借金完済
翌日の早朝。私はクラブバー“グラズヘイム”を訪れ、眠りこけていたハーちゃんを起こし、そのまま冒険者ギルドへと向かった。昨日受け取った賞金の一部を、ハーちゃんのギルドカードに移行するためだ。
「やっとだ……やっと我は、この忌まわしき檻から解き放たれた。10億の賞金など、血塗られた契約にすぎぬ……だが、それをもたらすとはな。やはり我が運命に選ばれし伴侶よ」
要約すると「おお、これで我も自由の身になれたわけだな。それにしても、賞金10億を獲得とはな。さすが我が運命の嫁よ」と言いたいらしい。……血塗られた契約って、ハーちゃんが自分で壊した警備の機械種の代金のことなんだけどね。
「いや、別に伴侶じゃないし。それに、借金だった1億ゴールドは後で皆で割り勘にしようってドッちゃんが言ってたんだよ。だからお礼は皆に言ってね」
ハーちゃんの装備アクセサリーから滲み出る暗黒のオーラが、彼の周囲の空間を揺らめかせる。それを目にした店内の冒険者たちは、まるでモンスターでも見たかのような視線を向け、ざわめき始めた。……見た目も、立ち振る舞いも、発言も。まさに完全に“魔王ロール”だしなぁ。
その時、冒険者のひとりの女性が恐る恐る近づいてきて、おずおずと声をかけてきた。
「あ、あの……、もしかしてハーデス様でしょうか?」
20代前半くらいの戦士職らしい女性冒険者。筋肉質でがっしりした体つきなのに、頬を赤らめ、もじもじと体を捩らせている。
「ふん……見覚えがあるぞ、貴様。あの忌まわしきグラズヘイムにて、背に群れる影どもと共に訪れたであろう」
えーと。少し考えて彼の言葉を脳内で翻訳する。「おや、貴様……以前、グラズヘイムに来たことがあるな? そこの後ろの連中と一緒に」って感じか。要するに、お客様で顔見知りってことだな。
「ええ、覚えていてくださったのですね! こんな場所で魔王陛下にお会いできるなんて、光栄すぎて眩暈がしそうです!」
魔王陛下って。一度来店したお客様に、そんな呼び方をさせているのか。しかも彼女もそれを甘んじて受け入れ、恍惚な表情まで浮かべているし。戦士の子の後ろで控え、会話を聞いていたパーティーメンバーらしき女性たちも、一斉に駆け寄ってハーちゃんの前に膝をつく。その光景を見た他の冒険者たちも、何事かとざわめき始めた。
「おい、あの魔王っぽいヤツの後ろにいるのって、新クィーンじゃないか? 確か“救世主”とか“御使い”とか呼ばれてるっていう」
「おお、マジだ。今の呼び名はヴァールハラのクィーン”黒蝶”様だぜ。元クィーンを圧倒的な“ギャン力”でねじ伏せたって話だ……」
「俺は昨日、現場で見てたぜ! ラスト5分の大逆転劇! あれこそ本物のギャンブラーだ!」
周囲の冒険者たちが、ハーちゃんの横にいた私へと視線を向けてくる。うっ……まずい。ハーちゃんが目立つ行動をしていたせいか、私にまでとばっちりが飛んできそうな雰囲気になってきた。会話に出てきていた“ギャン力”ってなんだよ。初めて聞いたぞ、そんな造語。
試合後に聞いた話だが、昨日の試合映像は会場や会場前のスクリーンだけでなく、都市各所の大型スクリーンでも放映されていたらしく、街中の人々がリアルタイムで観戦していたらしい。完全にカジノのオーナーの経済力を甘く見ていた。
JACKPOTは別として、国全体に放映された反響を考えると、2億4880万ゴールドというギャラの金額も案外妥当なのかもしれない……と今さら思い始めた。
「――ハーちゃん、用事は済んだし帰ろう。ちょっと雰囲気がやばい」
私が耳打ちすると、ハーちゃんに膝をついていた女性冒険者たちが、鋭さの混じった視線をこちらへ向けてきた。
「時に魔王陛下様……その女は何者なんですか? どういう関係なのですか!?」
うっ、なんか怖い。いや、能力的には私のほうが強いと思うけど……気迫がすごい。妙な修羅場感に、思わずたじろいでしまう。隣のハーちゃんは「……フッ」と軽く笑い、顎を上げて彼女たちを見下すようにして言い放った。
「この者は我が盟約の同志にして、血塗られた運命を共に歩む――定められし……むぐ」
私は咄嗟に両手でハーちゃんの口を塞いだ。言葉の続きに“妻”とか“伴侶”が出そうで危なかったからだ。熱狂的なファンの前で、そんな言葉を使われたら……想像するだけでゾッとする。
「ごめんね。私はグラズヘイムで給仕をしている同僚ですので、ご安心を……。よろしかったら、またご来店ください!」
――逃げよう。私はハーちゃんの腕を掴み、特殊技能“抜足”を使い、足早に冒険者ギルドを後にした。後ろから「あれ!?」、「消えた?」「陛下!」――と声が聞こえてきたが、振り向くことはなかった。
私たちは少し離れた広場まで避難する。
「……焦るな。逃げる必要など、そもそも存在しない」
「――いったい、どういう接客をしたら、あんな狂信者みたいな人々になるの?」
さっきの女性冒険者たちの気配は、どこか鬼気迫るものを孕んでいた。そもそも声が男だから、相手も完全に性別を見誤っている。いや、身体は女性だけれど、リアルでは男性だから問題ない……のか?
サクラやサクヤもそうだけど、いつもネカマという性別区分に頭が混乱してしまう。それに彼らも、この状況に慣れ、”架空の呪い”のせいにして女性としてのロールプレイを楽しんでいる。まあ、ハーちゃんの場合は性別自体を超越しているとか言いそうだし……議論しても無駄だろう。
「そうそう、近々皆で休みを合わせて、今後のことを話し合いたいってドッちゃんが言ってたの。――その、私の獲得賞金で伝説の防具を作ろうって話をしててさ」
「ほう……あの難攻不落の試練に挑むか。フフ……良い、血が騒ぐ。協力してやろう。我が手に眠る供物を捧げるとしよう」
ハーちゃんは伝説の防具の話を聞き、不敵に笑いながら協力を約束してくれた。こうして要件が済んだ私は、昼の給仕の仕事があるためグラズヘイムへと戻ることにした。
ハーちゃんは今日は休みらしく、マザーブレインのところへ行き、借金返済の報告をすると話していた。ドッちゃんとサクラも護衛として働いていると思うので、話し合う日時を聞いてみるようにと伝え、私たちは別れた。
私はその足でまっすぐグラズヘイムへ向かった。店の裏口に到着すると、そこには人だかりができていた。目を凝らすと、男性が多いように見える。グラズヘイムの裏口での待ち伏せは、大抵サクヤかハーちゃんの休憩の外出を狙った出待ちの女性が多いけれど、男性ばかりだから……、案外クィーンの称号を得た私の可能性もあるわけだ。
私は一応“潜伏”も使用して気配を完全に遮断し、そっと裏口から店内へ入った。スタッフルームに入ると、起きたばかりのサクヤと出くわした。基本的にサクヤとハーちゃんは、グラズヘイムの仮眠室を間借りする形で生活している。どうやら、職場兼自宅のような環境の方が落ち着くらしい。
そういえばリアルでも、サクヤはトレーダーで自室が職場のようなものだし、ハーちゃんは会社で暮らしていると言っていたから、納得できる。
「シノブちゃん、おはよう。昨日は凄い盛り上がりだったようですね。お披露目会が終わった後、そのままお客さんがグラズヘイムに雪崩れ込んできて、急に昼から夜までぶっ通しで働く羽目になったよ」
「――ごめん。私はあの後、体調を崩してそのまま宿に戻ったから、知らなかったよ」
体調を崩したという点が気になったのか、サクヤは心配そうに問いかけてきた。私は「そういうのではなくてね……」と否定し、あの時の不思議な体験を話した。
「それは興味深い体験ですね。それこそ、“運営”や“開発者”、あるいは“ゲームマスター”みたいなものような感じですね……」
「運営や開発者って単語は知ってるけど、……ゲームマスターって何?」
運営や開発者という言葉は、MMORPGのプレイヤーなら何度も耳にしたことのある単語だ。しかし、ゲームマスターという言葉は初めて聞いた。
「ゲームマスターは、もともとテーブルトークRPGという、原初のゲーム方式での進行役を指す言葉です。テーブルトークRPGはルールブックに基づき、会話とサイコロで遊ぶRPGです。今でもオンラインでプレイする人々がいますね。
身近なものだと、簡略化されて“人狼ゲーム”になっていることもあります。ほら、人狼ゲームの進行役がいて『今夜は誰を襲いますか?』と聞く人がそれに当たります」
「なるほど、そう言われると近い感じがするかも。でも、神とゲームマスターって同一なものとは言えないの?」
サクヤは私の問いに少し考え、口を開いた。
「例えば……宗教の教えによって異なりますが、神話の神は世界や人類を創造し、試練や罰を与えて信仰心に重きを置く存在です。しかし、独自の人間臭さが身勝手に感じられることもありますね。一方、ゲームマスターは世界観やシナリオを考え、物語の進行がスムーズになるように調整する役割です。うまく調整して最終的にエンディングへと導かないといけない。似ているようで、仕事として考えた場合、全く違う役割ですね」
自分の身近な高校で例えるなら、神が部活の顧問で、部長がゲームマスターといったイメージだろうか。うーん、少し違うか。そう考えると、あの声の主はゲームマスターよりも神に近い存在なのかもしれない。ゲームマスターに該当するとすれば――そんな時、ふとある考えが脳裏をよぎった。
「じゃさ、もしかして創世教の教祖って、この世界におけるゲームマスターなんじゃないかな?」
「――それは、面白い仮説ですね。あながち良い線をいってるかもしれませんよ?」
不意に思いついた仮説に、サクヤは妙に納得したような反応を示した。異世界から来た私たちは、物語を理解し先の展開を知っている。その歩幅に合わせて、創世教の教徒がシナリオ進行を調整していると考えると、意外なほどしっくりくる場面が多々ある。
2人で議論を重ねていると、急に店長がスタッフルームに入ってきて、無言で時計を指さした。私が時計に目をやると、仕事の開始時刻を5分過ぎていることに気づく。しまった、出社して安心しきっていたけど、もう開店しているんだった。
「すでに指名が入っているよ、早くホールに来な!」
「ええっ、私!?」
店長によれば、私が昨日カジノクィーンの称号を得たことでグラズヘイムにお客様が殺到し、現在ホールは順番待ちの満席状態だという。まさか……と思い、ホールを覗くと、カウンターからテーブル席のすべてが客で埋まっていた。
「シノブ、今日はフル分身で回そう! 給料5倍分出しても十分回収できるよ! ああ、あと夕方からはカジノオーナーからのご指名もあるよ。なんでも高いギャラを払うから、少しカジノでも働いてほしいんだと」
「ひ、ひえぇ~」
これはもはや、カジノオーナーとクラブバー店長の策略にはまったのではないか。こうなることが最初から計画されていて、都市中に映像を流して経費として計上し、売上で回収する……そんな仕組みなのかもしれない。
それから私は昼間はグラズヘイムで働き、夜はヴァールハラからオファーを受け、新型スロットマシンの実演をするという状況に巻き込まれた。楽しいし充実はしているけれど、もはや借金がない以上、働く必要はないはず……と思いながら、数日が過ぎていった。
◆
数日後、私たちは全員でマザーブレインの元へ謁見した。借金も完済し、雇用契約終了にあたって紹介してもらったお礼を伝えるためだ。知らなかったが、一応国王という位置付けのため、誰でも簡単に謁見できるわけではないらしい。
以前、ハーちゃんが借金返済の報告をしようとした際、謁見できなかったと語っていた。その時にアポイントを取ってもらい、ようやく本日の謁見が叶ったというわけだ。
真っ白な部屋で唯一淡い光を放つ柱の中に、裸の女性――マザーブレイン“クトゥル”が揺蕩っている。そして、部屋全体に彼女の声が響き渡った。
「お久しぶりです。債務の返済が滞りなく終了したことを、心よりお礼申し上げます」
「うむ。苦しゅうない」
なぜか負債者のハーちゃんがふんぞり返って胸を張る。その時、急に目の前の地面が開き、白い2本の腕が杖を握った状態で現れた。借金の担保として奪われていた、ハーちゃんのメイン武器『カドゥケウス』だ。2匹の蛇が杖に巻き付き、先端には翼の彫金とエメラルドグリーンの宝玉が輝いている。
ハーちゃん曰く、最強に近い魔力を備え、「調停」の名のもとに全てを破壊する力を持つ杖だという。独自カスタマイズにより、伝説の武器に次ぐ破壊力を誇っているらしい。
「おお……我が愛杖よ。宿命の導きにより、ついに我が手へ還ったか」
ハーちゃんは嬉しそうに杖を握り、天高く掲げる。これで、晴れて自由の身になったというわけだ。
「シノブ、例の件をマザーブレインに聞いてみてはどうだろうか?」
不意にドッちゃんがそう問いかける。例の件――ああ、あのカジノ勝負での不思議な現象のことだ。私はその体験を、マザーブレインに詳しく話した。
「ほう、そのような事があったか。実に興をそそる。だが――我を差し置き神を語るとは、笑止千万よ!」
杖を私に向け、ハーちゃんがニヤリと微笑む。そういえば、ハーちゃんにはこの話をしていなかったかもしれない。その後、マザーブレインはしばらく沈黙し、円筒形の柱の中でゆっくりと瞼を開いた。美しい黄金色の瞳が私を見据える。吸い込まれそうに澄んだ瞳と視線が合い、思わず少し緊張した。
「そんな事があったのですね。今、その日の映像ログを確認しました。貴女がJACKPOTを当てる瞬間、確かに何かノイズのようなデータが紛れ込んでいます。それが何なのかは、私にも分かりません。申し訳ありません」
「……そうですか」
――結局、マザーブレインでも当時の現象を解明することはできなかった。ただ、“ノイズ”という事実があるため、解析を行うという方向で話はまとまった。
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