いるはずの存在
私はアルラトと共に洞窟内に作った温泉に浸かり、戦いで受けた汚れを洗い流す。ハーちゃんの上位魔法で岩盤を整え、水を張り、炎で温めて完成させたものだ。実際には「適度に温まった水溜まり」ではあるけれど、澄んだ湯に全身を沈めると、それだけで心地良さに包まれる。私は肩まで沈み、温かさを全身で感じ取った。
……ああ、本当に気持ちが良い。旅の中で野宿や水浴びには慣れてきたつもりだけど、1週間以上も代わり映えのしない洞窟内で過ごすのは、さすがに気が滅入る。現代日本に近い文明を持つギュノス国での生活を思い出し、思わず溜息が漏れた。
この世界で文明が発展しているのがギュノス国だけ、というのはやはり不思議だ。貿易も盛んに行われているのだから、他国ももっと文明が進んで繁栄していても良さそうなものなのに……。そんなことをお湯に浸かりながら考えていると、ふいにアルラトが私の身体をじっと見つめてきた。
「……な、なに? どうかしたの?」
そう言った瞬間、アルラトの全身がぐにゃりと歪み、私とまったく同じ姿へと変貌する。まるで鏡に映った自分を見ているかのようで、不思議な気分になった。なんの気なしに改めて自分の裸を眺める。
色白で凹凸の無いなだらかな体形……、世間ではこれを幼児体形というのだろうか? いや、実際はもうすこし凹凸がある……はず。これはゲームのアバターであって、現実の姿とは多少違うんだ。私はアルラトを見つめながら、必死に自分のなかの葛藤に似た感情を抑える。
「どう? そっくりでしょ!」
「そっくりだけど……みんなの前ではやめてよね。ラトはどんなものにも変身できるって言ってたけど、変身するのに条件とかあるの?」
私の問いかけに対して、アルラトは少し考え込んでから、「たぶん、姿を見たことがあればなれるよ」と簡潔に答えた。そう言うと、それを証明するようにアビスダンジョンで遭遇したモンスターたちの姿へと次々と変身していく。なぜモンスターばかりかと聞くと、アルラトの知識や記憶がアビスダンジョンに限られているからだと言った。
「さっきの”でかいの”にもなれるよ」
ポイズンリザードの姿を模したアルラトが無邪気な笑顔を浮かべる。……さっきの”でかいの”というと魔人ニグラスの事を指しているのだろう。私は「それはやめておこうね」と止めると、アルラトは少し残念そうに頷いた。
最終的に元の姿へ戻ったアルラトは、褒めてほしそうに瞳を輝かせ、じっと私を見つめてきた。私は「すごいねぇ」と言いながら頭を撫でてやると、嬉しそうに照れている。
――自分に子どもができたら、きっとこんな感じなんだろうか。現実では男性と付き合ったこともないし、そもそも異性を好きになった記憶すらないから、いまいち実感は湧かないんだけど。一応、母性というものを実感できたような気がする。
心も体もすっかり温まり、私とアルラトは温泉を上がった。温泉を囲うテントの入口では、ドッちゃんが見張りをしてくれている。女性の姿をした”人狼”が数名紛れ込んでいるから、その対策も兼ねてのことだ。日頃の行いが良ければ”人狼”とは思わなかったけれど、印象というものは上書きが難しいのである。
「ドッちゃん、ありがとう。いいお湯だったよ」
「そうか、それは良かったな。次は男連中に入らせるか」
ドッちゃんはそう言いながら、少し離れた場所でカードゲームに夢中になっているサクラたちに視線を向けた。サクヤが持参していたトランプのおかげで、洞窟内でも娯楽が可能になっているのだ。少人数でも盛り上がれる「大富豪」が特に人気で、ゴールドを賭けて真剣勝負を繰り広げている3人。ちなみに、幸運値の高い私はカジノ以外でもほぼ無敗なのである。
その後、男性陣も温泉に浸かって汚れを落とし、夕食を囲んだ。30階層のフロア隅に作った温泉キャンプで一晩を過ごし、やがて朝を迎える。洞窟内で時間を知る手段は時計の針だけ。磁場とかで時計が狂ってなければ、朝日が昇りきっている時間だ。……どのみち暗黒神ザナファ復活の影響で、外界でもまともに日光を浴びることはできないのだが。
簡易的とはいえ温泉を堪能した私たちは、キャンプで一晩を過ごしたあと、意気揚々と下の階へ降りていった。
「結局、魔人はリポップしなかったね。やっぱり、この世界では“死”が絶対なのかな?」
「そうかもしれませんね。ゴブリンやワイルドウルフの子どもも見たことがあります。ゲームと違って、人間と同じように生態系の一部として存在している感じでしょう」
ゲームなら、一定時間が経つと倒したモンスターは成体の状態でフィールドにリポップする。けれど、この世界の法則は違うようで、他の生物と同じく幼体から成長し、やがて成体となる。それは、現実と同じく生態系を形成しているようだった。
――逆に言えば、私たちも死んだら終わり、という証明でもある。ゲームのように復活薬や復活魔法が存在しない以上、死に抗うことはできないのだ。ゲーム同様、ホームポイントで復活できるなら、少しは気が楽になるんだけどね。
「なに、シノブ殿は拙者が命に代えても守るでござる」
「……だから、その“死んだら駄目って言ってるの。サクラはクリスとの戦いで死にかけてたじゃん。ああいう危ない賭けみたいな戦いはできないって話してたの」
「……それは武闘大会のことですか? サクラは余裕だったと話していましたが」
サクヤの話ぶりだと、サクラは見栄を張って「余裕で優勝した」と伝えていたらしい。その食い違いから、2人は少し揉めはじめる。口論になったが、いつものことなので放置することにした。私は索敵に集中し、洞窟の奥へと進んでいった。
◆
-アビスダンジョン 40階層-
洞窟を歩く事、約6日間。ついに40階層のボス部屋にたどり着いた。巨大な大扉には抽象画のような彫刻が施されており、それがどんな意味を持つのかは分からない。
「次元鍵主……“魔人ヨグトス”」
ハーちゃんが吐き捨てるように呟き、唇を噛んだ。物理・魔法全般に高い耐性を持ち、さらに“弱点属性変化”を駆使する、作中でも屈指の厄介なレイドボスだ。
大ダメージを与えるには反属性の究極攻撃魔法をぶつけるのが有効だが、弱点属性変化のタイミング次第ではダメージ値をすべて吸収され、完全回復されてしまう危険がある。
ゲームでもそういった事故が多発したため、気心の知れた仲間で挑むのが安定策とされていた。激レアアイテムを落とす設定なので、即席パーティーで挑み、ミスした魔法職が責められて揉める……なんてこともよくあったようだ。もしかすると、ハーちゃんにも苦い記憶があるのかもしれない。
「――皆、作戦は大丈夫か?」
ドッちゃんの問いかけに、全員が頷く。作戦はシンプルだ。まずドッちゃんが属性弾を放ち、ヨグトスに回復作用が出た属性を確認する。傷が塞がった属性の逆属性こそが弱点――そこを狙う。
私とサクラ、サクヤ、アルラトは、ドッちゃんとハーちゃんにヘイトが集中しないよう前線で立ち回る。物理攻撃は属性を纏わせなければ確実にダメージを通せるので、地道に積み重ねていくしかない。そしてハーちゃんは、弱点属性変化のタイミングを見誤らないように注意を払い続けなければならない。それは高い集中力と切り替えタイミングの見極めが必要で、責任重大だ。
「よし、開けるぞ!」
「……わくわく」
ドッちゃんの言葉に、アルラトが肩を揺らして反応する。好奇心を抑えきれない様子。魔人ニグラス戦でも大活躍だったし、今回も前線で暴れてくれるだろう。
金属と岩が擦れ合うような重厚な音が響き、大扉がゆっくりと開いていく。大扉の先には30階層と同じく、外壁には篝火が備え付けられており、紫の炎がフロア全体を煌々と照らしていた。――だが、他のボス部屋と明らかに違う点に、私たちはすぐ気づいた。
「……ボスが居ない?」
部屋の中には、肝心のボスの姿が見当たらなかった。普通なら、フロア中央に鎮座しているはずだ。イベント設定のレイドボスは索敵には反応が映らないので、結局は目視で確認するしかない。私たちは広大なフロアを歩き回り、魔人の姿を探した。しかし、どれだけ探しても発見できなかった。
「誰かが先に来て倒した……とか?」
「いや、フロアに戦闘の痕跡がない」
ドッちゃんの言葉に従って周囲を見渡すと、確かに傷跡や破壊の跡は一切見当たらない。私たちはフロアの中央に立ち尽くし、やがて誰からともなく、この奇妙な状況について議論が始まった。
元々ここには存在しなかった説――。
蘇生や生態系の話でも触れてきたが、ここはゲームとそっくりな異世界であっても、細部は違っている。この場所にレイドボスがいるというのは、あくまでゲームでの話。この世界では必ずしも当てはまるとは限らないのではないか、という意見だ。
「魔人トゥグやアルラト、それに魔人ニグラスも確かにいた。いない方がむしろ不自然だと思うが……」
ドッちゃんが腕を組み、考え込む。レイドボスを象った大扉や、ボス戦用に設計されたとしか思えない広い部屋が存在する以上、ここに“いた”ことは間違いないだろう。だが、それなら一体どこに隠れているというのか……?
「……あやつも、この亡者のように宛てもなく彷徨い歩いているのではないか?」
ハーちゃんがそう言って、アルラトの頭をポンポンと叩いた。要するに「アルラトみたいにふらふらと出歩いているんじゃないか」と言いたいのだろう。皆の視線が一斉にアルラトへと集まる。本人はよく分かっていないようで、「なになに?」と無邪気に燥いでいた。
アルラトのように、自我に目覚めて自立行動をしている? そんなことが本当にあるのだろうか……。いや、目の前のアルラトを見ていると、容易に否定はできない。ハーちゃんが言っていた「超AIのプロトタイプ」が導入されていて、どこかへ出かけて行ったという説も、突拍子がないけれど妙に現実味を帯びてくる。
ただ――もし本当にこの階層のレイドボスが地上に出ていたら、大騒ぎになっているはずだ。地上でそんな噂は一度も耳にしたことがない。……ってことは、まだダンジョン内にいるってことだ。
「もしかして、今もこのアビスダンジョンの中を彷徨っているとか?」
魔人ヨグトスは巨大な光の球体のような姿をしていて、魔人トゥグに似た不定形のボスだ。自由に形を変えられるので、小型になって洞窟内を浮遊していてもおかしくはない。……もし普通の通路でレイドボスに遭遇したらどうなるのか。考えただけでも洒落にならない。
「下の階へ行ったか、それとも知らず知らずに別ルートですれ違ったか……ですね。後者なら良いですが」
「そ、そうだね。……でも、考えようによっちゃ、戦いを避けられた訳だし、良かったんじゃないかな」
プラス思考の私の言葉に、皆が小さく頷く。魔人ヨグトスがどこに行ったのかは分からない。けれど、40階層の魔人戦をスキップして素通りできるのは、運が良かったと言えるのだろう。
どこか釈然としない思いを抱えながら、私たちは部屋の奥にある下層への大扉を開き、先へと歩き出した。
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