オスロウ国
-オスロウ国-
私たちがオスロウ国の門前に辿り着いたのは、すっかり夜が更けた頃だった。高さ10メートルを優に超える巨大な城壁が国全体を囲み、上部では多数の兵士が巡回しているのが見える。その壮大さに思わず見上げ、息をのむ。……これは、さすがに登れないな。
入り口には関所があり、ここでギルドカードの提示と中金貨30枚の入国料を支払う。ふと後ろを振り返ると、すでに100人以上が列をなしていた。この時間帯でもこれだけの入国希望者がいるのだから、入国料だけでもかなりの税収になるに違いない。
入国審査は特に問題もなく、私たちは無事、オスロウ国の領内へ足を踏み入れた。整備された広い街道の両脇には、柔らかく街を照らす街灯が並び、夜だというのに人通りは多く、活気に満ちていた。街の中央には東西南北に延びる大運河が流れ、いくつもの桟橋がそこかしこに設けられ、渡し舟が静かに行き交っている。各家庭の窓からは温かな灯りがこぼれ、人々の表情もどこか明るい。まさに”大国”という言葉がぴったりの、発展した都市だった。
今夜の寝床を確保するため、私たちは宿屋を探す。山賊討伐でもらった報酬のおかげで、多少の余裕はある。そこで今日は少し贅沢に、大きめの宿屋でシングルの部屋を2つ借りることにした。さっそく宿の一階にある酒場を覗いたが、満席だったので、近くの大衆酒場へ足を運ぶ。そこには、各地から集まった冒険者たちがひしめき合い、賑やかに酒を酌み交わしていた。
「シノブ殿は、飲まないでござるか?」
「……私、未成年なんですけど」
この春から高校3年生になったばかり――それ、言ってなかったっけ? いや、知ってるはずだけど。サクラは何食わぬ顔で、ジョッキになみなみと注がれた葡萄酒を一気に飲み干し、満足げに「んふぅ」と笑みをこぼした。
「旨いんだけど……いくら飲んでも酔えそうにないでござるな。アルコール分が足りんのか?」
そう呟くサクラの前には、すでに空になったジョッキが3つ並んでいた。アルコールの強さ云々よりも、その量の液体が胃に収まっていることの方が驚きだ。しかも、ちゃんと夕食も食べていたし、濃い味のつまみまで平らげている。……すごい。これが大人の普通なのか?
「……ていうか、本当に酔ってないの?」
ちらりと周囲を見渡すと、他の客たちはすっかり顔を赤くして盛り上がっている。サクラだけが妙に平然としていて、むしろ目が冴えてる感じすらある。もしかして――。
「アルコールって、システム上じゃ”毒”扱いだったりするのかな?」
ふとそんな仮説が脳裏をよぎる。だとすれば、状態異常として処理されている可能性がある。
「もしかして、状態異常耐性が高いからじゃないかな? ほら、酔うって精神状態の変化だし」
ゲームでレベル100にもなれば、状態異常に対する基本耐性もかなり高い。それに加えて職業補正や、装備品に付加された耐性効果が合わされば、”完全無効”なんてことも十分あり得る。私がそう指摘すると、サクラは妙に納得した様子でうなずいた。
「……それはそれで、つまらんでござるな」
落胆するように肩を落とす姿が、少しおかしくて笑ってしまった。まあ、酔えないのは残念かもしれないけど――その分、飲み過ぎで潰れる心配がないのは良いかもね。
「知ってるか? 最近この先に大浴場ができたんだぜ?」
「へぇ、じゃあ行ってみるか」
背後のテーブルから聞こえた冒険者たちの会話が耳に入った。大浴場か……銭湯みたいなものかな? 個人的には、小さくても独りでのんびり入れるほうが好きだけど。ふと隣に目をやると、サクラが何やら神妙な顔つきで考え込んでいた。……そんなに酔えなかったのがショックだったのか、それとも”どうすれば酔えるか”なんて真剣に考えてるんだろうか。
その後、私たちは酒場を出て、冒険者ギルドへと足を運んだ。オスロウ国には東西南に1つずつ冒険者ギルドがある。まずは最寄りの南地区の冒険者ギルドへ行ってみることにした。
この国は南が商業街、東が住宅街、西が工業地区。そして北には王都の中心、貴族街とオスロウ城がそびえている。まさに武装国家の名にふさわしい配置だ。ゲームのストーリーを思い出すと、ここではまずギルドで依頼をこなしてAランク冒険者になる。その後、武闘大会に出場し、優勝すれば次章の“隣国戦争編”に突入する……という流れだったはずだ。ちなみにネタバレになるが、国王は実は“暗黒神の使徒”が成り代わっており、内側から国を蝕んでいくという設定だった。けど、今のところ街の様子は平和そのもので、ゲームで見た殺伐とした雰囲気とは少し違って見える。
――さて、今の私たちの目的は、サクヤの行方を追うこと。彼女がオスロウ国に向かったという噂はある。けど、それも1週間以上前の話だ。せめて足取りだけでも掴めればいいのだけれど……。南地区のギルドは夜にも関わらず多くの冒険者たちで賑わっていた。依頼掲示板には張り紙が溢れ、壁の隅までぎっしりと依頼書が貼られている。
私たちはギルドカウンターに向かい、サクヤの特徴を伝え、似た冒険者を見ていないか尋ねてみた。しかし、受付嬢たちは口を揃えて「見ていない」と答える。緑髪の妖精種というだけでも珍しいのに、パンツスーツ姿となればかなり目立つはずなんだけどなぁ……。
「おかしいでござるな……。アルテナの町での情報がデマだったのか?」
「それはないと思うよ。聞いた特徴、どう考えてもサクヤだったし」
私たちはギルド内の酒場でも手分けして情報を集めたが、やはり成果はなかった。少なくとも南地区では、彼女を見かけた者はいないらしい。時間も遅くなってきたことだし、今夜はこのへんで切り上げて、宿に戻ることにした。
「そうそう、拙者ちょっと調べたいことがあるので、先に休んでいてくだされ」
「えっ、何かあるなら手伝うよ?」
「いえいえ、些細なことゆえ、大丈夫でござるよ。では、御免!」
そう言ってサクラは、私と反対方向の路地へと軽やかに歩いていった。……なんだろう、あの感じ。やけにあっさりしてるというか、胡散臭いというか。まぁ、いいか。今さら詮索しても仕方ないし、私も今日は疲れた。私は独り宿へ戻り、念のため簡単な“粘着罠”を仕掛けてから就寝した。
翌朝、目を覚まして周囲を確認すると、特に異常はなく、粘着罠にかかった痕跡もなかった。
……サクラ、私、ちゃんと信じてたからね。粘着罠を解除し、1階の酒場で簡単な朝食を済ませる。今日は他の地区の冒険者ギルドを回ることになりそうだ――そう思っていると、起き抜けらしきサクラが階段を降りてきた。
その姿は、ノーブラにラフなタンクトップ、そしてスポーツパンツという、完全に“自宅スタイル”のあられもない格好だった。当然、まわりのテーブルに座っていた冒険者たちから、小さなどよめきが起こる。
「シノブ殿、おはようでござる!」
満面の笑みで手を振るサクラ。……いや、振らないで! その揺れ、周囲の視線が集中してるから! 中身が男でも、身体はグラビアアイドル級のグラマースタイル。少しは自分の外見に気を使ってよ! 私は慌ててストレージから大きめの黒いローブを取り出し、サクラにかぶせる。
「ちょっとは……デリカシーと向き合って!」
咄嗟に出た言葉だったけど、自分で言いながら“向き合って”という表現が妙にしっくりくる。サラシを巻いていても目立つ突起物なのに、巻いていない時は特に他人の視線を気にしてほしいものだ。
「いやぁ、かたじけないでござるな」
怒気まじりに注意したというのに、サクラは上機嫌なまま、まるで気にも留めていない。……なんか、動揺してる自分だけがバカみたいじゃない。
ひと息ついて、今日の予定を立てる。私が西地区、サクラが東地区へと情報収集に向かうことになり、合流は昨日夕食を取ったあの酒場――ということで話がまとまった。
街を歩きながら、人々の会話に耳を傾ける。よく聞こえてくるのは、近々開催されるという“武闘大会”の話題だった。なんというか、あまりにもタイミングが良すぎて、まるで私たちが中心となってストーリーが動いているような――そんな、漠然とした予感すら覚える。ゲームでは、この武闘大会に出場するには“Aランク冒険者”の資格が必要だった。少なくとも今の私には、そこまでの昇格には時間が足りない。
道中、屋台で串焼きを購入し、それを頬張りながら歩く。支払いの際、うっかり白金貨を出してしまい、「お釣りが出せないから崩してきてくれ」と言われてしまった。ゲームでは、どんな小さな店でも無限に資金があって、高額商品も何個でも買い取ってくれたけど……この世界は、やっぱり“現実寄り”なんだなぁと実感させられる。
昼前には西の工業地区に到着した。冒険者ギルドは入口近くにあり、探す手間が省けたのは助かる。建物の造りは南地区と似ていたが、集まっているのは戦闘職よりも生産職――クラフト系のクリエイターたちが多いように見えた。掲示板を覗いてみると、やはり「製造依頼」や「精製補助」といった内容が多く並んでいる。
ギルドのカウンター、クリエイターたち、そして酒場の客たち……手分けしてサクヤの特徴を伝え、目撃情報がないかを尋ねて回ったが、手応えはなかった。緑髪の妖精種、現代的なパンツスーツという見た目はかなり目立つはずなのに、誰ひとりとして見たことがないという。
その後も、工業地区をぐるりと歩き回り、昼間でも開いている酒場に立ち寄って情報を集めてみたものの、全てが徒労に終わった。ついでに武器屋、防具屋、鍛冶屋など、このエリアに店を構える職人たちにも一通り話を聞いてみたが、やはり成果はゼロ。……サクヤ、いったいどこに行ったの?
「収穫なしか……」
私は深いため息をついて、帰路についた。
酒場に戻った頃には、すでに夜の帳が下り、街はしっとりとした闇に包まれていた。店内を見渡すと、奥のテーブルにサクラの姿があった。よく見ると、彼女の隣には品のある貴族風の男性と、その護衛らしき冒険者……いや、騎士が2人付き添っていた。騎士たちは背後に控え、周囲を警戒するように立っている。……誰だ、あれ?
「おーい! シノブ殿、こっちこっち!」
私に気づいたサクラが、店中に響き渡るような声で手を振った。その瞬間、酒場のあちこちからざわめきが起きる。――そう、誰もが振り返るほどの美貌の持ち主が、男丸出しの声で話すのだから無理もない。
「男なのか?」「いや、女だろ……?」
そんな声があちこちから漏れ聞こえてくる。最近では、面白いというよりも、ちょっと気の毒に思えてくるくらいだ。私自身、もう慣れてしまったのか、なんとも思わなくなってきた。
「おまたせ……で、こちらの方は?」
私はサクラの隣に腰を下ろし、向かいに座る人物に視線を向けて尋ねた。
「こちらの御仁は、ジェイ――」
……と言いかけて、サクラが言葉に詰まる。――おい、名前忘れたなコイツ。失礼すぎる。
「すみません、自己紹介が遅れました。私は『ジェイコブ・ピップ・シェパード』と申します。今日はサクラ様に命を救っていただいたのです」
話を聞くと、ジェイコブは依頼を出したギルドからの帰り道、ガラの悪い冒険者たちに絡まれていたところをサクラに助けられたのだという。その時、サクラがタオル1枚を武器に相手10人を瞬く間に倒したらしい。……すでにタオル神拳を新しい特殊技能として使いこなしているようだ。
後ろで直立している護衛の騎士たちは、見るからにボロボロで、体中に包帯が巻かれていた。彼らでは荒くれ冒険者10人を相手するのは荷が重かったのだろう。……なるほど、それでお礼に夕食を奢ってもらっているのか。
「それで、依頼の件なのですが……」
「そうそう、シノブ殿。拙者、武闘大会に出ようと思うでござる!」
「はっ!?」
あまりに突拍子もない言葉に、思わず聞き返してしまった。――武闘大会って、Aランク冒険者が最低条件じゃなかったっけ? それに、出場枠は厳正な抽選制のはず……。
「サクラ様の強さは、この目で確かに拝見しました。そこでお願いなのですが、5日後の大会に“特別枠”として出場していただけないでしょうか」
貴族――ジェイコブ公爵が静かに、しかし確信を持った口調でそう言った。
「なんでも、ジェイさんは公爵で、武闘大会の大スポンサーらしいでござるよ」
「こ、公爵!?」
私は椅子から転げ落ちそうになりながら、サクラを2度見した。公爵って、王族に次ぐほどの上位貴族じゃないの。そんな大物を“ジェイさん”呼ばわりって……どれだけ肝が据わってるの、この人? それに、武闘大会の出場枠を特例で作れるなんて、完全に”やりたい放題”の権力者じゃない。下手に逆らったら、打ち首どころか歴史から名前を消されかねないレベル。
「――サクラ、もう少し礼儀とか礼節とか……その辺、大事にしようよ。お願いだから……!」
「ん? うむ、気をつけるでござる」
――まったく、どこまで本気なのやら。
「ああ、どうかお気になさらず。では、私はこれで失礼します。明日、宿に書簡を届けさせますので、正式な返答はそれを読んでからで構いません」
そう言って、ジェイコブ公爵は一礼し、騎士たちを従えて酒場をあとにした。そしてサクラは、まるで何事もなかったかのように「それで今日の収穫だけど」と話を続ける。――まぁ、予想はしてたけど、結局あちらも手がかりゼロだったらしい。
「サクヤは、この国に来ていないようだね。」
「ふむ、よもや道中で命を落としたのではあるまいな……」
サクラが不吉で不謹慎なことを口にした。しかし、この世界はゲームとは少し異なり、何が起きても不思議ではない。もし可能性があるとすれば、赤龍に挑んで……いや、うう……無きにしも非ずだ。この国に来ればサクヤに会えると思っていたけれど、そう簡単にはいかないようだ。
「……で、武闘大会には出るの?」
「ふむ、武闘大会で優勝すれば名が広まる。そうなれば、拙者たちがこの世界に来ていることを仲間たちに伝えられるかもしれぬ。」
サクラの言うことはもっともだ。名が広まれば、どこかにいるかもしれない仲間たちが気づいてくれるかもしれないのだ。
――こうして、私とサクラは武闘大会での優勝を目指すことになった。
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