第4話 相続税が気になる
「すまないね。
もう、ギルドは終わりの時間なんだ」
質問に答え続けてくれていたジョンが、
区切りをつけるように言った。
視線を上げると、
壁に掛けられた大きな時計の針は、
きっかり五時を指している。
周囲では、片づけをしながら
帰っていく職員らしき人たちの姿も見えた。
午後五時ぴったりで閉まるとは……。
なんというか、本当に、
びっくりするくらいホワイトな職場だ。
「ハジメ!
用事があるなら、また明日にして帰ろうよ!」
その元気な声に、はっと我に返る。
「う、うん」
名残惜しさを胸の奥にしまい込み、
俺はジョンに会釈をしてから、
ペロの後を追ってギルドを後にした。
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ギルドを出た瞬間、
俺たちはそのまま森の中へ入った。
どんどん先を歩くペロの背中を見ながら、
俺は必死にあとを追う。
……ふと、嫌な予感と一緒に、
小さな疑問が浮かんだ。
「ペロ?
どこに行くの?」
「あたしの家だよ!」
……まあ、そうだとは思ったけど。
大丈夫だよな?
ちゃんと“家”だよね?
そして――
ギルドを出てから、
森の中を二十分ほど歩いただろうか。
木々の向こうがふいに開けて、
その先に現れたのは――
立派な佇まいの一軒家だった。
見たところ、おそらく二階建て。
床面積は二十坪ほどはありそうだ。
「……これが、ペロの家なの?」
「うん!」
「すごく立派な家だね。
……一人で住んでるの?」
「そうだよ!
もともと住んでた人が亡くなって……
その人がジョンさんのお友達だったから、
譲ってもらったの」
"亡くなった人から譲り受けた"。
その言葉を聞いた瞬間、
俺の頭に浮かんだのは――
相続税。
なかなかの広さの立派な一軒家。
ただし、築年数は相当経っていそうだ。
評価額は、そこまででもないだろう。
問題は土地。
でも、道路にも面しておらず、
かなり入りづらい。
奥行価格補正を加味すれば、
税額も、そこまででは――
……いかん。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
「どうしたの?
中に入ろうよ」
「う、うん!」
そして中に入ると――
すごい……。
汚かった。
テーブルには食べかけのパン。
床には脱ぎ散らかした服。
隅には空き袋や道具が転がり、
椅子の上にも何かが山のように積み上がっている。
「……ペロ?」
「……えへ。
だって、片づけ苦手なんだもん」
(……そういえば、
犬だった頃から、
いろいろくわえてきては、
散らかしてたもんな……)
しかし、これはひどい。
足の踏み場もない、というほどではないが、
普通に汚部屋のレベルだ。
この住環境、
保健所が来たら即、指導が入るだろう。
(今が、だいたい五時半くらいか……)
「うん。
もう夜になるし、
片づけは明日から一緒にやろうか」
「うーん……。……うん!
片づけは苦手だけど、頑張る!」
「じゃあ、今日の夜ご飯はどうしようか?」
「さっきね、ジョンさんからパンをもらったの!
これを食べようよ!」
ペロが袋からパンを取り出す。
おお。
地球と変わらない形だ。
……全然、異世界に来たって感じがしないな。
それから俺たちは、
一階のテーブルにつき、
パンを食べながら、いろんな話をした。
特に気になっていたお金のこと。
ペロはギルドの依頼を受けて、
鼻が利くことを活かし、
薬草や食べられる野草を採る仕事で、
報酬をもらっているらしい。
ペロの話では、
俺も、自分のスキルを活かせる依頼を受けて、
報酬を得ればいいのだという。
「きっと、ハジメの翻訳は
たくさん依頼があると思うよ!」
その言葉に、少し安心した。
「ところで、ハジメ……。
さっき、二匹飼ってたって言ったよね」
ギクリ。
「私のほかに、誰?」
「……うん」
俺は、一瞬だけ視線を落としてから、
正直に話す決心をした。
「俺さ……
ペロが亡くなった後、
本当に悲しくて、
学校にも行けなくなったんだ」
ペロは、何も言わずに俺を見ていた。
「それでも頑張って、
学校に行ったある日の帰り道に……
捨てられてる一匹の犬がいてさ」
「……うん。」
ペロが、小さくうなずいた。
「その子が、ペロの生まれ変わりに見えて……
思わず、その子を連れて家に帰ったんだよ」
気づけば、俺の目に涙が浮かんでいた。
「その子に救われて、
また学校にも行けるようになった」
「そうなんだ……」
ペロの目が、潤んでいる。
「その子の名前は何て言うの?」
「その子は……
すごい毛がもこもこしてて、
満開の桜の木みたいだから、
サクラって名前をつけたんだ」
「サクラちゃん……」
ペロはその名前を、
大切そうに口にしてから、
にっこりと笑った。
「ハジメ……
その子のこと、探してあげようよ。
サクラちゃんも、きっとハジメを待ってる」
「え?」
「だって、私が待ってたんだもん。
サクラちゃんも、絶対待ってるよ。
だから、一緒に探そう?」
確かに、サクラも、
俺が二十歳のときに亡くなった。
だから――
ペロと同じように、
この世界にいても、おかしくない。
(ペロ……お前……)
嫉妬なんて、微塵もない。
ただ――
サクラのことを心配してくれている。
「……ありがとう、ペロ」
「えへへ!」
ペロの優しさに、胸がぎゅっと締めつけられた。
「俺さ……
ペロがいなくなったとき、本当に悲しくて……
今、その時の気持ちを思い出したよ」
ペロは、何も言わずに俺を見つめている。
「でも、今こうして会えて、本当にうれしい。
これから、またよろしくな。
ペロ」
「……うん!」
そのとき――
俺の体が、
なにか温かいものに包まれたような気がした。
心臓が、ドクンと大きく鳴る。
(なんだ……?)
ペロを見ると――
ペロの体も、ほんのり光っているように見えた。
「ハジメ……?」
「ペロ……お前も?」
あれ?
なんだ、これ……?
匂いが、やけに強く感じられる。
空気の中に、いくつもの匂いが混じっているのが分かる。
パンの匂い。
木の匂い。
そして――ペロの匂い。
「あれ?」
ペロも、同じような違和感を覚えたのか、
思わず変な声を上げた。
「体が……なんか、あったかい」
「あ、ペロも?」
次の瞬間、
ペロが椅子から立ち上がる。
――遅い。
いや、正確には、
まるでスローモーションのように、
その動きが、はっきりと見えた。
ペロの髪が揺れる。
尻尾が弧を描く。
耳が、ピクリと動く。
全部――
全部、見える。
「なんだ……これ?」
「ハジメ……すごい。
私、なんか……力が湧いてくる」
ペロは、自分の手を見つめていた。
そのときの俺は、
まだ、その意味を理解していなかった。
これが――
もう一つの“スキル”の効果であることを。
そして――
ペロとの絆が、
本当の意味で繋がった瞬間であることを。




