冒険の始まり
広がる草原の中、風に揺れる草の音を聞きながらのんびり歩く。温かな日差しと心地よい風が背中を押してくれるようで、思わず背筋を伸ばした。
「しかしアレでござるな、胸がでかいというのは動きにくいものでござるな」
隣を歩くサクラが、サラシで抑えた胸を軽く撫でながらニヤリと笑う。その仕草に、「これだから男ってやつは」と内心ため息をつきながら、自分の胸に視線を落とす。鎖帷子の下、控えめどころか、もはや存在感ゼロに近い平坦さ。絶壁と言われても反論できないだろう。自分でキャラメイクしたんだから仕方ないけど…リアルではまだ成長期だから問題ない、そう自分に言い聞かせながらも、隣の彼の無遠慮な発言には少しだけ苛立ちを覚える。
ふと、サクラの横顔を見た。風に揺れるワイルドなポニーテール。桜模様の刺繍が施された薄紅色の着物に黒い袴という出で立ち。誰がどう見ても絵になる侍の姿だ。完璧に作り込まれた端正な顔立ちは、現実離れした美しさを感じさせる。黙っていればめちゃくちゃ格好良いのに……声がねぇ。サクラが口を開いた瞬間、男そのものの地声が現実に引き戻してくる。声一つで印象がここまで変わるのか、と改めて思う。
「うん? シノブ殿、どうしたでござるか?」
サクラがこちらに顔を向ける。輝く笑顔と男声のミスマッチに慣れる日は果たして来るのだろうか。
「いや、ちょっと考えてただけ。特殊技能とか魔法って、この世界で使えるのかなってさ」
ジロジロ見ていたのをごまかすために出た言葉だったが、実際のところ少し気になっていたのも事実だ。簡単にゲームの設定を説明すると、この世界は魔力に包まれており、それを体内に取り込むことでスキルポイント(略称:SP)となり、それを消費することで特殊技能や魔法を使用できる……という設定だ。
「ふむ、確かに一理あるでござるな。しかし拙者の戦闘スタイルは物理攻撃が中心ゆえ、敵がいないと使えぬでござるよ」
「それを言ったら私も似たようなものだよ。あっ、でも”索敵”とかなら試せるかな?」
言いながら、私は少し考え込んだ。アイテムは思い浮かべれば出せたけど、特殊技能や魔法も同じようなやり方で発動するのだろうか? 索敵は、周囲のモンスターの位置をマップ上に表示する斥候系職業の初歩的な技能だ。それなら手軽に試せそうだし、やってみる価値はありそうだ。
私は「索敵」と小声で唱えながら、ゲーム内で使ったときの状況を思い浮かべてみた。すると、自分の視界とは別に、上空から見下ろしたような俯瞰の映像が脳裏に広がり、その中に赤いマーキングがいくつか浮かんだ。
「わっ! 見えた。すごい、これが索敵なのかな? 赤いマークがモンスターの位置っぽい!」
現実の地図アプリが頭の中に直接表示されたような感覚に、私は思わず興奮して声を上げてしまった。ただ、ふと気づく。草原の広さに対して、モンスターの数が妙に少ない気がする。
「シノブ殿、モンスターの位置はどちらでござるか?」
「えっと…あっちの方。100メートル先の草むら」
私が指差す方向を見定めたサクラは、にやりと笑うとそのまま歩き始めた。
「えっ、ちょっと待って! 何するつもりなの?」
「ふふ、特殊技能を試してみるでござるよ」
そう言いながら、サクラは腰に差した刀『乱桜吹雪』を抜刀した。その刃は振り下ろすたびに、桜の花びらが舞う特殊効果を持っており、性能自体は”中の下”だが、見た目の華やかさで愛用しているらしい。彼のキャラクター名にも”桜”が入っているのだから、こだわりの一振りであることは明らかだ。SMOでは、素材があれば自由にカスタマイズ可能なので、基礎性能はさほど重視されない傾向がある。特に、最終的には課金アイテムで耐久値を無限化するのが定番だったりするし。そんなことを考えながらサクラを追いかける私は、少し不安と期待を胸に抱いていた。果たして、どんな結果が待ち受けているのだろうか。
「いたでござる」
少し先の草むらが大きく揺れているのが見える。そっと近づくと、ゴブリンが3匹、馬の死骸を貪っていた。赤黒い血液が滴り、馬の肉を引きちぎる彼らの姿は、見るからに凄惨だ。ゲーム内では見たことのない、リアルで嫌悪感を抱かせるような光景だった。
「……うわっ! 最悪」
思わず声を上げてしまう。食事風景と言えば聞こえはいいが、現実離れしたこの場面は直視に耐えないものがあった。
「ギッ!」「ギギッ!」
私の声に反応したゴブリンたちは、ぎょろりと目を向けると棍棒を手に襲い掛かってきた。
「まかせるでござる!」
サクラは鋭い動きで飛び出すと、一直線にゴブリンたちに向かい、刀を真一文字に振り抜いた。まさに神速という速さでいっきに距離を詰め、真一文字に振り抜いた刀の軌跡が三日月のように輝き、遅れて桜の花びらが舞い散る幻想的なエフェクトが辺りを包む。桜吹雪が消え去ると同時に、周囲の草木とゴブリンたちの体は真っ二つに裂け、地面に崩れ落ちた。
す、すごい……私は呆然と立ち尽くしながらその技の威力に驚く。しかし同時に、ゴブリンのリアルすぎる断面が目に入り、思わず顔をしかめた。
「拙者の”縮地”と”三日月”、いかがでござるか?」
サクラは自信満々の表情で刀を振り、付着した紫色の血を勢いよく振り払う。その姿はどこか誇らしげだ。
「えっ、ごめん……キモい」
反射的に漏れた言葉はゴブリンの死体に対する感想だったのだが、サクラはそれを自分の技の評価だと思い込んでしまったようだ。
「がーん!」
サクラは目に見えて落ち込み、肩を落としてため息をつく。あまりにも落ち込んでいたので、一応フォローしておいた。実際には見とれてしまうほど格好良いと思ってしまったが、増長しそうなので褒めないでおこう
「私にもできるかな?」
「おお! ぜひ派手なのを見せてほしいでござる!」
特殊技能の成功で気分が上がったのか、サクラは荒い鼻息を立てながら身を乗り出してくる。その期待に応えられるか、少し不安になりながらも挑戦してみることにした。
近くに、もうひとつ反応があったような…いた。ゴブリン2匹を発見。派手な特殊技能で倒すか、それとも最強技を使うべきか。即死系の特殊技能は決まると爽快だけど、派手さに欠けるのが難点だ。私は腰の刀と小太刀を抜き、静かに構えた。
「秘剣”地獄ノ業火連斬”」
駆け出すと同時に、私の体を黒紫色の炎が包む。煉獄のようなその炎は、周囲の草花を一瞬で灰と化した。燃え広がることのないこの炎は、説明にある通り”生きとし生けるものを塵と化す”力を持ち、触れるものすべてを瞬時に焼き尽くす。
ゴブリンたちが異変に気付いた時にはすでに遅く、私の二刀がその体を斬り裂き、炎が瞬く間に焼き尽くした。骨すら残らないほどに消え失せたその光景を前に、私は初めて”命を奪う”という行為を成し遂げた感覚に包まれる。歓喜のような興奮、そして自分でも驚くほどの快感――それが残響のように心に残った。同時に、刀を振るわずともこの炎に触れさえすれば相手を塵にできる自分の力を、恐ろしくも思う。
「ああ、そっか」
この体がゲームキャラクターそのものだとしたら、レベル100のカンスト状態。ここ、アルテナの草原は最高難易度でも推奨レベルが40程度だから、ゴブリンを倒すのは余裕だ。
「シノブ殿、凄かったでござる! いやぁ、ゲームとは一味違いますな!」
「……う、うん。そうだね」
サクラの言葉に頷きながらも、胸の奥には妙な罪悪感が湧き上がっていた。ゴブリンを殺した瞬間、歓喜に震える自分がいた。まるで今まで隠れていた”本当の自分”が顔を覗かせたような感じがして、それが、自分でもたまらなく不快だった。
「どうしたでござるか?」
そのことをサクラに打ち明けると、彼は真剣な顔で首を傾げた後、優しく微笑んだ。
「シノブ殿は優しいでござるな。まぁ、ゴブリンは設定上プレイヤーを襲う存在。倒しても気にすることはないと思うでござるよ」
声こそ男だが、どこか安心感を与えるサクラらしい台詞に、少しだけ心が救われた気がした。ふと、索敵を使用した際に視界の端に町らしき影を見たのを思い出す。私たちはその方角を目指して歩き始めた。
「なんか、モンスターが異常に少なくないでござるか?」
「確かに。ゴブリンなんて、すぐリポップするイメージだけど。この辺りには全然いないね」
町に向かいながら、異常な静けさが気になって仕方がなかった。この世界は、私たちが知っているSMOで間違いない。でも、どこか少しだけ違和感がある。感覚的なものだけど、微妙なズレを感じる。この現実離れした異常な世界を私もサクラも自然に受け入れている。もしかしたら、私はこの異常な世界に意外と順応しているのかもしれない。
それは、根底にある自分の価値観が影響しているのだろう。現実よりも、どこかSMOのような異世界に憧れていた。サービス最終日に「みんなとの冒険が、いつまでも続けばいいのに」と思った願いが叶ったと考えれば、これは喜ぶべき状況なのかもしれない。
「これだけゲーム設定が再現されているから、各種ウィンドウやコマンドとかも出せそうなものでござるが……何か特殊な方法が必要なのでござるか?」
サクラが眉をひそめながら尋ねてくる。
「どうなんだろう。AIヘルプが使えたら良いのにね」
「それも、コマンドウィンドウが必要でござるよ」
「あ、そっか」
ゲームのキャラクターが習得している特殊技能や魔法は、強くイメージすることで使用できるらしい。だけど、ステータスを確認したり、コマンドリストを表示させたりするウィンドウは、どれだけイメージしても出てこない。
本当に不思議な世界だ。現実世界の常識とゲーム世界の常識が融合しているような、そんな奇妙な感覚。1番の不安材料は、現実世界に戻れるのかどうかということだ。それに加えて、この世界で「死んだらどうなるのか」も気になる。復活アイテムがない以上、軽々しく試すわけにもいかない。まぁ、レベルがカンストしている以上、そうそう簡単に死ぬことはないと思うけど…
「おお、シノブ殿、見えたでござるよ!」
ふいにサクラが進行方向を指さす。その先には、ぼんやりと大きな町の姿が見えていた。本当にあった…あれは間違いない。ゲーム内で何度も訪れたアルテナの町だ。
「やはり拙者たちは、SMOの世界に転移したということで納得するしかないでござるな」
「うん、そうだね。もしかして、現実世界の私たち…死んじゃったとか? ははっ……はぁ」
軽く笑ってみたけど、口にした言葉が胸に重くのしかかる。この非現実的な現実を目の当たりにしていると、何が起きていても不思議ではない。
「まぁ、拙者は現実世界にいても過労死していたかもしれないでござるよ」
サクラが苦笑いを浮かべながらそう言った。その笑顔の裏側にある深い哀愁が、無言で語りかけてくるようだ。お酒に酔ったサクラの愚痴を何度か聞いたことはあるけど、シラフの状態で見ると、こうも痛々しく感じるものなんだ。高校生の私には理解しきれない、大人社会の摩擦や重圧があるのだろう。普段の気さくな彼の振る舞いも、もしかしたら現実から目を背けるための手段だったのかもしれない。
「ねっ、とにかく行ってみよう。もうさ、いっそこの世界を楽しんじゃおうよ!」
私が努めて明るく振る舞うと、サクラの表情が少しだけ緩んだのが分かった。
「そうでござるな。もしかしたら他のメンバーも、この世界のどこかにいるかもしれないでござる」
「あ、そっか。うん、そうだよ!」
サクラがここにいるなら、他のメンバーもこの世界に転移している可能性は十分にある。彼らを探し、この世界の謎を解き明かす――それが今の私たちの目標になる。お互いに顔を見合わせ、「うん」と頷き合う。そして、アルテナの町へと歩を進めていった。
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