過去と由来と
カジノ勝負の前日、偶然にも私とドッちゃんの休みが重なり、正午過ぎから2人で街をぶらつくことになった。この街では機械種が多いため、ドッちゃんの姿は自然に溶け込んでいて、深くフードを被る必要もない。
ただ――燃えるように真っ赤な髪はさすがに目立つらしく、別の意味で視線を集めているようだった。ゲーム中は特に気にしたことはなかったけれど、こうして現実で見ると、かなり奇抜な髪色だと改めて思う。
「よかったの? せっかくの休みに付き合ってもらって」
「……問題ない。シノブの頼みなら、必ず時間を作る」
クリスタルタワーでの戦闘以来、ドッちゃんは普通に会話するようになった。最初こそ違和感があったものの、人間とは不思議とすぐに順応するもので――今では全く気にならなくなっていた。
ただ、本人はかなり気にしているらしく、会話は必要最低限に留めようとする節がある。周囲の人々の反応もサクラたちとは違っていて、「機械種だから仕方ない」と受け止められているらしい。「無機質な音声じゃないんだな、珍しい」――そんな感想が多いようだ。
今日の予定は、以前から気になっていた国営オークション会場”ビフレスト”の見学だ。ゲームでもユーザー利用率ナンバーワンの施設で、ドロップしたレアアイテムを高値で売るならオークション一択。利用者が多い分、個人商店よりもはるかに売れる確率が高いし、最低2人が競り合ってくれさえすれば、一攫千金だって夢じゃない。
――この世界のオークションには、いったいどんな品が並んでいるんだろう? 転移してきたばかりの頃、サクラが持っていたレアアイテムを個人商店に売ろうとしたが、値すら付かなかった。案外、オークションなら高値が付くかもしれない。
ビフレストは、中央のクリスタルタワーのすぐ近くに建つ巨大施設。一見すると大型の美術館のような造りで、中庭には大勢の人々が集まり、賑わいを見せていた。この世界では完全会員制らしく、入場料だけで1万ゴールドが必要だという。
ドッちゃんもまだ入ったことがなかったようで、私たちは一緒に会員登録を済ませた。ギルドカードを提示すると、そのままカード情報が更新され、左下に会員番号が記載される。これでいつでも入場が可能になったわけだ。
中に入ると、出品受付のための長いカウンターがあり、そこには20名ほどの受付嬢がずらりと並んで接客対応をしていた。すでに大勢の出品者が列を作って並んでいる。
「わぁ、すごいね。あれ、全部出品者なんだ」
「ふむ。ゲームと違い、サーバーごとにユーザーが分かれていないから混んでいるな」
ドッちゃんの妙に現実的な答えに、思わず少し笑ってしまう。確かに、この世界にひとつしかない施設だと考えれば、これだけ混雑するのも当然か。会場方面に進むと、入口付近には巨大モニターが設置されており、残り時間が迫っている出品物が一覧で表示されていた。そのリストを見た瞬間、私たちは思わず息をのむ。
なんと、“伝説の武具”に使用される激レア素材が複数、しかも比較的安価に出品されていたのだ。伝説の武具は、大手ギルドが総力を結集して素材を集め、1年以上かけてようやく一つ完成するかどうかというレベル。実際、ゲームのサービス終了までに完成させたプレイヤーは、わずか2人しかいなかったと言われている。
その激レア素材が、ゲーム内では1個あたり10億ゴールドで取引される代物なのに、この世界では500万ゴールド程度で出品されている。しかも残り時間が1時間を切っているのに、入札件数はゼロ――。正直、ありえない状況だった。
「ドッちゃん、これって……」
「ああ。資金さえあれば、作れるかもしれないな」
表情に変化のないドッちゃんだったが、期待と驚きが入り混じった響きがその声から伝わってきた。ハイメス国で頂いた、武具の核となる希少鉱石“森羅万象”が、私たちのストレージには眠っている。
――そういえば、”森羅万象”はドッちゃんとサクヤが受け取ったもので、私とサクラはオスロウ国で“ネオウルツァイド”を受け取っていなかったことを思い出す。本来、ゲームのストーリー通りなら貰えるはずなのに……。突然「ください」と言いに行くのも気が引けるし、お城が壊れたりとタイミングも悪かったから仕方ないのだけれど。
モニターの下には大型カウンターがあり、そこでスマートフォンのような専用端末を受け取る。画面をタップすると出品アイテムの一覧が表示され、そこから入札もできる仕組みになっていた。
「すごいな、さすが機械都市……」
ドッちゃんが端末をいじりながら、感心したように呟く。確かに……他の国はファンタジー色が強いのに、この都市だけは現代日本と言われても違和感がない。私たちは端末を操作しつつ、オークションが開催されている本会場へと足を運んだ。
本会場では、高価な1点物の品が実際にお披露目されているらしい。席に着くと、すでに商品の説明が始まっていた。しかし、期待とは裏腹に出品されているものの大半は高級な美術品や調度品ばかりで、武器や防具が紹介されることは一切なかった。
「暗黒神ザナファが復活していないから、物の価値観自体が違うのかもしれない」
ドッちゃんは何かを悟ったように会場を見つめていた。――そうか。ゲームでは暗黒神ザナファの名が世界中に広まり、復活が近いと囁かれていた。しかしこの世界でそれを知っているのは、封印装置を担うマザーブレインと創世教の連中くらいだ。
それに、私たちはゲームで得た攻略知識をもとに、伝説の武具に必要な素材や個数をある程度把握しているが、この世界の人々はそれを知り得ない。だから物の価値観そのものが、私たちとはまるで違うのだ。
「なるほど。今日は良い発見ができたね。頑張ってお金を貯めて、伝説の武具を作ろうよ」
「ああ。皆で力を合わせれば、できるかもしれないな」
私たちは新たな目標を得たような気持ちでビフレストを後にした。
外へ出ると、日はすでに8割ほど沈み、夜の闇が空を染め始めていた。公園を通りかかった時、偶然黒い子猫が近寄ってきた。私がしゃがむと、子猫は人懐っこく頭を摺り寄せてくる。
私たちは近くのベンチに腰を下ろし、公園の街灯が一斉に灯る中でしばらく子猫と戯れていた。しかし、ふいに子猫は飛び上がり、何処かへ走り去ってしまった。
「フフッ、本当に猫って気まぐれだよね。そういえばね、この世界に来た時に……少し黒猫の姿で過ごしていた時期があったんだ」
最初は黒猫の繋がりから始まった少し前の出来事の話は、やがて懺悔へと変わっていった。自分でもよく分からないけれど、たぶんドッちゃんに聞いてほしかったのだと思う。この世界に来て、力の加減を知らなかった私は3人の人間を殺めてしまった。そして、指名手配から逃れるために黒猫の姿に変装して過ごしていたことを語った。
ドッちゃんは口を挟まず、ただ時折頷きながら最後まで話を聞いてくれた。大まかなことは皆の前でも話したことがあったが、人を殺めてしまった時の経緯を詳しく語ったのはこれが初めてだった。話し終えると、不思議と気持ちが少し軽くなったような気がした。しばらくして、不意にドッちゃんが口を開いた。
「……私の話も聞いてもらっても良いだろうか?」
いつになく力のない声だった。私は大きく頷き、彼の言葉に耳を傾ける。ドッちゃんは一呼吸置き、静かに語り始めた。
「――私がSMOを始めたきっかけは、妻と娘の死が原因だった」
突然の告白に、私は強い衝撃を受けた。あまりに予想外で、最初は冗談かとも思った。だが、ドッちゃんは人の死を冗談にするような人ではない。私は小さく「うん」とだけ呟き、続きを促した。
「私は家族と一緒に自営業で花屋を営んでいた。……4年前の冬、妻と娘は交通事故で他界した」
その最後の言葉は少し声が震えているように聞こえた。私はどう返していいか分からず、ただ黙って聞くしかなかった。
「娘はちょうどシノブの1つ年上で、高校への推薦入学が決まっていたんだ。12月25日が誕生日だった娘は、珍しくクリスマスプレゼントをねだってきたんだ。――それがSMOだった」
なんだか、ドッちゃんの娘さんと自分が重なるような気がした。私も2年前の高校入学祝いに、両親へ無理を言ってSMOセットを買ってもらったのだ。
「妻と娘は、クリスマスケーキを買った帰りに歩道へ突っ込んできた車にひかれ、病院で息を引き取った。それがクリスマスイヴの24日だった」
そこでドッちゃんは言葉を切り、胸の辺りを押さえながら、声を絞り出すように続けた。
「――絶望したよ。突然すべてを失ったからね。葬式を終え、保険の受取手続きも済ませてから、強烈な喪失感に苛まれて、何もする気が起きなくなった。そのまま店を閉めたまま、半年が過ぎてしまった」
「――うん」
同じ辛さを共有することはできない。けれど、ドッちゃんの口調から滲み出る悲壮感は痛いほど伝わってくる。
「家にあった保存食が尽きた頃、偶然、娘へのプレゼントとして用意していたSMOセットと、その雑誌記事を見つけたんだ。控えめな娘が、申し訳なさそうにおねだりしてきた品がどういうものか、その時初めて知った」
「――うん。私も両親に頼んだ時、値段を見て驚いたのを覚えているよ」
思い返せば、とんでもない金額だった。あのとき無理を聞いてくれた両親には、今も感謝してもしきれない。
「私は無気力なまま、形見となったSMOをセットアップして、妻そっくりのキャラクターを作ったんだ。――このベースとなったキャラだ。声も妻そっくりの声優ボイスがあってさ。キャラクターが完成した時には、涙が止まらなかったよ。でもね、何かが違った……。結局、そこにあったのは虚しさだけだった」
ドッちゃんは深く項垂れ、当時の記憶を探り出すように声を絞り出す。
「ただログインしたまま、立ち尽くす日々が続いた。そんな虚無の中にいるキャラクターに、話しかけてくる人物がいたんだ。――それがミカエルだった。大学生になったばかりの彼女は、真摯に私の話を聞いてくれたよ」
ミカさんは医学生だからこそ、心を病んでいたドッちゃんに寄り添い、少しずつ元気を取り戻させてくれたのだと思う。
「ミカエルは、どんなに辛くても前に進むことを優しく諭してくれた。だから私は前へ進むために、課金して種族と髪色を変えたんだ。――今のこの姿だと、妻の面影はほとんど残っていないだろう?」
ドッちゃんの言葉に、わずかに力が戻ったような気がした。
「その後は、荒れた花屋を立て直しつつ、SMOをプレイする日々が始まった。仕事の忙しさと、SMOでミカエルとギルドを立ち上げ、仲間たちと未知を切り開く日々が、とても充実して輝いていたのを今でも覚えているよ。そして2年前に君がログインしてきたよね、シノブ。……私はね、ミカエルとシノブに救われたんだ」
「えっ? ……私?」
急に自分の名前が出てきて、思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまった。私自身、ドッちゃんに色々と教えてもらったけれど、彼を救った覚えなんてなかった。
「年齢や仕草、それに性格。実はすごく娘に似ていたんだ。シノブと過ごす日々は、共に過ごすことができなかった娘との日々を思わせてくれるようで、私にとっては癒しの時間だった。シノブには迷惑だったかもしれないけどね」
ドッちゃんの表情が動くことはなかったが、その口調や声質から深い優しさが伝わってきた。
「――そんなことないよ。私も楽しかった。リアルのドッちゃんのことはあまり聞いたことがなかったけど、私はドッちゃんと過ごした時間をとても大切な思い出だと思ってるから」
ドッちゃんは私に亡き娘さんを重ねていたのか。最初は重い話だと思ったけれど、私が陰ながらでもドッちゃんの役に立てていたのだと思うと、恩返しが出来たようで嬉しかった。
「……妻に似せた声は、前に進むために封印したんだ。だからキーボードチャットを使っていた。ただひとつ、課金しても名前だけは修正できなかったけどね」
「名前? ――DOSって何か意味があるの?」
「ああ、頭文字なんだ。大輔の“D”、音寧の“O”、そして志乃の“S”。名前だけは一度つけたらキャラクターを消さない限り変更はできないからね」
そういう意味があったのか……。大輔はドッちゃんの名前で、音寧が奥さんで志乃が娘さんかな。昔、ハーちゃんか誰かが「“MS-DOS”から取ったんだろう?」なんて言っていたから真に受けていたけど、全然違うじゃん。そもそもMS-DOSって何? モビルスーツか何かか。
色々と話してすっきりしたのか、ドッちゃんは思いきり背筋を伸ばした。私もそうだけど、やっぱり心に仕舞い込んだものを信頼できる人に吐き出すと、気持ちが軽くなるものだ。私もドッちゃんから少しは信頼されていると考えていいのかな。
「随分と話していたから、結構遅くなってしまったね。ラーメンでも食べて帰ろうか」
「えっ! ラーメンあるの!?」
この世界にラーメンがあると聞いて、思わず食い気味に問いかけた。ドッちゃんは「行こう」とジェスチャーをする。なんだかお互いに親子を思い出すような懐かしさ……。そんな感情が、夜の公園を歩く私たちを包んでいた。
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