ジャイアントギガース討伐
翌朝早く、ジェイコブ卿の使者が宿を訪れた。届けられたのは、サクラ宛の一冊の書簡と、武闘大会の正式な招待状だった。重厚な封蝋にはジェイコブ家の家紋が刻まれ、封を解くと、卿直筆の手紙と、冒険者ギルド宛の個人依頼書が同封されていた。どうやらこの依頼を完遂すれば、高額な報酬に加え、Aランク冒険者への昇格も認められるとのこと。つまり――「3日以内に依頼をこなし、参加資格を手に入れよ」というジェイコブ卿からのメッセージだ。
「それで、依頼内容は?」
「変異種、『ジャイアントギガース』の討伐でござる」とサクラが淡々と答えた。
それは妖精種のトロールが変異した、レイドボス級のモンスター。ゲーム内でもランダム発生で知られていた強敵……と、いっても私たちからしたら、最弱のレイドボスにあたり、中ボス級ってところかな。この世界に来てから、私たちは気づいていた。モンスターの戦闘能力が、ゲームよりも明らかに高く、耐久力も桁違いであることに。強力な特殊技能を使用すれば、余裕で勝てるものの、通常の攻撃は手数の感覚で分かる。
現在、その変異体はオスロウ国領内の隣村近くの洞窟に棲みついているらしい。
「……楽勝でござるな!」
「……楽勝だね!」
私たちは顔を見合わせて、声を揃えて笑った。この世界の冒険者たちにとっては、小隊規模で挑むべき相手かもしれない。だが、私たちは違う。いける――そう確信していた。
朝食を手早く済ませた私たちは、南地区の冒険者ギルドへと向かった。受付で依頼書を提示すると、対応していた女性は慌てて奥へと消え、しばらくして私たちは2階の応接室に通された。そこに現れたのは、南地区冒険者ギルドのマスターの『セッツァ』という人物。
「初めまして。私がこのギルドのマスター、セッツァだ。……まさかジェイコブ卿直々の依頼とはな。驚いたよ」
見るからに只者ではない雰囲気だ。年季の入った戦闘服の隙間から覗く筋肉と古傷が、彼の過去を物語っていた。かつて前線に立ち、幾度となく死線を越えてきた男の佇まいを感じる。
「拙者はサクラと申す」
「私はシノブです。よろしくお願いします」
その瞬間、サクラの声を聞いたセッツァの眉がぴくりと動いた。
「……お前、その声はどうした?」
「これは……暗黒神ハーデスの呪いでござる」
出た。サクラお得意の“暗黒神ハーデスの呪い設定”。自分で作った設定を、さも実話のように語り始める。
「そいつは……つらかったな……」
セッツァさんは嘘話をまるごと信じたようで、目頭を押さえながらしみじみと頷いていた。――体格と雰囲気とは違い、なんて涙もろい人なんだろう。少しだけギャップ萌えを感じる。
その後、セッツァさんはふっと表情を引き締め、背筋を少し落として座り直した。案内してくれた受付嬢が紅茶を配りながら、何枚かの書類を彼の前に差し出す。広げられた書類の中には、この地域の地図があった。その地図にはいくつもの赤い印が記され、その上に“×”の印とともに、”15”や”21”などの数字が書き込まれていた。
「――この数字が気になるか?」
セッツァさんは、低く静かな声で問いかけた。
「これはな……犠牲になった冒険者の数だ」
私は地図の数値を見て、ざっと頭の中で計算すると、確認できるだけでも164名が命を落としている。おそらく、戦闘を生き延びた者も少なからずいるだろうが、挑んだ人数は確実に200を超えている――それだけの危険任務ということだ。
「このラインを越えれば、いずれ軍が動く。街に被害が及ぶ可能性は低いだろう……だがな」
セッツァさんは地図上の太線を指差した。それは城壁から少し離れた場所に引かれており、おそらく国軍による防衛ラインを示しているのだろう。
「お前たちは公爵家からのご指名でこの依頼を受けに来た……だが、これが現実だ。それでも引き受けるつもりか?」
この線の話――次章の”隣国戦争編”の布石のように聞こえるのは気のせいだろうか。きっと考えすぎだな。
「――ふむ。引き受けるでござる」
一切の迷いなく、サクラが即答する。
「……気に入った! さすがは公爵ご推薦の冒険者だな!」
セッツァさんは破顔一笑し、豪快に笑い声を上げた。その後、彼の指名で同行者として2人のAランク冒険者が選ばれた。『カイル』と『エド』――どちらも年季の入った装備に身を包んだ、歴戦の面持ちをした男たちだった。
「俺たちは数ヶ月前、ギガース討伐の遠征に参加した。16人パーティーだったが……ほぼ全滅だったよ」
道中、カイルが重く口を開いた。2人は当時の惨状を語ってくれた。音もなく近づく気配、尋常じゃない再生速度、そして振るう一撃の破壊力。彼らの話からも、相手が“ジャイアントギガース”で間違いないと確信する。
「……とにかく、俺たちは道案内が役目だ」
「ヤバいと思ったら、すぐに引け。死んでも得るものなんてねぇぞ。いいな?」
森の中をしばらく進むと、やがて大きな洞窟の入口が現れた。その前にはキャンプが設営され、数名の兵士らしき人物が洞窟を監視している。私たちが近づくと、兵士たちは素早く駆け寄り、道を塞いだ。
「そこの冒険者たち、ここは危険だ。早々に立ち去れ。この洞窟はジャイアントギガースの根城だぞ」
サクラは無言で懐からジェイコブ公爵の依頼書を取り出し、兵士の前に差し出した。それを確認した兵士は、顔色を変えてすぐに道を開けると、胸に手を当てて深く敬礼した。
「ご武運を――」
「うむ、苦しゅうない」
サクラはどこか得意げに胸を張って歩き出した。後ろで兵士たちが「男……?」「いや女では?」「声が……」と小声でひそひそと話しているのが聞こえる。会う者すべてに混乱を与える常時発動型特殊技能――ネカマならではの特殊技能かもしれないな。
「これを、洞窟の入り口で焼くんだ」
そう言ってエドがリュックから取り出したのは、燻製された巨大なスペアリブの塊だった。見た目は巨大なイノシシの腹部で、その大きさは私の身長を優に超えている。エドとカイルは手際よく焚き火を起こし、スペアリブを豪快に炙り始めた。その香ばしい匂いが周囲に立ちこめ、思わず喉が鳴る。
「き、来やがった!」
「お、俺たちは下がるぞ!」
そう叫んで、恐怖に引きつった表情を浮かべながら、カイルとエドは素早く後退していく。――さて、ここからが本番だ。いかに最弱とはいえ、相手はレイドボス。フィールドモンスターとは比べ物にならないタフネスを持っている。だがそれは逆に――普段なら即蒸発してしまうような強力な特殊技能を、思う存分ぶつけられるということ。ようやく、私たちの“本気”を試すときが来た。
「ウォロロォォロロ……!」
鼻をひくつかせ、喉を唸らせながら、洞窟の奥から巨体が現れた。薄緑色の肌をした巨人――その姿は妖精種とは到底思えない、醜悪な異形だった。獣のような光を宿した瞳でスペアリブに喰らいつくと、骨ごとバリバリと砕きながらむさぼり始める。
全長はおよそ5メートル。頭部には長髪が垂れ下がるが、頭頂部は薄く禿げている。隆起した筋肉は異様なほど発達し、そこに浮かぶ紫色の血管が、どこか不気味な生命力を物語っていた。
「じゃ、私からいくよ!」
「お手並み拝見といくでござる」
私はすぐさま特殊技能”影分身”を発動。現れた3体の分身体が私の両脇に並び立つ。この技能は、分身1体ごとに攻撃力0.7倍の追加ダメージを与える効果があり、最大で3体まで召喚可能だ。さらに、それぞれの攻撃に個別のクリティカル判定が加算されるため、ヒット数の多い特殊技能と併用すれば爆発的な火力が期待できる。
「――地獄ノ業火連斬!」
さらに、特殊技能”地獄ノ業火連斬”を全員で発動し、一斉に斬りかかった。4つの煉獄の炎がジャイアントギガースにまとわりつ、その巨体を切り刻んでいく。巨腕で払おうとするが、炎をかすめることすらできない。両手、両足――そこに黒紫の火焔が絡みつき、激しく斬り、そして焼き焦がしていく。苦痛にのたうち、凄まじい咆哮を上げながら、巨人は暴れ回る。その叫びはまるで、大地を震わせるほどの怒りと痛みを孕んでいた。
「さすがに耐えているでござるな。拙者も、そろそろ参戦といこう!」
サクラは腰の刀を抜き放ち、一直線に駆け出した。72連撃もの斬撃を怒涛のように浴びせると、ジャイアントギガースは両膝をついてうずくまる。煉獄の炎に焼かれた傷口は、ぱっくりと抉れたまま再生の気配もない……ように見えた。
だが、傷口からブクブクと泡のような液体が溢れ出し、肉が蠢くようにして修復され始める。――出たな、レイドボス特有の自己再生能力。レイドボスには“自己再生”という特殊技能が設定されており、それぞれ最大LPの一定割合に応じて自動回復が発動する。これは本来、大人数での討伐を前提にした難易度調整。単独討伐による乱獲を防ぐための、システム上の制約だ。
「……だけど、もう“レッドゲージ”ってところだね!」
私はそう叫び、影分身を解除して後方へ下がる。当然、ここまで最大火力を叩き込んだ私に、ジャイアントギガースのヘイトが向く。巨体を揺らし、こちらへと向かってきたその横合いから、サクラが飛び出した。中腰のまま起き上がろうとしたギガースめがけて跳躍し、首元へ鋭い刃がぴたりと添えられる。
「秘剣――“刹那一閃”」
下方から振り上げられた一太刀の軌跡が、まばゆい光の刃と化し、瞬間、ジャイアントギガースの首を鮮やかに跳ね飛ばした。巨岩のような頭部は、鈍く重い音を立てて地面に転がり落ち、その肉体は前のめりの姿勢のまま崩れ、静かに地に沈んだ。
斬撃の軌跡に合わせ、桜吹雪が宙を舞う。紫色の血飛沫と交わりながら、風に流されて、やがて消えていった。カイルとエド――遠巻きに様子をうかがっていた2人は声も出せず、離れた場所で見守っていた兵士たちもまた、言葉を失って立ち尽くすばかりだった。
サクラはジャイアントギガースの頭部をアイテムストレージにしまい、胴体の処理は兵士たちに任せていた。結局、サクラは大技を1回放っただけで戦闘が終了してしまったので、少し不服そうな表情を浮かべていた。隠れていた同行者のカイルとエドは、「すげぇぜ、姉さんたち!」と大はしゃぎだ。かくいう私はというと、サクラのストレージ内にある他のアイテムが、血でベタベタになっていないか……それが少し心配だった。
「ねぇ、ちょっと気づいたことがあるんだけど……」
「ほう?」
「SP……この世界でいう“魔力”が切れるって感覚、少しだけわかった気がする」
影分身は非常に強力な特殊技能だが、発動後も継続的にSPを消費し続けるという特性がある。さらに大技との併用で凄まじいダメージを叩き出せる半面、消耗が激しい。とくに“忍者”はSPの総量が少ないクラスに分類されていて、消耗管理が重要な職業だ。この世界では数字でのステータス確認はできないが、SPが枯渇に近づくと“身体のだるさ”と“気力の減退”として体感するらしい。
「なるほど、SPを精神力に近いものと考えれば納得でござるな。とはいえ、SPは空気中の魔力を自然吸収して回復するゆえ、今は問題なかろう?」
「うん、もう平気だよ」
私たちがオスロウ国の防壁へ戻ってきた頃には、すでに夕方になっていた。その足で冒険者ギルドへ向かい、カウンターでジャイアントギガースの首を取り出すと――当然のように、ギルド中が騒然となった。これまで幾多の冒険者が挑み、敗れてきた相手を、たった2人で、しかも数時間で討伐してしまったのだから無理もない。同行したカイルとエドはというと、見ていた戦いを誇張しつつ、さも自分も活躍したかのようにギルド中に吹聴して回っていた。
――こうしてサクラは、晴れて“Aランク冒険者”に昇格し、武闘大会への正式な参加資格を獲得した。……ついでに私も、Cランクへ昇格しましたとさ。
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