慢心
試合開始の合図と共に、舞台を走り出したカイゼルはサクラに向けて素早くナイフを投げる。2、3、4――しかも、連投だ。サクラはすぐさま抜刀し、見事な速さでナイフを弾き落とす。短いやりとりだったが、その見事な応酬に会場は一瞬静まり返り――そして、沸いた。
観客は2人の絶技に驚嘆していたが、私はその中でも“サクラが初手で抜刀した”という事実に息を呑んだ。常に余裕をもっていたサクラが、思わず抜刀せざるを得なかったほどの攻撃……。今、繰り広げられた達人同士の刹那の攻防に、会場の何人が気づいただろうか。サクラの表情は、まるで侮辱されたかのように険しさを増していた。
「な、なんということだ……この大会、実力者同士の読み合いがすでに始まっているッ!」
一連の攻防に司会者のテンションが大いに跳ね上がり、それに呼応して観客も沸く。
「言ったはずだ。最初から本気で来い――とな」
黒いマントの裾から、獣のような長い鍵爪がちらりと覗く。カイゼルは縮地を使い、一瞬で距離を詰め、鋭く斬りかかった。長さにして1メートルあまりの鍵爪と、サクラの白刃がぶつかり合い、火花が飛び散る。左右から繰り出される鍵爪の連撃を、サクラは紙一重で捌いていく。しかし、余裕があるようには見えなかった。
「おっと! ここにきて連撃ッ! この男、ただの暗器使いではない!」
サクラが押されている――そう見えた。でも、違う。いや……あれは、誘導されている。
「サクラ、駄目だ! ――そっちは!」
私の声は観客の歓声にかき消され、彼に届くことはなかった。次の瞬間、サクラは罠にはまった。地面には事前に仕掛けられた粘着罠――。あのナイフ連投の一瞬の隙に、巧妙に設置されていたのだ。連撃で圧をかけつつ、誘い込んだんだ。すべては計算ずくだ。
「なっ――っ!」
「もらった!」
足元を取られ、バランスを崩したサクラの顔面へ、鍵爪が一直線に迫る。だが――サクラは身体をひねり、紙一重でかわした。さらに、刀で粘着罠ごと地面を斬り砕いて脱出する。なんたる力技……これが現実世界での応用というやつか。カイゼルは苦々しい表情を浮かべ、小さく舌打ちをして距離を取る。サクラの頬には、かすった傷から一筋の血がにじんでいた。
「――な、なんとういう攻防! 思わず解説を忘れて見入ってしまいました! まさに達人同士の戦いです!」
睨み合う2人。互いに間合いを測る中、最初に動いたのはカイゼルだった。4連投のナイフ――いや、最後のは……! サクラがすべての投擲物を叩き落とした瞬間、爆発音と共に舞台全体が黒い煙に包まれた。4投目は煙玉だ。
黒煙の中で金属音が何度も鳴り響き、時折火花がちらつく。サクラは視界を奪われていたが、カイゼルは特殊技能索敵で相手の位置を的確に把握しているはずだ。
「こ、これは!? 視界が悪いので、私はいったん舞台から退避します!」
司会者が戸惑いの声をあげ、舞台から降りたようだ。無理もない、下手したら巻き添えをくいかねない。その時、煙幕の中、サクラの声が響いた。
「剣技――旋空烈風斬!」
暴風が舞い、煙幕が一気に吹き飛ぶ。カイゼルは空中で体勢を立て直し、難なく着地した。両手の鍵爪の片方が途中で切断されている。今の剣技で武器が破壊されたのだろう。サクラは刀を掲げ立つが、胸元には鍵爪による斬り傷が生々しく残る。サラシのない胸元は谷間がいっそう露出し、下品な観客が騒ぎ立てた。
「いいぞ、カイゼル。剥いでしまえ!」「全裸だ!」
場末の酒場のようなノリの観客に、私は今までに感じた事のないような最低最悪な嫌悪感を抱いた。薄笑いを浮かべたカイゼルは鍵爪を外し、指の間から長い針を突き出す。先端からは薄紫色の液体が滴っている。――あれは毒か。
「サクラ、あの針は危険だよ! 弾くならなるべく遠距離で弾いて!」
カイゼルは私を睨みつけ、針をサクラへ放つ。細い針が宙に溶け込み、光を反射するが観客にはほぼ見えない。サクラは回避せず片足をわずかに上げ、舞台の地面を勢いよく踏み込んだ。重低音と共に舞台の足場がせり上がり、針を弾き飛ばす。まるで忍術「畳返し」のようだった。
「おおっと、これは凄い! 舞台がめくれあがり、まるで壁のようにカイゼル選手の攻撃を防ぎました!」
その予想外の光景に、観客席はどよめきに包まれる。私も含めて、視線が一斉にせり上がった舞台の“盾”に引きつけられた、その一瞬――舞台上からカイゼルの姿が、忽然と消えた。
サクラは静かに辺りを見回し、気配を探っている。私は即座に索敵を発動し、俯瞰視で周囲の反応を確認――いた、サクラのすぐ近く。重なるように反応がある!
「サクラ、避けて!」
叫んだ直後、サクラの背後からぼんやりと浮かび上がるようにカイゼルが出現し、左肩に毒針を突き刺す。サクラは反射的に斬り返すが、逆手となり刀が届かない。カイゼルは軽やかに間合いの外へと跳び退いた。
あれは、”抜足”で気配を絶ち、”潜伏”で視覚を逸らし、そして縮地も併用して背後を取ったんだ。斥候職ならではの戦闘スタイル。第2試合を真面目に見てなかったことが仇になるとは思わなかった。「レベル差があったとしても、プレイヤースキル次第でその差は簡単にうまるものだ」。その言葉が脳裏に浮かんだ。これはギルドマスターで上位ランカーのミカさんが、いつも語っていた言葉だ。
ダラリと垂れ下がる左腕。反応がない。明らかに麻痺毒にやられている。よく見ると足元には無数の粘着罠が――。あの瞬間で、いつの間に仕掛けていたのか。こんなの、私でもかわしきれるか怪しい……。動くのは、刀を握った右腕のみ。左腕と両足を封じられ、身動きがほぼ取れない。その痛ましい光景を会場中が、息を呑んで見守っていた。
「本当は、右腕を封じたかったが……念のためだ。俺は臆病なもんでな。クク……」
カイゼルの笑みと共に、ローブの下から分銅付きの鎖が現れる。それを振り回し、勢いよくサクラへと投げ放った。1つは刀で弾いたものの、次に飛んできた鎖がサクラの右腕に絡みつく。すかさず、カイゼルは鎖の端を舞台に打ち込み、サクラの腕を固定。再び投げつけられた分銅が乱桜吹雪を絡め取り、遠くへと投げ飛ばす。
サクラは、刀を失い、完全に拘束された。それでも、睨みを外さず深く息を吸い込む。――きっと、何かを狙っている。
「フフフ、さて……お待ちかねのショータイムだ!」
……やっぱりこの人は真性の中二病患者だ! あんな台詞、思いついたとしても叫べないって! 恥ずかしすぎる!
カイゼルが空高く跳躍し、両腕をクロスさせる。日光に照らされたその手元から、鋭く光を反射する糸が――一瞬、空中に姿を現した。ピアノ線のように細い糸が四方からサクラを絡め取り、カイゼルの動きに呼応して締めつけ、衣服を切り裂いた。
「ああっと、こ、これは……なんとも……一連の攻撃に目が離せません!」
……なんというか、司会者の人、本当に自分に正直だな。むしろ一周回って、ちょっと好感が持てるかもしれない。修復が進んでいたサクラの着物は、刃のように鋭い糸によって切り裂かれ、白い肌に容赦なく食い込む。まるで“ダメージジーンズ”のように衣服が裂け、肌に赤い傷跡が刻まれていく。……ひどい。公開凌辱というような言葉が合いそうな光景に、醜悪な観客たちが歓喜の声をあげる。それが心底、気持ち悪かった。
応援していた人々でさえも、声を失い、息を飲んで立ち尽くしている。そして――サクラは、顔を伏せて歯を食いしばっていた。……あれは、怒っている。本気で、心の底から。……誰かを、何かを、本気で許せないと思っている顔だ。
「……さて、次の攻撃で終わりにしてやるぜ」
カイゼルがそう言い放った、その瞬間だった。サクラの全身が小刻みに震え、天に向かって咆哮を上げた。
「おおおおおぉおぉぉおおおお!」
右足が、舞台を砕くほどに力強く踏みしめ、そして地面ごと持ち上げた。続いて左足も。サクラの両脚が舞台の足場ごと抉り取り、ずり上がるように持ち上がった。右腕に絡みついていた鎖も固定された地面ごと抉とった。
そのままサクラはカイゼルに向き直り、姿勢を低く落とし居合のように構える。刀も鞘も、もはやそこにはない。けれど――その瞳には、獲物を狙う獣のような研ぎ澄まされた光が宿っていた。鋭く、まっすぐにカイゼルを射抜く視線。その気迫に怖気づいたカイゼルが、わずかに1歩、後退する――その刹那。
「秘剣! 朧・三日月!」
サクラの身体が、風を裂いて駆けた。その手に刀は無い。だが、右腕に巻きついた鎖がしなり、振り抜かれた“存在しない抜刀”と共に、先端の岩盤が加速する。鎖の延長線にあった岩盤の塊が――カイゼルの横腹に直撃した。鎖の軌跡は三日月というより、半月となり鈍い音と共に、カイゼルの身体に食い込み、”く”の字に曲がりながら宙を舞う。そして、勢いにまかせ会場の壁へと叩きつけられた。――そしてそのまま、動くことはなかった。副審が慌てて駆け寄り、そして手を振る。
「し、勝者――サクラァァァ!!」
静まり返っていた会場が、いっきに歓声に包まれた。怒号も、下卑た野次も、もうどこにもなかった。さっきまでサクラを嘲っていた連中は、いつの間にか姿を消している。……ほんと、ああいうのって逃げ足だけは速いんだよね。ファンクラブのような人々も大号泣しながら、サクラの勝利を叫んでいた。……アレはアレで、迷惑になってないといいけどね。
私は真っ先にサクラに駆け寄り、足元に仕掛けられた粘着罠を解除する。医療班がすぐさま解毒を施し、傷は回復魔法で癒された。場外のカイゼルは、どうやら命は助かったようだ。意識はないが、治療を受けながら担架で丁寧に運ばれていく。彼がSランク冒険者じゃなかったら、命はなかったかもね。
「――どうでござった? 拙者の満身創痍の演技は」
不意に、サクラがいたずらっぽく口を開いた。……ふふ、強がっちゃって。でも、まぁ……少しだけ、ほんの少しだけ心配したよ。でも、カイゼルが吹き飛んだ瞬間、凄くスカッとした。サクラが傷つけられている事が、まるで自分の事のように感じていたんだと思う。
「うん、良かったと思うよ。これで次のオッズは爆上がりだね」
私たちは顔を見合わせて、笑い合った。――ともあれ、これでサクラの決勝進出が決まった。
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