魔人ヴァッサゴ
廊下の先に佇むドッちゃんは、構えていた銃器を放り投げると、それは空中でグリッチエフェクトに飲み込まれるように消えた。そして、こちらに向かってまっすぐ走り出した。剣を抜こうとするシグナスを手で庇い、それを制止する。
ドッちゃんは私を全身で包むように抱きしめ、子供をあやすように優しく頭を撫でた。少し驚いたけど、私も彼女の背中に手を回して抱きしめた。長身の彼女の鎖骨のあたりに、私の額が当たる。メタリックボディの冷たく硬い質感なのに、なぜか心は温かく感じた。
「久しぶりだね。逢えて良かった」
私は心の底から感じた言葉を、自然と呟いていた。その光景を見て、剣を握っていたシグナスはその手を下ろした。空中をうっすらと浮遊するように、デイア姫が近づいてきた。その表情は、不思議なものを見た時のようだった。
「DOSさん、そのお方は?」
ドッちゃんは、ゆっくりと私の身体を離すと、何やら手話のようなサインをデイアに送った。現実世界でボイスシステムが壊れていると聞いていたけど、この世界では言葉が喋れなくなるのか。
「私は、シノブって言います。後ろの騎士はシグナスさん。ドッちゃん……DOSは、私の友人です」
私はドッちゃんの言葉を補うように自己紹介をした。それに合わせ、シグナスも軽くお辞儀をする。デイア姫に対して膝をつかないのは、心を許していないという意思表示なのだろう。無理もない。一応戦時下で、敵側の総大将といわれている女性なのだから。しかも、すでに城内への侵入を許している。それはすなわち、自分の失態を意味しているに他ならない。
「そうか、私はハイメス国の王女、デイア・フィル・ハイメス。そなたらオスロウ国の国王の首を取りに来た者です」
デイア姫は臆することなく、堂々とした態度で私たちを曇りなく見つめてくる。その威圧感は、まさにレイドボスを思わせるような覇気をまとっていた。
「ええ、分かっています。国王に扮した、魔人の討伐――ですよね? 私たちも同じです。友人のサクヤとも話し合い、ハイメス軍の協力をお願いしたところです」
私の言葉に、デイア姫は一瞬瞳を見開いた。そしてドッちゃんに視線を移すと、彼女はコクリと一度頷いた。その瞬間、周囲を取り巻いていた威圧感がふっと消え、デイア姫の表情が少しだけ柔らかくなったように見えた。彼女は私に向き直り、ゆっくりと右手を差し出してくる。
「そうか。ならば私たちは同志ということで良いのだな」
「はい。もともと、この戦争の発端は魔人の謀略。人々が争うのは、間違っています」
そう言って、私はデイア姫の手を力強く握った。彼女は表情を崩し、優しく微笑む。
「それにしても、最初は驚きました。DOSさんが、こんなにも露骨に他者に対して愛情を向けているのを初めて見ました」
デイア姫は肩をすくめ、揶揄うような口調でドッちゃんに視線を向ける。ドッちゃんは気まずそうに腕を組んで背を向けた。それを見て、彼女は「フフフ……」と小さく笑った。
ゲームのレイドボスと、こんな風に仲良く会話できるとは思いもよらなかった。転移後、たまたま仲間同士が敵対する陣営に分かれたことで、偶然とはいえ非常に有利に事が運んだのだ。私は改めてドッちゃんをシグナスに紹介すると、彼女のメタリックボディを見て驚いていた。どうやら、機械種は、この世界では珍しいらしい。
場の空気を読んだシグナスは、改めてデイア姫に膝をつき、その手の甲へと恭しくキスを捧げた。デイア姫も、それを当然のように受け入れる。あれって確か――尊敬、敬愛、それに忠誠の意味合いがあるんだよね。
日本人の感覚からすると、ちょっと不思議な風習だけど、これがこの世界での礼儀なのだろう。それにしても、シグナスのあの“極上の流し目”も、デイア姫には一切効いていない様子だった。さすが王族。とても自然な立ち振る舞いを目にして、慣れのようなものを感じた
その後、廊下に横たわる兵士たちの安否を確認すると、脚の一部が少し焦げ付いているだけで、外傷は見られず、まるで熟睡しているかのようだった。どうやら、あの赤い銃弾は「睡眠」の状態異常が付与された魔弾だったようだ。生きていてよかった……。さすがはドッちゃんだと感心する。機械種の彼女は表情の変化に乏しく無機質に見えるけれど、その内面は現実世界のときと変わらない優しさを秘めているのだと、どこか安心できた。
そして私たちは、改めて国王が鎮座する玉座の間へと向かった。道中で出会った聖騎士や近衛兵たちにはシグナスが状況を説明し、城内の人々の避難と護衛を指示していた。玉座の間にたどり着いた私たちは、扉を守護していた兵士たちに状況を伝え、彼らは玉座の間へと続く扉をゆっくりと開け放った。
赤絨毯が正面の玉座まで歪みなく敷かれ、その先では国王陛下が静かに座していた。部屋の壁際には数十名の近衛兵が整然と待機しており、煌びやかな玉座の脇には、クリスが大剣を携えて立っていた。
私とシグナスの姿を見たクリスは、一瞬驚いたような表情を浮かべた。だがすぐに冷静さを取り戻し、大剣を鞘から引き抜く。それに呼応するように、近衛兵たちも次々と剣を抜き、構えを取った。デイア姫が一歩前に出ると、まるで淑女の自己紹介のようにドレスの裾を持ち上げ、礼儀正しく挨拶をした。
「初めまして、オスロウ国・国王陛下。私はデイア・フィル・ハイメス。ハイメス国の第一王女です」
その言葉に、周囲の近衛兵たちが明らかに動揺し、ざわめきが広がった。当然の反応だよね、敵軍の総大将に付き添う形で私とシグナスがいるのだから。室内がざわめく中、ドッちゃんが空中から、まるでスマートフォンのような小型の魔導具を取り出し、国王へと向けた。
魔導具は眩い光を放ち、部屋全体を包み込んだ。その瞬間、国王陛下の身体から黒い霧状の瘴気が溢れ出し、魔導具に吸い込まれ始めた。まるで強力な磁石に砂鉄が引き寄せられるかのように、瘴気が渦を巻きながら吸収されていく。――あれは、偽の国王の正体を暴くための魔導具なのだろうか? 私はてっきり、直接攻撃を加えて、正体を暴くものだと思っていたけれど。
そう考えているうちに、国王陛下の姿にノイズのような歪みが走り始め、その形を保てなくなっていった。偽の国王は全身からどす黒い瘴気を吹き出し、小さく呻き声をあげ、苦しんでいるように見える。
「クリス、離れて!」
私の叫びに、クリスは大きく跳び退き、私たちのもとへ駆け寄った。偽の国王がその醜悪な姿を露わにし始め、周囲の近衛兵たちもようやく状況の重大さに気づき始める。
「私は今より、国王に扮した魔人の討伐にかかる! 第1部隊、第2部隊は宿舎へ向かい、大臣と貴族の方々を警護せよ。状況に応じて、避難を優先するように!」
クリスからの指示に、事前に何も聞かされていなかった近衛兵たちは動揺を隠せなかった。だが、偽国王の放つ邪悪な気配に圧されつつも、敬礼ののち玉座の間を後にしていった。
偽国王は、最初こそ苦悶の声をあげていたが、やがて静かになり、身体から噴き出す瘴気はさらに濃く、禍々しさを増していく。その黒い霧の中から、緑色の巨大な筋肉質の前足が姿を現した。泡立つように蠢くその腕は、まるで液体が凝固していくかのように、徐々に質量を持ちはじめていた。
やがて黒い霧が晴れてゆき、その姿が露わになる。――もっとも分かりやすい形容をするなら、昔話や伝承に出てくる「鬼」そのものだった。異常に発達した筋肉繊維、鋭い爪を備えた両手両足、そして頭部には闘牛を彷彿とさせる二本の角。身の丈は8メートル以上、天井に届きそうなほどの巨体で、全身に不気味な産毛が生え、生物としての”リアルさ”をいやでも想起させる。私たち4人は、即座に武器を構え、魔人へと向かい対峙した。
「ふ……ふ、ふっふっふ。まさかそのような魔導具が存在するとはな」
地の底から響くような、重く低い声が部屋中に響き渡る。かつて洞窟内で出会った赤龍を思わせるような、圧し掛かるようなプレッシャー。生物としての本能が、目の前のこのモンスターを「危険だ」と警告していた。
その影響を最も強く受けているのは、シグナスだった。彼は恐怖を堪えるように苦渋の表情を浮かべ、剣を構えている。それを見透かしたように、魔人は獰猛なワニのように裂けた口を醜く歪めた。
「我が名は魔人ヴァッサゴ……暗黒神ザナファ様の使徒。恐怖を喰らい、絶望を飲み干す者だ!」
魔人が両腕を振り上げ、地面へと叩きつけると、敷かれていたカーペットが大きく破れ、その下から巨大な魔法陣が姿を現した。魔法陣は灰褐色の光を放ち、そして一瞬で消え去る。――今のは何をしたのだろうか? 一瞬、膨大な魔力が発生し、そして消えたように感じたけれど……。
「ふっふっふ……たった今、都市全体に魔族を召喚した。この国は絶望に包まれ、恐怖と死の街へと変わるだろう!」
魔人ヴァッサゴは、低い声で高笑いを始めた。ああ、そうか。今の魔法陣は、街にモンスターを召喚するためのものだったのか――。私は逆に、安堵していた。なぜなら、それは想定内の事態だったからだ。
緊張を隠しきれなかったシグナスは、クリスと顔を見合わせると、思わず吹き出していた。その様子に虚を突かれたのは、魔人ヴァッサゴのほうだった。
「何が可笑しい……あまりの絶望に気が狂ったのか?」
「国王陛下――いえ、魔人ヴァッサゴ。残念ですが、それは対策済みです。すでに一斉討伐が始まっていることでしょう」
そう、対魔人討伐作戦として、モンスターの出現予測地点にはすでに部隊を配置してある。さらに、サクラとサクヤの呼びかけが成功していれば、今頃、大連合軍によるモンスター殲滅作戦が進行中のはずだ。シグナスはそれを説明し、勝利を確信したかのように不敵に笑った。そこには、先ほどまでの恐怖の色はすでに消えていた。
「な、なんだと……? ハイメスの王女がこの場所に来たということは、オスロウ軍は壊滅状態のはず……」
巨大な図体をした魔人の声には、明らかな動揺が滲んでいた。まさか、自分の描いたシナリオが先読みされ、すでに破綻していたなどとは、想像すらしていなかったのだろう。
「どのみち――あなたの野望はここで終わりです。我が国にも、随分とちょっかいをかけてくれましたね。その報いを受けてもらいましょう」
デイア姫は、先端に惑星を象ったような輝く魔石のついた長杖を魔人へと突き出し、戦う意思を強く示した。力強く、凛とした姿の彼女は、まさに女王に相応しい風格を漂わせていた。
「ぐふっふっふ、戯言を! ならば我自らがこの国を滅ぼし、すぐに貴様の国も地に堕としてくれるわ!」
魔人ヴァッサゴは両手を大きく広げ、威嚇の意を込めて戦闘態勢に入った。
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