本編
サークルのお題「書き出しを『みなさん、あたらしい憲法ができました』(『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省発行)の冒頭より)で始める」という企画にて執筆。
「みなさん、あたらしい憲法ができました」
世界で五本の指に入る大財閥の一人娘・四方天山仙花の、聴く者の背筋に氷柱をぶち込むような冷えきった声に、部屋に集まった他六人の少女達は鋭い視線を彼女に向ける。
並の人間ならとても耐えられない、殺意で精製されたレイピアを突き付けるが如きそれらを正面から受け止めた仙花は、しかし死線を歯牙にも掛けず、財政界の覇者かくあるべしと、悠然と後を続ける。
「『どのような理由であろうと、藤原新一を傷つけてはならぬ』――これには皆様異存は無いでしょうね」
「同意見だ」
真っ先に答えたのは藤原茶々(ちゃちゃ)。新一の実の妹である。
「兄を愛する者として、その兄自身を傷つけるのは本意ではないからな」
そう言いながら、兄とのツーショット写真の入った写真立てを恍惚としてそっと撫でる。
「当然だよねっ♪」
後に続いたのは、どこからどう見ても普通の女の子。彼女・三葉紀志子はこの藤原家から三軒向こうに居を構える三葉家の一人娘。新一とは幼い頃より共に過ごした、幼馴染の少女である。
「『あなたを殺して私も死ぬ』なんてこと考えるような女は、愛する人の気持ちも考えられないクソメスだよ。そんな奴が新ちゃんに愛してもらえるわけないもんね」
このような状況でなければ、周りの人間が皆ほんわかする柔らかい笑顔のまま、この部屋の本来の持ち主である新一(現在外出中)の本棚から『To L〇VEる』の単行本を取り出し、幼馴染キャラ以外のヒロインの顔やちょっとHなシーンをサインペンで塗り潰している。
「そんなことをお前に言われなくたって、ボクは絶対に新一くんを傷つけたりなんかしないゾ」
仙花に向けて歯を食いしばってそう唸りながら、メイは眼光をさらに鋭くする。彼女はこの藤原家で飼われているメスのラブラドールレトリバーだが、数日前になにやらよく分からない不思議な力が働いて人間化した。イヌであった時に一番よく世話してくれた新一をご主人様として慕っている彼女にとっては、家族以外の人間がこの家に上がり込んでいる時点で不愉快で仕方がない。
「でも……あの方以外、を傷つけて、はいけな、い……なんて約定、は、無い……よね」
部屋の隅で体育座りをした、全身真っ黒い服を着た怪しげな女・愛別離苦(自称)がぎりぎり聞き取れるレベルの音量で呟く。
「運命、を、受け入れ、られな、い異常、者は……地獄逝き、だか、ら……降りかか、る火の粉は……自、分で掃、わなきゃ……」
前世で新一と燃えるような恋に落ちるも、身分の差により引き裂かれ、悪しき者の手により火炙りにされて死するも、大天使オリフィエルに救済され、自分の後を追って自害した新一と共に現世に蘇り、再び結ばれるよう運命づけられている――それが彼女……が主張している自身のプロフィールである。明らかに偽名臭い名前も含め、全てが謎だ。
「その通りだけど、果たしてそれがアンタに出来るのかしら?」
偉そうに胸を張るのは、ある日突然ファンタジックな力で異世界からやってきた魔女見習いのルージ・ドリンクウォーター。懐から木製の魔法の杖を取り出し、見せつけるように弄ぶ。
「バトル展開になれば、俄然有利になるのは魔法の使えるアタシでしょ? アンタ達には申し訳ないけど、シンイチはアタシと向こうの世界に行って、ゼ〇の使い魔的なラブコメファンタジー路線を歩むのよ」
「有利なのが貴女だけだと思うのは些か驕りが過ぎるのでは」
機械的な音声で横槍が入る。
「バトルに有利なのは自分も同じかと。我々にお似合いなのは、むしろとある魔術〇禁書目録的な魔術と科学のガチバトルでは。見習いとプロでは勝負は見えていますが」
彼女の本名は『TXP-3360 ver.2.03』。H〇NDAから好評発売中の一般家庭向けメイドロボであり、持ち主の新一から付けられたパーソナルネームは『ふにこ』。主人の身の回りの世話や家事一般はもちろん、主人をあらゆる危険から守るための様々な装備が施されている。
「お望みとあらば、只今より貴女の様な余所者には到底想像もつかない、この世界の科学技術の恐ろしさを御覧に入れてもよろしいのですが」
「やってみなさいよ。そっちこそ人形のくせに人間に恋しちゃうとか何様のつもり? ま、シンイチが魅力的なのが悪いのかしら。その点に気が付いたのは評価するけど、アンタなんかアタシの魔法で一瞬で鉄屑に変えられるんだから」
「まあまあ、お待ちになって下さいお二人とも」
ヒートアップしてきたルージとふにこを、仙花がなだめる。
「なによ! そもそもなんでアンタがさっきからアタシ達を仕切ってるわけ? ただの金持ち風情が偉そうにしないでよね!」
「ただの金持ち、ですか。ルージ・ドリンクウォーターさんでしたっけ、あなた少々勘違いをなされておられるようですね。異世界からお来しならば仕方のないことなのかもしれませんが、教えて差し上げましょうか。この世界では、お金が全てなのですよ」
仙花が右手をスッと上げた。
数瞬遅れて、ガラス窓がひび割れるパシャンという音。そして――
「ヴッ……!」
ルージの頭蓋が砕けた。
彼女の体は一瞬の硬直の後、ゴムの様にぐにゃりと床に崩れ落ちた。
「一流のスナイパーをはす向かいのマンションに忍ばせておきましたの。なかなかに値は張りましたが、新一さんを手に入れる為ですもの。必要経費ですよ……うふふふふ」
不敵に微笑みながら、仙花はルージの頭の脇にしゃがみ込み、もう動かない体をつんつん突く。
「どうですか魔女さん? お得意の魔法を使う間もなくご退場なされるご気分は……あらまあ、もうお返事なされませんよねぇ……わたくしがぶち殺してさしあげたのですから。うふふ、うふふふふふ……」
笑いを抑えきれないといった様子で、彼女は死骸の頭部に開いたライフルの銃創に右手の人差し指をずぼずぼ突っ込んで遊びながら含み笑いを続ける。
そんな凄惨な光景を大したリアクションも無しに傍観する残り五人。最初に口を開いたのは紀志子。
「……もう一人減ってくれたね」
「すぐにもう一人減るよ」
言うが早いか、メイが紀志子の喉笛を噛み千切ろうと飛び掛かった。だがこの一撃に対し紀志子は動じず、持っていた『To L〇VEる』第二巻をメイの口に突っ込んで防御する。
「チッ、紙は不味いよ」
やすやすと単行本を噛み千切ったメイは、口の中の紙くずをぺっぺと吐き出す。
「本当は新一くんにもらった餌以外は食べちゃいけないんだけど、ボク悪い子になっちゃうなぁ。『メッ!』って叱ってもらうから、今だけ悪い子になっちゃうゾ。というわけで今度はお前の肉の味をみてやる」
「いけ好かない愛玩動物だね。あーあ、春〇ちゃんが食べられちゃった」
『To L〇VEる』二巻の表紙は件の幼馴染キャラであったが、無残にも首だけ食い千切られた格好になってしまっている。
「躾が必要だね。毛皮くらいは床を拭く雑巾にでも使ってあげてもいいかな。それに肉の味なら、そっちのも興味あるなぁ。韓国人は犬の肉も食べるんだよね。私も韓流ブームにのっかってみようかなぁ。もちろん新ちゃんの方が韓流スターの何倍もかっこいいけどっ♪」
「味、ですか……」
メイ対紀志子の食うか食われるかの対決を眺めながら、仙花はルージの頭の中をこねくり回すのを止めた。
「そいうえば『人間は脳味噌が一番美味である』という逸話を聞いたことがありましたね。せっかくの機会ですし、試食してみましょうか」
仙花は突っ込んでいた指をゆっくり引き抜いた。どろどろになったルージの内容物が付着している。
「魔女さんもわたくしの血となり肉となって新一さんに愛されるのですから本望でしょう。それでは不作法で申し訳ございませんが、いただきましょう」
彼女はゆっくりと自分の指を口に含んで、たっぷりと舐っていく。『人間を口にする』という禁忌を犯している背徳的な状況に興奮しているのか、頬を上気させ、情熱的に魔女の遺物を残らず嘗め取っていく。
「んはぁ……」
吐息と共に、涎塗れでべたべたの右手人差し指を、ぷるぷるの瑞々しい唇から吐き出した。
「んー……水っぽいクリームチーズに近いでしょうか……いずれにせよ、好んで口にする味ではありませんね」
「だがそれが」
それまで何もせず写真を眺めていた茶々が、体勢は変えぬまま突如仙花の独り言に割り込んできた。
「四方天山仙花の最後の晩餐となる」
「……何を仰っているのか理解しかねますね。茶々さん、わたくしが死ぬと?」
「お前は負ける。いや、既に負けている」
「うふふっ、おかしなことを。お忘れに? この部屋はスナイパーに狙われている。他にも奥の手はいくらでも用意しているのですよ? わたくしの好きなタイミングで、あなた方は皆息絶える。この部屋は全て、わたくしが掌握しているのですよ」
「果たして本当にそうだろうか」
「ふふっ、愚かな妹をもって、新一さんはさぞご苦労を――ッ!?」
唐突に仙花を襲ったのは内臓の違和感。最初は慣れないものを口にしたが故の嘔吐感かとも思ったが、そうではない。まるで内から体を焼かれるような。内から体を食われていくかのような。
内から死が広がっていくかのような。
「な……なん、こ……こ、れ……」
謎の苦しみに悶える仙花を横目に、茶々がにやりと笑った。
「『この部屋を掌握した』……? 愚かなのはそっちだろう。ボケたのか? この部屋はずっと昔から兄の――兄と私の部屋だ。そしてこの家も私たちの家だ。愛の巣だ」
相変わらず座ったまま語り続ける茶々の言葉を聞きながら、仙花は考えていた。一体自分は何をされたのか、どうすればこの状態から逆転できるのか。新一さんが愛おしい。この感じは毒物だろうか。いつ、一体どのタイミングで盛られたのか。お慕いしております新一さん。この家に足を踏み入れてからあの女の用意したものは一切口にしてはいない新一さん大好き新一さん新一さん新一さん新一さん新一さん好き新一さん新一さん新一さん新一さん愛して新一さん新一さん新一さん新一さんしんいちさんしんいちさしんいしんさいんしししいちしんさんさしんちささしんちしcnsisnsissaini……
「私は仕掛けたんだ。毒を。ドアノブに。玄関だ。この家の」
仙花はもう音を聞くことが出来なくなっている。それでも茶々は話を止めない。
「誰でもよかった。右手に毒が付着すれば、そのうち何らかのルートでそれを摂取してしまう可能性は高い。あくまで『そうなったらラッキー』程度の仕掛けだったが……まさかあのようにエロエロに指をチュパチュパやってくれるとは思わなかったぞ。流石はお嬢様だな。素晴らしいサービス精神だ。初めてお前を褒める気になった」
そこで初めて茶々は仙花に向き直り、言葉の止めを刺す。
「だが所詮ただの色物だったようだ。卑猥な女は兄に相応しくない。じゃあな」
かくして世界有数のセレブプリンセスは、惨めに息絶えた。
「家族以外が縄張りに入ってくるとか、なんで人間はこんな状況が我慢できるのかな」
メイは部屋の外、がらんとした廊下をうろうろしていた。殺し合いを演じていた紀志子の姿はない。彼女とてただの人間。そう何度もメイの動物的動きに対応できるわけもなく、一度戦略的撤退を行ったのだ。本当は未だ都合よくイヌ並みの嗅覚を保持している鼻を利かせて居所を掴みたいところだが、先ほどふと違和感を感じた玄関のドアノブのにおいを嗅いでから、謎の刺激臭にやられてすっかり麻痺してしまっていた。
おそらく相手は現在どこかに身を隠しながら、メイを打倒しうる策を巡らしていることだろう。紀志子は頭がいいのだという新一の言葉を思い出す。だがそれと共にそう語った彼の幼馴染への親愛に満ちた笑顔が脳裏にちらつき、顎の骨が軋むほど牙を噛み締める。
「大体新一くんは優しすぎるんだ。押し入ってくる奴は残らず殺しちゃえばいいんだ。ボクにそう命じてくれれば番犬として喜んで誰でも噛み殺してやるんだゾ。どんな奴からも命を懸けて新一くんを守るのに。あんな余所者なんかさっさと首から食い千切ってやらなきゃ。また新一くんに怒られちゃうよ。ボクってあんまりお利口じゃないみたいだから、しょっちゅう失敗して『メッ!』って叱られちゃうけど、それでもその後新一くんは優しく笑ってなでなでしてくれるからボク平気なんだゾ。でもボク新一くんが大好きだから、あんまり怒らせちゃって見捨てられるのがすっごく怖いから、いっぱいなでなでして褒めてもらいたいから、頑張って番犬しなきゃね。外から入ってきて新一くんに悪いことする奴らなんか、一人残らずしっかり噛み殺しておかなきゃ。そうすれば新一くんはきっといっぱいなでなでしてくれるよね。そして一緒に散歩に行って、ブラッシングしてくれて、ボールで遊んでくれて……あ、でも今はボクの体は人間と同じなんだよね。うーんどうしようかな。散歩くらいはおねだりしてもいいかな。なんでなのか難しいことは分からないけど、ボクがこの体になっちゃってから新一くんは『せけんてい』とかいうものがあるからってリードつけないで散歩に行くようになったんだよね。だけど首輪だけは外さないゾ。あ、リードの代わりに手を繋いで歩いてもらおうかな。そしたら人間同士の恋人に見えちゃったりするのかな。ちょっと恥ずかしいゾ。まあボクは新一くんの家族だからね。恋人よりも家族の方が大事にされて当然だよ。家族なんだからボクが新一くんに体を洗ってもらうのもおかしくないし、家族なんだから――」
そこではたとメイは気が付く。そう、家族。メイにとって最も大切なものは家族である。だからこそメイ的家庭内重要度トップの新一に対しては盲目的なほどの愛情を露にし、家族以外の者に対しては誰に対しても等しく敵愾心をあからさまにする。
三葉紀志子を殺したい。
愛別離苦を殺したい。
四方天山仙花やルージ・ドリンクウォーターだって自分の手で――牙で殺したかった。
だけれども――
「――……茶々ちゃん……ふにこちゃん……」
家族は新一だけではない。
「え……ちょっと待ってよ。無理だゾ。無理じゃん。家族じゃん。家族殺せるわけないじゃん。バカじゃんボク。殺されちゃうゾ。お腹見せてコロンって転がっちゃうゾ。イヌのままなら良かったのに、今は人間だから。心はイヌなのに、体は人間だから。新一くんの恋人になれちゃうから殺されちゃうじゃん。ボクはイヌでいたいのに、イヌでいいのに、なでなでされて、散歩に行って、たまに褒めてくれて、それだけでいいのに、イヌなら許されるのに、人間だから殺されちゃう。どうしよう。どうすればいいのかわからないゾ。ボクお馬鹿だから。優しい新一くんにも怒られちゃう馬鹿だから。ねえ新一くん、命令してよ。ボクはどうすればいいのかな。どうすれば……新一くんの愛犬でいられるの?」
「絶望中すみませんが」
「誰ッ!?」
鼻が利かない上に、自分の圧倒的不利を自覚してしまい脳がオーバーヒート寸前だったため、安易に敵の接近を許してしまった。慌てて相手の正体を確認する。
「誰とは、毎度毎度あなたの餌を作って差し上げていた私に対してあんまりでは」
今最も顔を合わせたくない者のうちの一人。
「ふにこちゃん……」
「ええ、あなたの可愛い家族、ふにこちゃんですが」
「……ボクを殺すんでしょ。いいゾ。ほんとは良くないけど。しょうがないじゃん」
そういってメイはイヌが気を許したものにするように、仰向けに床に寝っ転がり、無様にお腹を見せて服従の意を表した。ついでに着ていたシャツの裾をつまんで捲り、哺乳類共通の弱点であるぷにぷにの柔らかい腹を露にする。
「……何か勘違いをされているようですが」
しかしふにこは首を傾げただけだった。
「私はあなたと事を構える気はありませんが」
「へ?」
「私は家政婦であり、マスターのお世話が出来ればそれで満足なので、そのペットとして生きたいあなたとは互いに相手の領分を侵すこともなく、穏便に家族として生活していけると考えているのですが」
「じゃっ、じゃあボク達は殺し合わなくていいの? ずっと一緒に家族でいられるの?」
「むしろ私はあなたに、共闘を申込みに来たのですが」
「きょうとう?」
「現在この家に集まった皆様は全員が全員を敵として戦い、協調性の欠片も見受けられず、家族である私達が組み共同作戦をとるだけでかなりのアドバンテージが想定できるわけですが」
「なるほど。味方が出来れば心強いゾ。あっ、それなら茶々ちゃんも一緒に戦おうよ。三人なら二人よりももっと心強いゾ」
「茶々様は……少々難しいかもしれませんが」
「どうして?」
「彼女があくまで妹として愛されることを望むなら可能かもしれませんが。私が思うに、茶々様はそれ以上を望んでおられるのでは。家族は何人いようと暖かい関係を築くことは可能ですが、恋人、またはそれに準ずる関係を望むなら、自分以外に愛するお方の寵愛を受ける者がいれば、そこには火花が散るはずですが」
「でも茶々ちゃんとは戦えないゾ」
「ですから茶々様との直接対決は避け、とにかくそれ以外の方々の殲滅に徹しようと思うのですが。そしていよいよという場面がやってきた場合は、あなたではなく私が彼女と戦うというのは。機械ですから、機械的に心を押し殺してみせますが」
「……そうか」
メイは正直なところ、他の誰かに、家族のふにこであろうと、茶々が殺されるのは嫌だった。だが同じように家族に愛情を持つと信じるふにこの、いつものように感情の見えない瞳の中に見えた覚悟と、押し殺しようもない新一への忠誠が、彼女の悲壮な決心の後押しをした。
「じゃあまずはちょろちょろと小うるさい普通女からだゾ。どこにいるか分かる?」
「マスターの動向を完璧に把握する為、この家の敷地中には一切の死角無く監視カメラが設置されており、その全ての映像データがリアルタイムに私の電脳に送られていますので、その程度一秒とかからず検索可能ですが」
「よし、さんきゅ。じゃあさっそく殺しにいこうよ。家族の輪を乱す敵をさ」
「――自、分で……ああ、は、言ったけ、ど……ぶっ、ちゃけ、あの方を手、に入、れる為に殺、し合う、気は起こ、ら、ない……んだよ、ね。だって、誰が、誰を、どういう、理由、で殺して、も殺さ、なくて、も……このわたし、とあ、の方が結ば、れ、るのは……天上、の意志によ、って定めら、れた確定され、た未来だか、ら……。このわたし、が動か、ずとも、見えざ、る介、在によっ、て実現さ、れ、る確約さ、れた事実……」
「読みずらいから余計に喋るな。文字数の無駄だ。てんてんてんてん――お前の台詞はごま塩か」
「……意、味わから、ない」
新一の部屋では、ルージと仙花の死体を端に片づけた茶々と、始終立ち上がることすらしなかった離苦がガールズトークの真っ最中であった。
「意味が分からないのはこちらだ。一体何者なんだお前は。他の者については納得している。メイとふにこは家族だし、三葉紀志子は私も幼い頃から馴染みの仲だ。四方天山仙花は兄の友人で身元もはっきりしすぎる程明確だ。ルージ・ドリンクウォーターにしても、納得するのに時間こそかかったが、魔法もこの目で見たし、異世界から来たということで結論付けざるをえないまでに検証した。だがお前だけ何も分からない」
「…………」
「最初はただの頭蓋の内容物が憐憫に溢れている人種かと思っていた。今も十中八九そう思っている。しかし私は『異世界からの来訪者』という常識では考えられなかった存在を認めた。さらに『ラブラドールレトリバーが人化する』という科学的に在り得てはならない現象までも目の当たりにしてしまった。こうなると『前世からの絆』というお前の主張が、むしろ今までの体験よりも現実的に思えてしまう。もう私にはお前が何なのか判断出来ない」
「…………」
「筋の通った妄想は設定となり、説得力のある設定は事実になり、周知された事実は常識になる。話してみろよ。納得させてみろよ。お前のキャラ付けを。認めさせてみろよ。この世界観にお前という存在を確立させてみろ」
「……あな、たも、長、々とご、高説。外見に似、合わな、い口、調と態度……他人のこ、と、言、えた口………?」
「これが私のキャラクターだからだ。ふふふ、カッコいいだろう?」
「…………う、うん。あはは……」
無意識ながら離苦にまったくキャラに合わない愛想笑いをさせた茶々(中二)。付き合うには面倒くさいキャラクターである。
「ん……まあいい、や。教、えてあげ、る……このわたし、と、あの方、の馴れ初、めを……」
離苦は遠い思い出に視線をさまよわせるが如く、中空に焦点の合わない瞳をふわふわさせながら、夢見る乙女の口振りを披露する。
「このわたしと、あの方、が、出会っ、たのは、一三世、紀のサマルカン、ド……このわたしは、ソグド商、人の娘……あの方は、ホラズム、のシャーの王、子だっ、た――」
(中略)
「――斯くし、て南極から帰、還した、二、人は、約束の、地……アスンシオンに、て悠、久の隠遁生、活、を送る、の……」
「……アスンシオンがどこか分かってるのか?」
「…………イラン、あた、り」
「パラグアイの首都だ馬鹿」
長々と話を黙って聞き続け、正直無駄に疲れてしまった茶々は、諦めたように溜め息をつく。
「ツッコミ所だらけだったが、とりあえず茶々を入れずに最後まで語らせたわけだ。茶々だけに」
誰も笑わない。
「その結果、全っ然分からなかった」
「……別、に理解、してもら、お、うと思っ、て話し、たわけ、じゃない、し」
「だが結論を言えば、お前の言う兄との思い出が現実か妄想かなど、究極的には関係ないのだ」
茶々はゆっくりと立ち上がり、長時間座っていたことによる筋肉の凝りをほぐす為に屈伸運動を行う。
「本当にあったことだろうが、お前の可哀想な頭の中で起こったことだろうが――私の知らない兄の姿を知っている。それだけで理由としては十分だ」
「…………ふーん、抗うん、だ。兄妹じゃ、結、婚できな、いの……知って、る?」
「書類一枚書けば結べるような薄っぺらい契約などよりも、血で結ばれた運命の方が強靭なのは自明のことよ。さあ、来いよ。払ってやるよ、露」
「幼なじみキャラなんか、他ヒロインとくっ付いた主人公を物陰から眺めながら『あなたが幸せなら私は嬉しい。一番のお友達でいさせてくれたら私は満足なんだ』って自分に言い聞かせ続けたまま一生引きずって独身を貫いて寂しく死んでいくのがお似合いなんだゾ」
「そっちだって、イロモノキャラクターは話のアクセントとして中盤までは本筋に絡んでくるけど、結局主人公は正統派ヒロインとくっつくものなんだからせいぜい大きなお友達の記憶に残る退場シーンで最期を彩ることでも考えてればいいんじゃないのかなっ」
藤原家の台所――最近リフォームしたシステムキッチンにおいて、清潔な設備の数々には全く似つかわしくない血生臭い死闘が繰り広げられていた。
三葉紀志子は右手に持った家庭的ヤンデレの標準装備である包丁でメイを牽制する。対するメイはイヌの持つ野性的本能で凶刃を掻い潜り、何度も紀志子へ牙を突き立てようとするが、紀志子が左手に持ったおろし金によって防がれ、むしろ攻撃を仕掛けたメイの方がおろし金による手傷を受ける始末。互いに決定打を与えるまでには至らないが、メイの動きは明らかに当初の精彩を欠いていた。
メイはイヌであった。今も心はラブラドールレトリバーのまま、主人である新一に尽くすことのみを目的としている。
だが現在、彼女の体は多少運動神経に優れ、他人より少し鼻が利くだけの可憐な人間の女性でしかない。本人がイヌのつもりで人間の体を酷使すれば、スタミナがそうそう持つわけもない。そこに自分の度重なる攻撃が全く通用しないじれったさ、そして自分の血肉を削り取られる痛みが加わり、本来考えて行動するタイプではない彼女の攻撃はどんどん行き当たりばったりの単調なものになり、普通の少女である紀志子にも楽に防がれるようになってしまっていた。ジリ貧である。
「そんなヘロヘロの攻撃が届くとでも思ってるのかなぁ! ねぇねぇ、イヌのお造りとイヌおろし、どっちが新ちゃん喜ぶかなぁ!」
「うっさいなァ! 幼馴染みのあら汁の方が喜んでくれるゾ」
口では威勢の良いことを言っていても、自分が不利なことはメイ自身理解していた。だが突破口が思い付かない。
てっきりこんな一般人相手など楽勝だと思っていた彼女は、「私は茶々様側の戦況を偵察して参ります」という協力者の申し出をすんなり了承し、完全に単独で紀志子に挑んでいた。ふにこが偵察を終えて戻ってきてくれれば状況は変わるかもしれないが、果たしてそう上手く事が運ぶだろうか。
(なんにしてもこのままじゃ先は見えてるゾ。一旦引いて態勢を立て直さなきゃ)
何か退却に役立つものはないかと、メイはキッチンを見回した。
(……! あれなら!)
メイは調理台の上に無造作に置かれていた紙袋をひっ掴み、そのままパンチを繰り出すようにそれを紀志子の顔面を狙って突き出した。
「だから無駄だってばっ!」
これまでと同じく、紀志子は左手のおろし金で防御。そのまま拳をすりおろすようにおろし金を思い切り横に薙ぐ。
瞬間、紀志子の視界が真っ白に塗り潰された。
「な、なにこれ!?」
咄嗟にそう叫んでしまった。途端に口や鼻から入ってくる粉っぽい何か。たまらず彼女は何度も咳込んでしまう。
それは小麦粉だった。メイが突き出し、紀志子がおろし金で破ってしまったのは小麦粉の袋。それはメイの姿を完全に覆い隠すものでは決してなかったが、一瞬でも注意を逸らすことが出来ればメイにとっては十分であった。
白色の霞が切れたとき、既にメイの姿はどこにもなかった。
新一の部屋での死闘も、ワンサイドゲームの様相を呈してきていた。
絶対に折れず、護身用にも便利なグラスファイバー製の傘で離苦へ打撃攻撃を繰り出し続ける茶々。対する離苦は新一の本棚にあった広辞苑(第六版)を盾にしてなんとか凌いでいる状態。誰の目にも勝敗は明らかである。
そんな一方的な虐殺風景に、割って入るものが一人――いや、一機。
「茶々様」
「なんだふにこ。お前はこの女の後だ。それともお前も私に刃向うか」
「何を仰るかと思えば。私が茶々様を攻撃できないのはご存じでしょうが。少々お耳にお入れしたいことがあるのですが、お時間はよろしいでしょうか」
「ふん。今はこの害虫を駆除している最中だ。一言に纏めろ」
「ええ。一言で十分でございますが、僭越ながらお耳を拝借いたしましょうか――」
イヌは頭が良い。それは事実だ。
だがヒトと比べれば雲泥の差がある。それを驕りと言う者もいるだろうが、少なくともこの時の紀志子にはそう思えてならなかった。
「メーイちゃーん、どこに行ったのかなー」
わざとらしく声をかけながら廊下を進む。その表情は笑顔。溢れているのは歓び。最愛の幼馴染を奪い取ろうとする目障りな泥棒犬を駆除できることへの歓喜。もう手加減はしない。どこかでぶるぶるがくがく、それこそ怯えたイヌのように縮こまっているであろうメイに、情け容赦なく右手の包丁を深く深く突き立ててやるのだ。先ほどは逃亡こそ許したが、自分の有利は揺らぐことがなかった。このまま押し切れる。
「あれー、どこに隠れたのかなぁー。あれー?」
メイの隠れた先は分かっている。所詮獣は獣。おろし金によって削られた傷跡からあふれ出たメイの血液が、廊下に点々と真っ赤なドット模様を描いていた。
「んもー、こんなに汚しちゃって……メッ! だぞ! 後でお掃除しなくちゃなぁ。将来のお嫁さんとして。きゃっ、もぅ、私ったら、気が早いぞっ♪」
ゆっくりと、確実に、一歩一歩、散歩でもするように、紀志子はメイの跡を辿っていく。
「まずは目の前の障害を全部残らず取り除かなきゃ。新ちゃんに私だけを見てもらえなくなっちゃうよ。新ちゃん優しいから、すぐ色んな女の子を勘違いさせちゃうんだもん。まぁそこが大好きなんだけどねっ♪ んもー、悪い子なんだから新ちゃん。でも大丈夫。纏わりつく埃は私がぜーんぶ払い落としてあげるから。黙って夫を立て、三歩後ろを歩く理想的な日本の奥さんになるよ私。新ちゃんったら変な女にばっかり好かれちゃうから、私みたいな普通の女の子はとっても貴重なんだよ。逃がしたらきっと後悔すると思う。あぁ勘違いしないで。私は全く逃げる気なんて無いんだよ。新ちゃんが一時の気の迷いで他の女になびいちゃうのが怖いんだ。そうならない為に、私頑張るよっ。私を逃がして、新ちゃんが後悔しないように、新ちゃんに近づくふしだらな女は、みんなみーんな潰しちゃうんだから。これで一生幸せに暮らせるんだよ。良かったね、新ちゃん♪ 嬉しい? 新ちゃんが喜んでくれるなら私も嬉しいんだぁ」
自分に言い聞かせているのか、はたまた空想の中の新一へ語りかけているのか、酷く曖昧な内容の呟きを零しながら、紀志子は階段下の収納スペースの前に立った。
血痕はその中へ続いている。イヌを追い詰めた。
「メーイちゃん、みーつーけたー♪」
紀志子は一気に扉を開いた。そこには――
「喰らえ!」
消火器のノズルを紀志子の顔へ向けて構えたメイがいた。
「くっ……また!?」
紀志子が連想したのは、つい先ほどの小麦粉による目くらまし。
あれを消火剤でやられては、視界を奪われるのは一瞬では済まないかもしれない。
そう咄嗟に考えた紀志子が、反射的に両腕で顔――特に目の辺りを庇い、消火器の噴射に備えたのは、至極当然の回避行動だった。
だが待っていたのは、消火剤の噴射ではなく、消火器そのものによる側頭部への打撃だった。
「ガッ……!」
完全な意識外からの強烈な一撃に、紀志子は完全に体勢を崩された。
その大きすぎる隙を、メイの牙が逃す道理はない。
「勝った……勝ったゾ……! やったよ新一くん! ボク勝ったよ! 早く帰ってきてよ! いっぱい褒めて、いっぱいなでなでして欲しいゾ! ぅわぉおおおおおおおぉん!」
メイ、廊下にて歓喜の遠吠え。もし彼女にまだ尻尾があったなら、千切れんばかりに振られていたことだろう。
「あとはあの黒い奴だけだゾ。でも茶々ちゃんが負けるわけないし……あーもーどーしたらいいのかさっぱりだゾ! とりあえずあいつにやられた傷を舐めとかないと」
難しいことを考えるのはふにこに任せることにして、メイはおろし金によって手や顔などに付けられた無数の擦り傷を、舌が届く限りぺろぺろ舐めて消毒を始める。血と小麦粉と埃の混じった何とも言えない味がする。
そういえばお腹が減っていることに気が付く。今が何時か分からないけど(そのまえに時計の見方すらまだよく分からないが)後でふにこにご飯を作ってもらおう、などと考えつつ鼻の頭の傷をなんとか舐められないかと舌を限界まで伸ばしていると、ふにこが帰ってきた。
「思いの外緊張感のないご様子に驚かされましたが、そのご様子では勝利されたと推測いたしますが」
「おう! 見事な作戦勝ちってやつだゾ。それでそれで、向こうはどうなった? やっぱり次は茶々ちゃんと……」
「そのことですが……」
ふにこは一度口を閉じ、より重い口調で続けた。
「茶々様は、愛別離苦様に殺害され、逝去されましたが」
「…………………………えっ――」
メイには理解出来ない。茶々が死ぬなど、彼女の想像出来る範囲を超えた事象だ。
「凶器はマスターの所有物である広辞苑(第六版)。厚さ約八センチメートル、重量約二・五キログラムの立派な鈍器で数十回も滅多打ちにされては、さしもの茶々様とてひとたまりもなかったのでは」
「ぶっ殺してやる」
「…………」
「復讐してやる。家族を殺した奴。赦さない。八つ裂きにしてやる」
「…………愛別離苦様は、未だ部屋の中ですが」
「殺してやる。殺してやる」
メイの思考に、外敵を退けた歓びなど欠片も残ってはいない。ただ家族の仇を討ち、いかに惨たらしく恨みを晴らすか、それのみを求める本物の獣と化していた。
ふにこは止めようともせず、ただ黙って見送るのみ。その表情には、細波ほどの変化も無い。
部屋のど真ん中に転がされたままの茶々の遺体をメイに見せてしまった時点で、愛別離苦の敗北は決定していた。その余りに惨たらしく変わり果てた姿は、メイに僅かに残っていたイヌとして、そして人間としての理性をも吹き飛ばし、完全に彼女を一頭の猛獣として覚醒させてしまった。
猛獣に生身の人間が勝てる可能性など、万に一つもあろう筈がない。
茶々の命を奪い去った広辞苑(第六版)など、腕の一振りで紙くずと化した。同時にメイ自身の腕も深刻なダメージを負っていたが、そんな些細なことは毛ほども気に留めることは無い。
それでも愛別離苦は狼狽えない。
ただ、またか……とうんざりしただけ。
彼女は一度死んだのだ。愛した男と引き裂かれ、数週間に及ぶ肉体的精神的暴力の末、燃え盛る炎に身を焼かれ、一握の灰となって消えた。そして輪廻は繋がり、再び愛しい男と共に、この世界に生を受けた。
何が真実かなどどうでもいいことで。
ただ己がそう信じているからそれでいい。
むしろ以前の死よりも楽なものじゃないか。
このわたしとあの方は選ばれた存在。
再び共にこの世に舞い戻り、今度こそ、生きて愛を分かち合う。
その時まで――いいでしょう。
あの方を愛するがいい。あの方に愛されるがいい。あの方の身体を、心を、我がものにするがいい。
だってあの方の運命は、永久にこのわたしのものなのだから。
メイが我に返った時には、既に部屋の中に愛別離苦の姿は無かった。
ただ、幼子が好き勝手に掘り返した砂場のように、無秩序に形の崩れた肉塊が散らばっているのみである。
「…………あは」
メイは自分の手を眺める。
そこに肉球は無い。主人と同じ、人間と同じ五本の指――それすら原型が分からない。
自分の肉体の損傷を顧みずに、一人の人間を徹底的に破壊した結果であった。
「……ねぇ、ボク、良い子だったかな。新一くんに、良い子良い子って、なでなでしてもらえるかな。ねぇ、これでいいのかな。分からないゾ。だってボクは――」
「あなたは、イヌなのですから」
黙して、ただ惨劇を傍観していたふにこが続ける。
「そう、あなたはイヌなのです。そして、現在この家に残っているのは私とあなたのみということで間違いありませんが、これは掃除がさぞ骨の折れることでしょう。私に骨はありませんが」
「あはは……」
「ですが、その程度の家事、私一人がいれば十分。そして――」
「ん? どうしたんだふに……」
「マスターの御寵愛を受けるのも、私一人で十分と言っているのですが」
完全に無防備だったメイの腹を、ふにこの手に握られた包丁が深く抉っていた。
「ふ……に、こ……?」
現状が理解不能といった様子のメイに、ふにこが畳み掛ける。
「本当に、あなたがお馬鹿でラッキーでした。あなたがお利口なら気付いたでしょうに。いいですか、私言いましたよね、マスターの動向を完璧に把握する為、この家の敷地中には一切の死角無く監視カメラが設置されており、その全ての映像データがリアルタイムに私の電脳に送られているのだと」
「そ、れが……?」
「まだ分かりませんか? 本当にお馬鹿ですが、イヌとしてはその方が可愛げがあるでしょうか。では教えて差し上げますが、つまりですね、私は茶々様側の戦況を偵察する為にわざわざあちらに出向く必要などないのですよ。その矛盾にすら気づけず、チームを組んだにもかかわらず共闘もせず離れていく私を見送るお馬鹿があなただと言いたいのです」
「…………」
「私は家政婦です。人間の常識的に考えて、家事をするためのロボットに戦闘用の装備を付けるわけがないでしょう? そして当然のことながら、私は人間に危害を加えることが出来ないよう予めプログラムされている。ロボット三原則というものがありましてね。最初から私は殺し合いなど出来るわけがない。だからあなたと組んで、余計な人間は殺していただいたのです。あなたはイヌですから、私でもころせますからね、この通り」
「ボク…………イ、ヌ……」
「ですが分かっていました。あなたには茶々様だけは殺せない。しかし茶々様と対峙していた愛別離苦とおっしゃるお方では到底あの方には太刀打ち出来ない。そこで私は茶々様にある嘘を吹き込んだのです」
「茶々……ちゃん……」
「『茶々様とマスターは、血の繋がらない義理の兄妹なのですが』――普段であれば虚構であると考えるのが普通。しかし殺し合いの最中という緊張状態、そしてマスターとの血縁を何よりの拠り所としていた茶々様にとっては到底聞き逃すことのできない情報。しかしそこは流石は茶々様。動揺したのはごく一瞬に過ぎませんでした。ですが戦場ではその一瞬が命取り――」
「ふにこが……茶々ちゃんを……!」
「私の手のひらの上で見事なダンスをご披露いただき誠に感謝いたしますが、そろそろ閉幕といたしましょうか。何か最期に言い残される言葉はおありで?」
もうメイに意識はほぼ無い。ただほんの僅かに残った、復讐の獣と化しても消えることのなかった、最期の最後まで手放すことのなかった、彼女の心の一番奥に輝き続けたひとしずくが、幕引きを迎えて、零れ落ちた。
「ボク、新一くんのイヌになれて、幸せだったゾ」
「上出来でございます」
ふにこがメイの腹から包丁を引き抜いた。溜まっていた大量の血液が一気に溢れ出し、その真紅の海の中に倒れ伏したメイの亡骸は、魔法が解けたかのように元のラブラドールレトリバーの姿へ戻っていた。
「……さて、勝利の余韻に浸りたいところですが、そんな暇も無さそうです。マスターがご帰宅される前に、家の中を徹底的に清掃しなくては」
「その必要はないわ。そんなのアタシの魔法でちょちょいのちょいだもの」
「!?」
ふにこが機械らしくもなく驚愕に身を震わせる。
在り得ない。機械的に考えて、そんな可能性が残されている筈がない。
「バカね。私は魔法使いよ。分かる? 魔法ってのは、なんでもありなのよ」
「……ふざけないで下さいませんか。そんなの……そんなの、ルール違反もいいところではないですか」
ルージ・ドリンクウォーターが立っている。
四方天山仙花の雇ったスナイパーに頭部を狙撃され、あまつさえその仙花に脳内をほじくり返されまでしていた彼女が、得意げに胸を張って笑みを浮かべている。
「そ。やっと分かった? アンタ達と違って、アタシだけ違う法則の中で生きてるんだってこと。一度やってみたかったのよね、こういうの。『一体いつから魔法を使っていないと錯覚していた?』ってやつ? うーん気分がいいわ」
「ではあの死体は……」
「面白かったわよー! なんにもない空中をほじったり舐めたり。バっカみたい♪」
「…………」
最早ふにこに打つ手は無い。
なんなんだこれは。
こんなオチはあんまりだろう。
何故私達はあんな殺し合いを演じていたのか。
これでは全て、何もかも、無駄だったんじゃないか――
「んじゃ、最初に言った通り、アンタを鉄屑にでもしちゃおうかしら。で、やるの? 魔術と科学のガチバトル」
「……もう……勝手にすればいいじゃないですか……」
「なによ連れないわね……つまんないの。いいわよ。勝手にするから」
ルージが魔法の杖を振るうと、ふにこのボディが光で包まれた。
彼女の電脳を最期に支配したのは、歓びでも悲しみでもなく、ただただ空虚であった。
「家のお掃除おっしまーい! といっても魔法の杖を一振りしただけだけど。ホントにルージちゃんったら天才魔女☆ だーれもアタシとシンイチの道を阻むことは出来ないの! このまま二人は協力したり喧嘩したりしながら数々の試練を乗り越え、愛を育みながらハッピーエンドを目指して突っ走っていくのよ♪ きゃはっ! もうめくるめくラブストーリーがとまんなーい!」
「ただいまー」
「おかえりー! さあシンイチ、アタシと契約して使い魔になりなさい! そして二人っきりの愛の逃避行のはじまりはじまりなんだから!」
「ごめん、俺五歳以下の幼女しか愛せない変態なんだ」
「…………」
かくして、ルージの魔法により全世界の五歳以下の幼女が絶滅し、その後も女子が生まれなくなったため、人類は滅亡してしまったとさ。
〈了〉
全員が『みなさん、あたらしい憲法ができました』で書き始めるというお題で、それでもなんとなく「バトル描写を練習したいなぁ」と考えていたため、こんな作品に。とにかく濃いキャラがバトルロワイヤルすることしか頭にないうちから書き始めて、書きながらオチを考えていたのですが結局思いつかず、こんな人類滅亡エンドになってしまいました。まあこれはこれで。
ちなみにこの作品に出てくるヒロイン達は、昔書いた作品の登場人物の流用や、キャラクターだけ考えたけど話が浮かばなくて没になってた子達の敗者復活だったりするので、個人的大乱闘スマッシュブラザーズみたいな感じ。