ネカマが女湯を利用するのは犯罪だと思う
目を開けると、眩しい日差しが白く視界を覆った。ゆっくりとベッドから身を起こすと、すぐ横でドッちゃんが本を読んでいた。まだ少し眠気が残っていて、目を擦る。すると、不意に頭を優しく撫でられた。メタルボディの冷たく硬い感触――けれど、それが妙に心地よくて、不思議な気分になる。
「おはよう」
私がそう言うと、ドッちゃんは机の上に置いてあったスケッチブックを取り出し、何かを書きはじめた。やがて、掲げられたスケッチブックには、丁寧な文字でこう綴られていた。
「おはよう。体調は大丈夫?」
チャットが使えないから、わざわざスケッチブックを用意してくれたんだ。それがなんだか嬉しくて、思わず笑みがこぼれる。
「あれ……ここは?」
見慣れない場所に戸惑いながら、私は周囲を見渡した。必要最低限の家具だけが整った部屋で、どこか無機質で生活感が薄い。ドッちゃんがスケッチブックに「ここは聖騎士団の宿舎」と書いて見せてくれた。なるほど、聖騎士団の空き部屋を借りているというわけか。
それにしても――ドッちゃんのメタリックな質感があまりにも鮮やかで、私はつい、じっと手元を眺めてしまった。駆動域の多い金属製のマネキン……いや、精巧なフィギュアと言った方が近いかもしれない。好奇心をくすぐられて、分解して中を見てみたい衝動に駆られる。
私のそんな視線に、ドッちゃんは不思議そうに首をかしげる。機械種はフェイスタイプによっては仮面のように表情が固定されているが、ドッちゃんはまさにそのタイプ。表情が一切変わらないのに、不思議と気持ちが伝わってくる。
「あのあと……どうなったの?」
私が気を失った後の出来事を尋ねると、ドッちゃんは”ちょっと待って”という仕草をして、スケッチブックに続きを書きはじめた。
――デイア姫の究極攻撃魔法がとどめとなり、魔人ヴァッサゴは完全に消滅。時を同じくして、オスロウの街に召喚されていた多数のモンスターたちは、オスロウ国軍5万と、援軍として駆けつけたハイメス国軍6万の大軍勢によって、なすすべなく討伐されたという。戦闘による建物の損傷はあったものの、死者数は奇跡的にゼロ。それもこれも、各地に展開していたラウルの魔導師団と、シグナス率いる聖騎士団が中心となり、医療班として大活躍したおかげらしい。
一時休戦となっていた戦争は、そのまま無期限休戦となり、ハイメス軍は静かに撤退していったという。一応、賠償の話も出ているらしいけれど――それを支払うのは、戦争を仕掛けたハイメス国ではなく、オスロウ国になるだろう、という話だった。
実際、ハイメス国では魔人の謀略によって戦争が発生したことが、サクヤとドッちゃんの報告により国王陛下やデイア姫の知るところとなっており、すでに首謀者や内通者、その一味もろとも捕らえられたらしい。オスロウ国内でも、これから魔人と繋がりのある貴族たちが摘発されていくだろうと。そして、その調査が終わり次第、ようやく賠償についての正式な会談が行われるとのことだった。
サクラとサクヤが今どうしているのか尋ねると、2人は王城の瓦礫撤去を手伝っているらしい。魔人の究極攻撃魔法で半壊し、さらにデイア姫のとどめの一撃で巨大なクレーターまで生まれたのだから、まあ……当然の被害ではある。
それでも、街の被害は比較的軽微だったというし、王城だけで済んだなら、むしろ安上がりだったとも言える。何より、犠牲者ゼロというのは、ゲームで言えばチート級のSSSランククリアってやつだ。
私たちは宿舎を出て、王城跡へと足を運んだ。日は傾き、太陽はその半分を山の端に沈めていた。夕日に染まるオスロウ城跡にはもはや原型はなく、兵士たちが忙しそうに瓦礫の運搬作業を行っていた。作業中の兵士にサクラたちの居場所を尋ねると、「さっき街の方へ降りて行った」とのこと。日も暮れかけているし、作業を早めに切り上げたのだろう。
「そういえば、お腹空いた。私たちも街に降りよ」
そう言って歩き出しながら、私は道中、ドッちゃんたちが辿った道のりについて話を聞いた。私とサクラよりも2週間早く転移し、最初はアルテナの町付近に降り立ったらしい。そこでギルドの依頼を片っ端から達成してBランク冒険者となり、オスロウ国を目指して旅を続けていた。
赤龍の地下洞窟では、「いっそハイメス国に行く方が良いのでは?」という話になり、別ルートからハイメス国へ向かったという。現地でも多数の依頼をこなしてSランク冒険者の称号を得て、ついには国王に見初められ、王宮仕えとなった。
そこで魔人に加担する貴族の摘発と、隣国を巻き込んだ謀略の調査を命じられ、なんなく解決。その後、魔人討伐部隊の指揮権まで拝命――すごい、着実すぎる。私なんて、予言者にでっち上げられて、サクラの虚言でここまで引っ張られてきただけだ。……いやほんと、人生経験も知的能力も、差が歴然ってやつだよ。
冒険者たちが高値で雇われていた貴族街は、戦闘の影響をほとんど受けなかったようで、見たところ被害の痕跡すらない。聖騎士たちがちらほら見回りをしていて、兵士と目が合うたび、やけに仰々しく敬礼される。――そういえば、一応まだ“将軍”って肩書だったっけ。
敬礼には慣れていないから、軽く手を振って返すようにしているけれど、たまに「将軍ちゃんって可愛いな」なんて声が聞こえてきて、ちょっとだけ嬉しくなる。……いや、これって下心なのかな。打算的なやつ。
ドッちゃんは注目されるのが苦手らしく、フードを深く被って顔を隠していた。会話はもっぱらスケッチブックがメインで、話した内容も多いせいか、もうすぐ一冊使い切りそうな勢いだ。そういえば、ゲームの頃もこうして2人でよく話していたな。深夜までチャットしていると、ドッちゃんに「そろそろ寝なさい」って叱られてたっけ……。
行きつけの酒場へ入ると、テーブルに着いていた冒険者や街の人々が、一斉に詰め寄ってきた。
「稀代の天才予言者、シノブってあんたか? いやぁ、会えて光栄だぜ!」
「戦争を予言して、相手国の女王を従えて、国王に化けた魔人を倒したって? すげぇな、あんた!」
「しかも、あのサクラ様を追い詰めたクリス騎士団長を、たったの5分で倒したらしいな!」
「そうそう、近衛兵の友達が言ってたぜ。団長の攻撃を全部予言して、紙一重で回避したってよ!」
「今回の戦争を収めたのも、このシノブ様のおかげらしいぞ。ハイメス軍6万を1人で止めたとか!」
「ああ、俺も驚いたよ。急に現れたモンスターを、ハイメス国の兵士が助けてくれたんだ。まさか、って思ったぜ……!」
酒場にいた人たちが続々と詰め寄ってきて、私たちのテーブルは、まるで強固な防壁のように人の壁に囲まれてしまった。そして、口々に賞賛の言葉が飛び交い始める。……どうやら、噂が噂を呼んで、とんでもない話になっているようだ。あわわわ……なんだか、夕食どころじゃなくなってきたぞ。私がなんとか周囲を宥めていると、不意に――
ぐぅぅ。
お腹が、小さく鳴った。こういう音って、いつも絶妙に“静まり返ったタイミング”で鳴る気がする。……これはもう、意図的な神の悪戯だと思ってる。私のお腹の音を聞いた瞬間、酒場中が爆笑の渦に包まれた。うわぁ……ものすごく恥ずかしい。
「いやぁ、悪い悪い! とりあえず、みんな落ち着け!」
「夕食を食べに来たんだったよな? おい、みんな! 我が国の英雄にご馳走を!」
「おおーっ!」
何も注文していないのに、私たちのテーブルには次々と料理とお酒が運ばれてくる。それはもう、食べきれないくらいの量で、嬉しいやら困るやら。ドッちゃんはスケッチブックに「シノブは愛されているな」とひとこと。面と向かって、こうして大勢に褒められると、なんだか妙に照れくさい。
その後、まわりの人たちは気を使ってくれて、以降はあまり話しかけてくることもなくなった。食事中、耳に入ってきたのは、戦争が終わったことへの安堵や、日々の幸せを噛みしめるような、穏やかな会話ばかりだった。ゲームの知識があったからこそ、この幸せな現実を守ることができて、仲間とも出会えた。
これも、シナリオ通りに進む“大いなる流れ”みたいなもののひとつなんだろうか。あとは……ギルドマスターのミカさんと、ハーちゃんだけだ。改めて2人の足取りや情報をドッちゃんに尋ねてみたけど、彼女もそのあたりは把握していないらしい。
食事を終えると、私たちは人々に見送られながら酒場を後にした。結局、食事代は酒場持ち――、奢ってもらう形になった。ちょっとだけ申し訳ない気もしたけれど、ドッちゃんが「善意はありがたく受け取った方が喜ばれる」と書いてくれた。
そういえば、ドッちゃんは一切、食事を口にしなかった。理由を聞いてみると、「種族的に空腹という感覚がない」らしい。それどころか、睡眠欲すらなく、何時間でも活動できるとか。しかも、燃料も不要とのこと。……現実でそれって、めちゃくちゃハイスペックじゃないか?
ゲーム設定でも、機械種は電撃による麻痺以外の状態異常を無効化できるっていう強みがあったけど、リアルに換算すると、それはそれは恐ろしいステータス補正だ。ただ、ドッちゃん的には――食事の楽しさや、夢を見るということができないのが、少し寂しいらしい。
王城跡を目指して大通りを歩いていると、見覚えのない神殿のような建物が目に留まった。なんだろう? と近づいてみると、そこは――どうやら巨大な大衆浴場だった。ギリシャ神話に出てきそうな神殿風の外観は、様々な色の魔石でライトアップされ、夜の街に眩しく輝いている。
人も多く、たいへん賑わっていた。なるほど、昼間はライトアップされていないから気づかなかったけど、夜になるとこんなにも煌びやかになるのか。とはいえ、私は基本、お風呂は独りでのんびり入りたい派だ。あまり興味は湧かない……はずだったんだけど。もしスパリゾートみたいな感じなら、ちょっと覗いてみてもいいかも? なんて考えながら入口に差しかかった。そのとき、――女湯の出入口から、タオルを肩にかけたサクラとサクヤが現れた。
「むっ」「あっ」
「……えっ!?」
出てきた瞬間、笑顔で話していた2人は凍りついた。階段を下りかけた足も空中で止まり、完全にフリーズしている。……どうしたんだろう、と一瞬首をかしげて、すぐに私は“ある重大な事実”に気がついてしまった。
さっき2人が出てきたのは、”女湯”だったのだ。いや、体は間違いなく女性だよ? でも、中身は――女性に興味のある男だよね? これって、どんな理屈をつけても、犯罪だよね? 自分で“ネカマ”って言ってたし、今さら「心は女でした」とか、そんな逃げは許されない。
私の視線が静かに2人を射抜く。そして、気づいた2人の視線が交差した。次の瞬間――、サクラとサクヤは、ゆっくりと地面に手をつき、無言で、深々と頭を地面に擦りつけた。私とドッちゃんは、その光景を怪訝そうな表情で見下ろすしかない。
……沈黙する4人。そして、集まり始める周囲の人々。やっぱり私とサクラは、この街じゃどこにいても目立つらしい。私は無言でサクラの肩に手を置き、2人を立たせた。細めた視線と、さりげない目くばせで「今は騒ぎを避けよう」と伝える。察した2人はうつむきながら、タオルをフードのように頭からかぶり、大通りを歩き始めた。私とドッちゃんも、静かにその後ろを追う。
貴族街にさしかかったあたりで、サクラがぽつりと口を開いた。
「シ、シノブ殿。誤解でござるよ?」
私は無言を貫いた。たぶん、何も言わないほうがダメージが大きいと理解しているから。サクラはゴニョゴニョと何かを呟きながら、肩をすぼめる。
「わ、私は……サクラの行きつけのお店があるって誘われて……酒場で一杯だけ……」
サクヤの言葉も、歯切れが悪い。さっき酒場で取り囲まれたのは、間違いなくこの2人が、いろいろ喋っていたせいだ。私は確信した。
「その後、2人で“大衆浴場の女湯”に入った――と」
少しトーンを上げて言うと、2人の背中がびくっと跳ねた。態度を見る限り、一応、後ろめたさはあるらしい。そのとき、隣を歩いていたドッちゃんが、スケッチブックに何か書いて私に渡してきた。ちらりと見て、私は思わず小さく吹き出す。そして、それを2人に見せるように掲げた。書かれていたのは――
“あやまって!”――と。
ドッちゃんが2人の肩を軽く叩き、後ろを振り向くよう促す。2人は視線を合わせ、覚悟を決めたように、その場で再び土下座をした。
「すみませんでしたー!」
声をそろえて頭を下げた。……正直、私はそこまで怒っているわけじゃない。けど――少し、いや、わりと軽蔑はしてるかも。魔人討伐作戦のとき、あんなに格好良く見えたのに……全部、台無しじゃん。
しかし、これは案外デリケートな問題かもしれない。いや、しかし女性としては許容はできないぞ。――私は改めて、2人との距離感について、慎重に考えようと決めた。
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