最強の一撃
サクラとクリスの攻防は、熾烈を極めていた。剣撃の重さは互角――だが、手数の多さでサクラがわずかに上回っている。サクラは、流れるような動きでクリスの大剣を捌き、そこから間髪入れずに斬り返す。そのたびに鋭い金属音と共に、観客席からどよめきと歓声が巻き起こる。
――普通なら、あんな斬撃を受け止めただけで剣が砕けていてもおかしくない。店売りのなまくら剣だったら、ドラゴンスレイヤーの一撃で簡単に粉々だ。それは冒険者になったばかりの者でも、容易に想像できるはず。にもかかわらず、サクラの刀は砕けない。折れもしない。それどころか、まるで舞い踊るようにしなやかに敵を捉え続けている。
彼女の武器――“乱桜吹雪”は、”武器耐久力《無限》”にまでカスタマイズされている。見た目は細く、華奢な印象すら与えるが、その白刃は絶対に砕けることがない。むしろ、長期戦になれば、クリスの大剣のほうが先に限界を迎える可能性すらある。……もしかして、サクラの狙いはそこなのだろうか?
「これは、サクラ選手が優勢か!? クリス選手、防戦一方です!」
司会者がそう叫ぶ。状況は確かに、サクラの連撃によってクリスが押されているように見える。クリスの職業――ブレイドマスターは、高火力とタフネスを兼ね備え、多彩な武具を扱える万能型だ。特殊技能も多くが物理依存で、前衛職としては攻守のバランスに優れている。ただし、回避性能は低めで、魔力の最大値も少ない。
対するサクラの侍は、上級職でありながら装備制限が厳しい。だがそのぶん、俊敏性と回避力に優れ、手数でも圧倒できる。とはいえ、ここはゲームじゃない。いや、私には“ゲームとそっくりな世界”にしか見えないけれど……ボス補正の有無や能力値の設定までは、制作プログラマーでもない限り、見抜けないだろう。
それでも――サクラの動きは、明らかにいつもよりキレがある。たぶん、試合前に巻いた黒い鉢金、あれは俊敏性上昇系の装備だろう。いつもなら、「美観を損なう」とか言って着けないくせに、今回はちゃんと使ってる。……つまり、本気ってことだ。武器だってそうだ。彼は、もっと高性能な刀を持ってるはず。でも、ずっと乱桜吹雪を使い続けてるのは、こだわりなんだろうな。
クリスが大剣を大きく振りかぶり、強烈な斬撃をサクラに叩きつけた。サクラは刀で巧みに受け止めたが、衝撃に抗しきれず、そのまま勢いよく後方へと吹き飛ばされる。
「――こ、これは!?」
司会者が異変に気付き、叫び声を上げた。クリスはその場で大剣を高々と掲げ、黒い魔力を纏わせ始める。
――天業ノ黒が来る。
だが、ここまでのダメージの蓄積からすれば、本来はまだ放てるタイミングではない。……ゲームの設定とか、そういうのは関係ない。“自分の意思”で放つタイミングを変えられるんだ。
サクラは刀を鞘に納め、深く腰を落とす。――居合いの構えだ。あれを真っ向から捌くつもりなんだ。回避に失敗すれば、100パーセントのダメージがそのまま通る。だが、正面から受けて相殺できれば、ある程度の軽減が期待できるはずだ。
クリスの大剣に纏う黒い魔力は、対シグナス戦と比べて幾分か小さい。蓄積されたダメージが少ないことが、それだけでも読み取れた。そして次の瞬間――。黒いエネルギーを纏ったまま、大剣が一直線に振り下ろされる。それと同時に、サクラの居合いが放たれた。
――刃が交錯し、激しい火花を散らす。斬撃自体は完璧に受け止めた。だが、黒いエネルギーの奔流は止まらない。サクラは大剣を力任せに斬り払い、その反動で自らも後方へと跳ね飛ぶ。
「おおーっと! サクラ選手、シグナス選手を倒したあの大技を耐えきったぁ!」
司会者が興奮を抑えきれずに叫ぶと、会場からもどよめきと歓声が巻き起こった。だが、サクラは表情ひとつ変えない。即座に縮地で間合いを詰め、再度連撃を仕掛ける。クリスも、まるで何事もなかったかのように、流れるような動きでそれに応じた。――もはや、舞台の上は2人だけの世界だ。
サクラの周囲には連撃のたびに桜の花びらが舞い、それが幻のように消えてゆく。その幻想的な演出に、観客たちはすっかり魅了されていた。クリスの身体はサクラの斬撃を受け、無数の裂傷と出血が広がっている。見た目にはもう満身創痍。――それでも、彼はまだ1度も膝をついていない。むしろ……サクラの攻撃パターンを覚え、徐々に対応しているようにも見える。
「――秘剣、三日月!」
サクラが一瞬の隙を突いて放った三日月の斬撃が、クリスの脇腹を捉え――かけたその瞬間、大剣がすっと滑り込んだ。ドラゴンスレイヤーの分厚い刃が、その斬撃を見事に受け止めていた。
「――その技は、もう効きません」
静かにそう告げるクリスの声には、確かな手応えと警戒心が混じっていた。サクラの斬撃は、見切られつつある。ここから先は――”読み合い”の領域に突入する。クリスが上目遣いにサクラを見据えた瞬間、その瞳に――殺気が宿った。獣のような本能的な警戒が、サクラの身体を一瞬だけ硬直させる。わずかな怯み。だが、それで十分だった。
「――カウンターストライク!」
叫ぶよりも速く、クリスの放った特殊技能が炸裂。サクラの刀ごと、上空へと叩き上げられる。悲鳴の代わりに、裂ける音。着物の裾が斬り裂かれ、左腕から真紅の飛沫が弧を描いた。
だが、そこでは終わらない。クリスは躊躇なく大剣を舞台に突き刺し、身体を前傾させる。次の一手――サクラの着地点を正確に読みきって駆け出した。そして、サクラがまだ体勢を整える前に、その懐へと滑り込む。
「――極掌発勁」
乾いた衝撃音。サクラの腹部に掌底が触れた瞬間、空気そのものが爆ぜた。会場全体がびくりと震えたように感じたのは、気のせいじゃない。眼には”軽く押した”だけに見えるが――その実、サクラの身体はふわりと浮き、場外ギリギリまで吹き飛ばされていた。
「サクラ!」
私は無意識に叫んでいた。舞台の縁に膝をついたサクラは、刀を杖代わりにして何とか立ち上がった。だが、その口元から一筋、血が垂れる。咳き込みながら腹を押さえ――それでも、構え直す。
その顔には、今まで見たことがないほどの苦悶の色が浮かんでいた。肩が大きく上下し、荒く浅い呼吸が止まらない。あれは単なるスタミナ切れじゃない。肺か、内臓か……とにかく深部に致命的な損傷を受けている。
クリスは舞台に刺した大剣を引き抜くと、無言で歩き出す。静かに。まるで処刑人のように。外見的にはクリスの方が傷だらけだ。――でも、明らかに戦況は逆転していた。私が舞台の近くまで駆け寄ると、サクラは笑ってハンドサインを送ってきた、「大丈夫」だと――。でも、その笑顔は無理に引きつった作り物だった。
「……2800ってところでござるな。物理攻撃依存ダメージにノックバック、さらにスリップダメージのオマケつきの特殊技能でござる……」
サクラは背を向けながらも、クリスを睨むように見つめ、静かにそう呟いた。スリップダメージ――継続的にLPを削る状態異常。“毒”や“呪い”などに分類され、戦闘中にじわじわと体力を蝕む。ということは、今――サクラの身体は内部から破壊されつつあるということだ。
ゲームなら、画面が赤く点滅して警告が出るだけで済む。でも、もしこの世界が現実と同じ苦痛を伴うなら――毒のような痛みに、呼吸すらできないかもしれない。想像しただけで、ゾッとする。あのサクラが、あそこまで苦しそうな顔をするなんて……このままだと――私は拳を強く握りしめる。
「サクラ、きつかったらギブアップしなよ! この世界で死んでしまったら……どうなるか、わからないよ!」
私は叫んだ。観客の歓声なんて耳に入らなかった。ただ、あの血まみれの姿が――本当に、怖かった。けれど、サクラは振り返らない。背中越しに静かに刀を構える。その肩の揺れは徐々に収まり、呼吸が整ってきているのが見てとれた。
「――問題があるとすれば、手加減ができなくなることでござる」
静かな声。それは、決意の声だった。刹那――サクラの姿がかき消えた。縮地の高速移動。極技によって空間が引き裂かれたように、サクラが一瞬で間合いを詰め、連撃を叩き込む。怒涛の刀撃。しかし――
クリスはすべての攻撃を捌いている。後退せず、怯まず、まるでサクラの動きを“学習”しているかのように完璧に読み切っていた。斬撃の軌道に剣を差し込み、的確に受け流す。それに……サクラ自身も踏み込みを躊躇っている。さっき喰らった極掌発勁のトラウマが、懐に入る判断を鈍らせているのだ。
「旋空烈風斬!」
風が割れる音。刀から放たれた無数の風刃がクリスを襲う。衣服を裂き、肌を切り裂き、幾本かは大剣に阻まれた。初めて受ける特殊技能にクリスの対応が遅れた。
「朧――三日月!」
高速の横一文字が光の残像を引いて舞い、ドラゴンスレイヤーを弾いた。巨剣は空中を回転しながら舞い上がり、クリスの手元から外れた。――チャンス!
「――――刹那一閃!」
刀が閃き、サクラの身体が稲妻のように駆け抜ける。強烈な逆袈裟の斬撃が、無防備なクリスの身体を切り裂いた。鮮血が噴き出す。大量の血が宙を舞い、そこに咲くように桜の花びらが舞い散る。あまりに美しく、あまりに儚い――その一瞬に、会場全体が息を呑んだ。誰もが声を出せなかった。
けれど――クリスは、倒れなかった。拳を握り、前に出る。サクラは反射的に刀を切り返した。それをクリスが左腕を犠牲に受け止め、肩まで斬り裂かれる。肉が割れ、骨が軋む。だが――
「――極掌発勁ッ!」
右の掌が、サクラの額に突き出された。次の瞬間、空気が爆ぜ、震える。空間がひしゃげたような衝撃。サクラの身体が再び吹き飛ばされ、舞台の中央へと叩きつけられる。反動でクリスも崩れ落ち、そのまま倒れ込んだ。
「サクラァァッ!!」
私の悲鳴が響き渡る。観客席、貴賓席、あらゆる場所から悲鳴と動揺の声が広がる。
「あ、あーっと! これは……ダブルノックダウンか!?」
司会者が動揺しながらも叫ぶ。右往左往しながら、両者の動きを目で追っている。副審が確認のために舞台へと駆け上がった――その瞬間だった。クリスが立ち上がった。腕をぶら下げながら、それでも膝を伸ばしてサクラの方を見る。
それに呼応するように、サクラも咳き込みながら身体を起こす。刀を杖にして、ぐらつきながら――それでも、立った。……その顔を見て、私は思わず息を呑み、口を両手で覆った。サクラの顔から、目から、口から、耳から……鮮血が流れていた。それはもう、演技や虚勢ではなかった。正真正銘、満身創痍。生命の火が今にも消えかけている――そんな姿。もう、だめ……これ以上は、本当に――死んでしまう。心が震える。現実感が消えていく。
「サクラ、もういいよ! このままじゃ本当に――――!」
私は叫んだ。喉が張り裂けそうになるほどの声で。勝たなくてもいい。勝利なんていらない。ただ……死なないで。その願いは、空しく宙に消えた。――サクラには、もう私の声が届いていない。たぶん、鼓膜が破れてるんだ。
サクラは立ち上がり、着物の袖で血まみれの顔を拭った。そして、何の構えも取らず、ただ自然体のままでクリスに向き合う。その姿に、私は言葉を失った。対するクリスは、大剣を拾い上げる。そして――その全身を覆うように、黒い魔力が溢れ出した。
「――天業ノ黒」
絶望が、私の背筋を冷たく這い上がる。このタイミングで、それを使うのか……! 今のサクラがあんなのをまともに喰らったら――確実に、死ぬ。
「サクラッ!!」
止めたい、止まってほしい。なのに、サクラは――走った。足元が掠れるほどの低い姿勢から、一気にクリスへと駆け出す。それを迎え撃つために、クリスは天を仰ぐように大剣を上段に構え、漆黒の魔力を剣に収束させていく。――暗黒の巨大剣が、具現化されていく。まるで闇の炎、次元を断つ陽炎。そして、それは力の限り振り下ろされた。
「――縮地」
瞬間、サクラの姿がかき消えた。光すら追いつけない速度で、クリスの懐へと入り込む。強烈な爆発音と衝撃波が会場全体を駆け抜け、閃光が瞬いた。視界が一瞬、白に染まり、会場全体が揺れた。
「――――秘剣、十文字刹那……極」
その声が、空気の裂け目から響いた。閃光の中に浮かび上がったのは、二刀の乱桜吹雪を握ったサクラの姿。その背後で、クリスの身体が――胸を十文字に斬り裂かれ、宙へと舞う。砕け散るドラゴンスレイヤーの破片が、鈍く音を立てて舞台に降り注いだ。
私は、息を呑んだ。サクラは……計算していたのだ。ドラゴンスレイヤーの武器耐久値。侍の特性――瀕死時の攻撃力上昇補正。そして、クリスのLP残量の予測。あの一撃で、全てを断ち斬るつもりだったんだ。防御を捨て、命を賭けて。――二刀流に持ち替えた、あの瞬間。勝負は決まっていた。
最初から二刀流を見せていたら、対策を取られていたかもしれない。それを予見して、最後の最後まで使わなかったんだ。今の攻撃こそが、サクラの命を懸けた最強の一撃……なんて、無茶をするんだよ。
静寂。しばらく、誰も動かなかった。誰も、声を出せなかった。倒れたクリスは、それっきり動かない。審判と副審が駆け寄り、状態を確認し、医療班が呼ばれた。そして――
「しょ、勝者――――サクラァァ!!」
審判の宣言が響いた瞬間、沈黙は爆発するように破られ、観客たちの歓声が弾けた。会場全体が立ち上がり、割れんばかりの拍手と叫びが空を突き上げた。私は舞台へ登り、サクラへと駆け寄った。サクラは、瀕死の身体で、ゆっくりと私に顔を向け、微笑んだ。
「勝ったでござるよ……」
その声は、どこまでも穏やかで、誇らしくて――。そして、力尽きたように私に寄りかかり、そのまま意識を失った。私はすぐにその身体を支えた。体温が、重さが、命が――この腕に確かにあった。
――本当に、お疲れさま。
お読みいただきありがとうございます。
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