伝説の防具『神衣・天衣無縫ニルヴァーナ』
私が緊張した面持ちで工房の扉を開けると、作業中だったお弟子さんたちの視線が一斉にこちらへ向けられた。その様子には、ただならぬ雰囲気が漂っていた。すると数人の弟子たちが、慌てた様子で奥の方へ駆けていった。
「何か……雰囲気が違うでござるな」
何度か顔を出していると話していたサクラも、その異様な空気に気づいたようだった。やがて、先ほど奥へ走っていった弟子に支えられながら、やつれ果てたジルナークが姿を現した。その様子は明らかに異常で、頬はこけ、目の下には深い隈が刻まれている。弟子の助けがなければ、まともに歩くことさえ難しそうだった。
「……おう、来たか。待ってたぜ、お嬢ちゃん。今日はずいぶん大人数で来たな、サクラ」
「ああ、ここにいる皆は仲間でござる。それにしても、随分とやつれたな……大丈夫でござるか?」
「フフッ……ちょっと熱中しすぎちまってな」
ジルナークはそう言って、力なく笑った。しかし、間近で見るとかなり辛そうで、3日前に出会ったときの活力に満ちた姿とはまるで別人のようだった。
「おい、例のもん持ってこい」
「は、はい!」
ジルナークが声をかけると、女性の弟子が工房の奥へ走っていった。私たちは応接間へと案内され、椅子に腰を下ろす。そこへ、別の弟子がお盆を抱えて現れ、テーブルに飲み物を並べ始めた。
差し出されたグラスの中身は、透き通っていて一見すると水のようだった。だが、漂う香りから察するに、どうやら強い酒らしい。……いや、なんで昼間からお酒なの?
「いや、ここは紅茶とか出すところでござろう?」
お酒好きのサクラでさえ、思わず弟子に苦言を漏らす。私は未成年だから飲めないし、ドッちゃんに至っては飲む口すらない。当のサクラとサクヤ、それにハーちゃんは、どうやらあまり気にしていない様子だけど。
来客の場でお酒を出されるのは初めての経験で、少し驚いた。これは、小人種風のもてなしなのかとも考えたが、以前訪れたときは紅茶が出ていたはずだ。
「ワシが酒にさせたんじゃ。……これは祝いの酒じゃ」
ジルナークはそう言って、不敵に笑った。そのとき、先ほど奥へ走っていった弟子が、豪奢な装飾を施された木箱を抱えて戻り、机の上にそっと置いた。ジルナークは私を見据え、「開けてみろ」と促す。私は緊張で少し震える手を伸ばし、木箱の蓋を開けた。中身が光を放ったように見え、思わず息を呑む。
黒い生地の衣服をそっと取り出すと、まずその手触りの滑らかさに驚かされた。そして、重さをまったく感じさせない。素人の私でも、普通の衣服ではないと直感できた。視線が一斉に私とその衣装に注がれ、まるで「早く着てみろ」と急かされているような空気が漂う。私は弟子に頼み、応接間の奥を借りて着替えることにした。
サイズを測ったはずはないのに、まるで仕立てたかのように私の身体にぴったりと合っており、重さもまったく感じさせない。それどころか、これまで着ていた敏捷性を強化した“忍び装束”よりも、さらに軽いように思えた。しかも、全身から力がみなぎってくるのをはっきりと感じる。おそらく、ゲーム内での設定がそのまま反映されているのだろう。
“神衣・天衣無縫ニルヴァーナ”。それは忍者専用の伝説級防具であり、防具の耐久値は未強化でも“無限”とされている。基礎性能においては敏捷性の上昇率が防具の中でもトップクラス、防御力に至っては戦士系の上位防具に匹敵する数値を誇る。
さらに一定時間ごとに肉体を強化する上位魔法を自動発動し、魔法によるダメージすら半減させるという、まさに“伝説”と呼ぶにふさわしい性能を備えていた。当然ながら、私がこれまで着ていた強化済の忍者装束ですら、この未強化のニルヴァーナには及ばない。それほどに圧倒的な防具なのだ。今までにない感覚に心が震え、喜びと感動が胸の奥から溢れ出す。
「まるで、自分の身体じゃないみたい……」
見た目に派手さはないが、袖を通すだけでその凄まじさを実感できる。まさしく“能ある鷹は爪を隠す”を体現した防具だ。着替えを終えた私は、皆の待つ応接間へと戻った。
私が現れると、皆は口を揃えたように「おおっ!」と小さく歓声を上げた。その後、ジルナークに導かれて工房の広いスペースへと案内される。お弟子さんたちも作業を中断し、その場に集まってきた。私たちを含め、およそ60名ほどだろうか……。
まるでファッションショーのようで、少し緊張する。ジルナークは、自ら鍛えたと思しき一振りの刀をサクラへと放り投げた。
「それで、思いっきりお嬢ちゃんを斬ってみろ! 嬢ちゃんはそのまま動かず立っておれ」
突然の言葉に、私とサクラは思わず彼を見やった。しかしジルナークの表情は真剣そのものであり、そこには揺るぎない自信が満ちている。私はその眼差しに応えるように、サクラへ頷いた。
私とジルナークの意図を察したサクラは、受け取った刀を腰に差し、居合い抜きの構えで姿勢を低く落とす。私とサクラの距離は約10メートル。サクラの間合いはせいぜい1.5メートルほど……。
「……サクラ、思いっきり来て! もしもの時はサクヤ、お願いします!」
「お任せください。両断されても治してみせます!」
私は意を決して、サクラとサクヤに向かって叫んだ。サクヤは力強く頷く。その仕草が心強い反面、自分が両断されるイメージが鮮明に浮かび、思わず身震いしてしまう。サクラの抜刀を避けず正面から受けたなら、どうなるかは明白だった。だが、それでも――私はこの防具の性能を信じると決めた。
ハーちゃんとドッちゃんも、両手に回復薬を握りしめて、いつでも振りかけられるようにと身構え、この状況を見守っている。お弟子さんたちもまた、この緊迫した場面から目が離せないようだった。
「――では、参る!」
サクラから放たれる明確な殺気。それはまさに獲物を狙う獣のごとき威圧感だった。私はこれまで、この世界で何度も彼の戦いを見てきた。だが、実際に対峙すると、はっきりと“死”を意識させられる。――それほどに、彼は強い。
――刹那。光が瞬いたほどの、ごく短い時間。サクラの縮地と三日月の同時発動が、私の身体を直撃した。振り抜かれた刀は、彼の腕力と特殊技能の威力、そして私の防具との力の鬩ぎ合いに耐えきれず、一瞬で砕け散った。
だが、私の感覚は――ハリセンで軽く叩かれた程度の重さと痛みにすぎなかった。「ジルナークから渡された刀が”鈍ら”だったのか?」と一瞬疑ったが、サクラの表情を見ればそれが誤りだとすぐに分かる。彼自身が、驚愕に目を見開いていたのだから。
その光景を目にしたジルナークの顔は満足感に満ち、周囲を取り囲むお弟子さんたちは大歓声を上げた。その瞳は皆、一流の職人の技と底力を目の当たりにして感動に輝いていた。
私は改めて自分の身体を確認する。確かに刀が触れた感覚はあった。だが、傷はおろか、生地のほつれすら見当たらない。サクヤたちが駆け寄り、心配そうに「大丈夫か」と確かめてくれる。
よくよく考えれば、この防具の素材は希少鉱石“森羅万象”。布のように見える繊維も、すべてが世界最強の硬度を誇る物質で織られている。それはまさに、世界最高の職人だけが実現できる技術の結晶だった。
「これが、伝説の防具……」
思わずそう呟き、自然と笑みが零れる。今まで私は、攻撃を避けることだけが生き延びる術だと信じてきた。しかし今、その考えを真正面から覆された気がして――それが不思議と心地よかった。もちろん、これからも極力攻撃は受けないように努めるつもりだ。けれど、この防具の強度と安心感はあまりに心強い。……いや、むしろ過信が油断につながりそうで、そこが少し怖いくらいだ。
「いやぁ、感服でござる。この刀も、それなりの切れ味はありそうだったでござるよ?」
「そいつは市販品程度の強さの武器だ。お前さんの“乱桜なんちゃら”とかいう刀で斬りかかれば、お嬢ちゃんも無傷ではすまなかっただろう」
砕けた刀を手にしたサクラが、ジルナークと話しながらこちらへ歩み寄ってくる。私は改めてお礼を述べると、ジルナークは満足そうに笑みを浮かべ、「お嬢ちゃんが気に入ってくれたんなら、良かったぜ」と言って、軽く私の背中を叩いた。
話を聞けば、彼は素材を受け取ったその日から一睡もせず、飲まず食わずでこの防具を作り上げてくれていたらしい。なるほど、それで衰弱していたのかと納得する。それでも彼は、職人としての責任を果たしたという満足感と、この防具の出来を信じて自らの身体で試してくれた私に、心から嬉しく思っているようだった。
その時、お弟子さんたちが応接室から、先ほど準備していた祝杯を持ってきた。
「おお、そうじゃった。祝い酒を忘れるところじゃったな!」
「乾杯でござるな」
私たちは伝説の防具の完成を祝って乾杯した。お弟子さんたちもまるで自分のことのように喜び、工房は大きな拍手に包まれる。いつのまにか弟子たちにも酒が振る舞われ、場はすっかり宴会のようになっていた。縁起物という事で、私も少しだけお酒に口をつけた。強い酒気が口と鼻の奥に広がり、その香りだけで酔いそうだったので飲むのは止めておいた。
やがて弟子の一人が「表の看板を臨時休業に変えてきました!」と叫ぶと、工房中に笑い声が響き、それにつられて上機嫌のジルナークも腹を抱えて笑っていた。どうやら、今日の営業は臨時休業になったらしい。
ここを訪れた時に感じた生気のないジルナークはどこへやら、今では豪快に笑い酒を飲み、「腹に溜まる”つまみ”を持ってこい!」と元気に叫んできた。その様子がまさに生粋の”職人”といった感じがして、サクラと一緒に苦笑した。
◆
「――暗黒の神の復活じゃと?」
私たちはジルナークに今後のことを話した。彼はすぐには信じられない様子だったが、私たちの真剣な表情を見て、嘘ではないと悟ったようだった。
「なるほどのう……。確かに昨日、弟子たちが空の様子が変だと騒いでおったわい。まぁ、その防具さえあれば、お嬢ちゃんだけは生き残れるじゃろう」
「縁起でもありませんね。この私が誰も死なせはしませんよ」
お酒を煽りながら、サクヤが言い返す。サクヤもまた、回復役としてのプライドがあるのだろう。ジルナークもそれを感じたのか、「そうか、そうか」と笑った。
随分とゆっくりしてしまったけれど、私たちにはハルモニア大陸へ向かうための準備がある。そのことを伝え、ジルナークへ全員でお礼を述べ、頭を下げた。ジルナークは「……よせやい」と呟き、最後に一言こう言った。
「……死ぬなよ。戻ったらまた祝杯じゃ」
そう言って優しく微笑んでくれた。
工房を後にした私たちは、手分けして街を巡り、旅に必要な資材や食料を大量に買い込んでアイテムストレージへと詰め込んでいった。私は改めて、この近代的なギュノス国の風景を見上げる。どこか現実世界を思わせるその光景は、とても懐かしく、家族や友人との思い出を呼び起こす。
この国で過ごすのも、今日で最後だ。明日は東の港へ向かい、何日かの船旅が待っている。ハルモニア大陸に着いてからも、踏破するのにどれほど時間がかかるか分からない深いアビスダンジョンの攻略が始まる。
必ず、アビスダンジョン50階層に封印されている暗黒神ザナファを倒し、元の世界へと帰るんだ――。そう、強く心に誓った。
お読みいただきありがとうございます。
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