琥太郎くんと魔法陣
僕、大森巧翔は習い事でソフトボールをやっている。
──いや、正確には「やらされている」。
父が休日、家でゲームやSNSばかり見ているのであれば何か習い事をやれとうるさかったからだ。だから、僕は仕方がなくソフトボールをやった。父もコーチをやるようになって今は父のほうが僕よりもソフトボールを楽しんでいるように見える。僕自身はそこまで好きじゃない。早く辞めたいくらいだ。
そんなある日、練習中に父に怒鳴られた。
「もっと本気でやれ!」
本気なんて出す気はなかった。塁に出たくもない。だから、わざと空振りして三振していたのだ。
もちろん、そんなことを父に言えるはずがない。
「分かりました」
とりあえずそう答えた。
「分かりましたじゃねーよ!」
また怒られた。正直、面倒くさい。
だから僕は、父を困らせるつもりでこう言った。
「分かりました。じゃあ、異世界に転生してから頑張ります」
父は一瞬固まり、
“こいつはもうダメだ”
という顔をして、捨て台詞を吐いた。
「異世界なんかねーだろ」
そう言って僕の前から去っていった。
帰り道、ソフトボール仲間の琥太郎くんと歩きながら、今日の出来事を話した。
「異世界ってホントにあるのかね?」
琥太郎くんが言う。
「無いんじゃない? 死んだら天国でしょ?」
僕はそう返す。
「天国は異世界じゃないのかな?」
「天国は天国だよ。異世界とは別物」
「異世界行きたいな〜」
「なんで?」
「異世界に転生したら、めっちゃ最強かもしれないじゃん」
「最強だと何が良いの?」
「悪い奴をボコボコにできる!」
「ふーん、ボコボコにね~」
「巧翔君は異世界に行きたいと思わないの?」
「……異世界に行って、もう一回人生やり直すのは嫌だなぁ」
「異世界ってどうやったら行けるんだろう?」
「死なないと行けないよね」
「そうだよね」
「それに選ばれし人しか行けないイメージだな」
「確かに。こっちから行けるように設定できないかな?」
「いや、あっちの世界の人が決めるんじゃない? 魔法陣とか必要でしょ、多分」
「魔法陣か! それをこっちの世界で描いたら行けるかな?」
そう言うと琥太郎くんは、公園に寄り道して地面に大きな丸を描いた。
「これだけじゃただの丸だね。もっと内側に何か書かないと」
僕はアドバイスする。
「それなら……」
琥太郎くんはスマホで好きな異世界転生アニメを検索し、その魔法陣を真似して地面に描き始めた。
夕焼けの公園に、二人だけの“異世界ゲート”が浮かび上がる。
もちろん、何も起きない。
でも、なぜかワクワクしていた。
そのとき、近くで悲鳴が聞こえた。
声のした方を見ると、公園のベンチで女性がぐったりと倒れていて、その近くに黒いフードの人物が立っていた。目が合った瞬間、その人は僕たちの方へ走ってきた。手には危険なものを持っているように見えた。
殺されるかもしれない。
僕は反射的に逃げ出した。
けれど琥太郎くんは呆然と立ち尽くしていた。
「早く! 逃げないと危ないよ!」
僕は叫んだ。
「これで異世界に行けるよ!」
琥太郎くんはそう言った。
次の瞬間、琥太郎くんは魔法陣の上に倒れ込んだ。琥太郎くんの腹からは大量の血が流れ出ていた。
僕は恐ろしくなって公園を飛び出し、近くのスーパーに駆け込んだ。
黒いフードの人は追ってこなかった。
数分後、震える足で公園に戻ると、警察や救急車が来ていた。
それから二日後、母から知らされた。
琥太郎くんは亡くなった、と。
胸が締めつけられた。
僕がソフトボールを続けられていたのは、琥太郎くんがいたからだ。
その琥太郎くんがいない今、ソフトボールをやる意味もない。
僕は家に引きこもるようになった。
朝から晩までゲームやSNS、動画配信サービスを見て、一日をやり過ごす。
父は学校に行けとうるさかったが、母は黙って僕を守ってくれた。
琥太郎くんを襲った犯人は、まだ捕まっていない。
琥太郎君は異世界に行くことができたのだろうか?




