4話
夜の海。いつもならば、そこにいるのは夜行性の生物くらいだろう。しかし、この日は国の王子の誕生日。国一番の豪華客船の上で、パーティーが行われている。その輪の中から外れ、一人で海を眺めている男がいた。
「何をしているんだい、サク」
「…なんだ、オメェか。びっくりさせるんじゃねぇ」
サクと呼ばれた男が、いきなり背後から声をかけたことを咎める。ごめんごめん、と言いながらも、悪びれる様子のない相手に眉をひそめた。
「なんだい、その顔は。隣国の王子様は僕の誕生日を祝ってはくれないのかな?」
「悪かったな、元々こういう顔なんだよ。テメェ、俺がこういう席が苦手だってわかってて言ってるだろ、ジル」
「うん、君の嫌がる顔が見れて楽しいよ!素敵な誕生日プレゼントをありがとう!」
「あっはっはー、そりゃよかったなぁこの野郎!」
この国の王子、ジルは恐ろしく整った顔で笑う。栗色の艶のある綺麗な髪は潮風の中でサラサラとなびき、彼のために上がる花火ですら彼の美貌の前では霞むばかりだ。
「夜の海も綺麗だなって、眺めてただけだ。相変わらずいつ見ても美しいな、お前の国の海は」
「まぁ、この国の自慢らしいからね」
「何で他人事みたいな言い方なんだよ」
「だって僕、あまり海は好きじゃないからね。津波が来たらひとたまりもないし、潮風で肌はべたつくし作物も育ちにくい。いいところといったら、海産物が豊富なところかな。僕魚嫌いだけど」
「情緒ねぇなぁオイ」
呆れたように笑うのは、隣国の王子、サク。ジルと比べてしまうとどうしても見劣るが、よく言えば男前、悪く言えば男くさい顔立ちをしている。太い眉につり目。赤みがかった髪はあらぬ方向へとはねており、一見ガラの悪いお兄さんにも見えかねないが、彼はれっきとした王子様である。
「…ちゃんと、感謝は、してるよ。サク」
「あ?何の話だよ」
「僕の誕生日、来てくれてありがとう」
「オメェが殊勝だと気持ち悪ィな」
「なんだと」
ジルがサクを殴るまねをする。悪かったって、と言って笑いながらジルの拳を止めるのはサク。何故あの二人が、と思う者も多いが、この二人は親友だった。
「そういや、オメェの大事な妹君はどうしたよ?やっぱ、こういう公の場は出れねぇのか?」
「え?あの子は城で寝てるよ?今何時だと思ってるんだい?」
「…おう…心配して損した気分だぜ…」
二人はパーティーをしている者達に構わず談笑を続ける。来賓にあいさつも終わった。もういる必要もないだろうと本日の主役であるはずのジルは開き直っていた。
そうしてしばらくして花火が終わった後、海を眺めていた彼らは、船上の誰より早く気づいた。晴れていて、月と星が見えていた空に暗雲が立ち込めている。すぐに雷が鳴り、雨が降ってきた。豪雨になるのに、あまり時間はかからなかった。
「なぁ、ジル」
「なんだい?」
「俺海のことは素人だからよ、よくわからねぇが、ヤバイんじゃねぇの、これ」
「僕もプロではないからよくわからないけど、あまりいい状況ではないのだろうね」
焦りを通り越して逆に冷静になっていた二人が、激しい雨に打たれながら会話を続ける。
「王子、いい加減船内にお戻りくださ…ってうわぁぁあ!嵐!?」
あまりに戻ってくる様子のないサクに痺れをきらした従者が、憎まれるのを覚悟でサクに声をかけに来たときだった。扉を開けると、凄まじい豪風雨に雷。波も高くなり、若干船も傾いているようだった。
「何してるんですか王子!避難を!早く避難を!」
「あぁ、やっぱり嵐なのかいこれ」
「何をのんきなことを仰っているのですジル王子!」
従者の働きにより、嵐であることが乗客に伝わる。船内はパニックになった。
「嵐ですって!?」
「船員は何をしていたんだ!?」
「オイ、見張り番が酒飲んで寝てるぞ!」
「どうなってるんだ!」
「怖いよう!」
怒り狂う人、泣き出す子ども。あわただしくなった船内に、サクは大きくため息をついた後、声をはりあげた。
「ゴチャゴチャ言う前に避難しろ避難!救命ボートでも何でもあるだろ!オイ、船員!この船の避難経路は!?」
「は、はいっ、こちらです」
船員が案内しようとすると、そちらに人がなだれ込む。サクはまた、声をはりあげた。
「女子供や老人が優先だ!押すな危ねぇだろ!」
何故か、賓客であり隣国の王子であるサクが避難誘導をする事態になっている。顔を青くした従者がそれを止めようとした。
「何をしているんですか、王子!一刻も早く乗るべきはあなたでしょう!」
「うるせぇ!テメェこそ真っ青な顔して何言ってやがる!」
「青くもなりますよあなたがそんなんだから!」
「いいから早く乗れ!」
サクは、自分の護衛で来たはずの従者を蹴り飛ばし、救命ボートに押し込めた。
「王子!何のおつもりで…!」
「いいかよく聞け!テメェに重大な任務を与える!そのボートに乗せた奴等を、責任もって陸へ届けろ!わかったら行け!」
「しかしっ…!」
「これは命令だ!!二度は言わねぇぞ!」
サクは従者に、凄まじい剣幕で怒鳴り付けた。そう言われてしまえば、従者である彼に反論は出来ない。
「…必ず、帰ってくるんですよ!王子!」
「当たり前だ!」
笑って、サクは自分の従者を見送る。さて、まだ救命ボートに乗れていない者がいるはずだ。乗船していたはずの人数と、ボートに乗っている人数が違いすぎる。幼い子供もいたはずだ。早く手を打たなければ。波風が強くなってきている。
「オーイ!死にたくねぇ奴、ボートにうつれ!」
「君も早く乗ってくれないかい?」
背後からの衝撃に頭を抱える。声でわかった。ジルが、サクの頭を殴り付けたのだ。
「いっ…てーな!何しやがる!」
「こっちの台詞だよ。賓客に何かあったとなれば、何かと不利になるのはうちの国なんだよね。早いところ避難してくれるかい」
「継承権したっぱの第三王子だぜ、あんまり気にすんなよ!それよりお前も早く乗れ、馬鹿野郎!」
「馬鹿はどっちだ、護衛を先に逃がすなんて」
「テメーはどうしたんだよ、護衛もつけずに一人で」
「ここの船長が頑固者でね。この船と心中するのだと騒いでいるんだ。目の前で民を見殺しにするわけにもいかなくてね、舵から引き剥がすために置いてきたんだ。さて、無駄話をしている余裕もなくなってきたみたいだよ、サク」
波がさらに高くなり、豪雨が降り注ぐ。これ以上嵐がひどくなれば、ただではすまされないだろう。
「乗客及び船員の避難、完了!」
「迎えに来ましたよ、サク王子!」
ジルと、サクの従者の声が聞こえる。仕事は済ませたからさっさと避難をすませろ、馬鹿王子。目で語る彼らに、王子達は笑みをこぼした。
優秀な従者達だ。避難者の取りこぼしもないだろう。二人の王子が、救命ボートに乗り移ろうとした時だった。その瞬間、突風のせいか、沈みかけた船が大きく揺れた。雨のせいで足元も悪く、ジルは足を滑らせる。ジルの身体は、荒れる海へと傾いていった。
「ジル!!」
サクが咄嗟に、ジルの身体を引き上げようと袖を掴む。しかし、やはり足場が悪くふんばりはきかない。サクも足を滑らせた。
「王子っ!」
「あの馬鹿!!」
従者が焦って手を伸ばすも、すでに遅く。二人の身体は、荒れた海の底へと沈んでいった。
水の中にいるときの特有の浮遊感の中、サクはおぼろげながらも意識を取り戻した。
自分とジルは、一緒に海に落ちたはずだ。沈んだはずの身体が、顔だけ海面から出ている。見えるのは、青ざめたジルの顔。生きて、いるのだろうか。確かめたいのに、身体が言うことをきかない。
ジルの他に見えたのは、艶やかな長い黒髪。おそらく、女の髪だ。誰だかはわからない。確認したいのに、また瞼が重くなってきた。ちくしょう、と胸中で自分に悪態をついた後、サクの意識は深く深く沈んでいった。