戦場の中心で”バグ”を叫んだネカマ
――開戦当日の早朝。
両軍ともに戦闘配置につき、あとはハイメス国からの開戦の合図を待つばかりとなっていた。前線部隊は総勢1万人。大隊長10名が先頭に立ち、そのさらに前方――私とサクラは、今か今かと合図を待っていた。
「時間的に、もうすぐのはずでござる」
サクラがそう言った、その直後だった。遥か先の草原に、柱のような雷――。恐ろしいまでの巨大な落雷が落ちた。まるで地震のような地鳴りが響き、空気ごと震わせるような衝撃。その一瞬に、部隊全体がざわついた。まるで神が下す天の裁きが、現世に姿を現したかのような光景。――たぶん、あれが開戦の合図だ。
サクラは双眼鏡を覗くなり、「シノブ殿、部隊全体に待機命令の継続を頼むでござる!」とだけ言い残し、焦った様子で駆け出した。
「ちょ、ちょっと! どうしたの!?」
私の静止も聞かず、サクラはあっという間に敵軍の方角へ走り去っていった。私は慌てて大隊長に待機命令の継続を伝え、その場で状況を見守るしかなかった。本来なら、あの合図と同時に全軍がゆっくり前進を開始し、両軍がぶつかる瞬間を見計らって、私たち2人が戦場を駆け抜け、総大将を討ちに向かう――そのはずだった。いったい、何があったんだろう?
◆
拙者は落雷の落ちた地点をめざし、全速力で駆けた。あの雷――あれを見た瞬間、確信が走った。ゲーム内のエフェクトを現実に置き換えた時、あれとそっくりの技を使うプレイヤーがいたのだ。いつも拙者をいじり倒し、礼儀正しい口調で文句を言ってくる、生意気なギルドメンバー――。
腰まで伸びる青草を掻き分けながら走る。その眼前、同じようにこちらに向かってくる人影が見えた。赤いパンツスーツ、緑の髪、尖った耳、身の丈を越える巨大な大槌。――間違いない。伊集院咲耶だ。拙者が足を止めると、サクヤも立ち止まり、驚いたように目を見開いた。
「おま……お前、サクラなのか?」
その声を聞いて、拙者は強烈な違和感を覚えた。姿は伊集院咲耶そのものだ。だが、声がまるで違う。拙者の記憶にあるサクヤの声は、スタイルに見合った女教師のような落ち着いた声だった。だが今は――中性的な、しかし確かにハスキーな男性の声。
「そ、そういうお前は……伊集院、咲耶でござるよな?」
――しまった。最近は皆が自然に接してくるせいで、うっかり忘れていた。拙者の声は今、現実と同じ――すなわち、男の声だ。当然、その声を聞いたサクヤは、愕然とした顔で言葉を失っていた。いや、それはこちらも同じだ。サクヤの声も、間違いなく男だった。
「お前……その、声」
「おぬしこそ……」
この瞬間、拙者たちは互いにすべてを理解した。
――同類だ。
拙者には、ヤツの心の声がはっきり聞こえた。
”こいつ、ネカマだ”
言葉にしなくても伝わる。顔に、思いっきりそう書いてあるからだ。いや、物理的に書いてあるわけではないが……確かに、見えた。
「こ、これは……そう、――バグだ!」
サクヤが突然、苦し紛れの言い訳を叫んだ。ゲームそっくりの世界に飛ばされた反動で、ボイスシステムに異常が出た、とでも言いたいのだろう。この世界に来て、最初にあったのがシノブ殿や他のメンバーだったとしたら、疑問を感じながらでも納得したかもしれない。
いや、シノブ殿はゲームキャラクターのステータスが反映しているせいか、洞察力が高くなっていて、隠し通すのは無理かもしれん。実際、拙者も見破られて、正直に話した訳だ。拙者は地声で、シノブ殿も同じ状況なのを共有済。だからこそ、サクヤの声が「地声」だという確信がある。
「隠す必要はない。拙者も男だ。それが、おぬしの地声なのであろう?」
「は、はぁ!? おま、お前、何言っちゃってんの!? ち、ちげーし!」
サクヤは明らかに動揺し、普段の丁寧な口調をすっかり忘れていた。……というか、意識的に声を作っていないと、完全に男の声になるようだ。
「――おぬし、分かりやすいでござるな。焦ると丁寧語ロールが崩れる癖、まだ直っていないでござる」
「う、うるさいですね! っていうか、なんで貴方がオスロウ国にいるんですか!? てか、この世界は一体なんなんですか!」
サクヤは我に返ったように口調を整えつつ、矢継ぎ早に問いかけてきた。
「まぁ、待て。とりあえず――おぬしに逢えたのは、正直……その、う、嬉しかったでござる」
目の前には、パンツスーツ姿の美人で、抜群のスタイルを持つ女性。中身が男だと分かってはいるが……どうにも緊張してしまう。サクヤが男だと確信した瞬間、ようやく理解した。ヤツのアバターは、きっとサクヤ自身の“理想の女性像”をそのまま詰め込んだものなのだと。それは、同じく男である拙者にすら刺さるほど。出るところは出ていて、なんというか、異性を惹きつける魔性の魅力を放っている。……どうやら、サクヤも似たような思いを抱いたらしい。
「あ、ああ。うん。私も……逢えてよかったとは思っています」
――と、どこか照れたように視線を逸らした。拙者も、自慢ではないが、このアバターには「凛とした理想の女性像」を詰め込んだつもりである。このスタイル、誰にも負けない自信がある。男なら、そういう視線を向けるのも当然だ。実際、この世界で何度も見てきた反応だしな。
「――で、なんで貴方はオスロウ国に加担してるんですか? 魔人の配下とか……正気?」
うむ、シナリオを知っていれば当然そう思うだろう。まぁ、拙者としても不本意な“成り行き”だったのだが……。
「成り行きでな。……実はシノブ殿と一緒に行動してるでござる」
「本当か!? シノブちゃんもこの世界に来てるのか!? ……ま、まさかシノブちゃんも男だったり……?」
サクヤは拙者の両肩を掴み、揺さぶるように問い詰めてくる。――まぁ、そう考えるのも無理はない。シノブ殿は女子高生で、ギルドのマスコット的存在だった。もし3人目も男だったら、心が折れる気持ちは分かる。
「――おぬし、質問が多い。落ち着け。安心せよ、シノブ殿は正真正銘の女の子でござる。今は後方で兵を待機させている」
「ほ、本当か! 女の子なんだな!?」
サクヤは、心底ホッとしたように表情を和らげ、安堵と喜びが混ざった笑顔を見せた。うむ、その気持ちは分かる。拙者が最初に出会えた相手がシノブ殿だったのは、本当に幸運だったと思う。
「とりあえず、後方の大軍――進軍を止めてもらえぬか? 話は、それからだ」
「わかりました。少々、お待ちください」
そう言うと、サクヤは素早く駆け出し、部隊のもとへ戻っていった。しばらくして、遠方で見えていた進軍が止まり、サクヤが再び戻ってきた。
「さぁ、話を聞かせてもらいましょうか?」
そう言って、サクヤは草原に腰を下ろした。拙者も正面に座り、これまでの経緯をすべて語る。光に包まれ、気づいたときには目の前にシノブ殿がいて、ネカマだとバレて……。アルテナの町でサクヤの痕跡を知り、追ってオスロウ国へたどり着き、武闘大会で優勝。今はこの戦場で“将軍”という立場にあることまで。
「――そんな感じでござる。一応、軍の方は秘密裏に“対魔人用の防御陣形”を組んでいる。作戦としては、拙者とシノブ殿でデイア姫だけを討って戦争を止め、そのまま魔人討伐作戦へと移る予定だったでござる」
「なるほど……私たちを追って、オスロウ国へ……」
サクヤがそう呟いた時、“私たち”という言葉に、拙者は思わず眉をひそめた。――そういえば、アルテナの町で「2人組で行動していた」という噂を聞いたことがある。
「サクヤ。“私たち”ってのは……?」
「ああ、そうそう。私はDOSと一緒に行動してるんですよ」
……DOS殿、か。同じギルドにいたメンバーで、深紅の薔薇のサブマスター。彼女はギルドマスターのミカエル殿にも匹敵する技量を持っていた。――まさか、2人が出会って、共に行動していたとは……。
“爆雷の女神”という通り名はきっとサクヤのことで、“姿なき魔槍”はDOSのことだったのだ。見えない槍で岩盤に風穴を開ける――それは、破壊力が桁違いな銃器による弾痕を指していたわけだ。
「当初、私たちはシナリオどおりにオスロウ国を目指すつもりだったんですが……DOSの提案で、ハイメス国へ進路を変更したんです」
「なるほど。ハイメス国に留まり、そのまま魔人との戦いへ突入する……という作戦にしたでござるな」
その方が妙な”しがらみ”もなく、シンプルに“敵だけを討つ”ことに集中できるという判断か。うむ、合理的だ。ふと、拙者は辺りを見渡した。だが――DOS殿の姿は、どこにも見当たらない。
「そういえば、DOS殿は今どこに……?」
「ああ……今頃、透明化して街の付近に着いている頃でしょうね。そうそう、デイア姫も同行しています」
「な、なんと――!」
サクヤの言葉に驚いた拙者は、思わずハイメス国の状況や作戦の詳細を問い詰める。どうやら、サクヤたちはシナリオを“ショートカット”するための独自作戦をハイメス国に提案していたらしい。つまり――サクヤが将軍として軍を動かして敵の目を引き、その間にDOS殿とデイア姫が魔人を直接討伐するという段取り。
ハイメス国にも魔人の存在は伝えてあり、そのうえで、最小限の被害で最大の効果を得るために立案したという。……合理性もあれば、現実的でもある。何より、動いているのがサクヤとDOS殿、さらにレイドボスのデイア姫という時点で――作戦の成功率は極めて高い。
「ちょっと待て。ということは……予定より早く、魔人が正体を現すではござらんか? しかも、クリス殿とDOS殿が対峙することになるのではないか?」
「クリス? ああ、武闘大会の決勝で戦うボスですか。NPCなんでしょう? 別に死んでも問題ないんじゃないですか」
――その瞬間、拙者は愕然とした。NPC……ノンプレイキャラクター、物語のヒントを伝えるために配置された存在。確かに、最初は自分もそう考えていた節はある。けれど、シノブ殿が涙を見せたあの日……そして、この世界で多くの人々と関わってきた今となっては、もはやNPCと割り切ることなどできない。
しかし、サクヤは違った。この世界の人々は、あくまで物語を構成するだけの“駒”でしかないという認識なのだ。
「その考えは、改めよ。……シノブ殿が、悲しむでござる」
「ぐ……そ、そうなんですか?」
「――ああ。転移した翌日、彼女は事故で冒険者の3人を殺してしまった。シノブ殿は、ただの普通の女子高生。どれほど思い詰めたか……おぬしにも想像はつくであろう?」
拙者の言葉に、サクヤは何も言い返せず、ただ口を閉ざした。この世界がただの“ゲーム”ではないと、少しでも伝わればよいが……。
その後、サクヤを伴い自軍に戻り、シノブ殿と大隊長を招集させた。
「サクヤ……その声……」
「――バ、バグです」
サクヤは思いっきり視線を逸らし、地面を凝視する。……まだ“バグ”だと言い張るか。
「往生際の悪いヤツめ。シノブ殿、こやつもネカマだったでござるよ」
「ちょっ、おまっ……!」
サクヤは慌てて拙者の襟首を掴み、ワナワナと震えだした。そんな動揺した顔をされても、洞察力が向上している今のシノブ殿に、見破られぬはずがない。シノブ殿は何かを察したように、ふぅと深くため息をつき、項垂れた。……今、どんな心境なのだろう。だが、同じ“当事者”である拙者には、それを聞く勇気がない。
「もう……サクラで慣れちゃったから、大丈夫だよ。それより……サクヤと会えて、本当に良かった。ずっと探してたんだよ」
「ああ……なんてお優しい。その声が、シノブちゃんの“地声”なんですね。こいつと違って、可愛らしく違和感がないです」
「おい、おぬしも人のことは言えぬであろうが!」
声こそ違えど、このやり取りは、ゲーム内での日常そのものだった。サービス終了から、もう1ヶ月近くが経っているというのに――このやり取りが、どうしようもなく懐かしい。