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異世界転移

 周囲に目を向けると、広大な草原と森林地帯が見渡す限り広がり、近くには透き通るほど綺麗な小川が流れている。

 

「えっと、何をしていたんだっけ?」

 

 どこか見覚えのある風景を背に、まぶたをこすりながらぼんやりと考える。そうだ――SMOで、皆とストーリーミッションを攻略していたんだっけ……。少し前の記憶を思い出し、ハッとする。ここは明らかに自室ではない。どう見ても屋外だ。それに、空を見上げると太陽はほぼ真上。どう考えても真昼だ。


 SMOのオンラインサービス終了は、確か昨夜の午前0時ジャストだったはずだ。……ということは、私は半日近く気を失っていたのか? いやいやいや、それ以前に――そもそもここはどこなんだ? そう考えた瞬間、足元に目を落として思わずギョッとした。自分が履いている靴が、どう見ても現実世界ではありえない奇抜なデザインだったからだ。慌ててその靴を脱ぐと、不意に体がずしりと重くなる感覚に襲われた。


「わわっ!」


 思わず声を漏らしてしまう。まるで背中に10キロの重りを急に背負わされたような、そんな奇妙な感覚だった。脱いだ靴をじっくり眺める。どこかで見たことがある気がするが、具体的には思い出せない。そして、自分が着ている黒い服にも目を向けた。その生地は驚くほど滑らかで、編み目が繊細に絡み合っている。汚れ一つない完璧な状態で、しかも着ている感覚がまるでない。現実離れした不思議な装いに、私はただ戸惑うばかりだった。


 私は近くを流れる小川へ足を運び、澄んだ水面(みなも)を覗き込んだ。日の光が反射し、そこに自分の姿が映り込む。その瞬間、私はこの格好が何なのかに気づいた。これは――SMOで、自分のキャラクターが装備していた防具そのものだ。一陣の風が青々とした草木の香りを運んでくる。その心地よさに、一瞬だけ思考が途切れる。


「まさか……」


 混乱しながらも、頭の中に非現実的な仮説が浮かび、それが私の脳内を支配していく。


 "この場所は、ゲームの中の世界なんじゃないだろうか?"


 いやいや、そんなことあるはずがない。そう自分に言い聞かせながらも、映り込んだ自分の姿と、周囲の風景をもう1度確認する。キャラクターは、2年前の私に寄せて作ったものだったせいか、今の自分と微妙に違う。髪の長さもそうだし、見覚えのあるこの風景も、ゲーム序盤の草原ステージにそっくりだった。


 私は脱いだ靴をもう一度履いてみた。すると、ふっと体が軽くなるのを感じる。何度か履いては脱ぎ、脱いでは履くを繰り返してみるうちに確信した――。


 重い体が”普通の状態”で、この靴を履くと重力の影響が弱まり、体重が軽減しているのだ。そういえば、この靴はゲーム内でカスタマイズしたもので、性能は敏捷性と回避性能の向上だった。この体が軽くなるような感覚は、まるでゲームの強化防具を装備して自分のステータスが向上する感覚そのものだった。


「これは……もしかして、ゲーム世界に転移したってことなのでは!?」


 口に出してみたものの、その問いに答えてくれる人はいない。代わりに聞こえるのは、風に揺れる草の音だけだ。私は足元に目をやり、一本の草を引き抜いて手のひらに乗せた。草や土の感触は、現実そのものだ。それに、かすかに香る草の匂いもリアルすぎる。……味は? いや、さすがにそれは試すのはやめておこう。戸惑いはあるけれど、それ以上に好奇心とワクワク感が自分の中で膨らんでいくのを感じる。"お約束"とばかりに頬をつねってみたが、ちゃんと痛い。どうやら夢ではなさそうだ。


 本当に、異世界転移というやつなのだろうか――。


 私は頭の中で、ゲーム内の草原ステージのマップを思い出していた。この辺りには『迷いの森』と『アルテナの町』があったはずだ。遠くに見える森が迷いの森だとしたら、その反対方向に進めば町があるかもしれない。ここでじっとしていても(らち)があかない。考え込むのは後にして、とりあえず町があると思われる方角へ歩いてみることにした。


「よし、行こう」


 私は複雑な心境をぐっと飲み込み、草原に一歩を踏み出す。この場所が本当にアルテナの草原だとしたら、まずは町を目指すしかない。


 それにしても、身体が驚くほど軽い。まるで綿毛のようだ。急激に体重が減ると、こんな感覚になるのだろうか。これも、装備している防具のおかげだろう。試しに思いっきりジャンプしてみた。――なんと、3メートル以上も跳び上がってしまった。


「すごい!」


 空中で一瞬の浮遊感を味わいながら、地面に着地する。現実ではありえない跳躍力と、爽快感。まるで自分の身体じゃないみたいで、思わず笑いが漏れてしまう。


「あはは! 凄っ、凄すぎる!」


 興奮のあまり、何度もジャンプを繰り返す。まるで校舎の2階から周囲を見渡しているかのような高い視点から、草原を見下ろす景色を堪能する。そのときだった――視界の端に、少し先の草むらに倒れている人影が映り込んだ。


「あれは……?」


 行き倒れ? それともイベント用のNPC? 好奇心に駆られ、人影へと近づいてみる。そこには、見慣れたポニーテールに着物姿の女性が倒れていた。


「サクラ!」


 思わず名前を呼んだ。この倒れている人物は間違いない。同じギルドメンバーのサクラだ。まさか、死んでいるの……? 胸の鼓動が速まる中、彼女をそっと抱き起こす。すると、彼女の肩が上下にわずかに揺れ、呼吸をしているのがわかった。


「よかった……」


 安心した途端、体の力が抜ける。けれど、同時に奇妙な感覚が襲ってきた。時より香る草木の匂い、腕に直接伝わる彼女の体温と重さ――ゲームの中では決して感じることのなかった現実感。目の前のサクラの姿は、ゲームで見慣れたキャラクターそのものだ。この現実感と非現実感の混在は、どうにも整合性が取れない。脳が理解を拒絶しているかのような、異質な感覚が私を包み込んでいく。


「サクラ、サクラ、起きて!」


 彼女の頬をペシペシと軽く叩くと、深い眠りから覚めるように(まぶた)がゆっくりと開いた。サクラはきょとんとした表情を浮かべ、何かを必死に理解しようとするように“じぃっ”とこちらを凝視している。


「シノブ……殿?」


「……へっ!?」


 聞き慣れない、野太い男性の声。思わず素っ頓狂な声が漏れてしまった。サクラは体を起こし、自分の姿と私を交互に見比べている。その混乱した表情が、全てを物語っていた。……うん、その気持ちはよくわかる。


「これはいったい……えっ」


 サクラは自分の声に気づき、咄嗟(とっさ)に口元を押さえる。目を見開き、明らかに動揺している。


「ね、ねえ、サクラ。その声、どうしたの?」


 戸惑いながら尋ねると、サクラは困惑したまま何も言えない様子だ。その声――まるで男性声優の声をキャラクターに設定した時のようだ。私も普段は好きな女性声優の声でプレイしていて、遊びで男性声優の声をあてた事もあったけど、こんな感じだったなぁ。そういえば、ふと気付いたんだけど私も今地声だなぁ……と思い当たり、ハッとする。もしや、この野太い男性の声がサクラの地声なのだろうか?


 ふと、サクラが視線を泳がせているのに気づく。私はその視線を追いかけるようにじっと見つめ返した。何も言わずとも伝わる無言の圧力――サクラの肩がわずかに震えるのが見えた。


「まさか……サクラ、男?」


 私がそう言うと、図星を突かれたサクラは一瞬フリーズしたかのようになり、その後、滝のような汗を流し始めた。本当に焦ると、こんなにも汗腺が全開になるものなのか――妙に冷静な自分がいた。サクラはしばらく顔を真っ赤にしてモゴモゴしていたが、ついに耐えきれなくなったのか突然地面に手をついて土下座をした。


「ごめんなさい! 最初は女侍をロールプレイしてただけなんです! でも、性別を聞かれた時に、つい女って答えちゃって……それでズルズルと……!」


 勢いよく頭を下げるサクラ。


 ――正直、驚いた。


 2年間も同じギルドで一緒に冒険してきた、あのサクラが実は男だったなんて。しかも、リアルでも女性だと言っていたのだから、これは俗に言う『ネカマ』というやつだろう。ええと、ちょっと待って。整理しよう。


 ネカマとは、オンライン上で女性を演じるロールプレイとは少し違う。リアルの性別が男性であるにもかかわらず、自分を女性だと偽り、場合によっては男性プレイヤーから物資を貢がせたりして、自分に有利な状況を作り出す行為のことだ。ちなみに、リアルで女性が男性を偽る行為は“ネナベ”と呼ばれるらしい。ネナベの場合、変なナンパ男を避けるための防衛策として行われることが多いと聞いた。つまり、ネカマとは少し用途が違うのだろう。


 言葉の由来は、インターネット初期に「ネット」と「オカマ」が組み合わさってできた造語だったはず。それにしても、SMOの音声システムはリアルの声を簡単に加工できるため、性別を偽るプレイヤーも少なくないと噂には聞いていたけれど……。


 ――まあ、多様性が尊重される時代だし、そういうこと自体を問題視する人は少ないだろう。ただ、最初から騙すことを目的とした人もいるので、この行為自体に対するイメージが良いとは言えないのかもしれない。


 サクラが謝っているということは、少なからず“彼”は私に性別を偽っていたことに対して罪悪感を抱いていたのだろう。


 なんだか複雑な気分だった。仲の良い友人が嘘をつき、周囲を欺いていたなんて――裏切られた気持ちと、彼なりの事情があったのだろうという気持ちがないまぜになり、胸がモヤモヤする。とはいえ、こんな状況にならなければ一生バレなかったのかもしれない、と思うと、少しだけやるせない気持ちもあった。


「えっと……マジで?」


「はい……」


 深く土下座をしたままのサクラが短く答える。額を地面にこすりつけたままなので、その表情はまったく見えない。私自身、この異常な状況をまだ理解しきれていないというのに、さらに友人がネカマだったと告白してくるなんて――どうしたらいいんだ、これ。脳内が混乱しすぎて、まるでノイズが走っているような感覚だ。そして、そんな私の思考をさらにかき乱す一言が放たれた。


「ここは、武士として潔く切腹するでござる!」


「えぇっ!? ちょ、何言ってんの!?」


 訳のわからないことを叫ぶと同時に、サクラの目の前にスッと短めの刀が現れた。それは見覚えのある武器だった。そうだ、これはゲーム内で何度も目にしていた武器、“小太刀”だ。


「えっ!?」「ええっ!?」


 私たちは目の前の光景に驚き、同時に声をあげた。そこに現れたのは――侍や忍者が装備できる小太刀だ。見覚えがある。これを使って切腹しろということなのだろうか。サクラはその刀を手に取り、慎重に鞘から引き抜いた。良く斬れそうな美しい刀身が日の光を受けて怪しく輝いている。


「今、目の前に突然現れたよね? ねっ?」


「あ……ああ、今拙者が切腹用の短刀を思い浮かべたら出てきたでござる」


「思い浮かべたら出た?」


 もしかして、自分の武器をイメージしたら出現する仕組みなのか? 私は試しにゲーム内で愛用していた刀、『村雨』を思い浮かべてみた。するとどうだろう。私の手の中に、黒い鞘に納められた一振りの刀がスッと現れたのだ。


「本当に出た。これ、私のメイン武器の村雨だ!」


「おお!」


 サクラも驚きながら目を輝かせている。どうやら、この世界では武器を思い描くだけでアイテムストレージから取り出せるらしい。なんて便利なんだろう。非現実的な光景を目の当たりにして、私は少し感動すら覚えた。


「ゲームの世界なら……声の設定もそのままにしてほしかったでござる」


 サクラが悔しそうにぼやく。その口調や仕草――間違いない、紛れもなく彼は“サクラ”だ。私は苦笑しながら、再び手の中の刀に目を向けた。それにしても、この真剣には圧倒される。刀身の美しさ、手に伝わるずっしりとした重み――ゲームの中では感じることのなかったリアルな存在感が、妙に愛おしく思えてくる。思わず試し斬りをしてみたくなるほどの魔性の魅力がある。不意に私の中に小さな悪戯心が生まれ、サクラを揶揄(からか)ってみたい衝動がわいた。


「で、切腹するんでしょ? これで介錯してあげるね」


「えっ!?」


 冗談のつもりで、私は村雨をサクラの上段に振りかぶった。すると彼女……いや、彼は青ざめて後ずさる。


「いや、違うでござる! 騙すつもりなんてさらさらなくて…言い出せない雰囲気になってしまって…ごにょごにょ」


「なに? 聞こえないよ」


「うう、リアルの性別が女性だと言うと……その、優しく扱ってもらえるというか。今までの人生でそういう経験がなくて……嬉しくて、気付いたら後戻りできなくなっていたでござる」


 サクラは小さな涙をポロポロとこぼしながら、申し訳なさそうにうなだれる。SMOには涙のエモートが実装されていないので、余計にリアルな悲壮感が漂っていた。もはや責めるつもりはまったくないけれど、なんだか気の毒に思えてきた。酔ってログインした時に聞いた愚痴を思い出す。ブラック企業で冷遇されていて、SMOでみんなと会うのが唯一の癒しだと言っていたからなぁ。性別を偽る行為自体は理解しきれないけれど、みんなと過ごす時間を大切に思っている気持ちは分かるし、共感もできる。


「ごめん、冗談だって。……まあ、なんというか驚いたけど、サクラはサクラなんだなって思った」


 声は男だけど、外見はゲームキャラと同じ女性。違和感はすごいけど、中身は昔からよく知るサクラそのものだ。騙していたことは少し引っかかるけど、それよりも一緒に過ごしてきた楽しい思い出が勝っているというか……とにかく、性別なんて些細なことなんじゃないかと思い始めていた。


「ゆるしてくれるでござるか?」


「うん。それより今は……」


 私たちは今の状況を冷静に見つめ、話し合った。ついさっきまでSMOをプレイしていて、暗黒神ザナファを倒した瞬間に光に包まれ、気が付けばこの世界にいた。ゲームキャラの姿だが、声は地声に戻っていることから、声優音声システムとは切り離されているらしい。コントローラーやコンソールなどのインターフェイス表示はなく、自分のステータスや持ち物一覧を文字で見ることもできない。だが、ストレージの中身を思い浮かべると、何もない空間から次々とアイテムが現れた。武器、防具、雑貨など、ゲーム内で持っていたものはそのまま引き継がれているようだ。


「ふむ、無いのは希少イベントアイテムと復活アイテム、それに復活薬と……お金くらいでござるな」


 不思議なことに、希少アイテムとお金だけはストレージから消えてしまっていて、どうしても具現化できなかった。


 その会話の中で、ふと疑問が湧いた。この世界で死んだらどうなるのだろう? という疑問だ。ゲームでは、復活アイテムがあればその場で復活できる。持っていなくても、仲間が復活薬を使えばペナルティなしで蘇ることができる。もし両方ない場合は、20分のインターバルの後にホームポイントへ強制送還され、取得したアイテムは消滅してしまう。もしかして、この世界で死ぬことは現実世界での死と同じ意味なのかもしれない…そんな疑念が頭をよぎった。いや、むしろ現実世界で死んでこの世界に飛ばされた可能性も考えられるのだろうか。


「とにかく、アルテナの町を目指してみよう。どうせ考えたところで答えは出ないでござる」


「うん、そうだね」


 少しの不安と多くの謎を抱えながら、私たちはアルテナの町を目指す。まるで長い旅の始まりを告げるかのような風が、二人の間を吹き抜けていった。

お読みいただきありがとうございます。

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