リキャストタイム
試合結果が出たあと、わたしは賭博場へと急いだ。決勝戦までの猶予は2時間。選手たちの実力が明らかになるにつれて、賭札の購入者が急増するのは目に見えていた。案の定、賭博場に着くと全ての受付カウンターに長蛇の列ができていた。サクラ対クリス。決勝戦ということで、オッズは非公開。
周囲の会話に耳を傾けると、やはり先の試合で見せたインパクトの強さから、クリスに賭ける者が多いようだった。――計画通り。私は小さく頷き、密かにほくそ笑んだ。サクラもクリスも、どちらも満身創痍の状態から一撃で相手を倒したが、”天業ノ黒”の圧倒的な破壊力は、やはり印象に残る。
行列に並ぶこと1時間。ようやく自分の番が回ってきた。私はギルドカードと賭札を提出し、払い戻しの処理を受けた。カードに記されたのは――4244万699ゴールド。最初に賭けたのはたった249万ゴールド。それがここまで増えたのだ。自分でも驚くほど表情が緩んでいるのがわかった。
「次の試合――全額、サクラに賭けます!」
興奮を抑えきれず、カードを差し出す。受付嬢は金額を確認し、思わず目を見開いた。
「――ぜ、全額でよろしいのでしょうか?」
神妙な面持ちで念を押される。私は力強く頷いてみせた。受付嬢はしばらく私の顔を見つめていたが、やがて賭札を発行してくれた。これは、1枚で4244万ゴールド分の賭札だ。私は念入りに確認してから、慎重にアイテムストレージへ収納する。そして3度、ちゃんと入っているか確認した。
「――あら、シノブちゃんじゃない。さっきはありがとね」
背後から声がかかる。振り返ると、シルヴィアが隣のカウンターで払い戻しの受け取りをしていた。彼女は白金貨30枚を賭けていたので、私と同じ金額だけ払い戻しがあったと思う。
「ねぇ、参考までに聞かせてくれない? シノブちゃん、今度はどちらに賭けたのかしら」
その目は愁いを含んだような優しさと、どこか試すような鋭さが入り混じっていた。私は迷わず答える。
「サクラです」
シルヴィアは意外そうに、けれどどこか納得したように微笑んだ。
「あら、意外ね。今回も、あの男の子に賭けたのかと思ったのに」
「ええ。彼は強いですね。……でも、サクラが勝ちますよ」
根拠なんて聞かれたら困ってしまうけど、自信だけはあった。シルヴィアはそれ以上何も言わなかった。この世界は――私たちが1度クリアしたゲームの世界に、よく似ている。たぶん、今はその物語をなぞっているのだと思う。……なんて言っても、誰も信じないだろうし、信じてほしいとも思わない。それに、そもそも本当にゲームの中なのかどうか、自分でもまだ確信が持てていない。
――そう考えて、ふと疑問が脳裏に浮かぶ。物語のラスボス……暗黒神ザナファを倒した時に、私たちはログアウト――つまり、現実世界に帰還できるのだろうか? 気づけば私たちはこの世界にいることを当然のように受け入れ始めていた。まるで、元からこの世界の住人だったかのように――。
「――ねぇ、聞いてるかしら?」
「えっ?」
考え事をしていた私の目の前で、賭札がひらひらと揺れていた。その文字にはこう記されている。”第3回戦・決勝戦、サクラ、4200万ゴールド”――と。
「あなたの、その“目”を信じてみる」
“目”って、何のことだろう。眼差しのこと? それとも、ギャンブルの“出目”だろうか? 私が問い返す前に、シルヴィアは人混みに紛れて姿を消していた。あの人、前から思ってたけど、やっぱりどこか不思議な雰囲気を纏ってる――。そんなことを考えながら、私は再び試合会場へと向かった。一応、選手控室に立ち寄ってみたが、すでにサクラの姿はなかった。時計を見ると、試合開始まで残り30分。私は焦って会場へと向かう。
舞台には、すでにサクラとクリスが上がっており、あとは開始の合図を待つばかりだった。
「シノブ殿、遅いでござる。……何かあったのかと心配したでござるよ」
「ごめんごめん、想像以上に混んでてさ」
舞台上からしゃがみ込むようにして話しかけてくるサクラ。ふと胸元に視線を向けると、きちんとサラシを巻いているのが見えた。
「……エッチ!」
私の視線に気づいたのか、サクラは恥じらうような顔で襟元をぎゅっと寄せて胸を隠す。そんな女の子っぽい仕草をしてみせても、声が完全に男だから不気味なだけだぞ。色仕掛けなんて小細工が通用する相手じゃない。そもそも、サラシは強化カスタマイズされた装備なんだろうし、サクラ自身が本気という証拠だ。
「そういうの、キモいからやめて」
「ええ……殺生な。こういう“女の子同士のイチャイチャ”を一度やってみたかったでござるのに」
拗ねたように肩を落とすサクラ。その身体なら、普段からいろんな視線を集めてるのは分かるけど……中身が男だって知ってしまった今となっては、どうにも素直に見られない。――などと、バカなやり取りをしていると、司会者が舞台に現れた。どうやら、試合開始の時間が来たようだ。
「サクラ、頑張って!」
「――ああ、任されよ!」
サクラは腕まくりをしながら、力強く答えてくれる。……大丈夫。サクラは、ただの腕力バカな侍じゃない。ギルド深紅の薔薇、最強の攻撃役。きっと勝ってくれるはずだ。
「――会場にお越しの皆さま、大変長らくお待たせいたしました! ただいまより、第13回オスロウ国武闘大会、決勝戦を開始いたします!」
司会者の宣言と同時に、ファンファーレが高らかに鳴り響き、会場全体が大きな歓声と拍手に包まれた。貴賓席の貴族たちも起立し、選手たちに敬意を表するように拍手を送っている。
「盛大な拍手ありがとうございます! それでは、選手の紹介に移らせてもらいます!」
司会者は、腕を組んでいるサクラの方へと体を向けた。
「ジャイアントギガースを討伐し、特別枠から出場を果たしたAランク冒険者! 2回戦では、その麗しき美貌の奥に隠された実力を垣間見せた超新星! ――”鮮血の桜舞う呪い姫”、その名もサクラァァァッ!!」
サクラは懐から黒い鉢金を取り出して額に巻きつけ、観客席に向けて不敵な笑みを浮かべる。その瞬間、割れんばかりの歓声が会場を揺るがした。例のファンクラブも総立ちで声援を送っている。……なんだか、ハッピを着てる人数が前より増えてる気がするんだけど。
「続きまして――つい数時間前、圧倒的なタフネスと、聖騎士団長をたった二撃で沈めた我が国最強の剣士! ”ブレイドマスター”……クリス・バーン・レフィエェェルッ!!」
クリスは静かに、そして前回と同じように貴賓席の国王へと向き直り、礼節を尽くすように敬礼を送る。会場中に再び歓声が巻き起こった。彼の漆黒の鎧はまるで新品のように輝き、あの激戦の傷跡は一切残っていない。……もし、サクラの読みが正しいなら、これは“本気モード”のクリス。ボス補正までかかってるとしたら、サクラの方が不利かもしれない。
「――それでは! 第13回オスロウ国武闘大会・決勝戦! ――始めッ!!」
開戦の号令が響いた瞬間――だが、舞台の時間が止まったかのように、両者は動かなかった。低く構えた姿勢のまま、互いを睨み合う。その緊張感に、会場全体が息を呑むような静寂に包まれた。そして、次の瞬間。両者はほぼ同時に駆け出し、大剣と刀が激しく交錯する。
強大な力と力がぶつかりあい、刃と刃が火花を散らし、空気ごと弾け飛んだ。場外まで届くほどの衝撃波が走り、観客たちが思わず身を引くほどの威力。クリスは片手で大剣を、サクラもまた片手で刀を操る。どちらも一歩も引かず、刃を重ねたまま静止する。鍔迫り合いの中、両者の力は完全に拮抗していた。華奢な青年と、華奢な女性。しかしそのぶつかり合いの中にあるのは、人間離れした戦闘力の力比べ。その光景に観客たちは目を逸らせない。
中でも、サクラに驚いている者は多いだろう。あの細身の体で、あの刀身で、あのクリスの大剣と互角に渡り合っているのだから。普段は冷静なクリスでさえ、やや意外そうな表情を浮かべていた。
「な、なんという威力……! 私の目の前を突風が駆け抜けました!」
司会者が乱れた前髪を整えながら、数歩後退する。剣圧を感じて、さすがに距離を取る判断をしたのだろう。いくら自分に強化魔法をかけているとはいえ、あの場に居続けるのは危険だ。拮抗状態を先に崩したのは、サクラだった。刀を巧みに傾け、相手の力を逸らす。そのまま下段から上段へと鋭く斬り上げる動作へ移る。
クリスは身体を反らして紙一重でそれをかわし、大剣を引き戻しながら反撃に転じる。横薙ぎの一撃を、サクラは跳躍して回避。その勢いのまま大剣の側面を蹴り、後方へと着地した。2人のアクロバティックな戦闘に、観客席からどよめきと歓声が巻き起こる。
「――おぬし、なかなかの使い手だな」
抜刀の構えを取るサクラに合わせて、クリスも腰を落とし、大剣を後方に構える。
「正直、驚きました。あなたのような強い女性に出会ったのは初めてです」
無表情だったクリスの口元が、わずかに緩んだように見えた。サクラもまた、不敵に笑ってそれに応じる。2人は、円を描くようにジリジリと間合いを探る。サクラの愛刀”乱桜吹雪”と、クリスの”ドラゴンスレイヤー”――その間合いの差は歴然で、後者は倍以上のリーチを持つ。だが、それだけで勝負が決まるわけではない。クリスもそのことは重々承知しているはずだ。
そして、動いたのはサクラ。縮地により、一瞬で距離を詰める――その速さに、クリスの反応がわずかに遅れる。大剣が弾かれ、その隙を逃さずサクラは身体を回転させ、勢いを乗せた斬撃でクリスの鎧を斬り裂いた。あれは――”三日月”の二連撃。
最初の斬撃で大剣を外し、二撃目を直撃させた。残心のように遅れて舞い散る桜の花びら。高速の斬撃の名残が、視界に残像のように残る。その夜桜を見る様な美麗な光景に、観客たちは驚愕と感嘆の声を上げる。クリスの胸部の鎧が砕け、鮮血が空を舞った。それはさながら、先の戦いでシグナスが喰らった斬撃の再現のようだった。――まさか、婚約者(笑)の仇討ち? ……いや、ないない。あれは、偶然だろう。
クリスは素早く体勢を立て直し、構え直す。その胸元には浅い裂傷が走り、赤い血が滴る。サクラの表情は変わらず、じっと相手を見据えている。……ダメージ計算をしているのだろうか。おそらく、あの反射特殊技能――天業ノ黒の発動タイミングを見極めようとしているに違いない。
ゲームでは、クリスのLPが60%を切ると1度、10%を割ると2度目の天業ノ黒が発動する。蓄積されたダメージ量が多いほど、威力も凄まじく跳ね返ってくる。最大で40%分のダメージを返してくる仕様だった……はず。だから、一撃目は耐えるか、かわす。二撃目が発動する前に、高火力の特殊技能で倒し切る――それが、攻略の定石。
ボスの内部設定は分からないけれど、プレイヤーが扱う超大技には”再充填時間”というクールタイムが存在する。さっきの特殊技能”三日月”はクールタイムが短かったので、二連撃が可能だったわけだ。
もし――もし、この世界のボス設定に再充填時間が存在しなかったとしたら……。私は最悪の状況を想像し身震いする。
私は思わず、最悪の未来を想像して背筋が冷たくなるのを感じた。
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