希少鉱石『森羅万象』
翌朝、目を覚ますと――目の前には、熟睡しているデイア姫の寝顔があった。瞼を閉じているぶん、その睫毛の長さがよくわかる。なにこれ、長っ。着け睫毛じゃなさそうだし……すごいな。じっと覗き込んでいると、不意にデイア姫の目が開いた。
「わっ!」
驚きのあまり、私は思わずベッドから跳ね起きた。デイア姫は目をこすりながら、くすくすと笑っている。
「おはよう。シノブ」
「う、うん。おはようございます……デイア姫」
私がどぎまぎしながら挨拶をすると、デイア姫はぷぅっと頬を膨らませ、まるで子どものように露骨に不機嫌な顔を見せた。
「昨晩、“姫”はいらないって言ったでしょう? “デイア”って呼んで」
「ご、ごめん。許して……デイア」
うん、やっぱりこの距離感には慣れない。ゲーム内の情報として知っていただけで、実際に会ったのはほんの数日前。現実世界でも、私はいつも人と一定の距離を取ってきた。名前で呼び合うような関係は、せいぜいギルドの仲間くらい。だから、こうして名前で呼ぶのは……少し照れくさい。
「よろしい、許します」
彼女はそう言って、楽しげにくすくすと笑った。そのとき、部屋の扉が控えめにノックされる音が聞こえた。深く考える間もなくドアを開けると、そこにはサクラとサクヤが立っていた。
「シノブちゃん、おは――」
サクヤが挨拶の途中で固まった。その視線の先を追うと、私の背後――デイアに向いていることに気づく。よく見れば、サクラも同じように後ろを凝視していた。ベッドから降りたデイアは、髪を結いながら私たちの方へ歩いてきた。
「あら、サクヤさんにサクラ様。おはようございます。少し、道をあけていただけますか?」
「あ、はい。す、すみません……」
サクラとサクヤは左右に分かれ、道を譲る。ネグリジェ姿のデイアは廊下に出ると、軽く振り返って微笑んだ。
「シノブ、朝食は庭園でご一緒しましょう?」
そう言い残すと、私の返事を待たずに優雅に歩いていった。警備をしていたらしい兵士が、眠そうな足取りでそのあとを追う。……この人、一晩中扉の前に立ってたんだ。なんか、申し訳ない。私たちは昨夜、ベッドの上で寝そべりながら話していて、そのままうたた寝してしまったらしい。いつ寝たのか、正直覚えていない。
――ところで、この2人はどうしたの? さっきからまるで石化の状態異常でも食らったように固まってるんだけど。
「ね、ねぇ……どうしたの?」
私の言葉に、2人はようやく我に返ったようにハッとし、急にはしゃぎ始めた。どういうことか聞いてみると、サクヤいわく”ネグリジェ姿のデイア”は、激レアアイテムがドロップするくらい珍しいらしい。サクラも「美しさに目が離せなかった」と言っていた。うん、その気持ちはわかる。……わかるけど、なんか釈然としない。というか、ちょっとムカつく。
私の“アバター”は胸が平坦だから、ああいう服は似合わないんだよね……。あくまで“アバター”の話だけどね。現実では、もうちょっと成長してる……と思う。たぶん。
「それよりも、デイア姫はシノブ殿の部屋で……その、一緒に寝たでござるか?」
サクラが恐る恐るといった調子で尋ねてきた。私は「うん」と特に気にせず答えたのだけど、2人はそれだけで大騒ぎ。まるで取り調べのように、どうやって親密になったのかと詰め寄ってくる。
こういうのは腹を割って話をした……と言うのだろうか。経緯はどうあれ、私たちは異世界人だということを、デイアが初めて知った現地の人間になったから……かな?
「ふふ、内緒だよ」
私はあえて含みを持たせて、人差し指を唇に立てる。2人は「ぶーぶー!」と駄々っ子のように文句を言っていたけれど、無視して中庭の庭園へと向かった。
色とりどりの花が咲き誇る庭園で、デイアとともに優雅な朝食をとり、しばらく談笑を楽しんだ。まるで現実の高校生に戻ったようなひとときと、王宮の庭園という非日常的な空間のギャップが、なんだかとても新鮮だった。けれど、楽しい時間にも終わりは訪れる。私たちは旅の準備を整え、再び国王陛下との謁見に臨むことになった。
謁見の間には多くの貴族や近衛兵が並び、玉座までまっすぐに伸びたレッドカーペットの上を進む。そして、私たちは国王陛下の前に膝をついた――。
「本来であれば、そなたらの偉業を称え、国を挙げて盛大なる祝典を催し、主賓として凱旋のパレードを行いたいところであった。されど、急ぎの旅路とのこと――致し方あるまい。せめてもの感謝の証として、この褒賞を受け取ってはくれぬか。……例の品を、持て」
壁際に控えていた近衛兵が2人、重厚な造りの宝箱を抱えて進み出た。私たちは立ち上がるよう促され、彼らが目の前でその宝箱の蓋を開けるのを見守った。
中に収められていたのは、曇りひとつない半透明の緑色の鉱石。神々しい光を放ち、ただそこにあるだけで魔性の魅力を放っている。それは――伝説の武具の材料、希少鉱石『森羅万象』。
鉱石自体が強い魔力を帯びており、その輝きは永遠を封じ込めたようで、思わず息を呑むほどだった。ゲーム内では、イベント報酬として誰でも手に入るアイテム。ストーリーモードの隣国戦争編をクリアすれば、全員が手にすることができたはずのもの。
だが、現実として目の当たりにした今、その尊さはまったく別物だった。小さなアイコンや簡素なフレイバーテキストでは、とても伝えきれない“本物”の存在感。
「ありがたく、頂戴いたします」
戦時においてハイメス国の全軍の指揮を担ったサクヤが、代表してその宝箱を受け取った。近衛兵が二人がかりで抱えていた重そうな箱を、華奢に見えるサクヤが軽々と受け取る。
「おおっ……」
謁見の間には小さな感嘆の声が漏れた。サクヤはスレンダーな外見とは裏腹に、腕力極振りの猛者だ。おそらく100キロ程度なら、片手で持ち上げられるのではないだろうか――。その姿に拍手が起こり、謁見の間は温かな雰囲気に包まれた。――こうして、私たちは国王陛下との謁見を終え、王宮を後にすることとなった。
「皆の旅路に幸あらんことを。……またいつの日か、この国にも立ち寄ってくれると、嬉しく思う」
城の正門前には、デイアが見送りに現れていた。朝の柔らかな雰囲気とは違い、今の彼女は王女としての厳かな姿を纏っている。やはり、この凛とした雰囲気の方が彼女には似合っているのかもしれない。私が振り向き、軽く手を振ると彼女も、それに応えるように手を振ってくれた。そして――
「シノブ! また会おうね!」
まるで、明日また学校で会う約束をする同級生のような笑顔で叫んでくる。私は馬車の窓から身を乗り出し、大きく手を振った。
「うん、デイア。またね!」
私も、それに合わせて明るく返した。その光景を目にして、サクラとサクヤはぽかんとした表情を浮かべている。ドッちゃんもスケッチブックを取り出し、「いつの間に仲良くなったの?」と描いて見せた。
ドッちゃんには……あとで話してもいいかな。サクラとサクヤには、もう少し内緒にしておこう。そんなことを考えながら、私はそっと微笑んだ。イメージとは違うけど、こっちが着飾る事のない、本当のデイアなんだよね。また、いつか逢えるといいな。
ハイメスの王都は、戦争の緊張が完全に解け、大勢の人々で賑わっていた。道中、ドッちゃんたちに気づいた街の人々が次々と駆け寄ってきて、平和をもたらしたことへの感謝を述べていく。ハイメス国の被害が最小限で済んで、本当によかった。こんなふうに、街の人々が笑顔で溢れている光景が、いつまでも続いてほしい――。その後、私たちは宿屋で馬車を回収し、名残惜しさを残しつつ、ハイメス国を後にした。
「次の目的地は、ここから南東にある世界最大の機械都市ギュノス国でござるな」
御者席から、サクラが後ろを振り向いて声をかけてくる。現在、彼女はドッちゃんから馬車の操縦を教わっている最中だ。なんでも「武士たる者、馬くらい軽々と扱えねばならぬ」と、やる気満々だった。
確かに、武士といえば馬にまたがる姿がしっくりくる。それに比べると、忍者ほど馬が似合わない職業も珍しいかもしれない。乗れるのが当たり前のような世界かもしれないけれど、どうにもそのイメージが湧かない。
「ギュノス国って、やっぱりゲームの通りなんでしょうか?」
サクラの言葉をきっかけに、サクヤがぽつりと呟いた。その声音からは、ギュノス国の姿を思い浮かべているのが手に取るように分かる。
――機械都市ギュノス。その姿は、近未来SFそのもので、他のどの国よりも異質な雰囲気を放っていた。
ストーリーイベントの最重要拠点、『クリスタルタワー』。カジノ『ヴァールハラ』、クラブバー『グラズヘイム』、スパリゾート『ヴァナヘイム』、そして国営オークション会場『ビフレスト』。さらに、伝説の鍛冶師ジルナークが構える『ジルナーク工房』。
SMO内でも人気は群を抜いており、ギュノス国をホームポイントにしているプレイヤーも多かった。まさに、超巨大都市にして好きな国別ランキングは不動の1位。
「私は、すごく楽しみだなぁ。遊べる場所もいっぱいあるし。……もし現実世界に帰れなさそうだったら、ギュノス国に住みたいかも」
軽く言ってみたつもりだったが、それでも胸の奥に残る現実世界への未練は小さくない。――きっと、みんなも同じだろう。
それぞれの想いを胸に、私たちは晴れ渡る空の下、馬車に揺られて進んでいった。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも面白いと思ったなら「ブクマ」「いいね」「☆での評価」お願いします。