不名誉な称号
―アルテナの町―
大勢の人々で賑わう大きな町。複数の領主によって統治され、どの国にも属さず独自に運営されている、平和な場所だ。モンスター討伐や専門的な仕事はすべて冒険者たちに依頼され、その活動によって町が成り立っている――そんな設定だったと記憶している。そのため、ここで発生するイベントは、チュートリアルを兼ねたものばかり。情報収集、ギルド登録、戦闘訓練、武器・防具の強化、そしてクラスアップなど、ゲームの基本操作を体験しながら学べる構造になっていた。
町の入り口には軽装備の自警団が数人。手短な会話ののち、あっさりと町に入ることができた。
「警備、けっこうザルだね。それに、町の様子がちょっと違うような……」
「ふむ。個人宅もオブジェクトではなく、中に入れる仕様になっているようでござる」
町の光景は、かつてゲーム内で見ていたそれとは少し違っていた。建物の外観も、通行人の衣服や佇まいも、どこか裕福で現実味を帯びている。さらに、住人の人々はよくある定型文ではなく、ごく自然な日常会話を交わしていた。「アルテナの町へようこそ!」なんて調子のいい挨拶を連呼する案内人など、どこにも見当たらない。――それにしても。さっきからサクラが話すたび、通りすがりの住人たちが驚いたように振り返り、目が合えばすぐに視線を逸らしていく。
超絶美形の女性の口から、あの低くて落ち着いた男の声が出てくるのだから、まあ無理もないか。もし、NPCなら気にも留めないと思っていたけれど、彼らの反応はあまりに人間的だった。ここはゲーム世界ではなく、ゲームそっくりの異世界――そう言い切ってしまってもいいのかもしれない。
「シノブ殿、拙者の声って、そんなに変でござるか?」
「うん。特に私は前の声の印象が強いから、余計にギャップを感じる。ベースがすごく美人だから、そりゃ声を聞いたら驚くよ」
「いやぁ、やっぱり拙者は美人でござるか。くふふ、キャラクタークリエイトには丸1日かけましたから。それに――」
……あ、聞いちゃいない。しかも何やら自分語りまで始めてるし。褒めたところを素直に喜ぶあたり、ある意味最強かもしれない。まあ、本人が気にしてなさそうなら、それでいいか。
アルテナの草原でも感じていたことだが、どうにもフィールド全体がゲームで見た時より広く感じられる。ワープポータルを使って移動することが多かったので、あくまで記憶を頼りにした比較ではあるけれど、単なる体感の問題だけではなさそうだ。それに、この町で暮らしている人々も、明らかにゲーム内より多い。NPCと呼ばれていた存在たちは、イベントや情報収集に必要な最低限の人数しかいなかったはずだ。
「まずは、冒険者ギルドでござるな」
サクラがそう言って足を進める。冒険者ギルドとは、現実世界でいうところの職業安定所と銀行と酒場を合わせたような施設で、大きな町には必ず存在している。すべてのミッションは冒険者ギルドが統括しており、情報収集、クラスアップなどもここで行える。
「うん。でも、ギルドカードって発行してもらえるのかな? お金とか、かかったりして……」
ゲームでは、キャラクターメイキングがギルド登録に該当する。そのため、ギルドカードというアイテムは存在せず、クラスアップなどのカード更新時にだけ手数料が発生する仕組みだった。そのため、ここで実際に登録手続きが必要になるとなれば、カードが具現化されているかどうかはわからない。
「確かに。ギルドカード発行にはお金が必要かもしれないでござるな」
そう言うと、サクラは近くにいた住民へと軽く声をかけ、雑貨の買い取りしてくれるお店の場所を聞いていた。だが、返ってきた反応は――声を聞いた途端、「ぎょっ」とした顔で固まる住人と、ぎこちなく口を動かす様子。その顔を見て、私は思わず笑いそうになるのを必死にこらえた。サクラの声が、あの美貌と絶望的に合っていないのだ。
教えてもらった雑貨屋に向かい、私たちは手持ちのアイテムをいくつか売って当面の資金を得ることにした。しかし、ゲームとは違い、ほとんどの品は「価値がわからない」と言われ、買い取ってもらえなかった。小さな店だったこともあり、”金塊”すら扱えず、結局安価な”鉄鉱石”など、相場のわかりやすい素材類をいくつか買い取ってもらうに留まった。
それでも、多少なりとも現金を得た私たちは、町の中央広場に面した冒険者ギルドへと向かう。建物の大きな扉をくぐると、正面には酒場スペースが広がっており、その奥には依頼が貼り出された巨大な掲示板と、カウンターに佇む受付の女性が見えた。
酒場には閑散とした空気が漂い、数人の冒険者たちが、依頼の少ない掲示板を眺めながら話し込んでいる。受付の女性も、仕事がなく手持ち無沙汰といった様子で、静かに佇んでいた。
「ぜんぜん冒険者がいないね。町に活気があったから、ここも賑わってるかと思ったけど」
「ふむ、依頼書もほとんど貼られていないでござるな」
掲示板に目を向けると、並んでいたのは“迷い猫の捜索”や“薬草の採取”といった、安い報酬の依頼ばかり。最も高額なものでも“ゴブリン討伐”や“馬車の護衛”といった程度だった。依頼の少なさに違和感を覚えつつ、私たちはギルドカウンターへ向かい、ギルドカードの発行手続きを済ませる。当然ながら、冒険者ランクは最底辺の “Dランク” からのスタートだった。そして、予想はしていたけれど、かつて私たちが所属していたギルド深紅の薔薇の表記は、どこにも見当たらなかった。
その後、受付の女性から簡単な説明を受ける。
「ギルドカードは金属製でござるな。表示されている情報は名前、職業、それから個人番号くらいで……あとは、口座機能もあるようでござる」
「依頼の報酬は、現金で受け取るかギルドカードに入金するか選べるっぽいね」
私たちがギルドカードを手に取り、しげしげと眺めていると、カウンター越しの受付嬢が少し不思議そうな表情で声をかけてきた。
「あなたたち、珍しい上位職なのに……ギルドのこと、全然知らないのね」
その言葉に、改めて自分たちの立ち位置が“浮いている”ことを痛感する。通常、この世界ではキャラクターメイキングの段階で冒険者登録を行い、ランクを上げていく過程でクラスアップしていくのが一般的だ。私自身、ゲーム内でマーチャントからスカウトを経て、アサシン、そして忍者へとクラスアップしている。サクラもファイターからいくつかの中間職を経て、侍へとランクを上げてきたはずだ。そんな最上級職の冒険者が、“初めて”ギルド登録をする――普通に考えれば、偽名でカードを作ろうとしている怪しい人物にしか見えないかもしれない。妙な視線と空気を察し、私たちは曖昧な笑顔で適当に言い訳をして、そそくさと冒険者ギルドを後にした。
町を散策していると、人通りの少ない路地裏から、何やら揉めているような声が聞こえてきた。
「て、手を放してください!」
「ちょっと付き合えよ」
「いいじゃん、減るもんじゃねぇし」
「ぐへへっ」
女性らしき人物が、安物の軽装備を身につけた冒険者3人に囲まれていた。
……なんというか、非常に“ベタ”な展開である。これは、まさかのサブイベント? ついつい目の前で起きている事態を“イベントフラグ”と捉えてしまうのは、きっと“ゲーム脳”ってやつなのだろう。
ここで選択肢が出てくるんじゃない? 助けますか? 「YES」 or 「NO」ってやつ。で、YESを選ぶまで無限ループする――みたいな。正直、そういう時って限界まで「助けない」を選びたくなる衝動に駆られるんだけど、さすがに今回はそんなふざけたことはできない。王道は――助ける、だ。
「ちょっと助けてくる!」
「えっ、シノブ殿――!?」
私の声に驚いたサクラの声が背中から届くよりも早く、私は特殊技能”抜足”を発動。気配を断ち、すばやく3人の冒険者の背後へと回り込む。試してみたいと思っていたのだ。漫画なんかでよくある“首筋を手刀で叩いて、一瞬で気絶させる”あの技。現実じゃありえないあの描写を、自分の手で再現できるなんて夢のようじゃない? 私は女性の腕を掴んでいる冒険者の首筋へ手刀を振り下ろす。ドサッ――と倒れる冒険者。続いて、2人目、3人目。あっけなく3人ともその場に崩れ落ちた。ふふん、どんなもんよ!
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
私はまだ驚いた様子の女性に声をかける。
「え、ええ……ありがとうございます」
女性は目の前に突然現れた私と、倒れた3人の男たちを交互に見て、明らかに戸惑っていた。その場に居合わせた数人の通行人が駆け寄ってきて、女性を心配そうに囲む。だが――その中の1人が、倒れている冒険者の様子を見て、信じられない言葉を口にした。
「し、死んでる……! お、おい、こいつら……本当に死んでるぞ!」
……え?
一気に血の気が引いた私は、慌てて倒れた男の1人を調べてみた。首が――おかしい。白目をむき、呼吸もない。
「ウソ、でしょ……」
震える手で、他の2人にも触れてみた。――同じだ。3人とも、首の骨が折れて、即死していた。
「ひ、人殺し……! こ、この人が殺したの!」
恐怖に顔を歪めたあの女性が、震える声で私を指さして叫んだ。――ええっ!? 私は、あなたを助けようとしたんだけど? その声を聞きつけて、後から追いついてきたサクラ、そして町の自警団らしき装備の男たちが駆けつけてきた。
「おい、そこの黒服の女。そこを動くな!」
怒鳴り声に反応するより早く、混乱した私は思わずその場から飛び出していた。目指したのは、とにかく人の多い大通り。無我夢中で駆けた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……!
頭の中で警鐘が鳴り止まない。驚きと困惑、そして後悔。感情が渦巻いて、どうにも抑えきれない。ゴブリンを倒した時とは違う――私は、人間を、殺してしまった。ただ、軽く手刀で小突いただけのつもりだったのに。まさか、あれで死ぬなんて。そんな……脆すぎる。
いや、違う。私が強すぎるんだ。レベルカンストしたこの身体で、現実世界の感覚のまま力を使ったことが、最悪の結果を生んだ。自分の“強さ”を、あまりにも軽く見ていたんだ。
――気がつけば、私は町の門を越え、外へと出ていた。ここまで全力で走ってきたはずなのに、息一つ切れていない。ああ、これが“最高レベル”と“一般人”の差なのか。まるで現実味がない。けれど、それが現実だ。そこで、不意に脳裏をよぎったのは――あの女性の叫び声。
”ひ、人殺し……! こ、この人が殺したの!”
その言葉が、胸に突き刺さる。私はその場にしゃがみこみ、自分の肩を抱きしめるようにうずくまった。……とたんに恐怖の感情が私の心を支配する。こんなにも浅はかで、愚かで――無責任だった自分が、怖い。
”NPCだから、死んでも気にすることないよね?”
そんな都合のいい理屈が脳裏をよぎったが、そんな割り切り方はできなかった。この世界の人々は、私たちと同じように生きている。会話をし、悩みを持ち、感情を交わし――人生を紡いでいる。とても、ゲームの中の“モブ”なんかじゃない。……私は、現実に、命を奪ってしまったんだ。
――町の外に腰を下ろして、どれくらい時間が経っただろう。
陽はすっかり傾き、広がる草原が茜色に染まり始めている。沈んでいく夕日を、ぼんやりとした視界の中で見つめながら、私は何も考えられずにいた。現実から目を背けるように、ただ茫然と座っていた。身体はまったく疲れていないはずなのに、人生で一番、心が重く疲れていた。そんなふうに思考も感情も止まったまま、空を見ていると、不意に視界に人影が差し込んできた。
「……やっと見つけたでござる」
顔を上げると、夕陽を背にしたサクラが、苦笑を浮かべて私に手を差し出していた。その姿を見た瞬間、張りつめていた何かがプツンと切れた。心の奥に押し込めていた感情が、堰を切ったように溢れ出してくる。私は何も言えず、ただうつむいて涙を流した。
サクラは私のそばに静かに腰を下ろす。泣き続ける私に無理に言葉をかけることはせず、ただ、そっと寄り添っていてくれた。沈黙の中、時間が緩やかに流れていく。
「……ごめん」
ぽつりと、震える声で私は謝った。何に対して、誰に対してなのか、自分でもはっきりとはわからなかった。でも、どうしても口に出したくなった。サクラは子供をあやすように、優しく私の頭を撫でてくれた。その温もりに、少しだけ心がほぐれていく。しばらく撫でられていたが、なんだか気恥ずかしくなってきて、小さく笑って「もう大丈夫だから」と呟き、涙をぬぐった。
「……あの後、どうなったの?」
ようやく落ち着いた声で問いかけると、サクラは少し視線を落としながら、真剣な表情で答え始めた。
「ふむ……」
私が恐る恐る立ち去った後の事を尋ねると、サクラは少し言いづらそうに答えた。
「あの後、自警団に呼び止められて事情聴取を受けたでござる。ただ、適当にとぼけて、その場は何とか誤魔化したでござるよ」
気まずそうに視線を逸らすサクラ。その言葉に少しだけ安堵したのも束の間、彼は続けて、さらりと決定的な一言を口にした。
「まあ……当然と言えば当然だが、シノブ殿は殺人犯として指名手配されることになるらしいでござる」
「……え?」
その言葉を聞いた瞬間、胸がギュッと締めつけられるような感覚に襲われた。指名手配――その言葉が、あまりにも現実味を帯びていて、いっきに気が重くなる。あれは事故だった、ただ力加減を見誤っただけ。そんな言い訳が通じる世界ではないのだ。事実として、私は3人の冒険者を殺してしまった。しかも、素手で、あっさりと。
ゲームで考えれば、私はアサシンの上級職にあたる。暗殺はお手の物、むしろそれが仕事だ。でも、現実での”殺人”が、これほどまでに心に深い影を落とすものだとは思ってもいなかった。沈んだ気持ちで黙り込んでいると、サクラが静かに口を開いた。
「事故なのは分かっているでござるよ。シノブ殿が飛び出さなかったら、たぶん拙者が殺していたでござる」
思わず彼の顔を見る。真面目な瞳が、まっすぐ私を見つめていた。確かに、サクラは”腕力”極振りの侍。ステータス上では私の倍以上の攻撃力を持っているはずだ。あの状況で、サクラが少しでも本気を出していれば――首ごと吹き飛んでいたかもしれない。彼の言葉は、慰めではなく、真実だった。その真っ直ぐな気遣いが、胸に染みて、ほんの少しだけ心が軽くなる。
「……でも、これじゃもう町には入れないよ」
大きなため息とともに、膝を抱えてうなだれる私に、サクラがふと思いついたように何かをひらめいた顔をした。そして、アイテムストレージに手を伸ばすと、そこから黒い毛玉のような不思議な物体を取り出した。
「良いものがあるでござるよ!」
サクラは立ち上がり、その黒い毛玉のような物体を持ち上げて広げた。それは全身タイツに毛が生えたような防具で、一見すると毛虫のように見えた。
「これは“黒猫スーツ”と言うアクセサリーでござる!」
”着ぐるみ”に近いそのアイテムは、SMOサービス当初にガチャで実装された限定レア装備らしい。なんでも一度もリバイバルされなかったらしく、超高額で取引されるアイテムだそうだ。サービス開始1年目のガチャで、1度も再販されていないということは、私が知らなくても不思議ではない。
「これを着ると、外見が黒猫になってNPCとの会話が変化するっていう代物でござる」
「へぇ、何か他に特殊能力やメリットとかあるの?」
私は黒猫スーツを受け取り、素朴な疑問をぶつけてみた。課金ガチャの装備は何かしら特別な能力が付いているものが多く、その入手が目的で多額の課金をするプレイヤーもいるくらいだ。
「ないでござる」
「……ないんだ」
特殊な効果はなく、完全に見た目を変えるだけのネタアイテムらしい。こんな装備で自分の姿をごまかせるのだろうか……? 私は半信半疑ながら黒猫スーツを服の上から着てみた。お腹のジッパーを閉めると、自分の視点が低くなったように感じた。
「おお、シノブ殿、本物の猫に見えるでござるよ!」
サクラの言葉によると、私の見た目は二足歩行の黒猫そのものになっているらしい。自分の視点では、手元の肉球と足元しか見えないが、身体が小さくなっているのは確かに感じられた。私は意識して猫耳をピクリと動かしてみたり、しっぽを振ってみたりして、その変化を試す。身体の動きに連動して、しっぽの先がふわりと舞うのが分かった。
「本当に猫に見えるの?すごく不安なんだけど…だって、バレたら逮捕されるんだよ?」
「喋らずに四つん這いで歩けば、絶対にバレないと思うでござるよ」
本当に大丈夫かなあ。これってただの着ぐるみを着た犯罪者になっただけじゃないだろうか。とても不安だ。でも、明日からはお尋ね者になるらしいし、このアイテムを着て過ごすしか選択肢はない。
こうして、私は”お尋ね者”という不名誉な称号がつき、黒猫としての生活を余儀なくされるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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