図にしたように、クリスとオリヴィアは膝を突き、肩で荒い息をはいた。
「やめ! そこまで! 引き分けだね……けど、2人とも、今日の模擬戦の課題、覚えてる?」
横で見ていた俺は、成長著しい彼女たちを誉めず、気になっていた事をまず口にした。
それにしても……彼女らに近づくと、自分の背の高さを嫌でも意識してしまう。
七年たった今でも、彼女たちとの背の差はあまり変わらない。同年代の女子同士でもそう高い背ではない彼女たちと同じくらいの背──となると、やはり自分の背の低さが気になる。
「ええ。もちろんです。アルドさん。今日は、《クリスさん(じゃくてん)》の克服ですよね?」
「バカにしてるの? 《オリヴィア(じゃくてん)》の克服に決まってるじゃない」
ほとんど同時に言われたせいか、じゃくてん、という言葉が何か違うニュアンスで聞こえて来たんだが、問題ないんだろうか。ちょっと不安になる。
「そうか……? なら、今日の自己評価といこうか。まずはクリスから」
「……そうね。オリヴィアが魔術を発動する前、一気に攻めるか、守るか迷ったけど、あそこは守りに入らず攻めた方がよかったかも。攻める気持ちを捨てきれなかったせいで、危うく負けかけたし」
俺は頷いて、オリヴィアを促す。オリヴィアも頷いて、模擬戦を振り返った。
「私は、攻める際に守りを考えてしまい、剣を手元に残しておいたのが失敗だったかと。あそこはクリスさんが攻める意識があったので、12本すべて使えれば押し切れたかもしれませんので」
2人の感想を聞き終えてから、俺は思っていた事を口にする。
「そうだね。2人とも守りと攻めに入るまでの決断が中途半端だった。まずは、クリス。
あの時、魔術が発動しきるまでに一撃入れるだけの時間があったはずだから、そこから自分の手番を増やせたかもしれない。
守るにしても、魔力剣全てを迎撃も、可能といえば可能だったはずだ。全て迎撃して、オリヴィアの魔力を削って手数を減らして、自分の手数を増やしていく方向にもっていってもよかった」
クリスは頷いて、模擬戦を振り返り、木剣を握って考え事を始めた。俺も言いたい事は言い終えていたので、オリヴィアにも感想を伝える。
「次はオリヴィア。さっき君が言ったみたいに、守りを意識しすぎて手数が足りない、という状況はもったいない。
確かに、最悪を想定しておく、っていうのは大事だけど、攻撃に転じる時にはもっと積極的に行くといいよ。
後は、攻撃を追加する判断をもっと早くくだした方がいい。戦力の逐次投入は、相手に対応させるだけの余裕を作るから。だから《桜花突き》をださせるだけの余力をクリスに持たせてしまったしね」
オリヴィアは俺の言葉にうなずき、自分の模擬戦を振り返って反省しているようだった。2人が、自分が納得するまで反省するのを見届けたあと、俺は今日の修行を切り上げる事にする。
「さて。じゃあ、今日はこれくらいにして帰ろうか……明日は伝えてた通り、最終試験をするけど、問題ないか?」
「ばっちり!」
「問題ありません」
2人は意気込みを見せる。七年前から、2人の師匠みたいな事をさせて貰ってるが、この最終試験は母さんから出ているものだ。俺も参加する。
「帰って身体を休めてね……って、オリヴィア、何をしてるの?」
「はい。さっきの反省を生かそうと思いまして」
それが、何で俺の腕を抱く行為に繋がるのか、さっぱり解らないんです
が。
「むぅ!」
負けじとクリスが、反対の腕に抱きついてくるが、何に張り合ってるんだ。
「さぁ、帰りましょう♪」
「え、俺自分の分の修行……」
「さぁ、明日に備えて帰るわよ!」
俺は、訳が分からないまま、2人に引きずられるように、街に戻る事になった。




