終焔烈火『魔人トゥグ』
私たちは適当な入口を選び、アビスダンジョン内部へと踏み込んだ。
約5メートル先を、ハーちゃんが作り出した光球がふわりと浮遊しながら洞窟内を照らす。洞窟内は比較的広く、朽ちた武具を身に着けた白骨たちが、際限なく襲い掛かってくる。
彼らは、このダンジョンで特別な魔石を収集するために潜り、命を落とした冒険者たちの成れの果て――そう思うと、見知らぬ人々とは言え、少し無常を感じる。
アビスダンジョンで生成される特別な魔石は『ジェム』と呼ばれる。本来、魔石とは鉱石に魔力を付与し、生活用品や武具に魔法や属性を付与するためのものだ。
しかし、このアビスダンジョンで生成されるジェムは、さらに上位の存在で、LPやSP、腕力、耐久力、敏捷性、知力、幸運などのステータス値を直接底上げする力を持つ。常識に照らせば、物理法則をも無視した“事象改変”の極致とも言えるだろう。
実際、私たちがゲーム内で強化した武具も、この世界で確かにその効力を発揮していた。設定では魔力を豊富に含んだモンスターの体内で生成されるという尿路結石のような記述だった。この世界では今の所、不死種の所持品として主要雨していて、倒すたびに回収している。
「こんなものを求めて命を落とすとは……無念でござろうな」
「そうだね。ゲームでは何気なく拾っていたけど、背景を考えると……やるせないかも」
そう話しながら、私たちはジェムを優先して回収する。これは有効活用であって、窃盗ではない。ステータス向上は、塵も積もれば山となるように、コツコツと積み重ねるのが肝心だ。
ちなみに、ゲームシステムにおける武具への基本的な合成方法は、アイテムごとにランダムで成長限界が存在する仕様となっている。たとえば、店売りのレザーアーマーを2個購入し、それぞれに腕力付与のジェムを合成したとする。片方は10個付与できたのに、もう片方は2個しか付与できなかった――そんなこともある。完全に“リアル運”次第だ。
サクラのようなプレイヤーは、乱桜吹雪だけを強化し、より吸収率の高いものを厳選しているらしい。いったい何本同じ装備を持っているのか、今度聞いてみよう。
私たちは波のように押し寄せる不死種を薙ぎ倒し、約4日かけて10階層に到達した。洞窟内にはセーフティスペースが存在せず、比較的開けた場所を見つけ、睡眠不要なドッちゃんともう1人が見張りをする形で休憩を取る。
モンスター避けの魔石も洞窟内では効果がなく、夜襲を何度も受ける羽目になった。日光を浴びない環境は、多少精神的に堪えるものがある。アビスダンジョンは魔力の吸収率自体が停滞しているため、できるだけ食料を摂り、よく寝ることを心がけていた。幸い、モンスターの強さはまだ余裕があり、苦戦することはなかった。
「待って、これは……」
先頭を歩く私は歩みを止め、皆を制止した。索敵範囲に、たった一か所、敵勢の反応が完全に存在しない場所が見えた。間違いない、――あの場所はボス部屋だ。
私は周囲を警戒しつつ、壁沿いに進む。そして洞窟の奥深く、眼前に金属製の大きな扉が現れた。古びた門には炎を表現したような彫刻が施され、扉を開ける前から熱気のような物を感じ取れる。
「……終焔烈火“トゥグ”でござるな」
「想定よりも早かったですね」
サクラとサクヤは防寒マントを脱ぎ、ストレージへと収納する。サクラは武闘大会で使用していた“海鳴りの腕輪”を腕にはめ、皆もそれぞれ耐性装備を変更した。最後にサクヤが強化魔法を使用し、戦闘準備は整った。
私は海上で話し合っていた作戦を思い出す。主力攻撃役は水属性の上位魔法を操るハーちゃん。副攻撃役は氷結弾を扱うドッちゃん。回復役兼、補助役はサクヤ。サクラと私は、ターゲットを逸らすデコイ役としてヘイトを稼ぐ――これが今回の布陣だ。
「よし、開けるぞ。皆、ぬかるな」
「無論!」「はい!」
「フッ!」「行きましょう!」
ドッちゃんが大扉に触れると、小さく「ジュッ」と熱を感じさせる音が鳴り、金属が焦げた匂いを周囲に漂わせた。白煙がドッちゃんの手から上がる。この大扉を開けること自体が、試練に挑むための“振るい”のようだ。一般人や並の冒険者なら、触れた瞬間に両手が溶解するかもしれない。
扉の内部は広大な空間となっており、中央には太陽のような巨大な炎の球体――魔人トゥグが中空に浮かんでいた。流動する黒点とフレアのような爆発に合わせて、コロナ放電のような現象が目視できる。ゲームで何度も対峙した相手だが、現実として目の前に現れると、その迫力は桁違いだ。
私は腰が少し引け、前方に浮かぶ魔人を見上げる。「本当に勝てるのか……」という不安が胸をよぎった。その時、後方に控えていたハーちゃんが、究極攻撃魔法の詠唱を始めた。
魔人トゥグは魔力の流動を感じ取ったのか、全身が激しく揺らぎ始めた。どうやら、こちらを攻撃対象として認識したようだ。皆が武器を構え、決めていた陣形のポジションに移動する。
「――来る!」
魔人の全身が一瞬輝き、人間大の火球が四方八方に放たれた。私は分身体と共に火球を斬り裂く。二刀流とはいえ、同時に処理できるのは自身と分身体の数の4個までが限界だ。皆も無傷ではないが、ダメージは軽微の様子。
しかし、詠唱中のハーちゃんを守るには十分だった。分身体は距離を取り、特殊技能“千本飛びクナイ”を発動して牽制する。ダメージはほとんどないだろうが、ヘイトは3体の分身体へ上手く誘導できた。
その瞬間、ハーちゃんの周囲の空間が温度差で揺らいだ。魔人の周囲に無数の氷の結晶が出現する。それを迎撃しようと、魔人の体内から炎の触手が伸び、撃ち落とす。氷の結晶は瞬時に溶解したが、すぐに同じ場所に再生する。やがて魔人の周囲を拳台の氷の結晶が完全に包囲した。
「……その全てを冥府へと捕らえよ! 氷結牢獄」
ハーちゃんが長杖を高らかに翳すと、魔人を囲む氷の結晶が魔人を包み込む。触れた氷はすぐに融解せず、次々と結合していく。炎でできた魔人の身体を丸ごと氷の中へ閉じ込めた。
しかし、魔力の塊である魔人の体は決して燃え尽きず、内部から徐々に氷を溶かしているのが見えた。洞窟内の温度が急激に下がり、水蒸気が一気に立ち込める。
――その刹那、レーザーのような光が真正面から魔人を貫いた。光が貫通した空洞はすぐに炎に飲まれ、氷の塊に開いた穴から激しい炎が噴き出す。今のはドッちゃんの課金弾だ。芯を完全に捉えており、大ダメージを与えたはずだ。魔人は炎の塊で、表情も喋ることもない。ダメージの効果は分かりにくい。しかし確実に効いていることは、手ごたえから感じ取れる。
「氷槍飛旋!」
ハーちゃんが、その風穴を埋めるように氷属性の上位魔法を連続で放つ。長杖の先から幾本もの“つらら”のような氷塊が、高速回転しながら魔人を閉じ込めた氷塊へと突き刺さる。
同時に、ドッちゃんが先ほどの課金弾の2発目を再充填し、別方向から魔人の身体を貫いた。光が貫通し、その軌跡がゆっくりと消える。浮遊していた魔人は、浮力を失ったように地面へと落下した。巨大な氷の塊は砕け、バラバラになった。
「勝った……の?」
私がそう思った瞬間、氷塊の残骸から猛烈な炎の柱が噴き出した。その炎はやがて龍の姿へと変化し、荒ぶるように天井へと登っていく。ドラゴンというよりは中国風の蛇のような形状の龍で、水蒸気をかき消しながら天井を飛び回る。
「……こいつ、第2形態があるでござるよ!」
「クックック。これは面白い! まさか、このような形で目にするとは!」
ハーちゃんが何故か歓喜に震えた声を上げる。これは、どう見てもゲームには存在しなかった形態だ。
怒り狂った魔人は炎の龍に姿を変え、空中をうねりながらドッちゃんに体当たりを仕掛ける。サクラは正面に立ち、上段から刀を振り下ろした。炎の龍は正面から真っ二つに斬り裂かれ、そのまま2人を通過する。しかし、上空で再び2本の体が融合し、元の形状に戻った。
斬り裂いたとはいえ、相手は炎でできたエネルギー体。真正面から受けたサクラは大火傷を負い、その場で膝をつく。あのタフなサクラでも1撃で膝を付くなんて、魔人の攻撃力の凄さを改めて実感する。
ドッちゃんはストレージから回復薬を取り出し、背後からサクヤへと振りかけた。私は急いで分身体を魔人の方へ走らせ、千本飛びクナイで牽制する。サクヤはサクラへ駆け寄り、回復魔法をかけた。
「シノブ、我が奥義にして最大の究極攻撃魔法を見せよう。この世界でアレを放つと、かなり迫力があるぞ!」
ハーちゃんは不敵に高笑いを上げ、杖を構えて詠唱を開始する。
――“アレ”とは、職業”カオスソーサラー”のみが使える無属性の究極攻撃魔法、確か、なんちゃら……タス・アルバ。24時間のリキャストが必要な超威力の魔法だったはず。
魔人は上空をうねるように、全ての分身体を自身の身体に飲み込み消滅させた。どうやら、分身体にはニルヴァーナの恩恵は付与されてないらしい。少しは耐えられるかと期待していたが、無駄だった。
勢いそのままに魔人は私とハーちゃんに向かって突進してくる。避ければ詠唱中のハーちゃんに直撃してしまう。私は意を決し、両手を広げてハーちゃんの前に立ちはだかった。この防具なら絶対に死なない。――自信があった。
「――その心意気、さすがは我が運命の片割れ。だが、案ずるな。触れる前にこの虚構世界より消滅させてやる!」
ハーちゃんが叫び、杖を私の肩に置く。目の前には炎の龍が巨大な口を開け迫ってきた。その時、「この世界では、魔法も距離で威力が変わるのだ」――そう、耳元でハーちゃんが呟く。
巨大な炎の龍が洞窟の地面を抉り迫る。――当たる!? と身構えた瞬間、杖の先端が眩しく輝いた。私は眩しさに耐えれず、その場で目を瞑る。瞬間、周囲の音が消え全身を凄まじい振動が襲う。
目を開けようとした途端、猛烈な突風が正面から吹き上げられ、私の身体は後方にいたハーちゃんにぶつかり、2人で吹き飛ばされた。その勢いのまま地面に叩きつけられるが、ハーちゃんがクッションのようになり、私は衝撃はほとんど感じなかった。
「いてて……」
「……だ、大丈夫?」
抱かれたような状態で後ろを振り向くと、ハーちゃんの顔が間近にあり、思わず驚く。彼もあたふたと挙動不審になり、顔が真っ赤になっていた。
その瞬間、私は魔人のことを思い出し、恐る恐る後ろを振り返る。すると洞窟の一部分が大きく抉られ、クレーターのような窪みができていた。壁際には、さきほどの衝撃で吹き飛ばされた砂埃でできた煙が舞う。そして、魔人の姿は――どこにも見当たらない。
「おーい! 大丈夫でござるか!」
サクラたちが叫びながら駆け寄る。ハーちゃんの言った通り、魔人は消滅したらしい。私たちは、駆け付けたサクヤに回復魔法をかけてもらう。
「いったい、何が起きたの? 魔人は?」
「ああ、至近距離からの”虚白特異点”によって、魔人は自身の内包するエネルギーと共に対消滅したようだ。それにしても、実際に見ると凄い魔法だな」
表情は変わらないが、ドッちゃんの口調から心底驚いているのが伝わる。彼によると、私の眼前に白い光の”点”が現れ、魔人がその”点”に触れた瞬間、もの凄い勢いで糸状に縮小され、周囲の空気ごと吸い込まれたという。
魔人の全身が吸収されると、爆発するような衝撃が走り、”点”を中心とした衝撃波で全員が後方へ吹き飛ばされたらしい。
サクラも、「まるでブラックホール現象を目の当たりにしたようだった」と嬉しそうに話す。いや、目を瞑った瞬間に、目の前でそんな恐ろしい現象が起きていたなんて、正直シャレにならない。
「……魔力が尽きた。シノブ、このまま背負ってくれないか」
ハーちゃんが力なく、私の背中にもたれ掛かるような姿勢を取る。するとサクラとサクヤとドッちゃんが同時に彼の頭を強く叩いた。どうやら完全に魔力を使い果たしたらしく、ハーちゃんは不敵な笑みを浮かべたまま気絶した。
「……ったく、拙者がおぶってやる。……ないとは思うが、この部屋で休むと魔人がリポップしたらたまらん。11階層まで下って休むでござる」
「それが良い。この部屋は広くて安全そうだが……一応な」
私たちは勝利の余韻を噛み締めながら、10階層からさらに下の階層へと足を進めた。
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