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地下洞窟の赤龍

 ―迷いの森―


 アルテナの草原を街道沿いに進んでいくと、やがて「迷いの森」と呼ばれる広大な森林地帯に入る。この地域は1年を通じて温暖な気候に恵まれ、広葉樹が自然に生い茂っている。よく育った青葉が街道に張り出し、昼間でも薄暗く感じるほどだ。


 もちろん、モンスターも生息しており、旅人や行商人たちは冒険者を護衛に雇って通行するのが常識らしい。ゲームでも、この森は通過ミッション扱いで、それほど難易度は高くない。斥候技能に長けた私にとっては、まさに庭のようなものだ。索敵によって敵の気配を察知し、安全な最短ルートを選んで進んだ結果、やがて大きな湖へとたどり着く。森の中は常に薄暗いため気づきにくかったが、いつの間にか太陽は西に傾きかけていた。


「……今夜は、ここで野宿でござるな。まだ明るいうちに、テントの設営を済ませるでござる」


「了解。ちゃちゃっと立てちゃおう」


 私たちは手分けをして、簡易テントの設営と夕食の準備に取りかかる。骨組みを組み立てて地面に固定し、防水加工のカバーをかぶせて留めるだけの簡単な作業だ。仕上げに、モンスター避けの結界石を周囲に配置して寝床の完成。


 今夜の夕食は、宿の女将さんから分けてもらったシチューとパン。驚いたことに、ストレージから取り出したシチューは、作りたてのように温かいままだった。どうやらストレージ内では時間の経過が止まるらしい。ゲームでは単なるアイテム保管庫にすぎなかったけれど、現実世界で使うと……これは、とんでもなく便利だ。


 問題として、お風呂に入れないのは仕方がない。水浴びや体を拭く程度で我慢するとして――本当に困るのは、トイレだ。自然の中で隠れて済ませるしかないが……こればかりは、いつまでたっても慣れそうにない。


 夜の見張りを交代でするべきかどうか、という話もあったけれど、周囲のモンスターの強さなら結界石で十分防げるという結論になった。そこで、就寝時には少し大きめのテントをカーテンで仕切り、それぞれが寝袋に入って眠ることにした。……とはいえ、なんだか少し心許(こころもと)ない。以前、朝起きたときに寝顔を見られていたし。


 私は念のため、特殊技能(スキル)”粘着罠”を発動する。これは地面に設置することで、対象の行動を制限するトラップだ。自分の寝袋をテントの隅に寄せ、他のスペースにはすべてこの罠を設置していく。設置後はトラップ自体が透明になり、目視できなくなった。


 試しに手を置いてみると、トラバサミか食虫植物のようにぱくりと閉じて、強力な粘着物質が絡みついた。しかも、容易に取れない。……これは、なかなかすごい。ゲーム内では使ったことがなかったけど、現実だとかなり有用かもしれない。自分が引っかからないよう、壁際にだけ細い通路を残しておいた。


「よし、これで安心して眠れそうだ」


 サクラのことは仲間として信頼している。……している、のだが、前科がある以上、完全に無防備というわけにもいかない。見た目は女でも、中身は男。そこは忘れてはいけない。


 ……明日は、赤龍か。この世界の赤龍は温厚で、人語を操るという噂もある。本当ならありがたいけど、もし戦闘になったら、現実でレイドボス相手に勝てるのだろうか……。――そんなことを考えながら、意識が徐々に闇に沈んでいった。



 ”――龍を倒しな――”


 ”――――ないと、あ――の大切な――たちが――ことにな――す。決して後悔の――よ――”



 女性にも、声変わり前の少年にも聞こえる、不思議な高い声が、途切れ途切れに耳に届く。――いったい、なにを伝えたいの? よく聞こえない……。


 暗闇の中に、うっすらと光が射し込んでくる。眼前には金属製の骨組みと、それを覆う布。そういえば、ここはテントの中だった。……そうか、初めての野宿だったっけ。


「シノブ殿、目が覚めたでござるか?」


 聞き慣れたサクラの声。まだ完全に開ききらないまぶたをこすりながら、声のした方へ顔を向ける。そこには――粘着罠で簀巻(すま)きにされたサクラの姿があった。あまりに不自然で不気味なその姿に、私は思わず2度見してしまった。……国境を越えて密入国してきたスパイか何か? カーテンで仕切った“国境”を乗り越えてくるとは……。


「よい朝でござるな」


 身動きひとつ取れない、まるで巨大なミノムシのような状態で、サクラは笑顔を浮かべたまま自然に挨拶してくる。その胆力だけは評価してもいい。……しかし。


「おはよう、何をしているのかな?」


 私もごく自然に挨拶を返す。ただ、あまりの呆れた光景に、表情はきっと能面のように無表情だったに違いない。その無言の圧力を察したのか、サクラの口元がヒクヒクと引きつり始める。そして私の問いかけから、1分間の沈黙を挟んだのち――


「申し訳ないでござる。……助けてはいただけないでしょうか」


 あっさりと、サクラは白旗を上げた。サクラの言い訳は、朝食ができたので呼びに来たけれど返事がなく、心配になって境界線を越えてしまったというものだった。ほんのりと美味しそうな香りが漂っている。……どうやら嘘をついているわけではなさそうだ。私はため息をつきながら、手をかざして粘着罠を解除する。拍子抜けするほど簡単に、罠は霧のように消滅した。


「うう……かたじけないでござる」


「はいはい、わかったから泣かないの!」


 ……どうも嘘泣きくさいんだよなぁ。普段は優しくて頼りになる年上の男性なのに、どうしてこう、自分のイメージを下げるような行動を取るのか。


 その後、私たちは朝食を済ませて出発する。大きな湖を迂回し、切り立った山岳地帯へとたどり着いた。そこには、ぽっかりと口を開けた洞窟があった。洞窟内は街道と同様にある程度整備されていて、等間隔で魔法石を用いた街灯が設置されていた。別の出口に向かう分岐がいくつかあったが、きちんと看板が立てられていて迷うことはない。


 モンスターも生息してはいたが、森から移ってきた個体が住み着いているだけらしく、その数は少なかった。気づけば私もサクラも、戦闘にずいぶん慣れてきていた。順応って、本当に恐ろしい。道中、二股に分かれた分岐の中央に石碑のようなものが設置されていた。そこには、はっきりとこう記されていた。


「注意:ドラゴンの(ねぐら)


 索敵を発動すると、巨大な黒いマーキングが表示された。……これは、間違いなくレイドボスの反応だ。やはり、この奥に“赤龍”がいるのだろう。私とサクラは顔を見合わせる。一方、反対側の道には「オスロウ国方面」と、分かりやすく記されていた。


「ど、どうする?」


「……ふむ」


 ゲームでは、この場所は一本道に設定されており、赤龍を討伐しなければ先へ進めない仕組みだった。だが、この世界では赤龍との戦闘イベントを“スキップ”できる可能性がある気がする。……というか、できるならぜひスキップしたい。そもそも、私の職業は立ち回り的にレイドバトル向けじゃない。少人数で挑んだら、確実に足を引っ張る。正直、あまり乗り気じゃないのだ。


「もしかしたら、サクヤ殿が倒しているかもしれぬでござるよ?」


 確かに、それは十分にあり得る話だ。この世界はゲームと異なり、“モンスターのリポップがない”という特徴がある。ゲームでは、雑魚モンスターは一定時間で決まった範囲にリポップし、レイドボスですら数時間後にはフィールド内のどこかにランダムで再配置される仕様だった。


 赤龍は、メインストーリーに絡む最初のレイドボスで、ゲームではミッションを受注するたびに確実に出現するよう調整されていた。でも……この世界では、サクヤがすでに倒していてもおかしくない。ただ、万が一再配置されていたら──それはそれで面倒だ。


「ま、行ってみるでござるよ!」


 私が決めかねていると、サクラがにっこりと笑い、私の手を取って歩き出す。


「わっ、ちょ、ちょっと待って。行くのぉ!?」


 私の抗議の声は、彼の軽快な足取りにすっかりかき消されていた。重たい気持ちを引きずったまま、サクラに手を引かれながら赤龍の棲む(ねぐら)へと向かった。しばらく歩くと、高さが5メートルはあるであろう、漆黒で仰々しい大扉が姿を現した。その構造は明らかに、一般人や駆け出し冒険者の腕力では開けられない重厚な造りだ。まるで“この先は一定以上のレベルでなければ進めない”という、ゲーム的な制限を感じさせる扉だった。


「……開けるでござるよ」


 私は無言でサクラの背後に身を隠す。――正直、怖い。サクラが力を込めて扉を押すと、鈍い音を立てながら、巨大な金属の塊がゆっくりと動き出した。


 扉の先に広がっていたのは、崩れかけた白い石造りの神殿跡のような広間だった。

 その中央には、堂々たる体躯を横たえる赤き龍の姿があった。


「……寝てるでござるか?」


 薄暗い空間の中で、巨体が規則正しく上下している。私たちは気配を殺しながら、そっと近づいて様子をうかがう。赤黒く光沢のある鱗にびっしりと覆われたその巨体は、まさに神話から抜け出してきたかのような威厳に満ちた存在だった。……が、その寝顔には、凛とした中にも、どこか可愛らしさ――独特の愛嬌がにじんでいるような気がした。


 ”――――なにか用か、人の子よ”


 その瞬間、耳からではなく、まるで心の奥に直接響くような声が聞こえた。それは、どこか初老を思わせる落ち着いた口調。どうやらサクラにも聞こえたらしく、彼は腰の刀に手を添え、緊張した面持ちで周囲を見回している。


「ひゃっ!」


 思わず小さな悲鳴が漏れた。反射的に振り返ると、そこには――黄金色に輝く巨大な瞳。赤龍が寝そべったまま、片目だけを開け、こちらを見つめていた。黒く澄んだ瞳孔が大きく見開かれ、まるでこちらの魂を見透かすかのように動かない。私は思わず一歩後ずさる。その目の大きさは、私の背丈とほとんど変わらない。――間違いない、ゲームで見たよりも遥かに巨大だ。


 ”……何用かと、聞いている”


 再び声が響く。声というより、思考に直接流れ込んでくる――そう形容した方が近い。


「こ、こいつ……脳内に直接!」


 サクラが、なぜか誇らしげにベタな台詞を口にする。私も一瞬同じフレーズが脳裏をかすめたが、羞恥心が勝って口には出せなかった。


「あ、あの、おこしてごめんなさい。ただ、通りかかっただけでして……!」


 私は両手を振り、どうにかして無実を訴える。けれども――石碑の注意を無視し、あんな大扉まで開けておいて”通りすがり”は苦しすぎる言い訳だ。サクラは刀に手を添え、いつでも抜刀できる構えを取っている。……やるしかないのか? そんな緊張が走ったそのとき。


 ”……ならば、去るがよい”


 予想に反して、赤龍は興味なさそうに言い残し、再びゆっくりと瞳を閉じた。


「い、いこっ、サクラ!」


「……ふむ」


 私たちは(きびす)を返し、そそくさと後退する。


「なんだか、ぐーたらな龍でござるな」


「――ちょっ!」


 空気を読まないサクラが、赤龍を小馬鹿にしたように呟いた。……そういうことは、せめて部屋を出てから言って! 私は慌ててサクラの手を引き、小走りで部屋を出て大扉を閉める。疲れていないはずなのに、恐怖のせいで心臓がバクバクと音を立て、呼吸も浅くなる。


「ふ、不用意な発言はやめてってば! 本気で怖かったんだから!」


「う、うむ……すまぬでござる」


 とはいえ、サクラの言うように――拍子抜けするほどやる気のない龍だった。でも、あの威容を前にして戦うなんて、現実的にはとても2人では無理だ。戦闘にならなくて本当によかったと心から思う。私たちは1つ前の分岐点まで戻り、「オスロウ国方面」と書かれた看板のある方へ足を進めた。


 道中、向こうから来た行商人のパーティーと何組かすれ違った。昼時が近いのか、人通りがぐっと増えた気がする。しばらく進むと、眼前に大きく開けた洞窟の出口が現れた。


 外へ出ると、そこは見晴らしの良い高台――。そして、その先に広がっていたのは――壮大な城と、遥かに広がる巨大都市。


「おお!」「わぁ!」


 私たちは思わず、同時に感嘆の声を漏らした。アルテナの町の数十倍以上はあろうかという広さ。豆粒のように見える人々が、忙しなく街中を行き交っている。当然だけど、ゲーム画面で見たそれとは比べものにならない。風の匂い、遠くのざわめき、眩しさ――自分が本当にファンタジー世界に来てしまったのだと、あらためて実感する瞬間だった。


 私たちはゆるやかに続く街道を下りながら、オスロウ国へと歩みを進めた。

お読みいただきありがとうございます。

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