誘拐
一瞬、サクラの言葉の意味が理解できなかった。”知り合いが“さらわれる”なんて、現実で起こることじゃない。今までの人生で、そんな経験は1度もなかったからだ。
「なにそれ……どういうこと?」
サクラの話によれば、今日の夕方、あの裏路地で“子供たちが大きな麻袋に詰め込まれる”のを目撃した住民がいたという。自警団がすぐに調査を始めたものの、決定的な手がかりは見つからなかったらしい。そして夜になっても帰ってこない子供たちを心配した親たちが騒ぎ出し、行方不明の中に少年探偵団を名乗っていた子供たちが含まれていたことが判明したという。
「よく聞き込みをしていたらしく、町でもちょっとした有名人だったようでござる。もしかして……殺人事件について、山賊の仲間に何か話したのでは……」
「それは……」
――あり得るかもしれない。子供たちが好奇心で事件の話を広めてしまい、たまたま町に潜伏していた山賊の構成員にその話が届いてしまった。そして、口封じのために拉致された――。そんな最悪の展開が頭をよぎる。だが、袋に詰めてさらったということは、少なくともすぐに殺されたわけではない……と思いたい。
「サクラ、助けに行こう!」
思わず声が出た。飛躍した想像だったかもしれないけど、それでも私は叫ばずにはいられなかった。……自分に責任の一端があると思ったから。ファンタジー世界の“人さらい”は、現実と違って深刻だ。身代金なんて生ぬるい話ではない。捕らえられた人間は、奴隷として売り飛ばされることもあるかもしれない。今すぐにでも行動しなければ、もう2度と――。
「そうでござるな。町で地道に情報を集めるよりも、山賊のアジトに直接乗り込んだ方が、子供たちの生存率は高いかもしれぬでござる」
サクラは足早に宿の女将に事情を説明し、私と共に宿を後にした。
町の入口では、自警団の面々が輪になって何やら相談をしていた。サクラは迷うことなく、その輪に入っていく。自警団は10人ほど。どうやら彼らも山賊の仕業だと睨んでいるようで、これからどう動くべきか話し合っているようだった。
「失礼、拙者たちは旅の冒険者でござる。さきほどの話を聞き、子供たちの救出に力を貸したく参上した。――山賊の居場所を教えてはもらえぬか?」
サクラが丁寧に申し出ると、1人の男がジロリと睨みつけてきた。
「なんだあんた? 口を挟む前に、冒険者カードを見せな」
サクラは無言で、昨日発行されたばかりの冒険者カードを差し出す。男はそれを受け取り、チラっと目を通すと――軽く溜息をつき、鼻で笑った。
「……Dランクかよ。悪いが山賊を舐めすぎだ。奴らは元冒険者のはぐれ者どもだ。中でも頭領は、元Aランクって話だぞ? お前らみたいなヒヨッコが行ったところで、返り討ちがオチだ」
SMOの冒険者ランクは最底辺の”D”から高位の”A”、そして最高位の”S”までの5段階。だが実際には、ランクだけで実力が測れるわけじゃない。プレイヤースキルによる差は大きく、本当の力は千差万別だ。とはいえ、この異世界では私たちは「最底辺の新米冒険者」に過ぎない――そう見なされている。
「……やはり明日の朝、他領の自警団に応援を頼んでから動くべきだろうな」
リーダー格の男が、そんな悠長な案を口にした。他の団員も一様に難しい顔をしながら頷き、誰も明確な代案は出せずにいた。このままだと、子供たちの命は明日の応援を待つ間に、失われてしまうかもしれない。そう考えていた時に、サクラが腰の刀を抜き放ち、静かに――だが鋭く、切っ先を自警団のリーダーの眼前に突きつけた。
「……子供の命がかかっているんだ。山賊の居場所を、今すぐ教えるでござる」
「なっ……!」
場の空気が、一気に張り詰める。普段のサクラとはまるで別人。低く冷えた声には、静かな怒気と凄みが宿っていた。その迫力に、自警団の誰1人として動くことができない。
「わ、わかった……! 町を出て街道沿いを進め。途中、街道警備宿舎の看板が立ってる。その看板から東へ真っ直ぐ進めば、古い砦が見えてくるはずだ」
ようやくリーダーが観念したように口を開いた。サクラは一拍の間を置いて、静かに頷く。
「……心得た。無礼を、どうか容赦願いたい」
刀を鞘に納めると同時に、サクラは地を蹴った。その勢いに合わせて私もすぐに走り出す。
「シノブ殿、本気で走るでござるよ!」
「わかってる!」
サクラは姿勢を低くし、一気に加速する。私は四足歩行の黒猫の姿でその後を追った。走りながら、特殊技能索敵を発動し、周囲のモンスターの位置を感知する。ゲームのデータが反映されているとしたら、夜のモンスターは通常よりステータスが上がっているはずだ。たとえ楽に倒せる相手でも、いまは無駄な戦闘を避けたい。
街道沿いを駆け抜ける途中、”街道警備宿舎”と書かれた木製の看板を発見。そこから東へ折れ、しばらく森を突き進む。やがて、古びた石造りの砦が鬱蒼とした森の奥に姿を現した。苔むした2メートルほどの外壁に囲まれ、内部からはぼんやりと松明の明かりが揺れている。私たちは草むらに身を潜め、静かに様子を伺った。
「……私が中の様子を調べてくる。ちょっと待ってて」
「頼むでござる」
サクラの声には、すでにかつての軽さはなかった。ここは斥候が本職の私の出番だ。気配を殺し、砦の外周を静かに一周する。どうやら裏口はないようだ。入口は門扉が存在せず、ぽっかりと開かれている。そこには、暇を持て余した様子の門番が2人、だらけた姿勢で座っていた。少し離れた位置には監視塔が1つ。塔の上には、こちらを警戒するでもなく見張りらしき人物が1人。
私は監視塔の視界に入らない位置を見極め、ひと息で外壁を飛び越えた。夜の闇に溶け込む黒猫の姿は、この潜入任務にぴったりだ――まさに、リアルなステルスゲームをやっているような感覚。内部には3つの建物があり、そのうち1つはどうやら下っ端山賊たちの宿舎らしい。理由は明白だ。索敵の網に、青い人物反応のマーキングが密集して表示されている。
私はそっと格子窓に近づき、中を覗いた。男女数人が酒を飲みながらカードゲームに興じ、奥の簡易ベッドには数人が横になり寝息を立てている。そこへ、青いマークの1つがこちらに向かって移動してくるのが見えた。私はすぐに窓から離れ、別の方向へ移動。敵の視線と行動を読みながら、建物の間を滑るように進む。
2棟目――宿舎よりも小ぶりな石造りの小屋には、約14人の反応。見回りの山賊を避け、小屋の側面から窓へと回り込む。中を覗き込むと、そこは牢屋だった。手枷をつけられた女性や子供たちが、怯えた様子で部屋の隅に身を寄せ合っている。奥には見張りが2人、武器を持って静かに立っていた。私は囚われた人々に目を凝らす。そして、すぐに見つけた――少年探偵団の3人。よかった無事だ、怪我もない。それだけで、胸の奥が少しだけ軽くなった。
「……待ってて。すぐに出してあげるからね」
そう小さく呟き、私はその場を離れた。残るは最後の建物――砦の中でもっとも大きく、重厚な造りの本丸だ。入り口には2人の警備。索敵によれば、2階にも複数の青マークが確認できる。窓は一切見当たらない。……おそらく、山賊の頭領はここにいる。
私は砦の外壁を再び飛び越え、草むらへ戻る。サクラのもとへ戻ると、地面に小枝で砦の見取り図を描き、そこにおおよその人数を書き込んでいった。
「総勢60名といったところか。まずは退路を確保してから、人質の解放でござるな」
「それは、私がやるよ。開錠もできるし」
そう言いながら、私は砦内を見て得た情報をもとに、作戦の大まかな流れを描いていく。最初に制圧すべきは、砦の正面入口と監視塔の見張り。次に、中庭を巡回している警備数名。そして、牢屋を守っている見張りを排除し、人質の解放を行う。
「この一連の作業を、私が黒猫の姿で実行するつもり。――そのほうが、力を抑えやすいから」
「……拙者の役割は?」
「避難誘導」
短く答えると、サクラは明らかに不満げな顔で私を見た。だけど、この作戦の目的は戦闘じゃない。あくまで救出だ。
「……だってね、今回の目的は人を助けることなんだ。もし戦えば、私たちの力じゃ……たぶん、簡単に殺してしまう」
言葉に詰まりながら、私は続ける。
「回避極振りの私でさえ、あんなにあっさりと……殺してしまった。だからサクラには、こんな思いをしてほしくない」
それは本心だった。あの時の感触――何の抵抗もなく命が終わったあの瞬間が、今でも胸の奥に残っている。罪悪感という名の十字架に、心を磔にされたまま歩いていく。この異世界がどれほど仮想めいていても、それだけは現実と変わらない。もし現実に戻れたとしても、私はそれを異世界の出来事で済ませて生きていけるのだろうか?
そんなことを考えていたら、サクラが少し黙り込んだ。彼なりに、何かを咀嚼しているような沈黙だった。そのとき――入口の門番が、急に大声で笑い始めた。私とサクラは、彼らの話を探るべく、気配を殺してそっと距離を詰めた。
「あの3人組、死んだのか? ぎゃはははは!」
「なんでも黒服の女に殺された現場を見たヤツがいてさ、その犯人が神官の女に似てたらしい。それが呪いなんだって、皆が言ってるぜ」
「嘘くせぇな。つーか、売物に手を出して舌を噛まれて死ぬようなマヌケどもは、死んで当然だろ」
「だな、せめて代わりの売り物を確保してからくたばれっての!」
──胸の奥に、得体の知れない怒りがこみ上げてくる。会話の内容から察するに、どうやら彼らは町から女性や子供を誘拐して売り飛ばしているようだった。そして”3人組”というのは、おそらく私が殺したあの冒険者たちのことだ。彼らが死んだ理由も、話の通りなら売物と称された女性神官に手を出して抵抗され……その末の死。
私は知らず、拳を強く握りしめていた。この怒りはどこに向いているのだろう? あの3人組の所業か、目の前で嘲笑するこの山賊たちか。それとも──弄ばれ命を落とした、あの名も知らぬ神官の少女に対するものか。
「シノブ殿。死んでもいい人間って……いると思わんか?」
「えっ……?」
サクラの声が、驚くほど静かだった。
「今ここで皆を助けたとしても、それは……根っこの解決にはならないでござる」
私は息を呑む。心臓の鼓動が高鳴り、耳の奥で規則的に打ち鳴らされていた。サクラの言葉に、私は何かを期待していた。──それは、胸に渦巻く怒りに対する"正当性"という名の答えだったのかもしれない。
「……たとえ手加減に失敗しても、この砦は陥とす。拙者は後悔しないし、させないでござる!」
サクラの力強い言葉が、私の胸の奥に響いた。罪悪感に縛られて踏み出せなかった1歩。──その背中を、彼がそっと押してくれた。答えは決まっていた。ただ、それを選ぶ勇気がなかっただけ。今ここで、この砦を潰さなければ──私たちがオスロウ国へ旅立ったあと、きっとまた同じ事件が繰り返される。国の後ろ盾を持たないこの町では、何かが起きても対応は常に後手に回る。それが目に見える未来だった。
「……わかった。私も、覚悟を決める」
「シノブ殿は黒猫の姿で動けば、手加減しやすいはずでござる」
……私は、もう誰も殺したくない。この世界が異世界であっても、人の命が軽くなるわけじゃない。だから私は、黒猫の姿で臨む。あくまで、“殺さないための保険”として。こんな状況の中でもサクラは優しいな──そう思った。
「わかってる。私が牢屋の住人を解放したら合図を送る。そのあと、サクラは中央の本丸を頼むね」
「了解でござる」
こうして──私たちは、人質奪還作戦を決行することとなった。
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